いまさら 矢野顕子 『akiko』 が 良い アルバム で ある こと を

Akiko音楽に「良い、悪い」の区分けは意味がない。

聴く側の趣味や経験、嗜好、育ちや情報取捨選択能力の違いによって聴く音楽聴かない音楽が分かれるからだ。

百歩譲って、音楽を「好き、嫌い」で分けることは可能かもしれない。もしくは「好きか、知らないか」。どちらにせよ聴く側の個人的な問題だ。

だけれど、矢野顕子の『akiko』はこの世に「良い音楽」というものが存在するとすれば、間違いなくそのひとつであるといってよいのではないだろうか。

誰もまねの出来ない矢野顕子のオンリーワンの歌声、そして奔放かつ繊細に紡がれるピアノ。ポピュラーミュージックを知り尽くしたウエストコーストのミュージシャンたちによる力強く、引き際を抑えた演奏。それらをまとめあげるT・ボーン・バーネットのプロデューシング。

音楽好きにとってはこれらの情報だけで一聴に値するアルバムであるということが理解されるが、環境、年齢、経済的な問題で広大な音楽の世界のほんのほんの一部分にしがみついている多くの人たち、とくに若年齢の人たちに音楽を聴く喜び、そして、音楽の豊かさ、深さを感じてもらうには格好の作品であるといえる。

くしくもネット上で矢野顕子本人のこのアルバムに関するインタビュービデオが配信されていたので眺めていたが、「いまの巷にあふれる音楽しか聴かない人に聴いてほしい」といったことをいっていたが、まさにそうだろう。

打ち込みを一切使わない生演奏によるこのアルバム。

唄、もしくはピアノ、ベース、ドラムスなど機械を使わず人間の演奏能力で奏でられる、どれかの楽器に注目して耳を澄ませてみればわたしのいう「良い」の意味がわかるのではないだろうか。そのひとつひとつの音色と演奏が有機的に絡まりあいひとつの音楽の世界を構築しているということが。聴いていけば背筋に何かが走る瞬間が必ずあるはず。たぶん、それがあなたの好きな本当な音であり音楽世界への扉なのだ。

嫌いな人も、知らない人もいるかと思うが、なんどでもいう。このアルバムは「良い」。それぞれが本当に好きな音を、それぞれに知らせてくれるという意味でも。

できれば品質のよいオーディオ装置で聴きたいところだがiPodなどでもわたしのいうことはよく分かるかと思われる。

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Halfnelson のデビューアルバムを久々に聴く

Imgd31cb2a1zik0zjたぶんこないだ友達と話してて後身バンドの話題が出たり、最近やはりその後身バンドが来日したなんてこともトリガーだったのかもしれないが、基本的にはいつもの気の迷いであることは、ほとんど間違いではない。

Wikiによると1971年のアルバムとなっているので、計算すると38年ほど前に発売されたことになるわけだが、個人的にはそんな前だったろうかと一瞬ボーっとしてしまった。

個人史を遡ればLittle Featとか、Ry Cooderのアルバムからのフレーズを口ずさみながら、渋谷の荒んだ路地を半ズボンでうろつき回っていた頃となるわけだが、so whatではある。たぶん、Todd Rundgren好きの俺の好みを知っていたあの店の福島出身のお兄さんが、かけてくれたのかもしれない。

わかりやすいガキだった俺は「Slowboat」とかがお気に入りだったというなんつーか、まあねえ、という塩梅。Alice Cooperがカヴァーした「(No More)Mr.Nice Guys」はなんだったかすっかり忘れたけれどこの頃の日本の歌謡曲のなんとかって曲にパクられてたように記憶するけど、ほんとなんだかすっかり忘れてる。

このアルバムはBearsvilleから発売されたわけだが、そのきっかけとなったのがTodd Rundgrenで、なおかつプロデュースもTodd。いわゆる「Toddのいい仕事」の一枚となるのだろうか。でもなあ、売れなかったんだろうね、このアルバム。あの当時のアメリカ西海岸でこの音づくりが理解されるにはちょっと早い。もちろんアメリカ全土でも。ヘンタイのToddにみそめられたアルビオン(英国)かぶれのヘンタイ兄弟のデビューアルバムなんだから。ということで調べてみたら案の定ぜんぜん売れてない(笑)。

