22/12/07

1980・2・23 リサイタル―MODERN MUSICの彼方

 おぼろげにたぶん見てたんだろうと、発売の告知が出たときに思ったのだけれど、一曲目、スパークリング・ジェントルメンのせわしないドラムの音で確信に変わった。グジャグジャなバイオリンとギター。しゃくりあげる慶一選手のボーカル。

 ああ、行ったな。芝の厚生年金会館だ。

 続けて、2曲目いとこ同士は、ポップグループに通じるそれへと変容していた。あの時代の波をライブで爆発させていたことは間違いない。

 「Modern Musicの向こうに東京が見える」。

 背中が痒いフレーズだろう。それでも30年近くの月日が過ぎた21世紀の今、この音を聴くことに何か意味があるのかもしれない。そう思う。

 「NOUVELLES VAGUES」と「モダン・ミュージック」からの曲を中心に、それ以前のアルバムからちょろちょろと。

 しかし、そのほとんどが、このライブの記録ではオリジナルアルバムとは異なる音にすげかえられている。演奏やアレンジも当然だが、ことに音色が違う。ここはポイントだ。

 21世紀の今、個人的に、とくにNOUVELLES VAGUESからの曲については、このアルバムの演奏の方にシンパシーを感じてしまうのは、俺も、どっぷり「あの時代の波」に翻弄され、価値観を変容させられてきたということがあるのかもしれない。

 「あの時代の波」=ニューウエイブと呼ばれた、全世界的なポップミュージックの波は、様々な価値観を大きく変えたのだ。

 ムーンライダーズは、はちみつぱいと鈴木慶一の趣味が、混ぜこぜになったところに立脚点を置いていた。つまりはっぴえんど以来の「日本語のロック」の延長線上にあったといえるだろう。

 真っ当にいけば、そのまま、アメリカンロックやパブロック的な流れのバンドになっていたかもしれない。もしくは後に登場するシネマのようなブリッティシュ風味の方向に流れていったはずだ。

 しかし、この時、ムーンライダーズはパンク、ニューウェイブという「あの時代の波」に、乗っていったことで大きく変容を迎えた。

 マスメディアにおいて喧伝される方向ではなく、あくまで世界のポップミュージックシーンに飢え、そこからあらゆることを吸収、咀嚼し、表現へと変容させていく手段。あまりに東京的といえるミーハーものの権化。

 と、ここまで書いたけれど、基本的にこのライブアルバムで聴ける音は「あの時代の波」へダイブしたものではあったけれど、「あの時代の波」以前の「日本語のロック」時代、もっと遡れば、中津川フォークジャンボリー以来のフォーク的ライブ表現にも通じる。ことに慶一氏の説明的かつ親切なMCに、まだまだ手探りの表現形態だったということが確認できるのではないか。

 いや、はっきりいえば、NOUVELLES VAGUES、モダン・ミュージックというアルバムも今聴けば、まだまだ、「日本語のロック」の流れに数えてもいいアルバムといえるかもしれない。ムーンライダーズは思いっきり「あの時代の波」にかぶれてはいたが、やはり、正統的な「日本語のロック」の流れにも乗っていた。

 心身共に「あの時代の波」に乗ったのは、この年の夏、夏に出すにはあまりに暑苦しすぎると感じた「カメラ=万年筆」まで待たねばならなかった。

 そういったムーンライダーズのまさに転換点、真っ只中のライブアルバムの登場。日本のポップミュージックの記録しても貴重だ。

 それにしても、ムーンライダーズは、ここのところ、過去のライブCDやDVDを立て続けに出している。商売として成り立つからという理由はあるだろうが、それ以上に昔からのファンにとって、そして新しいファンにとっても、新しい引き出しが増えていくことが非常に好ましい。

 できうれば、モダン・ミュージックまでのムーンライダーズのアルバムと各曲を聴き比べてみてほしい。俺がここまで書いたことに納得してもらえるのではないだろうか。

 実際ライブで行われた時とは曲順が違うのだが、このアルバムの最後の3曲。火の玉ボーイ、マスカット・ココナッツ・バナナ・メロン、センチメンタル通り。どれも名曲なのだが、ここで聴ける音は、『あの時代の「新しい」波』に乗って彼岸へ渡ろうとしていたムーンライダーズの姿が垣間見える。

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26/10/07

Neil Youngの新譜。Chrome Dreams II

 ニールヤングは基本としてシンガーソングライター+ダウントーアースなスワンプ系ロックがコアにあることは間違いないと思うのだけれど、時々思い立ったように、クレイジーホースに騎乗して、その辺を走り回って遊んだり、旅したりする。そして何かの拍子で雷に打たれ凶暴な轟音軍団へと変身しあたりを蹴散らして走り去っていき、ちょっとすると何もいわなくても戻ってくる。

 あの頃はまだ轟音軍団は組織化されていなかったけれど、その自由な変わり身の早さと節操のなさが、10代の頃の俺の評価だったわけだ。ニール・ヤングはいい迷惑だろうけどね。

 それでも、端正なファーストアルバムのあとセカンドアルバムが、クレイジーホース名義になり、エレクトリックギターばりばりの突発性変身を遂げたかと思ったら、サードアルバムがアコースティックな名盤【After the Gold Rush】。パラノイアか?と思ったものだ。

 その後もアコースティックギター中心のアルバムや、カントリーだったりアメリカ演歌路線の合間に、【Weld】なんていう轟音洪水アルバムを出したりするという、まったくもって読めないおっさんであるわけで、俺の感想はそんなに間違いではないと思う。

 で10代の頃から、今まで、何度かすっかり忘れていたこともあったけれど、ほとんどのアルバムを聴いてきたおれが最近改めてニールヤングがなぜ好きなのか自問自答してみた。

 いろいろいいわけじみた言葉を長々と羅列することは可能だけれど、ひとことでいってしまえば、「クレージホースとやったアルバムがかなり好きだよー」。

 いや、もちろん【After the Gold Rush】やら【Harvest】、【Tonight the night】など初期のアコースティックな名盤は文句はないし死ぬほど聴いた。確かに聴いた。このあたりのアルバムの曲はコピーもしてつまびいたりもした。

 しかし、やはり俺にとってのニールヤングの凄みは、クレージーホースと対峙した時に沸点に達するんじゃなかろうかというのが結論だ。

 名曲「See the sky about rain」が入った【On the Beach】のあとに再び突発的に登場した【ZUMA】が次の轟音系。「Coltes the Killer」には痺れた。妙ちくりんなジャケットにも頭が真っ白になった。

 おめえはパンクじじいか?と疑問をもたげた【Rust Never Sleeps】や【Weld】なんざセックス・ピストルズより強烈だった。びっくりしたよ。なんだ?このカナダ人?本当にそう思った。

 最近では、架空の町での出来事を唄った【Greendale】。同梱DVDの映像もかっこいいし、とくに一曲目の「Falling from above」はフェヴァリットトラック。ツブレタ、ギターサウンドと、煤けたドラムの音がいかしてる。今風にいえばヤバイというやつか。

 ことかようにクレイジーホースと作り上げたロックアルバム、今の言葉でいうとオルタナティブな音楽が俺のニールヤング好きのかなりな面をしめていることを再確認したのだ。

 今年、フィルモア・イーストでのかつてのライブを収録した歪んだ音のアルバムを出したりしたが、この10月、市場に登場したのが【Chrome Dreams II】。【Chrome Dreams】と聞いたら黙っていられない。

