[22] Alison ロージーとアリソン 2
1977年。ぼくは大学のカフェテリアでアリソンに出会う。少し大人になりかけていて、たぶん一日に28分ぐらいは、相手のことを考えられるようにはなっていた。つまり、Elvis Costelloのデビューアルバム「My Aim is True」の「Alison」を一日に8回ぐらい聴いていた計算だ。
久しぶりにあったかつての彼女。彼女は人妻になっていた。その彼女への愛を、せつせつ…。
いやまてよ。英語や英語圏文化にメンドクサイぐらい執着する大学だったおかげか、エルビス・コステロ、デクラン・マクマナスという本名からスコットランドかアイルランドにルーツを持つことになんとなく感づく。スコットランドやアイルランドといえば偏屈で理屈っぽくてマニアックの代名詞であるという偏見があるけれど、その頃はまさにそう思っていたわけで(今もあまり間違いじゃないと思われる)この歌詞、まともなわきゃねえだろ、とかんぐった。
それになんといってもエルビス・コステロである。難解な歌詞にはダブルミーニング、皮肉といった罠が散りばめられている。
よくよく読んでも、唄ってもわけがわからない。とくにサビ。そこまでの続きで相手のことをおもんばかって愛を語っているようにも思えるのだが、そんなふりして、実はそんな彼女を殺してしまいたいという狂気をはらんだ歌詞のようにも見える。どんな真(まこと)なのだろうか?この男がいう真実って。今でも答えは保留のまま。
殺してしまいほどまだ愛しているということなんだろうか。この世が君を殺していることを「知っている」男。現代だとストーカーじゃないか? たぶんどうとでもとってくれとコステロは答えを出していないのじゃないだろうか。ボブ・ディランと違う手法で答えを時代という風の中に放り出したままなのか。
そんな偏頭痛の塊のような歌詞を甘いメロディが包む。甘すぎだろ。その甘さと歌詞の苦味で調和をとろうとした?などと、妄想をめぐらせるくらい少なくともみんな自由だ。
「My aim is True」とは、まだ、いえない。たぶんそれはこの世とバイバイするときのために誰でもが残しているのかもしれないし、いう必要もないのかもしれない。
やっとロージーから、アリソンぐらいのことは分かってきたんだろうか。
Karen Daltonの
ドノバンの名曲。
21世紀の「花風(はなふう)」。
嘉手苅林昌未CD化音源を集めた『ジルー』は、彼のデビューSP盤「恋語れ節/なすび節」が一曲目、二曲目である。当然この曲順は構成・解説などを行った小浜司氏や監修のビセカツ氏による嘉手苅林昌のレコーディング史を意識してのねらいだろう。
サビの歌詞には、世の中のことがだいたいわかってきたいまのぼくにも、うなずいてしまう力がある。
中学三年生の時、近くに団地ができたこともあって何人かの転入生が入学してきた。
D、C、E、Bm7という黄金のコード進行を含有しているというだけで後世に残ってしかるべき名曲なのだけれど、それがハモンドオルガンによって奏でられたところにニール・ヤングのセンスを感じるのは僕だけではなかったのではないだろうか。
恥ずかしい話だけど、70年代から80年代半ばまで、いや、確実に21世紀の今まで、アメリカを中心としたしシンガー&ソングライターという人たちを聴きつづけ、未だにニール・ヤングなんざ新譜が出ると買っている僕だ(グリーン・デイルは良かったなあ)。
デビッド・ボウイも歌ったこの曲。ぼくは、Mott the Hoopleのアルバムで初めて聴いた。
<大滝詠一のファーストアルバム“大滝詠一”の一曲。
梅雨の季節。友達と車に乗って福生へ遊びに行ったあと、なぜだか理由は思い出せないのだけれど、国道16号線を北上して、埼玉県の狭山市というところを流れる入間川のほとりまでやってきた。
矢野顕子という人の声はドレミファソラシドの間の微分音を声で表現できる点で独特であるみたいなことを、二人目の旦那である坂本龍一が、インタビューかなにかで言っていたように記憶する。勘違いかもしれないけれど。
オリジナルはBob Dylanの"John Wesley Harding"(1967)に収録。邦題は確か「見張り塔からずっと」だった。
Eric Claptonがアメリカ南部にどっぷりつかったデレク&ドミノスの2枚組LPの一曲。
<Little Feat>は1stアルバムから、Ry Cooderとともに、新作が出るたびに買いつづけていた。The Beatlesにはちょっと遅れていたし、The BandはすでにMusic From Big Pink でボブ・ディランのバックバンドから足を洗ってデビューしていたという微妙な小学生時代にロックに目覚めたぼくなので、リアルタイムにThe Bandを聴いたのは2枚目から。
DUBが好きだ。
Joni Mitchelのマスターピースの一曲と思っているのはおそらくぼくだけではないと思う。
まだ童貞だった。オトナの性の世界はもちろん、オトナが嗜むことを法律で規制されている世界もまったく経験がなかったし、家族というものの複雑な存在を考察することもかなわなかった。
大学生の頃アルバイトをして初代ウォークマンを買った。もう四半世紀前の話。


