11/03/08

日本フットボールリーグオフィシャルWebサイト様

拝啓

貴サイトの
http://www.jfl-info.net/stadium/00672.htmlにある沖縄市陸上競技場のバスでのアクセス表記を訂正したほうがよろしいかと思われます。

「那覇空港国内線旅客ターミナルよりバス 具志川空港線本線で「園田」下車、徒歩10分」

ですが、具志川空港線は113番で沖縄南ICで高速を降りてすぐ「沖縄市運動公園前」バス停に停車します。徒歩2分ほど。運動公園敷地に入るなら10秒です。またこのバス停についていえば、那覇バスターミナル発の180番屋慶名行き高速バスも停車します。

一般道路線の場合、ほぼ表記の通りでよろしいかと思いますが、該当バス路線の系統番号を書いておいた方がよろしいかと。

ちなみに、記載されている具志川空港線本線、具志川線、名護東線、謝苅線、知花線、国体道路線、石川空港線、屋慶名線、泡瀬西線、那覇こどもの国線の系統番号はそれぞれ、

具志川空港線本線(113)、ただし、113番はこれは高速使用バス路線です。具志川線(23)、名護東線(77)、謝苅線(63)、知花線(90)、国体道路線(112)、石川空港線(123)、この石川空港線も高速バスです。屋慶名線(27)、泡瀬西線(31)。

那覇こどもの国線というのは、こどもの国宮里線(22)ですかね?これは残念ながら表記の「園田」は通りません。たぶん、与那城線(80)と間違えられたのでしょうか?この80番は「園田」に停まります。ちなみに「園田」は「そんだ」と読みます。

その他、おもろまちの交通広場発(ゆいレール、おもろまち駅)から、具志川おもろまち線(223)、屋慶名おもろまち線(227)、謝苅おもろまち線(263)、知花おもろまち線(290)でも行けます。系統番号200番台はおもろまち交通広場発着です。

加えて、那覇空港から沖縄市陸上競技場なら、111番高速バス名護行きに乗り「沖縄南IC」バス停で降りれば徒歩3分。空港からそして那覇バスターミナルも停まりますのでこの111番が一番おすすめではないでしょうか。朝からありますし。

ただし、上記情報も、路線改変などで意味をなさないこともあります。正確な情報を得るのにおすすめは沖縄路線バスドットコムさんでしょう。沖縄でバスに乗らなくてはならないときはたいへんありがたく使わせていただいております。


と、日本フットボールリーグオフィシャルWebサイトにはメールアドレスの問い合わせ先がないので、自分のところに書いておきます。

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01/03/08

轟木側のコブと谷と尾根

天城町大城山の轟木側のコブ(つまり徳之島町側になる)へ上った。水が流れた跡と思しきところを上ると、大きくU字型に削った形跡がある巨大な谷の空間。何段かの石垣や巨石が。そこからGPSを頼りに急斜面をあがっていく。

結論をいえば、期待した、天城側のコブ(いわゆるフーグスク)にあったような巨石の拝み場所は発見できず。残念。ただここのコブはかなりまるくなっていて植生も年代が浅い。そしてお約束の松があり、となると、人の手が入っていた可能性はあるのか、と。

Fugusukuone

その場所を大城山方面に降りると峠に出る。そして尾根伝いにいけば大城山の山頂。進んでいくと、実際、道は見えているのだけど、木が邪魔してアウト。たぶん10年以上踏まれていない。行くならノコギリとナタ必須。ただ、この尾根、とても見晴らしがよく、花徳側の海が見える。そして大城山山頂から続く轟木からみえる三角山も目の前。

で、その北側に田んぼと思しきあと。段差と水を流した小さな掘り込みが。知人の話では轟木にあった染物のための田んぼではないか?とか。

このあたりであきらめて下山。

Fugusukuzentai

もときたU字型の谷のところへ来たのだけれど、よーくみると、この空間、内地的にいえば神社の境内ような作りのように感じる。神社といってもいわゆる聖地であった頃の神社。


Fugusukuiashigaki

参拝道と思しき石や、土止めも兼ねているような石垣。水を流したような跡。

R0011450

なんだか女性に見える石への彫りこみ。

Fugusukumitate

そしてふとみると、なんだか大城山を模したような岩。見立てというやつですが、見れば見るほど大城山の姿と似ている。手前のコブもあるし。

なんとなくだが、この場所、いわゆる当時の方の公園や内地でいう鎮守の杜みたいなもんだったんじゃないだろうか。暑い時に涼みに来る場所。そして拝みの場所でもあって、ここから奥は神女しか行けないところとか。

松原側と違って、ふんわりしたやわらかい雰囲気が漂っている。


Fugusukuentrance1

車をとめた道路に下ると、入るときに水が流れていた跡と思しきところは、滝だったんじゃないか?という思いが。気持ちよい水がいっぱいの。そしてよく見れば入り口の両側にたっていたんじゃないかと思しき石がふたつ。

もしかしたら大城山への正式の登山道(参拝道)はこちら側(徳之島町轟木側)だったのだろうか?。とにかく尾根からの景色が素晴らしい。整備すれば気持ちいい登山道かもしれない。

しかしなぜ徳之島には三角形の山頂の山が多いのだろうか。いや多すぎるし。

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13/02/08

まさにこれぞ灯台下暗し

大城山に登ろうと思っていたのだけれど昨日からの雨+本日の時々雨の天気で断念。

友達と何度も何度も通っていたけれど、いつも「ほお」「怪しいねえ」などとつぶやきながら通り過ぎていた与名間と手々の間。与名間灯台やムシロ瀬のあたり。

徳富先生の地名考を参考にめぐることに。

加えて、先日も書いたけれど別の知人から「ムシロ瀬は神殿の跡で、 ふりかえったら、山の上に羽のついた竜が飛んでいた」という話を確認しようと。

とりあえず空港から出発するが雨が降っていたので島に三軒しかないコンビ二のひとつで昼食。お弁当を食べる。島のコンビニの場合工場からできあいを持ち込んで作ることはできないので、すべてがコンビニ内で製造。これがなかなかおいしい。いいのか悪いの。

雨も上がり北の空も明るめになってきたので出発。

徳富先生の文章に残る「大和城 天城町の最北部」という文言を頼りに携帯にインストールしたGoogle Satで怪しそうな森をチェックしながら進む。

どう考えても山手側にある三角形の山が怪しい。以前から目をつけていた山。旧道に入ると土地改良がなされているにも関わらず残されている小さな丘陵の上に巨石遺構を発見。ノロ系の拝みどころなのか。ちょっと進むともっと大きな遺構も。なんなのだろう。これは。

やはりあの山が怪しい。登る道を捜すことに。近くの牛舎に人がいたので聞いてみた。しかし山に上がる道はないとのこと。それならばとこのあたりの字名を聞いてみると、県道の山よりは「はげだけ」。海よりが「さぎばる」。手々側が「いしぐじん」。

「はげだけ」。今はこんもりとした森になっているにも関わらず「はげだけ」とは。人の手が入った山で、その後、荒れていた。山城跡で戦闘後に放棄されたと考えたらどうだろう。見晴らしも素晴らしい。

ちなみに井之川の大城(ふーぐすく)も「はげやま」と呼ばれていたらしい。

「さぎばる」。これは字名にある「崎原」。

そして「いしぐじん」。友達によると「ぐじん」とは島の言葉で「たくさん」ということらしい。つまり「石がいっぱいある場所」。

手々方面に行ってみる。するとある場所で怪しい場所を確認。車を降りて目を凝らすとヤブの奥、森の中に大量の巨石群を発見。なんなのだ?。以前いった手々山中の石場から切り出したような。そんな岩があちこちに。GPSにマークしてとりあえず今日はそこを離れる。

続いて右に折れて海岸方向へ。そここに巨石のあとがある。単に置いてあるもの(自然にできたとは思いにくい)。こんもりした丘の上に置かれた巨石。そういったものが散見する。うーむ。これは。

そして与名間港へ。ここもどう考えても不思議な石に囲まれている。すべて自然だろうか?