 かつてお蔵になったwithクレージーホースとのアルバム【Chrome Dreams】の次ってことだ。【Chrome Dreams】自体は発売されなかったけれど、【American Stars N Bars】というアルバムのB面として1988年にリリースされている。Weldでも暴発している名曲「Like A Hurricane」なども入って今でも聴き応えがあるアルバムじゃないかと思ったりしている。

 そんなこんなで今回の【Chrome Dreams II】。【American Stars N Bars】 当時の3曲+新曲7曲を加えたのがこのアルバムだ。

 全曲爺さん系オルタナティブ全開で必聴決定だ。中でもついに日の目をみた幻の名曲といわれる「Ordinary People」 。ローリグストーン誌のWebでも視聴することが出来たが、こいつはいけてた。


 とにかくこのアルバムはロックとかオルタナティブが好物の人間なら買ってみて失敗したと思うことはまずないだろう。ついでに、当然だが「American Stars N Bars」 も聴いてないなら買いたい。

 そしてやはり轟音系といえば【Weld】と続編である【Arc】というライブアルバム。とくに後者は30数分ぶっつづけ。あきれた。確か、おれの場合、【Weld】を買ったら【Arc】付だったように思うが記憶違いだろうか? もらったのかもしれない。

 まあ、それはどうでもいいとして、とにかく、今回のアルバム。グランジ系へもつながるニールヤング&クレージーホースの面目躍如。オルタナティブ全開のロックだ。【Weld】の爆走まではいかないが、よりタイトに緻密に音楽の彼岸をいったりきたりしている。

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10/10/07

[22] Alison ロージーとアリソン 2

1977年。ぼくは大学のカフェテリアでアリソンに出会う。少し大人になりかけていて、たぶん一日に28分ぐらいは、相手のことを考えられるようにはなっていた。つまり、Elvis Costelloのデビューアルバム「My Aim is True」の「Alison」を一日に8回ぐらい聴いていた計算だ。

久しぶりにあったかつての彼女。彼女は人妻になっていた。その彼女への愛を、せつせつ…。

いやまてよ。英語や英語圏文化にメンドクサイぐらい執着する大学だったおかげか、エルビス・コステロ、デクラン・マクマナスという本名からスコットランドかアイルランドにルーツを持つことになんとなく感づく。スコットランドやアイルランドといえば偏屈で理屈っぽくてマニアックの代名詞であるという偏見があるけれど、その頃はまさにそう思っていたわけで(今もあまり間違いじゃないと思われる)この歌詞、まともなわきゃねえだろ、とかんぐった。

それになんといってもエルビス・コステロである。難解な歌詞にはダブルミーニング、皮肉といった罠が散りばめられている。

よくよく読んでも、唄ってもわけがわからない。とくにサビ。そこまでの続きで相手のことをおもんばかって愛を語っているようにも思えるのだが、そんなふりして、実はそんな彼女を殺してしまいたいという狂気をはらんだ歌詞のようにも見える。どんな真(まこと)なのだろうか?この男がいう真実って。今でも答えは保留のまま。

殺してしまいほどまだ愛しているということなんだろうか。この世が君を殺していることを「知っている」男。現代だとストーカーじゃないか? たぶんどうとでもとってくれとコステロは答えを出していないのじゃないだろうか。ボブ・ディランと違う手法で答えを時代という風の中に放り出したままなのか。

そんな偏頭痛の塊のような歌詞を甘いメロディが包む。甘すぎだろ。その甘さと歌詞の苦味で調和をとろうとした?などと、妄想をめぐらせるくらい少なくともみんな自由だ。

「My aim is True」とは、まだ、いえない。たぶんそれはこの世とバイバイするときのために誰でもが残しているのかもしれないし、いう必要もないのかもしれない。

やっとロージーから、アリソンぐらいのことは分かってきたんだろうか。


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09/10/07

[21] Rosie ロージーとアリソン 1

中学生の頃は誰でも背伸びをして未知の扉をひとつひとつ開けては、この世の中がすべてわかったように錯覚できるという特権を有している。もちろんいい大人になってこの特権をふりかざしてはいけないけれど、幸せなことに、大人には懐かしむという、ささやかな悦びは許されている。はずだ。

ロージー。名前から勝手に想像をめぐらすと、ソバカスいっぱいの栗毛のミツアミ。ビーバーみたいな矯正中の前歯をみせてニカッと笑う気のいいアメリカ人の女の子で、白いワンピースのすそからちょっとシミーズがみえてる。いつもおばあちゃんに買ってもらったバービー人形を抱えてるおませさん。

でも1973年に出会ったそのロージーは、月明かりのなか窓辺にこしかけた僕が生まれたときから愛することになっていて、死ぬまで愛せると思える、そんなひとだった。もちろんこれだけ恋焦がれているということは、恋は成就していない。彼女はぼくをじらしてじらしてじらしまくる。どうやって口説き落とせばいいのか見当もつかない。

断っておくけれど上の赤面ものの文章はTom WaitsのデビューアルバムClosing Timeの一曲「Rosie」の歌詞からの引用。ただぼくが1973年、中学生の頃、この曲に出会ったということだけは少なくとも歴史の教科書に載っても間違いではない(ただし掲載される必要はない)。

この「Rosie」を聴き終わったあと、次の「Lonly」がはじまるまでのほんの数秒間、ターンテーブルの針のシャリシャリする音が、永遠に続きそうな焦燥感を醸していたように思えた中学時代。めいっぱい背伸びをしていたけれど、大人のうしろ姿はまだまだ遠い未来にあって、もちろんロージーのことなんてこれっぽちもわかっちゃいなかった。

悲しいかな、いまやTom Waitsの「Rosie」をほぼ理解できてしまう。「ぼく」の気持ちも。「Rosie」の気持ちも。40%くらいの甘酸っぱさとともに。もしかしたら、この気恥ずかしさが懐かしくて繰り返して聴いているのかもしれない。

まだアリソンにはあってなかった頃のことだから。

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09/08/07

Fuzzy Warbles Collector's Album 商売。商売。

Andy Partridgeという英国の人がいてガキの頃はモンキーズのファンでファンジン(ファン雑誌)などを作っていたりしたらしいのだが、そういうあたりで知り合った奴らとバンドを作って、パンクムーブメント華やかなりしころ、メジャーデビューした。

XTCというバンドだ。

パンクっぽい流れからニューウエーヴ方面の旗手としてもてはやされ、ちょっと知的系のバンドに多い、ライブ拒否を経て、スタジオレコーディングを中心とした活動に突入。それなりの枚数のアルバムを出している。

個人的には、『スカイラーキング』とか『Oranges & Lemons』、Dukes Of Stratosphearという別名義のバンド名で発売した『Chips From The Chocolate Fireball』なんてアルバムをとくに好んで聴いたりしていた。

ムーンライダーズなんかとも親交があったりして、ムーンライダーズの『最後の晩餐』ってアルバムでは、メンバー紹介の声なんぞで参加したりもしている。

で、このAndyさん、21世紀になって、ガキの頃から今まで、自宅録音した数々の音源を次から次へとCD化してリリースしはじめた。『Fuzzy Warbles - The Demo Archives』というシリーズで、なんだかんだで、結局、計8枚もだしてやんの。

