10/10/07

[22] Alison ロージーとアリソン 2

1977年。ぼくは大学のカフェテリアでアリソンに出会う。少し大人になりかけていて、たぶん一日に28分ぐらいは、相手のことを考えられるようにはなっていた。つまり、Elvis Costelloのデビューアルバム「My Aim is True」の「Alison」を一日に8回ぐらい聴いていた計算だ。

久しぶりにあったかつての彼女。彼女は人妻になっていた。その彼女への愛を、せつせつ…。

いやまてよ。英語や英語圏文化にメンドクサイぐらい執着する大学だったおかげか、エルビス・コステロ、デクラン・マクマナスという本名からスコットランドかアイルランドにルーツを持つことになんとなく感づく。スコットランドやアイルランドといえば偏屈で理屈っぽくてマニアックの代名詞であるという偏見があるけれど、その頃はまさにそう思っていたわけで(今もあまり間違いじゃないと思われる)この歌詞、まともなわきゃねえだろ、とかんぐった。

それになんといってもエルビス・コステロである。難解な歌詞にはダブルミーニング、皮肉といった罠が散りばめられている。

よくよく読んでも、唄ってもわけがわからない。とくにサビ。そこまでの続きで相手のことをおもんばかって愛を語っているようにも思えるのだが、そんなふりして、実はそんな彼女を殺してしまいたいという狂気をはらんだ歌詞のようにも見える。どんな真(まこと)なのだろうか?この男がいう真実って。今でも答えは保留のまま。

殺してしまいほどまだ愛しているということなんだろうか。この世が君を殺していることを「知っている」男。現代だとストーカーじゃないか? たぶんどうとでもとってくれとコステロは答えを出していないのじゃないだろうか。ボブ・ディランと違う手法で答えを時代という風の中に放り出したままなのか。

そんな偏頭痛の塊のような歌詞を甘いメロディが包む。甘すぎだろ。その甘さと歌詞の苦味で調和をとろうとした?などと、妄想をめぐらせるくらい少なくともみんな自由だ。

「My aim is True」とは、まだ、いえない。たぶんそれはこの世とバイバイするときのために誰でもが残しているのかもしれないし、いう必要もないのかもしれない。

やっとロージーから、アリソンぐらいのことは分かってきたんだろうか。


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09/10/07

[21] Rosie ロージーとアリソン 1

中学生の頃は誰でも背伸びをして未知の扉をひとつひとつ開けては、この世の中がすべてわかったように錯覚できるという特権を有している。もちろんいい大人になってこの特権をふりかざしてはいけないけれど、幸せなことに、大人には懐かしむという、ささやかな悦びは許されている。はずだ。

ロージー。名前から勝手に想像をめぐらすと、ソバカスいっぱいの栗毛のミツアミ。ビーバーみたいな矯正中の前歯をみせてニカッと笑う気のいいアメリカ人の女の子で、白いワンピースのすそからちょっとシミーズがみえてる。いつもおばあちゃんに買ってもらったバービー人形を抱えてるおませさん。

でも1973年に出会ったそのロージーは、月明かりのなか窓辺にこしかけた僕が生まれたときから愛することになっていて、死ぬまで愛せると思える、そんなひとだった。もちろんこれだけ恋焦がれているということは、恋は成就していない。彼女はぼくをじらしてじらしてじらしまくる。どうやって口説き落とせばいいのか見当もつかない。

断っておくけれど上の赤面ものの文章はTom WaitsのデビューアルバムClosing Timeの一曲「Rosie」の歌詞からの引用。ただぼくが1973年、中学生の頃、この曲に出会ったということだけは少なくとも歴史の教科書に載っても間違いではない(ただし掲載される必要はない)。

この「Rosie」を聴き終わったあと、次の「Lonly」がはじまるまでのほんの数秒間、ターンテーブルの針のシャリシャリする音が、永遠に続きそうな焦燥感を醸していたように思えた中学時代。めいっぱい背伸びをしていたけれど、大人のうしろ姿はまだまだ遠い未来にあって、もちろんロージーのことなんてこれっぽちもわかっちゃいなかった。

悲しいかな、いまやTom Waitsの「Rosie」をほぼ理解できてしまう。「ぼく」の気持ちも。「Rosie」の気持ちも。40%くらいの甘酸っぱさとともに。もしかしたら、この気恥ずかしさが懐かしくて繰り返して聴いているのかもしれない。