極めつけは与名間灯台。

知人もはじめてくるという。上がって、周りの斜面を見ると、人工的に割られた石が丘の斜面に散乱。ところどころ石を積んだ跡も確認。間違いなく見張り台か住居か拝み所に使われていたに違いない。降りたところに畑地になった平場もあった。グスクといってよい。

「灯台下暗し」とはまさにこのこと。灯台は海側から見えやすいよい場所に作る。当然それは昔の人も同じだ。話によると亀徳の灯台の場所もグスクだったとのこと。なるほど。

友達の仕事の時間になったので海沿いの小道を散策がてら亀津へ。途中、ちょっと変わったお墓群をみつける。

知っているけれど、知らない場所はまだまだありそうだ。

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28/01/08

帰る日に滝登り

今日は島を離れる日。

飛行機は午後4時前の便なので時間がある。飛行機の時間まで知人たちと島の西側、秋利神という地区を探索。

どうやら絶壁が迫る港の脇に小川が流れてでいる。そこから上を目指す。いつものように鎌を手に藪をかき分け進んでいく。足元は水が流れる滝でツルツルとすべる。自然が作ったものか人工かどうかは定かではないが、ある程度藪をかき分けると、階段状になっていることにも気づく。

登り切るとだいたいの全容がわかった。左手に芋科の植物が群生していたところは、昔の棚田の後。登りきったところにイジュン(湧水)。近くにはどうやらお墓のようなものや石垣を積んだ跡もある。

あとで確認したが、このあたりに住んでいた人が使っていた浜に降りる道らしい。そしてこのイジュンから右手に上って行けば、上の道に出たことも、この地に住んでいた人とGPSのログデータからほぼ判明。惜しかった。

さてどうやって降りようかと思ったのだが、藪を刈りながら進むが断崖絶壁に出てしまい、やむなくもと来た階段状の滝を下る。足元が滑るので慎重に。しかし草を刈っていたので、思っていたより楽に降りられた。おかげさまで、靴やジーンズの裾は水びたしでびちょびちょである。

1時間後、そのまま飛行機に乗ったら、僕の泥だらけの姿を見て、キャビンアテンダントの女性に「島では何をされてたのですが?」と聞かれ「山登りです」と答える。間違いではない。隣の席はあいていたので他の人に汚れがつかなくてよかった。

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27/01/08

グスクをめぐって夜光貝を食べた日

昨日、ウンノーグスクの南北の全容がだいたい把握できたけれど、あまりに巨大なグスクではないかという結論になった。I町の史跡が増えることになるけれど、全体に調査を入れると3憶ぐらいかかるのではないかと。

今日はそのウンノーグスクに島の若い女性をひとり連れていった。こういった史跡に興味あるだけでなく、徳之島の唄者としても有名な子だ。実は昨年全国の若手を集めた民謡大会で優勝している。こちらとしては三日連続で飽きてきてはいるだが(笑)、どうしてもということで友達たちと昨日発見した道を行く。

その後、島東部の友達が新しく発見したグスク跡を確認しにいき、続いてB地区の線刻画を確認したあと、B集落へ。

ここには噂に聞いていた知人たちの知り合いの夜光貝でアート作品などを作っている方がいる。その工房へ。いろいろ話がはずんだ。どうやらこの方はもともとは漁師でもあるらしい。夜光貝の殻は朝鮮半島で作られていた螺鈿細工に使われていた。身は食べてもおいしい。

すると同行した女性が工房の主から夜光貝を三つほどもらった。その場で身を取り出してもらう。素早くナイフで縁をこそげないと身が縮んでとれなくなる。さすが鮮やかな手さばき。

そのまま、I町へ。昨日同行した女性陣が話をしたいというのでいろいろ話をする。そして夜は同じI町の知人の家で先ほどの夜光貝をいただく。身のやわらかいところは刺身。硬いところは圧力鍋で。うまいなあ。

この島は普通に幸せがまだあるように思う。

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26/01/08

アマミクの里とグスク群。地球の鼓動と人の営み

I町の女性陣と町の東方のイジュンをめぐる。

何度か来たことがあるミョーガングスクそばにあるイジュン(湧水)へ案内される。

おお。ここも凄いぞ。イジュンの出口には鍛冶屋跡。前方にウージ畑。つまり以前は田圃。右手に台地があり、案内してくれた地元の女性に「ウフヤーがあの辺にあったのでは?」というとやはり「フーヤがあった」とのこと。絵にかいたようなアマミクの里ではないだろうか。

その後も別のイジュンやグスク跡をめぐりこのあたりがグスク地帯であることを改めて確認。最後には何度も行っている穴川神社へ。ここもイジュンが著名。いつもきれいにしていて地元の人の信心が厚いことを物語る。

いろいろ話をしていたら、この場所の掃除をしているのが、本日案内してくれた女性であることが判明。若いのに立派だ。感服。その女性の話によるともともとの集落はこのイジュンのそばにあってかなり大きかったらしい。ここも絵にかいたようなアマミクの里。

帰り際に、塩田跡へ。江戸時代からのものらしいが、サンゴのごつごつした海岸を削り取って塩田として使っていたのこと。見事。先人の労力が偲ばれる。近世から近代にかけての立派な遺跡だ。

一緒に行った女性陣の中に地質に詳しい友達がいて、この塩田のとなりにある巨大な岩へ案内される。周辺とはあきらかに違う。地質学でいうメランジュ。いろいろ混じり合ったというフランス語から来た名前だが、これだけ大きく立派なメランジュの岩が顔を出しているところって日本にあったか?確か四国のどこかが有名だったように思うけれど。

やはりその友達いわく地質学の先生が来た時も驚いていたらしい。

この場所、地球レベルの年代から近代までの見どころが。ちょっと整備すれば立派な観光地というものではないか。

この島はスゴイものにあふれている。

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25/01/08

島には不思議なものがあってよいはず

夕方、島の探索から帰ってホテルでだらだらしていたら、昨年、松堂玖邇さん関係で知り合った島在住の女性が訪ねてきた。

この方はもともと沖縄、那覇生まれらしいのだが、親は具志川のそれなりというかかなりの家系。そういった方面のチムダカでもあるらしく、興味深い話が聞ける。

沖縄や徳之島だけでなく広島や東京の話にもなったのだが、その中でとくに気になったのは、島の北部のこと。

彼女が内地からやってきた女性とムシロ瀬を訪れた時(この場所も彼女がいうに古代の神殿跡らしい)、その後方、南の山系に、羽のついた龍が飛んでいるのを見たのだという。

その場所あたりは、昨年来知人たちと何度も訪れている巨石の拝み場所などがある不思議な地帯。江戸の頃までは集落もあったというが。

僕個人は努めて文献や研究成果を吟味し、現地に赴き、科学的、実証的に理論だって物事にあたるタイプだと思うのだが、こういった話は嫌いではない。というより、こういった人の感覚や幻視の風景も現実であり科学の対象だと考えている。