こっちとしてはいくら好きだといっても、そこまでつきあえねえなあということで、1枚目と2枚目を買ったところで、値段が下がったら買おうっと、というランクに落ち着いた。聞いた話によるとXTC時代からの熱心なファンの間でも最近のAndyは結構あこぎな商売してるんじゃねえか?という話が出たりしていたらしい(伝聞)。


ところがですよ。ちょっと前に、Andyさん、この『Fuzzy Warbles - The Demo Archives』8枚にボーナスな一枚を加えた9枚組のボックスセットを発売したのです。名称も『COLLECTOR'S ALBUM』ときました。商売、商売。

で、こちとらどうしたか?。ええ、買いましたよ。残り6枚+ボーナス盤にかかる金と、残り6枚をバラ買いしてボーナス盤が聴けないという状況を天秤にしたら、どう考えても前者の方がお得かなと思ったので。Vol.1とVol.2はかぶってしまうけれどね。

しかし、すでに8枚買い続けたファンの人はどうしたのだろうか?。9枚目のボーナス盤欲しさのためにこのBOXセットに転んだんだろうか?。いや、たぶん転んだのだろう。「商売こきやがって」などと悪態つきつつ。笑いながら。

やはり、好きなものは金じゃないのかな。ファンってありがたい。

で、かなり前に買って、あまりの暑さにぼーっとしてたので、やっと封を切って聴いてみました。

そしたら、7枚目がCDプレーヤーで聴けない。ACC化をしてみたら最後の曲だけが変換不能。で、盤面をよーく見たら、あらら、接着剤と思しき塊がCDの盤面に盛り上がっている。これでは、聴けないぞ。ま、いっか。とりあえず、買ったところに話だけはしてみるけれど、かなり前だから、どうなるやら。

ということで、Vol.7の19曲目「Open A Can of Human Beans」(洒落かよ?)。どっかで聴けないもんですかね?旦那?


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25/07/07

耳切坊主 『Suzy』

さて、去った(うちなー的表現ね)6月27日に沖縄で先行発売されていた耳切坊主の新譜『Suzy』。本日、2007年7月25日、目出度く本土発売日を迎えたのでありました。

発売日に入手していたので、とっととエントリーに書こうかと思ったんだけれど、やっぱ、ニッポンのみんなが無理なく買えるようになった頃の方がいいんじゃねーか?と自問自答して、今日になったというわけで。

沖縄の若人(わこうど)バンドは数々あれど、おいらが現状新譜が出たらとにかく常に買っておこうという気になるのは、「MONGOL 800」と、この「耳切坊主」。(MONGOL 800 はちょっとパンク入ってるけどね)

サウンド的には、ほんと、20世紀後半のニューウェイブ、ネオアコの頃によく使われた「いなたい」という四文字がぴったりくる。そ、そっ、きざみまくる、あんな感じのギターサウンドがコア。

そこに妙ちくりんなキーボードなんかも絡んでくる。ドラムのビートはシンプルだけれど、アフタービートをおかずにしたりで、なかなか。またベースの滑り方が、なかなかオイシイ。演奏の隙間を軽々と埋めている。

そしてボーカル。青春だね。嫌いな人は嫌いかもしれないけれど「ジョートーさぁ」と言っておく。これでいいんだ。

でも、おいら、いまんとこ、去年出た『サラバンジ』が一番しっくり来てるかもしれない。というのは以下の理由。

おいらのこと知ってる人は「またかぁ」と笑うかもしれないけど、先に書いたように、80年代初頭、ニューウエイブとかネオアコなどという名前でくくられる音楽があったんだけれど、そういった動きの中で、おいらは、Pale Fountainsってバンドが、かなり好きで、とりあえず新譜が出たら、シングルだろうとアナログだろうと買っていた。クレプスキュールってレーベルやスティッフってレーベルがなんやかんや喧しい頃だったな。

で、そのPale Fountainsってバンドを思い出すサウンドがこの耳切坊主にはあったりしてる。

つまり、いまや50代寸前のおいらに、なんとなく酸っぱい懐かしさを感じさせてくれるというのが、彼らを支持する理由なのかも。逆にいうと、あの80年代のネオアコ体験はないけれど「モンゴル800とか、耳切坊主とかいいかんじィ」と思ってる若人は、Pale Fountainsとか聞いても面白いかもね、なんて、ジジイから提案?。

ほかにも、このあたりだと、あの時代、Buzz CocksとかAztec Cameraとかいろいろあったけれど、おいら的にはPale Fountainsの新しいアルバムが出るまでの<つなぎ>というあたりかな。やっぱり、Pale Fountainsだったなあ、と。


で、耳切坊主というのが、へんちくりんなバンド名だなあと思っている人に、おいらからの余計な親切心。

耳切坊主(みみちりぼうじ。このロックバンドは「みみちりぼうず」と発音しているけどね)とは、沖縄の妖怪話に登場する坊さんのこと。

昔々の沖縄に、放蕩の限りを尽くす女好きで、肌が黒い坊さんがおったそうな(このあたり沖縄裏面史的に、ちょっと示唆的なんだけれど、今回は関係ないので理由はパス)。その肌の色から、黒金座主(くるがにざーすー)という名前でも呼ばれていた。

王様が考えたんだよね。その坊さんのあまりのふるまいが目に余るようになったので、こりゃあの坊主を懲らしめないといけない。ということで、当時、琉球国で、唯一対抗できそうな、北谷王子(ちゃたんおうじ)という人を呼んで「碁の勝負して、黒金座主を、命を賭けてぶっつぶせ」と命令したんだと。

碁の勝負開始。黒金座主は北谷王子を惑わす技を使い権謀術策の限りを尽くすものの、北谷王子はまったく動じず、結局のところ王子の勝利が確定。

王子曰く「おめえさんの命はとんねえから、そんかわりに耳をチョんとさせてもらわぁ」(江戸弁に翻訳)。

黒金座主は耳をちょんぎられ、その傷がもとで破傷風になって、おっちんじまった。

死んじまった黒金座主。怨霊となって、人々の耳を切ろうと町に出没するようになった。執念ですな。というわけで、黒金座主は、耳切坊主と呼ばれるようになった。くわばらくわばら。

ちなみにいっとくと、黒金座主こと耳切坊主はなぜか女の子の耳は切ろうとしなかった。なもので、人々は男の子が生まれた時に、「うふーゐなぐの うまれたんどお」(でっかい女の子が生まれたよー)と歌ったんだとさ。

という、沖縄妖怪坊主の名前をバンド名にした耳切坊主。沖縄であること。沖縄の歴史伝統を感じること。そのあたりが、彼らの音楽にはある。沖縄的「なま」(今)が堪能できると思うのでありました。

新しいものは「ある」。けれど「ない」。

つまり、時代は螺旋でめぐっていくのであって、そういったあたりを通る若人バンドは、今、日本だけじゃなく世界中にたむろしている。だけど、ジジイのおいらが思うに、本当の勝負はそこを通りすぎて、次の90度までのあたりだね。