まだアリソンにはあってなかった頃のことだから。

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11/01/07

In My Own Timeが発売されていたとは

KarenDaltonKaren DaltonのIN MY OWN TIMEがCDで復刻発売されていたなんて知らなかった。

いま20代半ばから30代の方で、ご両親のどちらかが相当なアメリカの音楽(とくにシンガーソングライラー系)好きだったりしたならば、「カレン・ダルトンのインマイオウンタイムって聴いたことある?」とたずねてみていただきたい。

カレンダルトンを知らなければそれまでだけれど、もしも知っていたなら…。そうもしも、知っていたなら、このアルバムについての経緯が原稿用紙100枚分くらいは出てくるかと思う。その他、購入できた、もしくはできなかったという語るも涙の物語なども付録としてついてくるかもしれない。

それだけ、あの頃、このアルバムはアメリカ音楽ファンの間では伝説化されていたということになる。

さて、わたしの場合。

もちろん当時はビニール盤(アナログ)だったわけだけれど、このアルバムの存在を知ったときにはすでに輸入盤専門店では売り切れ。あちらこちらでアルバムの素晴らしさを耳にするわたしはどうしてもどうしてもほしくてほしくてしょうがなくなっていた。

当時はインターネットはなく、FAXさえ夢のまた夢。郵便で海外からモノを買っていた時代。結局のところその思いは学生時代の忙しさに埋没して一年ほどが過ぎていった。

年末のある日、当時新宿にあった某輸入レコード屋さんが年末バーゲンを行うというので友達たちと勇んで駆けつけたわたし。それなりのアルバムを手にしてほくそえんでいたそのときだった。友達が近寄ってきて一枚のアルバムをぼくに見せた。友達は、茶色のあのジャケットを手にしていたのだった「あった…。カット盤だけど…」。ぼくたちは狂気した。あった。こんなところに。

その日わたしたちはもう2枚ほどカット盤で入手困難といわれているアルバムを手にした。そのアルバムはまたの機会に譲るけれど、この時の衝撃は、噂に聞いていたカット盤の存在だった。ジャケットの一部に切り込みが入れられていて安い値段がつけられているというのがカット盤なのだが、時としてその日のようにとんでもないアルバムがとんでもない値段で売られたりすることがあったのだ。閑話休題。

帰ってから友達の家でこのレコードに針を落とした。名盤といわれ、噂が噂を呼んでいた理由はよくわかった。よいアルバムだった。

去年発売されていたのを知らなくて今年になって注文し今日やっと届いたこのCD盤になっても、その印象は、ちょっとセピアがかっただけで基本的な色合いは残っている。名盤であることは間違いないとおもう。

ただ、AMAZONの紹介などではフォークの名盤という存在になっているようだが、これはあくまで、あの時代のザ・バンドやその周辺の一連のシンガーソングライター系のミュージシャンたちが築き上げたダウン・トゥー・アースなアメリカンロックの流れの中で語るべきものだと思う。

いや、ここまで、書いて、アメリカ嫌いのわたしだけれど、本当にアメリカにはお世話になってきているのだなあ(笑)と改めて思ったりもする。ただ、わたしのお世話になったアメリカは、こちらからかなりの時間とお金をかけてアプローチしなければ正体を現してくれなかったアメリカではあるのだけれど。

そんなアメリカのひとつがこのアルバムだと断言させてもらいたい。

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31/05/05

[020] Wear Your Love Like Heaven

MRIドノバンの名曲。

今、21世紀も5年過ぎた段階で、改めて考えるまでもないかもしれないけれど、あえて、マヌケなことをいえば、やはり、雑誌“びっくりハウス”から、The Beatniksでカバーされたこの曲は生まれたといっていいのではないだろうか?

高橋ユキヒロと鈴木慶一のユニットであるThe Beatniks。

このユニットが最初に世に出たのは「びっくりハウス」誌上であったことは、ヤザワに行かなかった日本語ロック好きな、現在のアキバ系やらアニメおたくやら、美大系な子たちと存在として、リンクする可能性が高い当時の若者にとっては旧知の事実なのだけれど、そのびっくりハウスや、高橋ユキヒロの深夜放送の肌ざわりとは異なる、言ってみれば努めてストイックな音楽世界を構築していたのが、ビートニクスなのではなかったかと思うのです。

いってみれば、高橋ユキヒロのシャイなお洒落さと鈴木慶一の抑制しない快楽とが重なったような。そんなふたりのスタンスがこの曲には如実に現れているようにも感じるわけです。

Beatniksが21世紀に入って発売したアルバムからのこの曲を聴いたとき、びっくりハウスで主催していた「エンピツ賞」に応募した自分の作品が佳作であったことが、なぜか、納得できたようにも思う。