昼は昼で知人たちと楽しい発見ができたし、夜にも楽しい話が聞けた。良き一日であった。

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29/11/07

煉獄あたりの船旅

友達の話によると鹿児島ー沖縄航路では一番揺れない船のはずだった。

那覇から9時間半の船旅。ニシカジ(北風)が強いこの季節。ただでさえ上り(那覇から鹿児島へ)は揺れるというのに、そこにあらわれたのが季節を間違った台風ふたつ。南の海上へ逃走して熱帯低気圧になったとはいえ、海はつながっている。

朝6時半。乗船券を買ったら「条件付き」。つまり、目的の港に入れない可能性があるので、名瀬での下船を承諾しないと乗せないよということ。覚悟を決めた。

横揺れはスタビライザーで抑えられているものの、上下に揺れる揺れる。朝7時の出航から午後5時半の到着まで、船には強いはずのおれっちもさすがに便器を抱え込みそうになった。

そんな船中でもラーメンとおにぎりを食べる家族連れ。なんというか。三半規管の構造が違う。船に強い人は強い。

ふらふらになりながら1時間遅れで、なんとか目的の港に到着。名瀬に行ってたら、明日の朝に戻ってくることになってたもんね。不幸中の幸い。

揺れない船だと教えてくれた友達が車で迎えに来てくれていた。ホテルにチェックインし、そのあと牛小屋を探索。いろいろ話がはずんだ。

そのあと友達と小料理屋で食事。そして明日からは山巡り。

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25/09/07

テレビ二題

大臣が誰になったのか確認しようと思ってテレビをつけたらテレビ朝日系列の番組だった。

どこか見たような潮の香り漂う風景が映っている。海もそれなりに碧い。

あ、あれかとすぐ合点がいった。なんか離婚したお父さんが子供つれて南の島にやってきて生活してるぞ、とかいう一応ドキュメンタリーのふりをしたしろうと使用バラエティ番組である。

今年の春、奄美大島へ行った時、大和村(やまとそん)を廻ったのだけれど、その帰り道、坪山豊先生が舟大工修行をされた大金久からバスに乗って、大棚という集落に近づいた時だ。

まず人などいない時間帯なのにバス停付近に黒山の人だかりができている。といっても30人ほど。それでも大和村的には人が集まったということになる。

なんだろうか?と思っていると、どうやらテレビ局のカメラが見える。バスがバス停に横づけされた。

バスの運転手に対して、ディレクターと思しき人間が、出発しようとするバスの運転手さんに

「ちょっと、待って」

と、ごくごくあたりまえのように声をかける。まだ演出指導が終わっていないから待てということなのだろう。一応マスコミで働いていたおれなのでそのくらいのことはわかるが、一応おれという乗客はがいるのだけれど、何も挨拶はない(笑)。きっとそのディレクターと思しき演出指導していた子は目が悪いのか、視覚障害者なのだろう。テレビ朝日は視覚障害者をディレクターに起用できるほどふところの深いテレビ局に、いつのまにかなっていたのだ。おれの不覚だった。感動である。これからは、視覚障害者の方でも、優秀な方なら、きっとテレビ朝日なら差別などせずに採用してくれるはずだ。大和村大棚でテレビ朝日の真の姿をみたおれだった。

ちょっとすると、その子だくさん家族のうちの女の子なのだろう。ハンディカメラと見届け人なのかわからないがアシスタントディレクターをひきつれ、計三人バスに乗ってきた。

「どこにしますか」
「うしろの方で」

などと話をしている。

バスが走り出そうとしたとき、

「じゃあ、バスを追いかけて走ってください」

といった声が外から聞こえた。なるほど、お姉ちゃんがどこかでかけるのを弟くんたちがおっかけるという感動的シーンだ。子どもたちはいわれたとおりにバスをおっかけて走っているのがサイドミラー越しに見えた。なるほど、つまりそのおっかけるシーンのかえしを撮影するためにバスの最後部に陣取ったということか。スタッフは若いのに映像のイロハのイは抑えているようだ。

でも、誰かが、名瀬や港か空港に行くにしても、たぶんこのへんの子持ち家族なら車を持っていないと生活できないかと思うので、車で行く方がリアルだと思うのだが、貧乏だから車がないという前提になっている演出上なのだろうか。バス代は結構高いので、たいへんじゃないか?。8人の子持ちだったらなおさら、などと思ったのだが、よっぽどテレビ朝日がこのお父さんに払っているギャラが安いのだろうか。車さえ買えないなんて。目頭が熱くなった。

で、そんなこを思うと泣きそうになったので(うそ)、高倉があるところでとっとと降りたのだった。郵政民営化で大棚の簡易郵便局はどうなるのだろうか。そんなことが今は気になる。


そういえば、今年の正月ぐらいだったか、徳之島の面縄港あたりをうろうろしていた時だった。ジャンボタクシーがすーっと止まっておれに声をかけた

「テレビ局の方ですか?」

意味がわからない私は「いいえ、違いますよ」と返答した。港の方を見ると一艘の漁船が波しぶきをあげて港へ入ってくる。漁からの帰りにしちゃ妙な時間だなと、どんよりした空を背景にして、乗員が下りるまで見ていると、なにやらテレビカメラを抱えている人がいる。

「ああ、あの船で撮影か何かしていたのだな。でジャンボタクシーを頼んだのか」と合点がいき、ま、どうでもいいや、と潮風をいっぱいに吸い込んでから、ねぐらに戻った。

後日、たまたまテレビをつけたら、田舎の他人の家に泊って芸能人がいろいろ笑ったり泣いたりしようとかいう番組の終了間際だった。そこには、その昔「また会う日まで」という曲でレコード大賞を獲った歌手が徳之島に来て、別れの時、漁船に乗って島を離れていくという感動シーンが流されていた。

面縄港だ。それもあの時、帰って来た船が、行く時(つまり番組では徳之島に別れを告げるとき)の映像だ」

ちなみに、面縄港から他島への定期船はない。また、漁船をチャーターしていくとしても、徳之島の南端あたりに位置する面縄港。他島へ行くには徳之島の他の港から比して遠い。

演出としてリアリティのなさにちょっと残念ですな。現代はおれがそんな世界で仕事をしていた時と違い、テレビ映像は使い捨てる時代ではない。録画され、あとで何度も何度も個人的jにかつインターネッドでよってたかってチェックされるのがデフォルトだ。そのあたりプロデューサー、ディレクターの子たちの自省はもちろん、スポンサーの担当者くんの的確な判断と批判、指導も必要かと、思うのだがどうだろうか? 老婆心であろうか。

また、あの別れの後、どうやって帰ったのか心配だった面縄港とその港の機能をご存じのみなさん。おそらくカットの声がかかってから無事に面縄港に戻ってきています。ありがとうございます!(なんで、俺が感謝しているのか不明)。しかも、ジャンボタクシーの迎えが来ていたので心配におよびませんよ。

たぶん当日の二便か翌日の一便(徳之島鹿児島間の飛行機は一日二便なので、一便目を「一便」、二便目を「二便」という。その他奄美大島、沖永良部便もあるが芸能人とテレビ局が使うとは思えないので)あたりで戻られたのでしょう。

とにかくも、この番組のプロデューサーとディレクターの現実感のない演出判断がみなさんにご迷惑をおかけしましたこと、昔はそういう業界にもいたおれがとりあえず陳謝いたします(なんでおれが陳謝するのか不明)。視聴者の皆様を不安にさせてはいけませんよ、スポンサーどの。

しかし、このテレビ局は、おれの大学時代の先輩が入社し、まさにその人がかつてとある不祥事で新聞および他局マスコミに挙げられたこともあったテレビ局ではあることは認めます。しかし、当たり前ですが頑張っています。頑張ればいいってものではないことは合点承知の助ですが、いつかどこかで結果がでることもないわけではないと思いますので大目に見てあげてください。