沖縄の若人バンドは「うちなー」というDNAがある分有利かもしれんけれど。とっぴんぱらりのぷ。
だっからよー。


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11/01/07

In My Own Timeが発売されていたとは

KarenDaltonKaren DaltonのIN MY OWN TIMEがCDで復刻発売されていたなんて知らなかった。

いま20代半ばから30代の方で、ご両親のどちらかが相当なアメリカの音楽(とくにシンガーソングライラー系)好きだったりしたならば、「カレン・ダルトンのインマイオウンタイムって聴いたことある?」とたずねてみていただきたい。

カレンダルトンを知らなければそれまでだけれど、もしも知っていたなら…。そうもしも、知っていたなら、このアルバムについての経緯が原稿用紙100枚分くらいは出てくるかと思う。その他、購入できた、もしくはできなかったという語るも涙の物語なども付録としてついてくるかもしれない。

それだけ、あの頃、このアルバムはアメリカ音楽ファンの間では伝説化されていたということになる。

さて、わたしの場合。

もちろん当時はビニール盤(アナログ)だったわけだけれど、このアルバムの存在を知ったときにはすでに輸入盤専門店では売り切れ。あちらこちらでアルバムの素晴らしさを耳にするわたしはどうしてもどうしてもほしくてほしくてしょうがなくなっていた。

当時はインターネットはなく、FAXさえ夢のまた夢。郵便で海外からモノを買っていた時代。結局のところその思いは学生時代の忙しさに埋没して一年ほどが過ぎていった。

年末のある日、当時新宿にあった某輸入レコード屋さんが年末バーゲンを行うというので友達たちと勇んで駆けつけたわたし。それなりのアルバムを手にしてほくそえんでいたそのときだった。友達が近寄ってきて一枚のアルバムをぼくに見せた。友達は、茶色のあのジャケットを手にしていたのだった「あった…。カット盤だけど…」。ぼくたちは狂気した。あった。こんなところに。

その日わたしたちはもう2枚ほどカット盤で入手困難といわれているアルバムを手にした。そのアルバムはまたの機会に譲るけれど、この時の衝撃は、噂に聞いていたカット盤の存在だった。ジャケットの一部に切り込みが入れられていて安い値段がつけられているというのがカット盤なのだが、時としてその日のようにとんでもないアルバムがとんでもない値段で売られたりすることがあったのだ。閑話休題。

帰ってから友達の家でこのレコードに針を落とした。名盤といわれ、噂が噂を呼んでいた理由はよくわかった。よいアルバムだった。

去年発売されていたのを知らなくて今年になって注文し今日やっと届いたこのCD盤になっても、その印象は、ちょっとセピアがかっただけで基本的な色合いは残っている。名盤であることは間違いないとおもう。

ただ、AMAZONの紹介などではフォークの名盤という存在になっているようだが、これはあくまで、あの時代のザ・バンドやその周辺の一連のシンガーソングライター系のミュージシャンたちが築き上げたダウン・トゥー・アースなアメリカンロックの流れの中で語るべきものだと思う。

いや、ここまで、書いて、アメリカ嫌いのわたしだけれど、本当にアメリカにはお世話になってきているのだなあ(笑)と改めて思ったりもする。ただ、わたしのお世話になったアメリカは、こちらからかなりの時間とお金をかけてアプローチしなければ正体を現してくれなかったアメリカではあるのだけれど。

そんなアメリカのひとつがこのアルバムだと断言させてもらいたい。

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26/10/06

forse MOON OVER the ROSEBUD

あっさりといいます。MOON OVER the ROSEBUD名盤でした。たぶん。聴いてる限り。

10代、20代の音楽好きを自負する若人に自信を持ってお薦めいたします、というか、これわからんとダメだろ?、三食抜いても買って聴け(って、70年代かよ?その喩え)といえる。というか名盤とはこういうアルバムのことをいうんだよといえる。

DVDやらベストやら、映画も上映が決まりそのサントラやらまででまくる昨今にあってこの出来。スゴイことだなと感服。

で、間違いなくそういったこともろもろ含め名盤なのですが、でもムーンライダーズの名盤といってもあまり感動がないといったあたりがバンドとファンの関係を如実に表しているようにも感じられ。

そういえば30年以上前は新譜のレコードや毎月の雑誌の発売日前後は、うわっついていたけど、その時のまぬけさに近い香りが自分のまわりに漂う。

「A.O.R.」と「ムーンライダーズの夜」は一度聴いて、倉庫行きになって、21世紀に入ってからちゃんと聴いたあたしには、今回のアルバムは懐かしいような、まぶしいような、だまされているような。そんなうわついた気分。


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30/09/06

いよいよ来月ムーンライダーズの新譜発売

moon_over_the_rosebud

久しぶりのことです。ムーンライダーズの最新アルバムを発売一ヶ月前に知るとは。本当に、関係者をはじめ、コアなファンの方にはたいへん申し訳ないと思っています。

moonriders.netとかmoonriders.comあたりを週に一回ぐらいは見ていればわかることなのに、そうではなかったということは、わたくし個人の不徳のいたすところ。とくにcomの方はファンサイトで、しかも直接知っている人が協力していたり、間接的に知っている某広告代理店勤務の方が主催者だったりと、アクセス数に貢献すべきなのに、そういうこともあんまりしてこなかったというのがばればれ。すいません。

いや、よく考えるとなぜ謝っているのか、誰に謝っているのか、よくわからないですが、なんとなくそんな気分になっているわけです。

とにかくわたくしの個人的な事情はそのへんにかたしておいて、新譜の話。

moonriders.comにリリースが出ていますが、タイトルは、MOON OVER the ROSEBUD。バラのつぼみごしに見える月。「Rose」といえば、名作マニアマニエラのテーマ「バラがなくちゃ生きていけないby吉田美奈子」を思い出させます。また、「Rosebud」には、隠語方面で「肛門」といった意味もありますが。はたして。

全14曲。ネット配信などですでに発表になっている、ゆうがたフレンドのDubMixも収録。この曲、iTunes Storeからダウンロードで購入して聴いたところ、あいかわらずのスルメ音楽でした。最初聴いたら、やっぱり、よくわからなくて、3回目に聴いたら、あ、そうか、と納得して歌ってます(笑)。シングルカットですから。

ということで、来月、10月25日(水)。ムーンライダーズの新譜発売です。ちなみに、ゆうがたフレンドのシングルヴァージョンはすでに発売中みたいです。まだ買ってない。

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20/06/06

エイサーDEスリサーサー

▼よなは徹プレゼンツシリーズ第2弾?
▼北谷町は栄口エイサーと謝苅エイサーをそれぞれ1枚のCDに収めた2枚組。税込み2940円。
▼発売は、いつもの、エイベックス系リスペクトレコード。

▼これまで沖縄発のエイサー関連CDは何枚か市場に登場している。
▼しかし、栄口と謝苅のエイサーが収められたものはなかった。

▼よなは徹は栄口エイサー(旧謝苅一区)の地方(じかた。地謡(じうてぇ)ともいう)でもあり、彼の活動によって、栄口エイサーが園田や胡屋に肉薄する近代エイサーのトップクラスの地位を占めるまでになってきた。
▼現在の栄口エイサーはよなは徹地域密着の成果を表した、ユニットともいえるのではないか。

▼一方、謝苅エイサーの地方にはよなは徹の友人、松田一利。ふたりは一緒にライブ活動を行ったりしている。
▼そして栄口と謝苅は北谷町内のお隣同士。
▼そういうつながりで、栄口と謝苅のエイサーCD2枚組になったということなのであろう。

▼基本的に両エイサーの持ち歌が展開されるが、ビセカツ氏による新曲、21世紀のかぎやで風といった趣の新曲<御元祖(うぐゎんす)>。
▼はたまたよなは徹作詞作曲、彼の2枚目三昧連りてぃに収録された七月(しちがち)などいったオリジナル曲も。
▼当然だが、すべて、聴いていて楽しい。

▼しかしなのだ。内容として文句はとくにないのだけれど、ちょっとした違和感がないわけでもない。

▼よなは徹にとって地域のエイサーとは、ある意味、非常にパーソナルな存在かと思う。
▼それをこの時期に、しかも、同じ町内で友人が地方をしている謝苅エイサーとともに、CD化し、消費の場に提出するということ。
▼どうなのだろうか?