渋谷の区役所通り、いや、そのころはすでに公園通りとよばれていた通りの一角で行われていた日本の頭脳の研磨行為。その削りカスを集めたところにこの曲は屹立しているような、そんな気がしてならないのです。

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04/04/05

[019]三重城

よなは徹セカンドアルバム21世紀の「花風(はなふう)」。

みーぐしくにぬぶてぃ てぃきじむちゃぎりば
はやふにぬなれや ちゅみどぅみゆる

日本語訳:三重城に登り、お別れにてぬぐいを振っていたけれど、船足が速く一瞬しか見えなかった

といった歌詞ではじまる花風(はなふう)とは琉球舞踊の中の雑踊り(ぞうおどり)の名作。明治38年、那覇の芝居小屋で創作されたとされる。

三重城(みーぐしく)は現在、那覇の西町ロワジールホテル裏にその石垣の痕跡を残している。近くにあるのは沖縄電力の変電所やマンション、市内線バスのターミナルなど。しかしそれらはかつて海の中。

三重城は対岸(現在の那覇空港側)に作られた屋良座森城(やらざもりぐしく)とともに、琉球王朝時代、海中に飛び出した敵国船に対する要塞として、また交易船に乗った夫や恋人を送る舞台として存在していた。

よなはの「三重城」の歌詞も、別れの歌。まさに花風の世界だ。しかし、そこは21世紀を生きる歌者であるよなは徹のこと。琉球音階を薬味に美しい現代の恋歌に仕上げている。つまり昨今のJ-POPのひとつといわれても、こんな曲があってもいいんじゃないか、と思えるのだ。

もちろん、彼に対して現在の日本における売れ筋の音楽に対して媚びすぎではないかといった意見があることも承知している。

しかし、考えて見ほしい。よなは徹という沖縄の若者は琉球古典芸能の継承者であり沖縄民謡の唄者であるだけでなく、20世紀末から21世紀の情報革命時代を生きてきたウチナンチューでもあるのだ。この「三重城」はそんな彼の等身大の姿を表しているのではないかとぼくはおもっている。

先日東京に戻る日、三重城を久しぶりに訪れた。漫湖の河口に面したそここに作られた拝所(うがん)の前には、おじい、おばあの姿が。人工の城(ぐすく)も年月を重ねることで聖地となる。いや、聖地とは人類の意思と情念が篭った場所なのだということを改めて確認できた。

彼のセカンドアルバムである“三味連りてぃ(チャミチリティ) ”に収められたこの曲も21世紀の三重城の物語となる可能性を秘めている。

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03/04/05

[018]恋語れー

名護良一『沖縄の民謡』嘉手苅林昌未CD化音源を集めた『ジルー』は、彼のデビューSP盤「恋語れ節/なすび節」が一曲目、二曲目である。当然この曲順は構成・解説などを行った小浜司氏や監修のビセカツ氏による嘉手苅林昌のレコーディング史を意識してのねらいだろう。

「恋語れー」はこの「恋語れ節」から派生。両曲(実際は同じ曲といっていい)とも、嘉手苅林昌の十八番であるだけでなく、さまざまな歌者による名演も残る。ポピュラーミュージックとしての琉球民謡史に輝く名曲であるといって、間違いない。

嘉手苅林昌のほか、大城美佐子、照屋寛徳など名演は数多いけれど、名護良一『沖縄の民謡』の一曲目に収録されたこの「恋語れー」は、その端整な歌い口と三線に、しのぶ恋の、つらさとちゅらさが重なる。三線によるリフレインする演奏とサビの収束形はことのほか美しい。

ところでこの「恋語れ節」と「恋語れー」。今多く耳にする歌詞の世界は、基本的に、しのぶ恋の世界である。「門の前」という歌詞からすれば遊女(ジュリ)が恋する男を待つ歌なのかもしれない。どちらにしてもテーマは時ならぬ秘めた恋。一方で嘉手苅林昌のジルーに収録された「恋語れ節」の歌詞は年老いた男の恋の思い出や若い嫁をもらったことでの気恥ずかしさや悩みが歌われている。

沖縄民謡は歌者によって歌詞はどんどん変えられていく。そのため珍しいことではないが、その時の歌者の感覚や時代背景などが如実に反映されていくことも少なくない。もちろん、「おもいつき」の一言で片付けられることも多々あるのだけれど。