で、徳之島の知人からの連絡によると、英語でGolden Legend とかいう番組で、Good Boyとかいう名称の松竹芸能のお笑いコンビが、現在、徳之島で撮影に傾注しているらいし。

知人は十五夜も近い昨今の夜、外に出て波の音を聞きながら星を眺めようと思ったらしいのですが、その場所で、英語でGolden legend とかいう番組に出ているGood Boyとかいう名称の松竹芸能のお笑いコンビが煌煌とライトを焚いてロケをしているので遠慮して家に帰ったとのこと。

テレビ局もいろいろと大変なので、大目にみてあげてほしいですが、そろそろ限界なのは承知です。あとちょっとだけ視聴者のみなさまには我慢していただければ幸いです。我慢できないなら「見ない」という手もございます。

そうそう、いろいろテレビでとりあげてくれるので大和に、奄美、徳之島、沖縄のことがどんどん広まるという点でだけは、テレビ局の子たち、ありがとね(おふらんす)。でもねえ。

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09/03/07

黒潮のむこっかったでいいあんべえ

黒潮の上をあっちこっちしたあとに八丈島で島寿司を喰らう。八丈島の島寿司というのはいわゆるヅケ。しかしお江戸のそれとはちょと違う。

店主曰く「江戸前のヅケはサクに火を入れてからサクごとタレに漬け込んで切り身にするけれど、島寿司は切り身にしてから漬け、わさびの変わりに芥子を使う。酢飯は江戸前の寿司に比べて甘め。それにマグロはあまりとれないのでタイとかシマアジとか地の魚を使う」

1.5人前で12貫、2100円。説明してくれたのだけれど、タイの類が何種か。とびうお、シマアジ、岩海苔なんざがヅケになって出てくる。頬張るとうまい。酢飯の甘さ。芥子の辛さ。タレの旨み。ネタの甘さが渾然一体となったうまさ。(この寿司が南大東島へ行って「大東すし」になった)。

店主曰く「うちはヅケの時間を短めにしているんですよ。地元の人に言わせると『こりゃ島寿司じゃない』といわれることもあるけれど、このくらいがそれぞれのネタの味わいも残るしね」

おいら曰く「タレの味だけでなくそれぞれの魚の味も残っていて、いいあんべえですねえ」
などと与太りながら、店を出る。

近くの酒屋によって、薩摩や九州からの流人が持ち込んだ八丈島の焼酎を物色。ガラス瓶だと重くてめんどくせーので、小さいサイズのものを探す。結局、黄八丈という銘柄の麦焼酎。180ml。430円。25度。ちょっと道端で舐めてみると、あぁぁぁあ。これ、ほんと九州のどっかにありそうな焼酎だ。どこかは知らんが。

しかし今日は寒いので温泉でも行くかと、一番近い樫立温泉ふれあいの湯へ。到着すると地元のばあちゃんたちがわらわらと入口に群がっていた。入湯料300円。手ぬぐい200円。計500円。

少々白濁したちょっと熱めの湯を舐めてみると塩っ辛い。お肌にもよさそうである。露天風呂はちょっと温めだったが、外の空気を吸いながらだらだら入っているにはこれもいいあんべえ。

一時間ほどうだうだしたあと街に戻り、歴史民俗資料館でお勉強。入場料360円。微妙な値段がツボ。先々週行った伊豆大島の同様の資料館は200円だったから、ちょっと高いかと思ったものの、展示室がいくつもあってかなりの見ごたえ。これなら納得。なんでもこの木造の建物、旧八丈島支庁のものをそのまま使っているらしい。最初は小学校か何かかと思ったが、納得。

しょっぱなにビデオを見せられたがどうも昭和40年代後半あたりに作られたクサい匂いがぷんぷん。昔の新日本紀行のノリといったらわかってもらえっだろうか。面白かった。そしてそんな昔のものを今も見せているというポイントにも感動点を贈呈したく。

展示物も盛りだくさん。縄文土器から流人を死刑にする絵まで。これはもう一度来てじっくり見てもいいかなあとか思ったりも。

閉館(16:30)間際。館員のおばあさんが貧血か何かで倒れたようで救急車登場。たいしたことがないようでよかったけれど、そんな事件の最中にも別の館員のおじいさんに「あの、昔、闘牛やってたころの闘牛場ってどこにあったのでしょうか?」と質問。「仲之郷です」というご宣託。「仲之郷へ行って地元の人に聞けばすぐわかりますよ」。はるかけき30年くらい前、一度見にきたことがあるのけれど、すっかり忘れていたのでこれですっきり。今度来た時絶対いくぞと心に誓う。

ちゃんと観光した。

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02/03/07

おそるべしジュウルクニチ

ジュウルクニチ。グソー正月である。今日ではない。来週の月曜日。今年は3月5日。いわゆる、亡くなった方のためのお正月。

では何が「おそるべし」なのか。

それは民族移動でその前後、飛行機が満席状態になるのだ。今日は宮古へ行ったのでその強力なパワーを実感。

ウチナーにおけるご先祖さまの供養といえば当然、シチガチ(旧盆)が知られているけれど、次にでかいのが、清明(しーみー)。だいたい4月中になることが多いけれど、この間の20日間ほどの週末あたりは中北部から南部へ。那覇から中北部へ、民族大移動。名護と許田の間の58号線が「シーミー渋滞」で車が数珠繋ぎなんてことも少なからず。

と、ここまでは、沖縄本島中南部を中心にした話。

一方で、今度の月曜日が当日のジュウルクニチにおけるご先祖様供養を清明以上にとても大事にする地域がウチナーにはある。それは、八重山や宮古の離島。山原。中部では屋慶名あたり。

今年は月曜日になったので、金曜日の午後から火曜日の午前中くらいまで、宮古、石垣方面の飛行機は満席便多数でなかなか希望の便がとれない状況。月曜日の午前中の東京那覇間もかなり混んでいるのは当日かけつける内地在住のウチナンチューが多いからなのだろうか。

とにかく、ジュウルクニチ前後にはご先祖様のお墓へ向かうウチナンチューたちの民族大移動が起こるわけであります。

で、今日の宮古行、当然満席。しかも車椅子が3台出動。本島に居住する宮古出身のおじい、おばあがご先祖供養のために自分のシマへと向かうわけ。

ということで、宮古、八重山方面を目指す内地の方。ジュウルクニチにかかる移動になるなら、早め、早めに動くのが吉かもしれません。

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28/02/07

松山に寄ったので

かるく松山へ行ったので帰りに空港でじゃこ天を物色。

空港の一階では揚げたてを売っているのだけれど、じゃこ天の本場、南予出身の知人に言わせると

「松山のじゃこ天はどうだかね」

なので、二階のお土産屋で南予のじゃこ天を買うことに。といってもお土産のじゃこ天は全部、八幡浜、宇和島近辺の土地のものなので、考えなくてはいけないことはどこの店製造のものを買うかということだけ。

地元の人に言わせたら「甘い!」ということになるわけだが、所詮ヨソモノのおいら。南予出身の友達におすそ分けをもらって食べて感動して、去年宇和島で本場の揚げたてのじゃこ天を喰って感動数倍増(当社比)したといった程度なわけで、空港で売っている銘柄を物色するだけでも心躍る。

いろいろ迷った末、そのあたりにあるじゃこ天の600円強のものを何種類か4000円ほど買ってみることに。いちいちお店で払うのがめんどくさかったのだが、なんとかクリア。