▼エイサー、とくに大太鼓を使う近代エイサーは、非常に派手で魅せる要素が強くなっている。
▼実は、見せる(魅せる)要素を大切にするという方向性は、独特の間と空気感を感じさせるパーランクーによる平敷屋および屋慶名エイサーも例外ではない。
▼エイサーそのものが沖縄の夏の興行といった性格を持ちつつあるようにも感じる。
▼もちろん、ご先祖供養という本質にぶれはないと思うが、エンタテイメント化している側面は否めまい。
▼このエンタテイメント化の延長と考えれば、今回のCDは間違いなくあたりまえの流れの商品だといえる。

▼だけれど、今、書いたようなエイサーの本質から考えると、商品として消費のステージに、地域に密着したパーソナルなエイサーをその当事者がCD化してしまうというのは、最終兵器を登場させた、といったように感強く感じる。
▼そこまで、はやまらなくても、と。思ったりしたわたくしがいるのも事実である。

▼かといって、内容は非常にレベルが高く楽しんでいるわたくしなので、言っていることと行動が一貫していないのも間違いなのだけれど。
▼ともかくも確実に明治以降にはじまったエイサーという近代の「創られた伝統」を21世紀のいまに伝えるだけでなく広く多くの人にその存在をしってもらうという意味で、意義のあるCDであることだけは確実ななのだが。

▼よなは徹が、与那覇徹名義で発売した1stアルバム『よざれ節』を越えるのは、もう少し先のことかもしれない。

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25/04/06

中村瑞希嬢がグランプリだった

▼4月23日、渋谷のNHKホールで行われた、日本民謡フェスティバル。

▼今年は、奄美大島笠利唄の唄者として将来を嘱望されている、中村瑞希嬢がグランプリを手にした。彼女は2003年民謡民舞全国大会・浦本杯争奪戦で準優勝しているので、全国規模のこういった大会で賞を得るのは珍しいことではないのかもしれません。

▼かくいうわたくしも、中村瑞希個人名義のアルバムを2枚。吉原まりか嬢とのコラボレーションユニット、マリカミズキ名義の2枚を持ち、日々仕事をしながら聞いていてるといった塩梅。
▼彼女の実力のほどはわかっているため、驚くことではないというのが正直な感想ではありました。

▼とにかく、おめでたい、かと。

▼しかしながら、奄美大島のシマウタが日本の民謡の世界でどういった評価をされているのかをわたくしは不勉強でしりません。
▼また、その逆。つまり、奄美の唄者たちが日本の民謡界での自分たちの評価をどう考えているのか?そのあたりもよくわかっていません。

▼もちろん奄美の唄者は日本民謡協会主催の大会で賞をとっているので、日本民謡協会においては、奄美の民謡は「日本の民謡」という位置付けにあるのでしょう。
▼日本民謡協会主催の大会に奄美の唄者が参加しているということは、奄美側も日本民謡協会内でのポジションは重要に思っているということなのでしょう。

▼そういうことなので、今回の中村瑞希嬢の快挙は素直に喜ぶべきなのかなと思う今日この頃ではあります。


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25/02/06

那覇でSOUTHと握手

▼数日前沖縄テレビかなんかを見ていた。
▼ラガマフィン系のレゲエボーカルコンビが紹介されていた。
▼SOUTHという。
▼プロデューサーが北谷に移ったMOD'Sの喜屋武さんで、よなは徹も三線で参加しているとか。
▼そのときはふーんという感想でしかなかったわけです。
▼ジャメーカものだとロックステディやスカ、アーリーレゲエ、ダブが好きなわたくしとししては、買うがどうか微妙なジャンルではあるので。

SOUTH

▼しかし、ちょーぬ、東京からの知人と那覇でCD屋に入ったら思い出したようにそのデビュー作が出ていたので手を延ばしたのでした。
▼1500円という値段付けも知ってほしいという熱意が感じられて悪くは無いし。
▼他の2枚のCDとともにカウンターへ持っていく。
▼そして精算の途中。
▼そのSOUTHの二人組がマネージャーらしき女性とともに現れたのでした。
▼まあ、こういう状況は中部以北の沖縄なら珍しくもないけれど、小東京化した地方都市である那覇では珍しいかもしれない。
▼カウンターの店員は「話してきましょうか?」と言うのだが、こっちは、「とくにいいんじゃない?」と。
▼それでも店員が話をしたかったのか、わたくしが新譜を買ったことを話しに行く。
▼するとSOUTHのふたりが「ありがとうございます」と握手を求めてくる。
▼「喜屋武さんによろしく。がんばってね」と声をかける。
▼というようなことをしているうちにポイントサービスのポイントをつけるのを忘れてしまった(笑)

▼で、肝心の内容は、悪くない。
▼日本において普通の音楽となったレゲエやラップ。そこに沖縄のアイデンティティ(ちょっと恥ずかしいコトバだね(笑))を組み込むという試み。
▼素直であるというところがとにかくいまは一番かもしれない。

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24/02/06

牛小屋で名護良一氏にあう

▼昨日に続いて、夕方、知人の牛小屋へ足を伸ばした。
▼いろいろと話をしていると、50歳ぐらいの兄さんがやってきた。
▼牛主の知人とデビュー前の2頭の闘牛をみて話をしている。
▼ふたりは具志川のコトバなのでこっちはだいたい分かるといった程度。
▼その兄さんの顔、どっかでてみたことあるなあと思っていた。

▼ちょとして気がついた。ああ、そうか名護良一さんだ。
▼照屋寛徳の弟子で玄人筋からは非常に評価が高い唄者。
▼CDも数枚でている。
▼テープならわたくしももっている。

▼いろいろ話したあと、良一氏がわたしくしにむかって、2頭いるうちの1頭を指さして「この牛は3番以内にははいるよ」と断言する。
▼三番以内というのは大きな闘牛大会で三役戦(C3番戦以上)に出る器だということ。
▼知人もほしくてしょうがなくて購入した牛らしくて満足気な顔をしている。

▼良一氏が帰ってから、知人に聞く。
▼「名護良一さんだよねえ?」
▼「そう、おれの従兄弟さ」
▼「え??」
▼眼が点になるというのは文字通りこういう状態なのかもしれない。
▼というか、宇堅出身で名護姓で「良」の名乗頭(なのりがしら)がある点で気づいてないわたくしがマヌケではあった。
▼いとことまではいかなくても親戚だろうと想像はついたはず。
▼うかつだった、数年間。