とにかくも我々にとって幸せなことに、沖縄民謡を代表する著名な曲だけあって、CDで購入するのも容易である。

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01/04/05

[017]涙は悲しみだけで、出来てるんじゃない

最後の晩餐サビの歌詞には、世の中のことがだいたいわかってきたいまのぼくにも、うなずいてしまう力がある。

実はこの曲が入ったアルバム『最後の晩餐』が発売された頃、自分の心の中には、歌詞とは違って、すでにこの地球上で自分にとって、ステキな、至高のビーチが存在していた

それは、その頃はビーチというより「はま」といった方がよかったのだけれど、沖縄本島中部は具志川市(当時)にあった「宇堅の浜」。

北東を向いたこの浜のどこが至高の存在なのか?。それを明確に語ることは、ビーチ好きの人間に話すことさえ、とても難しい。それでも、今でも、ぼくは、あの頃の「宇堅の浜」はぼくにとって一番の場所だと思っている。

透明度だけはとんでもなく素晴らしい、なんでもない浜なのだけれど、海に向かうと左手に石川の町並み、左斜めに金武の町並み、右斜めに伊計島、右手に沖縄電力の火力発電所が見える碧く輝く絵にかいたような海。恵みの海、金武湾が作り出した自然の絶景だ。

はるか昔、この水平線上には日本本土からやってきた船団の姿があっただろうなどと夏の夕方の気持ちよい沖縄の風をうけて感じたあの頃。

こういったものがすべてひとつになり、ぼくにとっての至高の浜となっていた。

しかし、すでにこの「宇堅の浜」は<宇堅ビーチ>となった。

政府や県から大量のおかねが投入された結果、人工の砂をいれ、監視員がしっかりつき、お手洗いもシャワー施設もあたりまえに完備された、ふつうにキレイなビーチに生まれ変わった。これはこれで喜ばしいことなのだと思う。

でも、この曲で歌われたころ、素敵なビーチを知らなくても自分だけが大切にしたい「はま」が、海を見ることができる人なら誰にでもあったんじゃないだろうか?

もちろん、今の若い人にもそういった「はま」があるかとは思うけれど、もうあの頃の「はま」はこの日本にはほとんど存在していない。

そういった意味で、屈折した歌詞の思いが、21世紀になってまたぼくの中で屈折したのだ。ステキなビーチを知っていたが、それは過去のものになってしまった、と。つまり、もうぼくはいまは知らないのだ。すてきなビーチを。

残念なことに、そのころの「宇堅の浜」に大事な人を連れて行ったことはない。機会がなかったのだ。いまおもえば、あの娘や子供たちは無理してでも連れて行くべきだったかもしれない(正直いえばそのころはお金に困っていたからなのだけれど)。


今となっては<宇堅ビーチへ>と変貌したかつての「宇堅の浜」へ誰かを連れていきたいとはあまり思わない。それでも時間があると、行ってしまう。オリオンビールを照屋商店で買って。涙は枯れているのだけれど。

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29/03/05

[016] For Everyman

For Everyman中学三年生の時、近くに団地ができたこともあって何人かの転入生が入学してきた。

この事実は、ぼくにとって、それまでまったく音楽の趣味があわなかったクラスメイトの中に、音楽と紅茶とクッキーと女の子の噂話さえあれば半日は時間が潰せる新しい友達が出来たことを意味していた。

そのうちのひとりO君は顔はシャキッとしていて、スタイルもよい。親父さんは某百貨店宣伝部のデザイナー。あの当時としては画期的なオシャレな家庭の一人っ子を現出していた。

そのO君などとよく聴いていたのがJackson Brown。いや、正直いえば、O君ともうひとり同じ時期に転校してきた自律神経失調症ぎみのY君から「これいいよ」と教えられたのだ。

ロスアンジェルス郊外に位置するオレンジ・カウンティ(オレンジ郡)はヒッピームーブメントの終焉とともにグレイトフルデッド的な生き方を目指していた若者たちが定住をはじめた場所だったらしい。そんな土地から出てきたシンガー・ソング・ライターが彼だった。

一般的にはイーグルスのヒット曲、Take it easyの作者として知られているのかもしれない。

彼の1stアルバムを初めて聴いたとき、なんとなく、ヤワイ感じがして馴染めなかった僕だったのだけれど、何度か聞いているうちに、「西海岸かぁ」と憧れににた気持ちがもたげてきたことを30年ぶりに正直に告白しておく。

その時から18年後、仕事で初めてオレンジ郡の街中へ、車を走らせたとき、カーラジオからこの曲がかかった。セカンドアルバムの代表曲。

ウナギのような声と呼ばれた彼の歌声が、オレンジ郡へようこそ、と唄っていた。そんな気がした。

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28/03/05

[015]See the Sky about rain

seeTheSkyAboutRainD、C、E、Bm7という黄金のコード進行を含有しているというだけで後世に残ってしかるべき名曲なのだけれど、それがハモンドオルガンによって奏でられたところにニール・ヤングのセンスを感じるのは僕だけではなかったのではないだろうか。