帰ってからちょっとグリルで炙ってかぶりつく。ああ。まずいわけがないのだが、本当にうまい。明日から数日間は味の違うじゃこ天を楽しめるというのはかなり幸せ。酒によし。ごはんによし。汁物によし。こんなものを毎日食える南予の人がうらやましい。といってもいつでも食べられると思うと厭きるのかもしれないけれど。

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16/01/07

E61が届いていろいろと

去年のクリスマスの日にオンラインで申し込んでいたNokia E61という携帯電話が届いたのは今日のことでした。

Nokia E616万円弱の値段というのは携帯電話として高いと思うかもしれませんが、欧州だと400Euroや500Euroという値段は携帯電話としては「ビジネスマンなどが仕事を円滑に進めるにはこのくらいの内容の携帯電話が必要なので値段としては適当。というか安いよね?」ということになっていたりする。

おまけにわたしの場合はうそですが意外や意外第一言語(母語)が日本語なもので日本語が使えるというのはありがたい。しかも、どこの国のどんなキャリアのSIM(USIM)も挿して使えて(いわゆるSIMフリーで)、この値段。

つまり「日本で発売された世界でもSIMフリーで使える日本語OKの携帯電話として、妥当な値段」だ、と考えたので購入に踏み切ったと。いや、正確にいえばもうひとつ理由がある。

無線LANとBluetooth内蔵。後者は最近のGSM携帯電話ではあったりまえの搭載機能なのだが、一方の無線LAN内蔵というスペックはとくに購入の大きな理由のひとつ。いや、考えてみると無線LAN付じゃなければ購入は控えたのだからプライオリティとしては一番だったのかもしれない。

無線LAN、SIMフリー、日本語、Bluetooth。

他にもこのスペックを順にクリアする携帯はないわけではない。ただ日本語というところで非常にめんどくさい作業が必要だったりするわけで、今回のE61のSIMフリー版の発売は渡りに船であったということだ。

ということで箱をあける。Vodafoneの時の携帯電話に比べて軽くあっさりした印象。取り出してみると、結構手になじむ。さっそく、買い置きしてあった、Krusellのクラシックケースに。かなりきついが何度もひっぱっているうちになじんできた。多分カブリオレケースの方がよかったように思うが、なんといっても使い方が荒いわたしのような人間にはビニールで覆われるクラシックケースの方がいいのだと納得した。

充電してのち、無線LANの設定を行い、メインのメールサーバからのメール送受信とWebが使えることを確認。これまでのNOKIA機から電話帳とカレンダーのデータをBluetooth経由で一括コピー。次に無線LAN+WebでZIPを落とし、そのあとはカスタマイズのために無線LANでソフトを落としまくる。PCとはいまのところ一度もシンクしていない。どうしてもPCから送りたいファイルは、自分宛てにメールを送り、無線LANからメール受信しE61へという作業。

無線LANがなければPC+データシンクかキャリアのパケットを使ってダウンロードするしかなかったので、E61に無線LAN付でよかったということ。

ただ、これからが問題。電話として使うためにはどこのキャリアとどういう契約にするのが良いかということだ。早い話が、ドコモのFOMAとかいうのと旧Vodafoneしかない。どっちにするかどういう契約をすればよいか。研究だ。いま、なんだかんだ、でドコモが2回線。旧Vodafoneが2回線。全部あわせて月1万円強。さてどうしたものか。整理、変更の絶対条件としてMOVAはひとつ残さないといけない。海外のデータ通信が可能なSIMにするなら旧Vodafoneを全部解約してもかまわない。そのくらいだろうか。

などといろいろ考えてウソだけれど夜も眠れない。あ、いや借りているマンションの水関係がやばくなってポンプの音が非常に大きな音を立ててくれるので眠れない、ということが12月から続いているのでウソがウソかもしれないけれど(苦笑)。

とにかくまずは2GBのminiSD買ってこないとアプリ入れすぎてあふれる予感(笑)。

これまで動画&RAWデータ編集なし国内宿泊移動ではLinksysのトラベルルーターであるWTR54GS-JPに秋葉原のジャンクで買ったWS-003SH(WSIM買ってない)でメールのやりとりや簡単な作業を行っていたのだけれど、これからはちょっとずつ、WTR54GS-JP+E61に移行する予定。一応先ほどテストして問題がなかったので、うまくいくと海外もこのパターンでよいか?などと思ったりもするけれど、いやいやモデム必須の場所が21世紀になっても少なくない保守的な欧州だから今までのパターンを崩すのはまだまだ先のことだと改めて思う新春の夜ではあります。

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07/01/07

共同店の本

宜野湾にあるいきつけの古書店へ寄った。ほしい本が何冊かあったのだが断念。なんといっても、大型本で重かったのだ。車で来て買いなおすか通販が正解。

その代わり、昨年出版されていた、季刊カラカラ別冊『共同店ものがり』を購入。小さくて軽かったので。
共同店ものがたり

戻ってから読んでみたけれど、なんだ、面白いじゃない。もっと早く買っておけばよかった。紹介されているうちの半分以上はいったことがある共同店で、その時の記憶が甦る。

「あ、あそこで買ったビールは温かったなあ」「地元の泡盛の小瓶はお土産にしたっけか」

わたしの場合、シマ(集落)を訪れ、そこに共同店があった場合、最低でも飲み物を購入するという暗黙の自発的ルールが21世紀になってから発動されているが、20世紀中は、入っただけでモノを買わずというところがあるので、商品を買ったのはまだ3分の1強というところかもしれない。まだまだかと思われます。

なんといっても共同店の元祖である奥共同店。行ったことはあるのだが何も買っていないのだ。これではいけない。今年中に買い物にでかけることにしようと新年に誓うのだった。

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05/01/07

なぞるように南へ

6時に起き船に電話をかけたのだが留守電になっている。いま泊まっている町に船は着くのだろうか。10月に来たときは海が荒れ反対側の町へついてしまい、たいへんな思いをしたのだがその二の舞だけはごめんだ。

などといいつつ、もう、腹をくくってこの町に船は着くと決めてもうひと寝入りを決め込む。

8時すぎに目がさめ、港に電話。予定通りだと知り安堵。一時間後ホテルを出て港へ。10時10分出航。これから9時間あまり南へ下っていく。

空にところどころ浮かぶにわか雨を降らす雨雲を従え船は南へ南へ。沖永良部を出航しても、航跡のはるかかなたに徳之島の姿が。進行方向に目をやれば与論島の先に、沖縄本島の絶対聖地である安須森(アスムイ)のギザギザした山容の影が浮かんでいる。そのうえ右手には伊平屋島まで。こんなに周辺の島々が拝める日は珍しい。

太古の昔、南下していったわれわれの祖先はこんな風景をみながら船を操っていたのだろうか。そして、安須森の威容に神を見ていたのかもと想像が膨らむ。

本島の本部港で日没。角がタッチューぎみだったので間違いないかと思うが徳之島で載せられたのであろう闘牛が3頭コンテナごと降ろされていた。

これからは夜の航行。残波岬までは暗がりに名護の町、ライトアップされたブセナ、恩納のホテル群によるあかりだけが浮かぶ真っ暗な世界なのに、そこから先は「沖縄は都会だ」ということをあらためて知らされる思い。

観覧車が見える美浜、宜野湾、浦添の住宅街。その中で最も強烈な光を放っていたのが嘉手納と普天間、ふたつの基地と滑走路の誘導灯だった。これだけのあかりを維持する電力は相当なものではないだろうか。