▼沖縄というより、中北部の人間関係は、こんなかんじだと思う。

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08/02/06

耳切坊主(みみちりぼうず)のサラバンジ

ムーンライダーズはいつもそばにいた。70年代以前の各国のポピュラーミュージックはいまでも追いかけてしまう。ウチナーや奄美の民謡はあたりまえに好き。パブロックは青春。その前は、アメリカのシンガーソングライターにどっぷりはまっていた。パンク&ニューウェイブの波は80年前後数年できちんと被った。といったことをいっているわたくし。

とりあえずウチナー発若い方むけの選択肢のひとつとしてのモンゴル800はよいなあと思う。いやモンゴル800がすでに日本列島の若い方の支持を受けているのかというと疑問がないわけではないが、そういうことにしておいてほしい。

ということで、オレンジレンジに興味のかけらもなく(モッズの喜屋武さんごめんね)、D51も遠い世界の音だと思っていたわたくしの耳に常に届いていたのだけれどアルバムを買うまでにいたらなかったのが、「耳切坊主」(みみちりぼうず)。

若い音には「いなたさ」がなければならないと思っているわたくしからすると当然合格なのだけれど、その先の音楽に対する観想がわたくしが是とする音の右斜め65度くらいをいったりきたりしていた。

なもので、常にアルバムは手にとるのだけれど、買うまでにいたらずということを繰り返してきたここ数年。みなさまいかがお過ごしですか?

sarabanji

そんなわたくしが、ついにこのアルバムは買ってしまった。<サラバンジ>。

まずジャケットがかな~り好みだった。その日買うアルバムが見当たらなかった。というわけで、久茂地リウボウ7階の普久原楽器の新婦もとい新譜コーナーーのヘッドフォンを1時間に渡って占拠して聞いてしまったのはわたくしです。

その結果、後日、コザの普久原楽器で購入したのでありました。めでたしめでたし。

このアルバム、わたくしには、本当に、ちょっと賢いいまのウチナーの子のすなおな心情が歌詞や音から感じられて非常によい。

今の沖縄の若い子はたぶん現在日本一の演奏力があるのでこのあたりの音は安心して聴けるということもあるのだけれど、それ以外に、やはり、こういった音は、2006年の沖縄なのだ、と感じられるところが、わたくし的に二重丸なのだ。

泡瀬でゴルフしたあとにハンバーガー食べながら聴くといいのかもしれないと思った。それも沖縄だ。そしてそれ以降はそのアメリカ的風景への憧憬と疑問と沖縄という島への心がゆっくりともたげてくる。

アメリカ的な消費文化の沖縄も真実の沖縄だ。だけど、その板一枚壁の向こうには、芸能の島であり続けてきた沖縄が顔をのぞかせてくる。そんな中に耳切坊主はいるんじゃないかと、思ったりしているのです。

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31/05/05

[020] Wear Your Love Like Heaven

MRIドノバンの名曲。

今、21世紀も5年過ぎた段階で、改めて考えるまでもないかもしれないけれど、あえて、マヌケなことをいえば、やはり、雑誌“びっくりハウス”から、The Beatniksでカバーされたこの曲は生まれたといっていいのではないだろうか?

高橋ユキヒロと鈴木慶一のユニットであるThe Beatniks。

このユニットが最初に世に出たのは「びっくりハウス」誌上であったことは、ヤザワに行かなかった日本語ロック好きな、現在のアキバ系やらアニメおたくやら、美大系な子たちと存在として、リンクする可能性が高い当時の若者にとっては旧知の事実なのだけれど、そのびっくりハウスや、高橋ユキヒロの深夜放送の肌ざわりとは異なる、言ってみれば努めてストイックな音楽世界を構築していたのが、ビートニクスなのではなかったかと思うのです。

いってみれば、高橋ユキヒロのシャイなお洒落さと鈴木慶一の抑制しない快楽とが重なったような。そんなふたりのスタンスがこの曲には如実に現れているようにも感じるわけです。

Beatniksが21世紀に入って発売したアルバムからのこの曲を聴いたとき、びっくりハウスで主催していた「エンピツ賞」に応募した自分の作品が佳作であったことが、なぜか、納得できたようにも思う。

渋谷の区役所通り、いや、そのころはすでに公園通りとよばれていた通りの一角で行われていた日本の頭脳の研磨行為。その削りカスを集めたところにこの曲は屹立しているような、そんな気がしてならないのです。

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30/05/05

ム−ンライダ−ズ P.W Babies Paperback

pw.jpg3週間ほど前に発売された新譜。

しかし、正直いって、このアルバム、いまだなんだかよくわかっていない。

ところどころ、ああ、この音色はいいな、とか、この無理やりなメロディラインは「ら・し・い」、とか。そんなことを思うのだけれど、おれのツボに絡む曲がまだ浮かび上がってこない。

だいたいムーンライダーズのアルバムを一回聴いただけで、好きになるなんて、ほぼ不可能であることは30年間実証されてきているので、不思議なことではない。

また、21世紀以降、いや、いま考えてみてると1993年以降のムーンライダーズは、おれにとって“日ごろは音沙汰がないけれど忘れた頃に出会って、ちょっとのあいだ時間を共有する古い親友”。関係性というポジションはこのあたりだと思う。

そのため、聴いていて飽きることはないのだが、「これだよな」、という感動に似た共感はどんどん少なくなっている。増えていたら気持ち悪いのでこれはこれで健全。ただ、もちろん何度か聴いているうちに、iPodでベスト25に入るような曲にメタモルフォーゼしていくこともないわけではない。

それにしても、このアルバムは、「まだ」よくわからない。ただ繰り返し聴いていてもイヤにならない音作りがなされているのはあたりまえなので、まだまだリピートを。

タイトルが“P.W Babies Paperback”と聞いたとき、「PWといえば“PW無情”だよなぁ」などと金城実先生の名曲を思い出したのはムーンライダーズ歴と同じくらい沖縄歴が長いからかもしれない。結果、このアルバム“P.W Babies Paperback”に含有されていると推察される隠喩から考察すれば当たらずとも遠からじ、か。

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28/05/05

ユリイカ 特集ムーンライダーズ

ユリイカの2005年6月号はムーンライダーズの特集。日本の雑誌はまず自分で買わないだけでなく、気にもしていなかったので、たまたま買ってきてもらったものを、そのまま数時間で読了。

ムーンライダーズは、その前身的バンドである、はちみつぱい時代からライブへ通いレコードを買ってきているので、個人的にファン歴はもう30年は越えたことになる。学生時代の同級生や同世代以上の人も同じファン歴を積み重ねているわけで、とくにぼくが珍しい存在ということはない。

それでも、ネット上のWebやBlogなどを見ていると、その書き手はぼくより若い方が多いようである。だいたいアマチュアアカデミー前後からのファンのようだ。そういう人たちの言葉を読むのは楽しいのだけれど、時にステレオタイプ化しているように感じることもある。

曰く「メンバーは50歳以上」、「日本最古の現役ロックバンド」、「知るひとぞ知る」。

そして今回のユリイカの特集をパラパラ読みながら、ネット上でのムーンライダーズに関するいろいろな人の文章を含めて、改めて気がついたのけれど、「もしかしたら、いまムーンライダーズを語る場合、歌詞についての言説が多くなっていまいか??」ということ。