なもので、Halfnelsonというバンドはこの一枚で終わり。レコード会社からバンド改名のお達しが。そこで、この兄弟の兄貴の方が生やしてたちょび髭がGroucho Marx(またまた俺が入れ込んだアメリカ人。超うざくて最高)に似ていたことから、Marx Brothers→Sparks Brothers→長ったらしいから→Sparksとなる。で、改名して再び同じアルバムをSparks名義のSparksというアルバムとして発売したらそこそこ売れたということらしい。たぶんこれが1972年だろう。時代が少し追いついてきたのか?

つまり、かのSparksの実質的ファーストアルバムを本当に久しぶりに聴いたということでありました。

さて21世紀の今、聴いてみた結果なんだけれど「あ、このあたり、ほんとToddだな」という音作りは確かにあるので、そりゃすぐには売れないだろうという印象。名義変更で発売したらそこそこ売れたというのは、まあ、そういうことなんだろうか。熟成必須?だけど、それ以上に気になったのが時代への迎合というか売れ筋狙いの欲というか、そんなものはポピュラーミュージックにはあってあたりまえなのだけれど、それが聴いていて気分よさげにウザイ。このあたりのちょっとガツガツした香りが、ヒットの構図とはやはりズレたんだろうな、と。そんな印象。

もちろんその後の曲者とかヘンタイとかマニアックとか、いまでいうオタクとか偏屈とかいわれ続けているSparksのその後の世界の片鱗を拝めるアルバムではあるのかもしれない。

ああ、朝があけてしまったけど、結構、なんだかちょっとイヤなかんじではある。やはりSparks(笑)

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伊仙町のシマウタCD 『伊仙町シマジマぬ唄』 素晴らしすぎるのだが…

Woshite_4徳之島の友人たちが関わった新しい徳之島のシマ唄CDが完成して、聴く機会があった。

内容は徳之島の伊仙町で唄われて来たシマウタなのだが、これまでCD化されていなかった曲や長すぎて一部はしょられ短縮ヴァージョンのみであった曲が全歌詞を唄ったヴァージョンで入るなど、南西諸島のシマウタを愛する人にとってだけでなく音楽好きにとっては狂喜乱舞の内容といってよいだろう。

さらにシマグチによる歌詞カードおよび日本語訳もついている。これを素晴らしいといわずして何を素晴らしいというのだろう。関係者の努力に拍手を送りたい。

とにかくこのCDは学術的価値が高いだけなく徳之島という島を多くの人に理解してもらうきっかけのひとつとなりえる出来栄えである。

知っている人には釈迦に説法だが、徳之島は南西諸島に残る琉球文化と本土文化の緩衝地帯に存在する地域でありその文化状況におけるウタという側面から、かつ、葬送唄、呪い唄などが残り日本列島弧に居住する人々の心象風景や習俗を知る上で民族音楽研究者にとって=日本人にとって、もっとも興味深いシマウタを残す島のひとつである。加えて、徳之島のシマウタはこれまでCDだけでなくカセットで手に入れられるものも少なかった。つまり徳之島在住者、関係者以外、徳之島のシマウタを聴く機会は限られていたいってよいだろう。

お隣りの奄美大島ではシマウタのCDがあれだけ多く発売され元ちさとなど多くのシマウタ出身の歌手をポピュラーミュージックの世界に輩出している。喜界島もそうだ。確かに沖永良部や与論のシマウタCDは少ないがこちらはほぼ琉球文化圏といってよく、本土の文化と琉球文化がいまだにせめぎ合う徳之島のCDがなぜ少ないのかと個人的に解せなかったのだが、そういったとにかく「ものがない」現在の状況に、このCDが登場してきたことを貴重といわずして何を貴重といえばいいのだろう。そういうことだ。

ただし、である。ここが大きな問題点なのだが、このCD。伊仙町が請け負った文化庁事業で作られたため一般には販売されていない。よって徳之島在住者および親族や知人が徳之島にいる人間以外、今月作られたものであるにも関わらず入手困難と思われる。誠に残念なことだ。