このアルバムOn the Beachは正直いってニール・ヤングの駄作といってもいいアルバムかと思う。しかし、ジャケットのアマルコルダ的海辺の退廃美とこの一曲がその印象を180度転換してしまう。

夕方の烏帽子岩を見ながら、何度か口ずさんだのは、この曲であって、サザン・オール・スターズではなかった。おそらく桑田もこの曲をくちずさんでいたのではないだろうか。

とくに夕立が終わりかけた夕暮れ時には。

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15/03/05

[014] My Love Will never die

Cal-de-Sac恥ずかしい話だけど、70年代から80年代半ばまで、いや、確実に21世紀の今まで、アメリカを中心としたしシンガー&ソングライターという人たちを聴きつづけ、未だにニール・ヤングなんざ新譜が出ると買っている僕だ(グリーン・デイルは良かったなあ)。

さて、この曲の作者、Erick Kazという人は最近20数年ぶりに新録アルバムを出したのだけれど、ぼくは買っていない。もうどうしようもないといったファンでもなかったし、今の彼がどうなっていようがあまり興味がなかったからだ。

しかし、僕が好きなシンガー&ソングライター系のアルバムの三指に入るアルバムのうちニ枚を世に送り出した名盤制作者として彼、エリック・カズは、ぼくの脳に記憶されている。

ぼくにとっての2/3は、彼の“Cul-de-Sac”と“If you are lonly”。その前者、邦訳「袋小路」などといういかにもな名前がついたCul-de-Sacの6番目がこの曲。

しょっぱなから歌詞は「目を閉じて。聴いて。なかないで。君への僕の愛はなくなることはない」である。あのなあ。きみののろけやくどき文句なぞ聞いている暇はないんだが、と一瞬思うのだけれど、美しいメロディーラインが、針を載せかえるという80年代以前によくあった行動を躊躇させる。

この構造は今も変わっていない。導入の歌詞を聞いて、「おいおい」と違う曲にクリックしようと考えるぼくなのだが、あまりのメロディーラインに聞きほれてしまう。一種の麻薬である。それも極上の。

それでも、この曲をかけて、落ちた女の子はいなかった。

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14/03/05

[013]All the Young Dudes

All the Young Dudesデビッド・ボウイも歌ったこの曲。ぼくは、Mott the Hoopleのアルバムで初めて聴いた。

表題タイトルのサビの部分を聴くたびに、まだ女の子に慣れていなかった頃の甘酸っぱいに気持ちが甦ってくるのは、かなり恥ずかしい。

おまけにイントロのギターフレーズを何度もコピーして悦に入っていたなんて、50代になろうとしている今だから、こうやってネット上にもさらけ出せるほど、再びいうが、あまりに恥ずかしい。この曲は僕にとって青臭い時代を代表する一曲。

冷静にいま聴けば、アレンジや演奏、声はデビット・ボウイの方がよいし、曲のレベルとしてもたいしたものではない。

しかし、「すべての若き野郎ども」などというベタな翻訳タイトルがついたこの曲にはそういった冷静さを解体するだけの酸っぱい香りに満ちている。

音は出会った時間でその価値が代わってしまう。年齢や状況やいろいろな事情で。


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12/03/05

[012] 乱れ髪

大滝詠一<大滝詠一のファーストアルバム“大滝詠一”の一曲。

イントロのストリングスからピアノの伴奏。柔らかい大滝の歌声が聞こえると、ぼくは80年代前半の青臭い時代へと一気に連れて行かれてしまう。

髪を雨に見立てたあたり、浮世絵の描写にも通じる、つとめて日本的な世界が表現されているように感じた。

それでも、その感覚はあくまで、「髪が降る」というフレーズに集約される描写であって、通底する意識は徹底したアメリカンポップミュージックへの洞察と憧憬によって作り上げられた大滝詠一の世界に他ならない。

基地から離れた福生の街に入り込んで、路地を歩いていた時、雨が降り始めた。当然のように、頭の中に、この曲が鳴りはじめた。

まだiPodはおろかワォークマンさえこの世に存在していなかった頃のこと。

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11/03/05

[011] 歓聚歌

新寳島康樂隊第3集の一曲。

1987年以降、台湾では戒厳令が解除され、実に85パーセントの人で母語であったにも関わらず、虐げられていた言語である台湾語や客家語によるメディアにおける表現が可能になった。