それでも西の空にはオリオンがまたたき、東京では天上付近にある昴がかなり低いところにうっすらと。闇に浮かぶ街の灯りというコントラストが幻想的でさえある。

ぼーっと見ているうちにいよいよ那覇港の防波堤内に入る。三重グシクを左に見て、右手にかつて存在した屋良座森グシクを想像し、かつての交易船のように船は漫湖へと遡れる那覇港へ。あの狭い港湾内でUターンしてから接岸。疲れていたので近くのホテルへ。

そばでも食べようと以前から何度も横を通っていた屋台風の店へ。思いのほか良い味だったのは収穫。

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04/01/07

闘牛場をぬけて

午前中に丘の上で牛が宙に浮かぶ姿を見てから昨日行った集落へ。午後にはこの正月最後の大会がこの地で開催されるのだが、なぜか虫が知らせたのかパスしてしまい海の方向へと降りていく。ウージ畑を抜けごつごつした岩が剥き出しの海岸にたどり着く。

そのひとつの岩の上に小さな鳥居を発見。海神を奉っているのだろうか。しかしこの島(だけでなく基本的に日本)では、神社や寺など神域は古代の聖地につくられる。現代では鉄塔やテレビ塔、巨大建築物なども。そう考えると興味深い。

海沿いの舗装されていない農道を歩いていくと海岸段丘の木立の中に井戸を発見。昨日お会いした方のWebサイトにも掲載されていないのでここは近現代のものなのか?。それにしては、覗き込んでわかる壁面のつくりは時代が新しいとは思えない。

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03/01/07

牛やら遺跡やら

いよいよこの正月のメインイベントである全島一大会。場所はバスで20分ほどのところ。しかし正月の三日間バスは間引き運転。結果、到着がぎりぎり。

登場する25パーセントは沖縄で知っている牛。トレード(というか売り買い)が盛んなのだ。たとえば石垣の某超有名女性闘牛士のところにいた軽量級の牛(角をあわさず敗退)などなど。真打は誰もが認める沖縄チャンピオン八重山酋長(現大福環境開発一号)。10月に見た大会で全島一をとってから初の防衛戦。7分まで一進一退の攻防で場内がわいたものの、「酋長が勝つなら10分以内の決着」というテーゼどおり、8分すぎに軍配があがる。大福環境開発一号勝利。それでも対戦相手の徳之島台風は善戦だったといえるかと思う。

終了後すぐにネットで知り合った知人に電話をかけ役場前で待ち合わせ。8箇所ほどこの島のスポットを巡る。二箇所の線刻画は興味深く、グスクとよばれている三角形の山やすり鉢型の岬は、まさにそうだと確信できるつくり。はたまた古代から中世にかけて九州から台湾あたりまでの生活に欠かすことができなかったカムイヤキという焼き物を作っていた窯跡。古の京浜工業地帯みたいなものか。そうかと思えば、とある伝説のある洞窟やら、盛りだくさんの4時間。さまざまな話もする。研究者の間でも有名なとある集落は実は三つの集落の集合体であることを教わったり。再会を約しホテル前で別れる。

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02/01/07

牛三昧

疲れきっているのか朝起きても体調がいまひとつ。それでも早起きしてバスで40分の場所へ移動。またまた闘牛観戦。雨が降り注ぐ。正月早々びしょ濡れ。終了後、ダッシュしてタクシーをつかまえ、午後から開かれる昨日の闘牛場での大会に臨む。今日ふたつめ。両方とも盛り上がりは悪くない。けれど下位クラスの戦いの牛の質にばらつきが感じられる。終了後の懸賞抽選ははずれ。やっと開いた居酒屋で食事をしていると、沖縄の知人の名前が(笑)。

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01/01/07

あけましておめでとうございます

除夜の鐘を聞いたあと大日如来と役の小角と阿弥陀さんにお賽銭をあげ、一眠りして朝一で羽田へ。

火山島(現在半島)のあるところで乗り換えて海辺の空港に着陸。バスに乗って1時間。予約していたホテルにチェックインし、タクシーをつかまえて丘の上。

新年早々の牛同士のケンカは二日後の大きな大会を前にしてか、いまいちの内容。それでも懸命に育ててきたと思われる若い子たちの牛に対する興奮はひしひしと伝わる。

夜は疲れまくっているので早々に就寝する予定

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16/10/06

奄美あたりのマクダネルダグラス

MD81とか87といった機材が鹿児島から沖縄の間の島々の空港に投入されている理由は、その地域が旧JASの領分だったのでその機材を使っているということなのだろうと思うのだけれど、いつまであの機材に乗ってればいいのかなあと暗い気もちになるぼくなのですが、どうなんでしょうJALさん?

あの驚異の狭さの2-3の席。ちょっと大き目のバックも入らない天井の荷物棚。後方席に座ろうものなら(座ったことは過去に一回だけなんだけれど)、爆裂のようなエンジン音が飛行中、頼んでもいないし、できればどっかへ行って欲しいのだけれど、常にそばに寄り添ってくれる。幸せなわけがないわけでして。

はたまた一番前に座ったとしても、機材によっては、テーブルをロッカーから出して来て設置するといった荒業まで登場する。まあ、これはこれで昔のDC-10とかもそうだったので懐かしいんですけれどね。

もちろんいろいろな島をあわせて12万ぐらいしか人間がいない奄美群島を中心にした地域。優遇するわけにもいきません、ということなのでしょう。

そういえば、同じ系統のMD90などにはClassJとやらも導入するそうで、まだまだマクダネルダグラスの機材を使うのだ!という心意気ですか…。古いものを大事に。いいことではありますけれど、航空機の場合はどうだろうか?

南西諸島方面への移動が多い身としてはANAさんよりJALさんにお世話になる機会が必然的に増えるのが当然ですし、JALの上級会員になったのはANAよりもずーっと早い。現在の悲惨な株価を見ていても、涙をぬぐう袖も濡れる状況。いいすぎですけれどね(笑)

今日も徳之島発の鹿児島行き。「二便」。いつもどおりMD81の狭さを体感させていただきました。ま、これはこれで奄美群島名物?としてちょっとの間残ってもいいのかも、などと、今月4回目のこの機材を堪能したのでありました。

関係ありませんが、鹿児島空港の足湯につかってたら、痛んでいた右足の人差し指の爪がべろべろに。あと数日したらとれてしまうのかもしれない。次の爪まで半年だろうか?。

それでも東目手久での大会は面白かったので、よくわからないけれど、許したいと思うのですが。

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12/10/06

やんばるうろうろ

安田海岸への道

東海岸の安田(あだ)へ。ほぼ四半世紀ぶり。噂のとおりテトラポットがいっぱい転がる海岸へと変容。太平洋側は波が荒いので部落を守るにはしょうがないことなのではありますが、少々悲しい気分になるのはよそ者の身勝手か。

四半世紀ぶりに部落から浜へのアダンの道を通る。ここはあまり変ってない。主な御獄(うたき)や神様はそのまま。コンクリート作りの立派な建物になったりもしている。この共同売店あたりはおそらく古代からの集落跡のはず。

村営バスの帰りがけ、辺土名の手前の宇良バス停で村営バスを降り、伊地と宇良ふたつの集落を歩く。どちらもお社の屋根は赤く伊地のそれはたぶん伊地遺物散布地かと。小学生に挨拶される。ふたつの部落の共同売店が58号線沿い、すぐそばにあるので、複雑な状況はないのか気になるのだった。

宇良から海岸をてくてく歩いて辺土名のバスターミナルまで。こういうところを歩くのはあまり苦にならないのが不思議ではある。

名護に戻っていきつけの寿司屋でアグーのしゃぶしゃぶをいただき、腹ごなしに名護市内を歩いて帰る。部屋に戻ると、ドカン!ドカン!ドカン!と花火が上がった。ん?。日本ハムが勝ったお祝いだったようだ。名護は日本ハムのキャンプ地であっちこっちの居酒屋に日本ハムの選手の色紙とかあったりするので不思議でもない。