もちろんユリイカは「日本語」を生業とする雑誌なので、ムーンライダーズの音楽の一翼をになう「日本語」を各論の中心に据えるという点は疑問の余地なく正しいが、これはユリイカだからということだけではなく、ムーンライダーズ関連のネットでの文章が現在、歌詞について語る傾向が多いように感じたのだ。

ムーンライダーズの楽曲の歌詞には暗喩と隠喩にあふれ時代の斜め下あたりを軽く抉る鋭さを感じる。ここに文章の視点を求める行為はひとつの方法論だ。だけれど、ムーンライダーズはあくまで音楽による表現に身をやつしてきたグループであるわけで、このあたり、音やサウンドにも考察を加えた文章が昨今ちょっと少ないかなと。

そんな中で、今号のユリイカでの細馬さん(一緒に昔、本を書いた人だけれど)のムーンライダーズに関するコラムはコーラスという部分を取り上げているあたり、さすがだなあという感想。

サウンドという観点から語るに、今は、言葉が喪失気味なのかもしれないけれど。

加えて、今回のユリイカでもそうなのだが、最近のムーンライダーズに関する言説で足りないのは、ムーンライダーズがあくまで東京の湾岸地区のバンドという視点ではないか、と。

昔、発売されたベストアルバムのタイトルで“東京一は日本一”(確か矢吹申彦さんがタイトルをつけたという話だった)があるのだけれど、ムーンライダーズは東京原住民の心情を体現してきたバンドという意識がぼくにはある。

首都ではない東京。その海沿いの。

東京という地方で29年続いたローカルバンド、ムーンライダーズ。

東京以外で生活してきた人にはピンとこないかもしれない、東京の湾岸地帯の空気みたいなものを、渋谷百軒店の伝説をムーンライダーズに感じる。そんなぼくやぼくの友達が結構いたりするのだ。でもあの頃のあのあたりのあの空気を、今の言葉で語れる人はそんなに多くないかもしれない。

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25/05/05

カエターノ・ヴェローゾ東京公演

夕方近くになってきてなんだかめんどくさくなってきて行こうかどうか迷ってしまったのだが、とりあえず有楽町を目指す。むかし都庁があった東京フォーラム。ここでカエターノ・ヴェローゾの8年ぶりの日本公演が行われる。

到着は開演10分前。入り口には人がたくさんいて、それだけで「帰りたいなあ」という気になってきてしまうのだが、せっかく来たのだからということで、席につく。

開演時間に遅れること10分。緞帳があがりカエターノのつまびくギターの音が聞こえてきた。うむ。とりあえず見るぞ、聞くぞ。そう身構えたのだけれど、すぐに身体がやわらかく、心地よくなってきて、先ほどまでの不快感が溶けて流れていく。

とても気持ちよくて面白い。楽しい。まず、カエターノの声。オーバートーンも含んだ揺らぎ。これは天性のもので、「良い」ということは、はじめからわかっていたわけで驚くにあたらない。そのカエターノの声に絡む、それぞれ屹立した音。これらが、あまりに素晴しい。

ギター、ベース、チェロ、パーカッション、ドラム。超一流のミュージシャンたちによる、ボサノバ&ジャズを骨にしたブラジルポップスの王道。過剰な快楽で埋められた時間と音空間をどんどんそぎ落としていったのち、どこまでシンプルでかつ有機的な表現にたどりつけるのか。墨絵やわびさびの世界にも通じる音色の隙間。その隙間にあるのは、あまりにマニアックな狂気といってもいいサウンドのコラージュ。たっぷり二時間。「堪能した」という陳腐な表現が、今夜はとても正しい。8000円という値段は高くなかった。

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23/04/05

きっと20年後も 内里美香ライブ

コザ、モッズでの内里美香のライブ。内里は一皮向けた。

ここ3年ほど彼女のライブを機会あるたびに見ているのだけれど、久しぶりに見た彼女は、これまでのどこかおどおどしたパフォーマンスが影をひそめ、唄者として、エンタテイナーとして独り立ちしたような。ライブの一曲目を聴き、彼女がしゃべりはじめたときそう感じたぼくなのでありました。

友達や内輪の人間も来ていたという場の良さもあったかもしれない。しかし、そんな状況であったことを割り引いても、彼女のパフォーマンスはちゃんと観客に届いていた。

いま、思えばその兆候は昨年末、青山CAYで行われたよなは徹プレゼンツによる「カチャーシー・ア・ゴーゴー」のライブの時に現れていたのかも…。曲順を間違えて演奏後ひっこもうとした自分のボケにつっこんだ余裕。楽しませることは自分の地を出してしまえばいい。かっこつけていい娘ぶる必要もないということを知ったのだろうか。

もちろん素の自分自身に魅力がなければ客はついてこない。しかしながら彼女には表現者としての唄と三線の才能と人を魅了する育ちがあるわけで、それを素直に出して精進を続ければもっとよくなるとおせっかいながら思っていた。そして、今日の彼女はその次の段階に入ったと確信できたと感じたり。

伸びやかな歌声に磨きがかかり、その唄の持つ意味と情感をきちんと表現。MCも今まで以上に素直な等身大の彼女が現れていて好感が持てるものになっていた。

サポートの伊集タツヤのギターも彼女の唄と三線を殺さず、かつその隙間を紡ぐように心地よいもの。伊集の力量もあるだろうが、世代的に近いという気安さもあるのか、内里は、伊集の音を素直に信じていた。

マネージャーのビセマキ嬢もここのところの内里のライブの良さを確認しているようで、キャンパスのWebページの掲示板ではイベントや他の唄者とともに行われるライブだけでなく今夜のような単独でのライブを是非みてほしい。それだけの力量はついてきたと太鼓判をおしている。同感。

ステージであがってしまうことをステージフライトというが、ぼくのまわりの昔からの沖縄民謡好きの間では、ライブにおいて存在感が出てきたことを、「ステージタッチューした」などと勝手に言っているんですが、今夜のようにまさにステージタッチューした彼女は、これまで沖縄の音楽シーンに登場し、一時代を築いてきた女性唄者を超える資格を得たのではないか?。20年後、彼女はどんな評価を受けているのだろうか。それを見届けていきたいと思える今夜の出来だった、と。

内里美香(うちざとみか)の単独ライブ。沖縄民謡ファンだけでなく多くの音楽ファンにおすすめできる。オーラが立ったかな。

話は違うが5月半ばから今日のライブが行われたコザのモッズが北谷・美浜へ移るとのこと。話によるといろいろなことがあったらしいけれど、今の時代、美浜の方が商売としては良いのかもしれない。たいていコザにいるボクにとって美浜はちょっと行きづらくなる点が難ではあるけれど。

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22/04/05

PanaのPanali

panali.jpg4月20日に発売になった“クイヌパナ”改め“Pana”の『Panali』を聴いている。たまたまOTVでクリップを見て、新譜が出ることを知り購入したのだが、うん、かなり良いですね。