そして90年代に入るとそれまでポップミュージックの世界では日本で言う演歌的な音楽以外皆無だった台湾語のポップミュージックの萌芽が見えてくる。

そんな中、意識的に台湾人としてのアイデンティティを表現の中枢にすえ登場した新寳島康樂隊という二人組の大ヒット曲。台湾MTVのテーマソングにも使われた。

この曲のコーラス部分は台湾の先住民族であるタイヤル人のタイヤル語で歌われ、ラップ的なメインメロディラインは、台湾語と客家語のかけあい。

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26/02/05

[010] 恋は桃色

Hosono House梅雨の季節。友達と車に乗って福生へ遊びに行ったあと、なぜだか理由は思い出せないのだけれど、国道16号線を北上して、埼玉県の狭山市というところを流れる入間川のほとりまでやってきた。

ここは荒川の上流。河原にはこぶし大の石がごろごろしていて、両岸の土手の上には車が一台だけ通れるくらいの舗装がところどころはがれた道が続いている。

その道を走っているとき、ラジカセのテープがこの曲になった。友達と顔を見合わせて、

「この場所じゃないか?」

ふたりで勝手に確信した。この曲はこのあたりの空気の記憶で作られたのではないかと?

細野晴臣、小坂忠などが、その入間川から程近い、稲荷山公園に隣接する入間基地の返還された外人ハウスにスタジオを構えていたのを知ったのはそれから数日後のこと。別の友達が稲荷山公園で彼等に会ったというのだ。

ミュージックマガジン(その頃はまだニューミュージックマガジンだった)で、そんな細野晴臣たちの創作生活のレポートが載ったのは2ヶ月後だった。

ぼくたにはまだガールフレンドはいなかったので恋が桃色かどうか知るにはあと4ヶ月くらい必要だった。

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23/02/05

[009] ふりむけばカエル

Granola矢野顕子という人の声はドレミファソラシドの間の微分音を声で表現できる点で独特であるみたいなことを、二人目の旦那である坂本龍一が、インタビューかなにかで言っていたように記憶する。勘違いかもしれないけれど。

それでも、矢野顕子という人の声が学校で習う楽典では表現していない音をきちんとお金を取れる音楽の一部として表現していて、なおかつ気持ちよいという点については否定しない。というかできない。

そんな矢野顕子の名前を初めて知ったのは「火の玉ボーイ」のクレジットで。矢野誠の妻からYMOのツアーに参加し、坂本龍一の妻となり、多くの作品を発表してきた彼女の数ある曲の中で今でもよく聴いている曲。

なぜ、カエルなのか?。なぜ振り向いたのか?。よくわからないが、作詞した糸井重里氏の世界ではある。よくわからないけれど、そういうことだよな、と納得できる世界。

「そのときどぉぉぉ~~にかなぁ~ると」というフレーズに彼女の凄さのすべてが含有されてはいまいか?

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19/02/05

[008] All Along the Watchtower

Electronic Lady LandオリジナルはBob Dylanの"John Wesley Harding"(1967)に収録。邦題は確か「見張り塔からずっと」だった。

多くのミュージシャンによってカヴァーされているが、ぼくが今も聴きつづけているのは、大方の音楽ファンと同じように、Jimi Hendlixによるカヴァーヴァージョン。ボブ・ディランのオリジナルをはじめて聴いたときはいい曲だなあという感想だったのだけれど、ジミ・ヘンドリックスのそれはカッコイイ!とうなった。

その頃の中学生がやるようにコピーしたりしてみたけれど、ギターはまったくはがたたず。天才のプレーは音を拾えても同じような音は出ないということを知った。しかしながら、ベースはしろうとでもそれなりに演奏できてしまうことが発覚。2弦しか使わなかったからだ。なので、よたよたのギターであっても、ドラムさえよければなんとかなるという、そういう曲。

その簡単なベースラインだが、もしかしたら、これがこの曲の聴き所かもしれない。一番クールだ。ぼくがベースの刻むリズムと太い音が好きということもあるのかもしれないが。

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16/02/05

[007] I Looked Away

LaylaEric Claptonがアメリカ南部にどっぷりつかったデレク&ドミノスの2枚組LPの一曲。

このアルバムではジョージ・ハリスンの奥方に捧げた“Layla”が圧倒的に有名な曲なのだけれど、ぼくが何度もリピートして聴いたのがこの曲だった。つまり、2枚組LPの一曲目を繰り返し聴いていた。一曲目だったので聴いたあと、再びレコード盤に針を乗せるのはちょっと楽だった