たぶん明日の新聞には名護市内の様子とかが掲載されるんだろう。沖縄にとってプロ野球の春季キャンプとその関連収入は、県にとっての一大産業であることは周知の事実。悪いことではないけれど、2月の沖縄は野球に興味がない人間にとってホテルを取りにくいという問題点もないわけではない。まあ、そのあたりは避けて通ることかと。

安田カミアシャギ今日は、本当に久しぶりに安田を訪れた、昔に比べてそれぞれの家が今風になり、拝所がコンクリート作りになり、海にテトラポットが並び、漁港が大きくなるなど、時代は土地の記憶を変容させている。観光客もほとんど訪れることのないやんばる東海岸集落にも台風によるそれだけでなく時代の波もおしよせている。

それでも、安田独特の屋根が低く足の多い神アシャギは茅葺のまま残されていて、2年かけて完結するシヌグはきちんと継承されている。安田という集落は太古からの記憶の一端を現代に浮かび上がらせるそんな場所なのかもしれないと。

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11/10/06

名護散策(というか結果としてウォーキング)

コザから77番のバスで一般道を北上。うるま、金武、宜野座、辺野古などを通って名護まで1時間半。いつものバス停で降りる。ねぐらに荷物を置き、歩き出す。東京だとあまり歩きたいと思わないのだけれど、南西諸島方面だと歩いてもあまり苦にならないのは不思議。

タクシーに乗ってもよかったが、あまりに天気がいいので行けるところまでやっぱり歩くことにする。目的地はブラジル食堂。名護の観光ガイドには必ず登場するブラジウ帰りのご家族がはじめたお店。

正直普通は歩かない距離だが、今も書いたように天気がいいのだもの。しょうがない。

かつて知ったる道をぷらぷら歩き、58号線バイパスを越え名桜大方面へ。右手に我部祖河食堂の支店が。入ってことはない。坂を上ると左手にブラジウ食堂の看板が。

実は今年の春もやってきたのだけれど、残念なことに、お休みで入れずじまい。しかたなく近くのエンダーで食事をしたことを思い出す。あとで調べたら定休日が月曜とのこと。今日は水曜日。大丈夫。あいていた。

中に入るとテーブル席がいくつかと座敷。ゆったりとしたつくりがいいかんじだ。壁にはブラジウ国旗の真中のところをそばにした国旗、というか店旗。奥の壁にはブラジウセレソンのユニフォームが額に入り鎮座ましまし。個人的に顔がほころぶ。

フェジョアーダなどのブラジウ料理もあったりするのだけれど、ここは名護。新山食堂や宮里そば、我部祖河食堂など名店ひしめく沖縄そば処。実はこのブラジル食堂、そんな名護にあって、そばでも名店に数えられる。ということで、ソーキそばを所望することに。もうちょっと頼もうかと、ふと壁を見るとおおパステウがあるではないですか。餃子みたいな四角い皮の中にチーズとかひき肉を入れたブラジルのおつまみ。なんとここでは、「空気てんぷら」と命名されていたのであった。「空気てんぷら」。この名称、個人的にかなりツボ。躊躇なく頼む。そして食後に、このブラジル食堂の名物でもある、エスプレッソもいただくことにする。

そばが来た。とても奇麗なそばだ。汁の味。うむ。かつおの風味と味。申し分ない。くわえて歯ごたえもある、沖縄的正統派の麺。申し分ございません。ソーキもやわらかく臭みなし。そんな気持ちよいそばを食べている間に、アツアツのパステウこと「空気てんぷら」が登場。これもおいしい。ビール飲もうかと思ったけれど、ガマン。あっという間に食べ終えてしまう。

そして名物のエスプレッソ。自宅でイタリア製の手動式エスプレッソメーカーでカフェを毎日飲むほどというかそれしか飲まないエスプレッソ好きのわたし。イタリアだとデミタスカップの半分ぐらいに入ってくるのだが、ここは「ブラジル食堂」。つまりブラジル式。デミタスカップになみなみと。イタリアのそれに比べて粘性はないけれどそれでいて味はしっかりエスプレッソ。満足。

というのもカフェ好きのわたくしですが沖縄でまともなコーヒーを飲んだことはあまりない。コザなんかほとんど壊滅状態で知ってるホテルのロビーにある無料コーヒーが一番まともかも、と思うほど。まあ、その代わりにアイスコーヒーはそこそこいい線のものを飲めるけれど。などと思いながら、メニューを見ていたら、アイスコーヒーのところに「ブラジルにアイスコーヒーはありません」なんて正しい但し書きが。個人的にはまりました。

などと思っていたらお店の若主人と奥様が話し掛けてくる。調子に乗っていろいろと話しをしてしまう。息子さんがFC琉球の巡回スクールに入ってフチボールやっているとか、「オシムはもっと我那覇使って欲しい」とか、「我那覇は九州大会で福岡に行った時宿舎抜け出して中洲で遊んでたくらい悪かった」とか、ブラジウ時代のお話しとか、お店は以前屋部にあったというので「ゴルフの諸見里しのぶが屋部ですよね」とかの地元ネタ。連れがサンバやっているといった話しでまた盛り上がる。なんと1時間以上話して盛り上がってしまった。

時間はもう4時。2時間はたっぷりいたことになる。あまりお邪魔してもいけないので、そろそろ退散。帰りがけ厨房雄の奥では写真で見たことのあるオバァが鎮座ましましておいでで、「おいしかったです。また来ますねえ」と挨拶をして店を出る。

予定では羽地の方へでも行こうかと思っていたのだけれど、行こうとしていた時間をかなりオーバー。どうしようかなと考えたが、ここは沖縄。東京にくらべて太陽が西に傾くまではまだまだ時間がある。ということで羽地の田井等へ。以前来たとき未踏だった南側のあたりの御願やら拝所を巡る。うーむ。やっぱりこのあたりは落ち着いていていいところだ。

ひととおりまわったがまだ太陽は帰りたくないらしい。1時間半は明るいと読んで、以前から歩いてみたかった山側の集落方面へ。山の中腹の車一台がやっと通れるくらいの道をのんびりと名護方面へ向かっていい感じの民家や拝所や御願のそばを歩く。空気はおいしいし58号線と違って車は時々通る程度。1時間後バス通りに出て、名護十字路まで。いつも来ている居酒屋に入って食事。ただいつもなら魚がいっぱいなのだが今日は島タコとグルクンぐらいしかない。漁港が休みなのだろうか。それでも普通においしく食べて、300mぐらいいったところで作っているオリオンビールの生を。やっぱりオリオンビールは名護で飲むべきですよ。だんな。

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10/10/06

うるま市あちらこちら

イベント広場1010コザ的にだらだらと爆睡してしまって気がついたらもうお昼近く。いつものこと、とはいえる。とにかくおなかがすいた。とっとと石川漁港を目指す。いつものようにイカ汁+寿司のセットで1500円。ここのイカ汁はいつ訪れても安定しておいしいくいただける。10月だけれど屋外テラスの屋根に水を撒いて冷房のかわり。気持ちいいなあ。少々まどろんでから、歩いてイベント広場の進捗状況の確認に向かう。途中の石川川は気水域となっていてマングローブが両岸に見られるのでしばし観察。石川イベント広場は先月来たときよりやぐらが高くなっている。いよいよドームにとりかかるといったかんじだろうか。しかし暑い。だけれど日陰に入れば心地よい風を感じられる。ちょうど6月の欧州みたいな天気だ。もしかしたら台風シーズンもすぎ南西諸島を楽しむには一番いい季節かもしれない。