石垣島出身のクイヌパナは東京で活動したのち昨年石垣島に帰り“Pana”として再出発。2枚のシングルが好評でついにアルバムがリリースされたとのこと。

アルバムのつくりとしてカチャーシーを意識したというあたりテンポの速さと曲間のつなぎなど「連続カチャーシー」的といえなくもない。しかし、このアルバムで聴かれる音楽はどちらかといえば“沖縄アンダーグラウンド”的なアプローチに近い印象。

もっといえば、東南アジアの大都市の地下クラブで地元の子達を踊らせているローカル・ダンス・ミュージック。たとえば、ジョゲやダンドゥットからインスパイヤされたもの。そんな音楽の雰囲気を感じたり。

八重山民謡の“とぅまた節”以外、上原正吉の弟子川門正彦の作曲による作品で、彼の三線が全編にフューチャーされているあたり、2005年現在の石垣ロコミュージック、と呼べるかもしれない。件の“とぅまた節”にしてもしっかりとこのアルバムの色に染まっている。

八重山で育ち東京でデビューし八重山に帰って作り上げた2005年の音。それは彼女のひとつの方法論であって、その方法論は間違いではなかったと思う。次作が正念場となるんじゃなかろうか。

Panali=パナリ、というタイトルから新城島を連想するのが八重山好きだろうが、Panaの母親が新城島出身なのだそうだ。

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04/04/05

[019]三重城

よなは徹セカンドアルバム21世紀の「花風(はなふう)」。

みーぐしくにぬぶてぃ てぃきじむちゃぎりば
はやふにぬなれや ちゅみどぅみゆる

日本語訳:三重城に登り、お別れにてぬぐいを振っていたけれど、船足が速く一瞬しか見えなかった

といった歌詞ではじまる花風(はなふう)とは琉球舞踊の中の雑踊り(ぞうおどり)の名作。明治38年、那覇の芝居小屋で創作されたとされる。

三重城(みーぐしく)は現在、那覇の西町ロワジールホテル裏にその石垣の痕跡を残している。近くにあるのは沖縄電力の変電所やマンション、市内線バスのターミナルなど。しかしそれらはかつて海の中。

三重城は対岸(現在の那覇空港側)に作られた屋良座森城(やらざもりぐしく)とともに、琉球王朝時代、海中に飛び出した敵国船に対する要塞として、また交易船に乗った夫や恋人を送る舞台として存在していた。

よなはの「三重城」の歌詞も、別れの歌。まさに花風の世界だ。しかし、そこは21世紀を生きる歌者であるよなは徹のこと。琉球音階を薬味に美しい現代の恋歌に仕上げている。つまり昨今のJ-POPのひとつといわれても、こんな曲があってもいいんじゃないか、と思えるのだ。

もちろん、彼に対して現在の日本における売れ筋の音楽に対して媚びすぎではないかといった意見があることも承知している。

しかし、考えて見ほしい。よなは徹という沖縄の若者は琉球古典芸能の継承者であり沖縄民謡の唄者であるだけでなく、20世紀末から21世紀の情報革命時代を生きてきたウチナンチューでもあるのだ。この「三重城」はそんな彼の等身大の姿を表しているのではないかとぼくはおもっている。

先日東京に戻る日、三重城を久しぶりに訪れた。漫湖の河口に面したそここに作られた拝所(うがん)の前には、おじい、おばあの姿が。人工の城(ぐすく)も年月を重ねることで聖地となる。いや、聖地とは人類の意思と情念が篭った場所なのだということを改めて確認できた。

彼のセカンドアルバムである“三味連りてぃ(チャミチリティ) ”に収められたこの曲も21世紀の三重城の物語となる可能性を秘めている。

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03/04/05

[018]恋語れー

名護良一『沖縄の民謡』嘉手苅林昌未CD化音源を集めた『ジルー』は、彼のデビューSP盤「恋語れ節/なすび節」が一曲目、二曲目である。当然この曲順は構成・解説などを行った小浜司氏や監修のビセカツ氏による嘉手苅林昌のレコーディング史を意識してのねらいだろう。

「恋語れー」はこの「恋語れ節」から派生。両曲(実際は同じ曲といっていい)とも、嘉手苅林昌の十八番であるだけでなく、さまざまな歌者による名演も残る。ポピュラーミュージックとしての琉球民謡史に輝く名曲であるといって、間違いない。

嘉手苅林昌のほか、大城美佐子、照屋寛徳など名演は数多いけれど、名護良一『沖縄の民謡』の一曲目に収録されたこの「恋語れー」は、その端整な歌い口と三線に、しのぶ恋の、つらさとちゅらさが重なる。三線によるリフレインする演奏とサビの収束形はことのほか美しい。

ところでこの「恋語れ節」と「恋語れー」。今多く耳にする歌詞の世界は、基本的に、しのぶ恋の世界である。「門の前」という歌詞からすれば遊女(ジュリ)が恋する男を待つ歌なのかもしれない。どちらにしてもテーマは時ならぬ秘めた恋。一方で嘉手苅林昌のジルーに収録された「恋語れ節」の歌詞は年老いた男の恋の思い出や若い嫁をもらったことでの気恥ずかしさや悩みが歌われている。

沖縄民謡は歌者によって歌詞はどんどん変えられていく。そのため珍しいことではないが、その時の歌者の感覚や時代背景などが如実に反映されていくことも少なくない。もちろん、「おもいつき」の一言で片付けられることも多々あるのだけれど。

とにかくも我々にとって幸せなことに、沖縄民謡を代表する著名な曲だけあって、CDで購入するのも容易である。

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01/04/05

[017]涙は悲しみだけで、出来てるんじゃない

最後の晩餐サビの歌詞には、世の中のことがだいたいわかってきたいまのぼくにも、うなずいてしまう力がある。

実はこの曲が入ったアルバム『最後の晩餐』が発売された頃、自分の心の中には、歌詞とは違って、すでにこの地球上で自分にとって、ステキな、至高のビーチが存在していた

それは、その頃はビーチというより「はま」といった方がよかったのだけれど、沖縄本島中部は具志川市(当時)にあった「宇堅の浜」。

北東を向いたこの浜のどこが至高の存在なのか?。それを明確に語ることは、ビーチ好きの人間に話すことさえ、とても難しい。それでも、今でも、ぼくは、あの頃の「宇堅の浜」はぼくにとって一番の場所だと思っている。

透明度だけはとんでもなく素晴らしい、なんでもない浜なのだけれど、海に向かうと左手に石川の町並み、左斜めに金武の町並み、右斜めに伊計島、右手に沖縄電力の火力発電所が見える碧く輝く絵にかいたような海。恵みの海、金武湾が作り出した自然の絶景だ。

はるか昔、この水平線上には日本本土からやってきた船団の姿があっただろうなどと夏の夕方の気持ちよい沖縄の風をうけて感じたあの頃。

こういったものがすべてひとつになり、ぼくにとっての至高の浜となっていた。

しかし、すでにこの「宇堅の浜」は<宇堅ビーチ>となった。

政府や県から大量のおかねが投入された結果、人工の砂をいれ、監視員がしっかりつき、お手洗いもシャワー施設もあたりまえに完備された、ふつうにキレイなビーチに生まれ変わった。これはこれで喜ばしいことなのだと思う。

でも、この曲で歌われたころ、素敵なビーチを知らなくても自分だけが大切にしたい「はま」が、海を見ることができる人なら誰にでもあったんじゃ