オトナになってから訪れたアメリカの南部デルタ地帯。ミシシッピーの川面で思わず口ずさんだ曲でもある。なぜあの時、ローバート・ジョンソンじゃなかったのだろうか。それは今でも謎だ。

おそらく日本語で「メロウ」という言葉を使うならこの曲と、ビートルズのホワイト・アルバムに収録されたジョージ・ハリソン作による「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウイープス」がぴったりくるんじゃないだろうか?。

オトナはロマンチックな存在なのかもしれないと、まだまだ夢をみていた子供の頃の話。

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12/02/05

[006] Willin'

Sailin' Shoes<Little Feat>は1stアルバムから、Ry Cooderとともに、新作が出るたびに買いつづけていた。The Beatlesにはちょっと遅れていたし、The BandはすでにMusic From Big Pink でボブ・ディランのバックバンドから足を洗ってデビューしていたという微妙な小学生時代にロックに目覚めたぼくなので、リアルタイムにThe Bandを聴いたのは2枚目から。

そう考えるとLittle Featはぼくの音楽歴の中でも幹に当たる部分を形成してくれたバンドと考えられるかもしれない。

このWillin'はリーダーであるLowell Georgeによって1970年に書かれたLittle Featの代表曲のひとつ。デビューアルバム“Little Feat”(1971)、セカンドアルバムの“Sailin’ Shoes”(1972)、そして後のライブアルバムであるWaiting for Columbus(1978)に収録されている。

そういえば、この曲で、はじめてトゥクムカリとかターナパとかといったアメリカの土地の名前を知った。

1stアルバムでのライ・クーダーによるスティールギターが入ったヴァージョンもオリジナルとして当然悪くないのだが、ビル・ペインのピアノがフューチャーされたセカンドアルバムのWillin'が少々カントリー臭が漂うあたりは興ざめな面があるものの、個人的にはマストだと感じていいる。

ミラノの街中を友達の家に向いながらこの曲を聴いている。

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11/02/05

[005] Sharp As A Needle

Barmy ArmyDUBが好きだ。

リー・スクラッチ・ペリー御大を始祖とする解体と再構築によって作り上げられたDUBだ。

その継承者としてStadio1の英国DUB係としてこの世に現れたON-Uレーベル。その主宰者でもありDJでもあるエイドリアン・シャーウッドも当然ぼくは好きである。

表題の曲はエイドリアン・シャーウッドのBarmy Armyという名義による1989年発売のアルバムEnglish diseaseの二曲目。

Barmy Armyは訳せば「バカ軍団」あたりだろうし、アルバムタイルは「英国病」。イングランドのプレミアリーグ以前のスタジアムでのサポーターの歌声や応援歌、罵声、歓声を録音し、切り貼りし、様様なサウンドを新しく加えて作られた全編DUBアルバムだ。

このアルバムのためにサンプリングされたフットボールクラブはWest Ham United、Liverpool、Manchester City、Blackburn Rovers、Stockport County、Crewe Alexander、Leyton Orient、Wimbledon、Nottingham Forestなど。

もともとは「Glory,Glory」というタイトルでON-Uファンに知られていた曲だが、1988年初頭にLP化されるにあたって表題のタイトルに変更されている。

この曲では途中、リバプールの“you'll never walk alone"の一節もまさにタイトルどおり「抜け目なく」サンプリングされて登場。

なかなかフットボールファンには分かりづらい内容なのか、このアルバムを日本のサッカーファンに聞かせてもまったく反応がないのはしょうがないけれど、On-Uファンの間では英国的ウイットとイヤミにON-Uらしいファンク、ダブ、パンク系のサウンドがあいまって評価は高い。

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10/02/05

[004] A Case of You

miles of aislesJoni Mitchelのマスターピースの一曲と思っているのはおそらくぼくだけではないと思う。

歌詞を見れば、たわいない男と女の三角関係なのだが、その歌詞と単語の選び方が秀逸。叙情的なメロディーラインに載せて歌われると、いろいろな出来事が走馬灯のようにぼくの脳裏を駆け巡っていく。Am7、C、Dm、Em、F、G、G2というコード進行も単純にして美しい。

いま、ダルシマーが刻むイントロを機内で聴いていると、かつての家族と歩いた冬のサント・ロペの港をなぜか思い出してしまった。

そのダルシマーの音がクリアな分、マイルズ・オブ・アイルズのライブテイクの方をぼくは好む。観衆がサビのコーラスを唄うくだりも陳腐な表現になるが心に染み入る。

20世紀に生まれた名曲であることは誰も否定できないはずだ。

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06/02/05

[003] 汗水節(あしみじぶし)