ドームをあとにして石川のジャスコのあるショッピングセンターへ。向かいの本屋さんで本を一冊買う。歩いて白浜方面をめざす。途中、公園になった石川のウタキ。このあたりの空気も何気によい。沖縄の神様に祝福されている土地かもしれない。このあたりは沖縄島の中でもっとも幅が狭い地域で地質的にも北へ行くと赤土、南はジャーガルや琉球石灰岩台地という境目にあたる場所。たぶん昔は浅い海だったのかもしれない。

沖縄のり白浜で海を眺めてしばし休息。宮城島が航空母艦みたいに沖合いに浮かんでいる。左手に埋立地にでっかい火力発電所のえんとつ。右手のがけの下は琉球墓地域。いつきてもアンバラスな風景だなあと思う。もっとも右手の墓の上はアメリカーの居住地域になっている。もう太陽がかなり傾いてきた。なんだか、今日はほとんど石川でぷらぷらしていただけだ。

そろそろ時間的にいい頃かなと約束していたので友達の牛小屋へ向かう。途中、昆布から天願のあたりを通ったら例のP3C輸送反対の人たちの座り込みに出くわす。そういえば天願桟橋だもの、こことおればあたりまえだ。キャンプコートニー(地元のとくにお年よりは米軍キャンプのことは「部隊(ぶたい)」といっているが)前のいつも気になるが食べたことがないカーサタコスを通り過ぎ、途中で降りて知人の牛小屋へ。

期待の黒牛くん。なんと風邪をひいたそうだ。まったく食欲がない。大丈夫だろうか。昼に獣医さんに注射を打ってもらったとのこと。なんとお値段13,000円。そりゃあ牛に保険は効かないなのでしょうがないけれど、この出費。うるま市の偉い方。うるま市にとっては闘牛は地域文化であるわけですし、うまく持っていければ、観光客がほとんど素通りしてしまううるま市にとって観光名物になる可能性もないわけではありません。このあたり助成などお願いできないものでしょうか。闘牛を飼うというのは毎日の餌やりなどたいへんなんですから。いや、ほんと。知人は毎朝朝5時に起きて読谷まで車飛ばして牛の餌の草刈りにいったりしているわけですし。などと、頭の中で呟く。

闘牛練習パンダ牛の方の足の膿は快方に向かっているそうで一安心。食欲もある。「まだ、足をちょっとひきずっている」は知人の弁。そんなことを話したあと、パンダ牛を外に出すことになった。少しタイヤで遊ばせる。楽しそうだ。もちろん安易に近寄ってはいけません。まだ若いとはいえもう一トンを超えている巨体。ダンプカーのタイヤが軋みながらグイングインと持ち上がる。どんな牛になるのか。目じりが下がる。

十分に遊ばせたあとここのところの日課どおり牛を外につなぎながら知人がいう「あっち(黒い牛)はぜんぜん食べないし面白くないので上いこう」。上とはすぐ近くにあるもうひとつの牛小屋だ。

そっちには牛が三頭。その小屋の前では知人の兄や、ぼくも久しぶりにあった人たち牛好き、酒好き、博打好きの人たちがいつものようにたむろしていた。ほとんどぼくも顔見知り。久しぶりにあった人も多い。

当然のことだがみんな牛に詳しいので、いろいろな話しを聞く。面白い。気がつくと人が増えている。近くの別の牛主の人やら、知人の同級生やら、わさわさと集まってきたのだった。おまけにビールやらシマー(泡盛)やら、タコスやらチキンやらが登場して屋外宴会へとなだれこむ。ブルファイトパーティーか?。タコスはさきほど横を通ったカーサタコスのもの。はじめて食べる。うわっ。こりゃうまいぞ。タコスの皮がほどよく柔らかくトルティージャのよう。ひき肉もサルサソースも満足できる味。レタスも水切りがしっかりしていて文句ない。いま、書いていても、また食べたいと思うほど。金武やコザで有名どころのタコスはいろいろと食べてきたけれど、ぜんぜん負けていない、というかここのタコスかなり凄い。おまけに別の店の店のチキンだがそっちも、皮はパリパリ。肉はジューシー。おまけにガーリックが利いていてビールがすすむ。気分がいいなあ。

牛の様子をみながらいろんな話で盛り上がる。闘牛界の裏話やら、闘牛場でのふるまい、牛主の気持ち。徳之島闘牛の凄さ。こちらとしては願ったりかなったり。気がつくとあたりは真っ暗。月が浮かんでいた。

夜10時すぎまで続いた緊急大宴会のあとコザへ戻る。ちょっとこばらがすいたので、いつもの小町でおでん。ここのてびちは本当に絶品。地元でしっかり支持されている味を出しているからこそだろう。見た目はグロテスクで内地の人は一見して顔をそむけることが多い。ぼくの知人もそんな人が多かった。でも、たいてい常連になったりするようだ。

こうして誕生日の一日は過ぎていった。あ、そうなのだ、いまさらこの年になって誕生日を喜ぶのも恥ずかしいが、個人的にとっても気持ちのいい誕生日になった。そんな気がする。

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03/10/06

沖縄市産味付け海苔

沖縄のり関西方面で育った方は味付け海苔をおやつ代わりにムシャムシャ喰い散らかした覚えがないでしょうか?。

わたしは関東育ちではありますが、春と夏の休みはご先祖様の田舎である和歌山ですごしていたもので、おやつに味付けのり。ご飯の時もおかずが足りなきゃ「味付けノリ!」という生活を送っておりました。

しかし最近は関西における定番である佐賀有明産の味付けノリの味が落ちている、そんな気がするのはわたしだけでしょうか。とくに例の有明海の埋め立て以降とくに顕著になっているような。杞憂ならいいのですが、実際、個人的に佐賀有明産の味付け海苔をうけつけなくなってきていたりするのが困りもの。

そんな中、救世主のように登場したのが(いいすぎ)、このやっちゃんのり。昨日紹介した沖縄市にある仲松通商で売られています。製造はNM商事。たぶんオリジナルの海苔でしょう。

実はこのほかに、NM商事の味付け海苔は2種類あるのですが、わたしの好みは、やはり、このやっちゃんのり。やっちゃん最高!(笑)。泡盛や焼酎のあて。卵かけご飯を巻いて。口さびしい時のお供。大活躍しております。

沖縄市周辺でしか見たことないので、もしも沖縄へ行って、近くに行ったなら、買って帰って、ホテルで就寝前の泡盛のあてにしたりするのも一興かと。

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02/10/06

沖縄市産はちみつ

沖縄はちみつなくなると買っているのがこのハチミツ。

一年中どこかしらで花が咲く沖縄なので季節によって味も違ったりするのだろうが、あまり詳しいことはわからない。

ただし、このハチミツ、かなり使いやすくおいしいということだけは個人的にホショーしておく。そんなに高くもない。

いつも沖縄市の農連市場向かいの仲松通商で購入している。沖縄で下手なお土産買うよりよいかもしれませんね。

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29/09/06

石川イベント広場ドーム化進行中

IshikawaDome

石川イベント広場のドーム化が進行中。写真は今月頭のもの。

今年の春先に観客席の改修を行ってから、続けてのドーム化。沖縄らしい生コン注入のおかげという声もちらほら。関連事業者についてのそれなりの噂も聞きますが、まあ、とりあえず、見る側としては、喜ばしいことですんで、そのあたりは穏便に