汗を流して働いて頑張ろうという、仲本稔作詞による「新」民謡。作曲は宮良長包。長包メロディーの代表曲のひとつでもあり、沖縄民謡の三大教訓歌のひとつとも呼ばれる。

昭和3年(1929年)、沖縄県は昭和天皇即位を記念した記念事業の一環として勤倹貯蓄に関する論文や民謡、童話を県民から募集。その民謡の部で3位(1位、2位は該当なし)に入選したのが具志頭村出身の仲本稔による「勤倹力行の奨」という歌詞。そのタイトルが県によって「汗水節」と改題され、宮良長包によってメロディーがつけられ、ついに今に残る教訓歌「汗水節」が生まれたのだそうである。

頑張って働いていこうという歌であるにも関わらず、働くことのつらさを表現しているのか、このテンポ、メロディーともに泣きが入っている。メローだ。そのメロディーは上へ、そして下へ。力をいれて汗を流すこと。そしてその後の開放感を表現しているのだろうか。

多くの民謡歌手がテープやレコードに残しているが、やはり、ぼくとしては嘉手苅林昌のものが一番。真面目に仕事をしていくことの対極にいるようなイメージの風狂の人、嘉手苅林昌がというと、冗談に聞こえるかもしれないけれど、30歳近くまできつい労働で苦労していた嘉手苅林昌の人となりを思えば、十八番のひとつにしていたというのもうなづけよう。

うたは大城美佐子で林昌自身は三線と囃子だけであるが、かつてVictorから発売された“彩なす島の伝説 沖縄島唄 嘉手苅林昌 Vol.2”VICG-5144で視聴可能。庶民の間で流行したものではなく、オリジナルの歌詞で歌われている。

話はそれるが、このCD、“汗水節”の前に“県道節”という曲が収録されている。実は、この“県道節”の方は「働くな」というサボタージュ賛美の歌。この曲の並びは、アルバムの監修/企画の竹中労氏らしいウイットかもしれない。

昨今の不況もあるのか、昨年からは作詞者である仲本氏の生まれ故郷、具志頭村において「汗水節大会」なる大会が開催されるなど、この唄の再評価もはじまっているように感じる。

そんな話題を抜きにして、教訓やお説教などが大嫌いなぼくが、昔からふとした時に、この曲を口ずさむことが多い。それだけこのメロディーラインは良い。8886の琉歌の歌詞にもぴたりだ。

昨年葛飾でのライブで一曲目によなは徹がこの曲を歌った。ぼくにとってかなりのツボだった。

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05/02/05

[002] ジャブアップファミリー

NouvellesVaguesまだ童貞だった。オトナの性の世界はもちろん、オトナが嗜むことを法律で規制されている世界もまったく経験がなかったし、家族というものの複雑な存在を考察することもかなわなかった。

それでも、この曲のダブルミーニングを面白いと感じた。

それもこれも、このリズムのおかげかじゃなかっただろうか。

ムーンライダーズの“ヌーベルヴァーグ”は名盤であるとともに、名曲がつまっている。今でも本当にそう思う。

かなりのオトナになってからのムーンライダーズのライブで、この曲が演奏されると観客席からたくさんのニンニクが投げられていた。なぜニンニクだったのか、今もはっきりと言語化することは難しい。それでも、あの時はニンニクをステージに投げるしかぼくたちに残された行為はなかった。それだけは今でも神に誓ってはっきりと言う事ができる。

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30/01/05

[001] Love of the Common Man

faithful大学生の頃アルバイトをして初代ウォークマンを買った。もう四半世紀前の話。

その頃アメリカの黒人が巨大なラジカセを肩にかついでいる姿をNYの下町で見かけたことがあったが、ぼくにそんなまねができるわけはなかったわけで、音楽を街中で聴けるなんて夢のような出来事だった。

その時まっさきにアナログ盤からカセットテープに録音したのがこの曲

普通の人の愛?。なんというタイトルかと思ったし、英語の歌詞には象牙の塔なんていうのがでてきて、白い巨塔かよ、と思ったりもした。その頃通っていた大学の7号館が初代テレビ版白い巨塔のオープニングに使われていたことはなんの関係もない。

今でも週に数回は聴く。

Todd Rundgrenはミュージシャンズミュージシャンと呼ばれるメロディーメーカーで名曲の数々を残している。その中でも珠玉の一曲であることは間違いない。

ただ、この曲が入っているアルバムFaithfulはToddのアルバムの中で一番かというと疑問だ。BeatlesのWhite Album的な位置付けになるのかもしれない。

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