本来、国家の事業というものは国民から徴収した国税でまかなわれているわけなので、その成果が一般国民に供されてしかりと考えられるのがまっとおだろうが、このCDに関してはいろいろと複雑な問題があるらしい。落胆せざるをえないが、えてして世の中こういうものではある。が、こういった行政との関わりあたりにも徳之島のシマウタが世に知られていないひとつの理由があるのではないか、と愚考するわたしだ。

本当はこの文章の中に、収録された曲のタイトルや一曲一曲個別に私の感想なりを書いてもよかったのだが、世界のほとんどの人が手にできないCDについて詳しく書くというのは、明らかに選民思想であり、かつ、余計な誤解を生むもととなるかもしれないので、今回はひかえることとした。できれば、このCDについてのより詳しい検討結果を書いてみたいのだが、それは未来への課題としよう。

宝は眠っているうちが華ということだろうか。それもひとつの見識であることは否定しないのだが。

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リオのカーニバルに関すること。

いま聞いたんだけど、今年のリオのカーニバルの優勝チームはサルゲイロ(柳?)といって、私が敬愛する世界のアタカンテ4人のうちのブラジウ人ふたり。ホマーリオ、エジムンド(ちなみにもう二人は、マラドーナと釜本)が応援するチームで、しかも、16年ぶりだったんだそうな。

見てねえんだけれど、話によると、太鼓の歴史、みたいなのをテーマにしたらしい。

話を聞いた人間は現地にいっていた友達から、その優勝チーム、サルゲイロのTシャツとか買ったらしい。これはこれで意味があると思うぞ。

ジーコの応援する青いところ(ベイジャフロール)は今年は2位で連覇ならず。なので、やっぱ鹿島は今年優勝できねえと思う。


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南西諸島の「口説」

ぼんやり長年の音楽ストックをiTunesで聞いていたら、八重山の「念仏口説」と徳之島の「前原口説」や「全島口説」の節(メロディ)が同じことに気がついた。

加えて八重山の「黒島口説」も同じ節である。

もっといえば、沖縄に残る「口説」という名称がついた唄のそのほとんどが、同じメロディ。大宜味口説なども。

これは口説に共通する節=メロディラインなのか?

徳之島で活動する知人の学芸員がこんなことをいっていた。

「(徳之島の)「全島口説」に唄われている地名の順番はその当時の各集落を結ぶ道の順番ではないか」

八重山の竹富島には徳之島から移住した人々が作った集落がある。

南西諸島の「口説」は沖縄民謡(というか沖縄の三線)を練習する人にとって、最初の難関だという話もあるが。

現代のラップにも通ずるこの「口説」というものについて、多くの識者が様々な論説を述べているが、どのような経路を伝ってこのメロディラインが伝わったのだろう。

知っている方は教えてください。


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いまさらだが無駄な抵抗はやめてとにかく聴くことです 大城美佐子『唄ウムイ』

 大城美佐子『唄ウムイ』沖縄で私が一番入り浸っている集落生まれかつ在住の名護良一さん(一応知ってるので「さん」づけ(笑)。以下略)が参加して唄っているという理由で昨年購入したのだけど、いやはや、すいませんでした。大城美佐子はホンモノのバケモノ(ほめ言葉です)だったわけで。

おかげで発売当日に買って以来いままで、このアルバムについて文章を綴るという作業に入れなかったのでした。

大城美佐子、1997年の名盤『絹糸声』以来10年振りの新録とか、売れっ子のエンジニア上原キコウが沖縄に帰って初めて手がけた島唄録音盤とか、知名定男、名護良一の参加といったうたい文句は、どうでもよくなってしまう、大城美佐子渾身の全14曲。

個人的には細野晴臣『FLYING SAUCER 1947』とともに、2007年ベストアルバムのツートップ。

とにかく、大城のその声。ゐなぐかでかる、と呼ばれていた頃の美しい高音は望むべくもないが、年齢相応に変容した艶となめらかさ。豊潤の凄み。

大城美佐子ここにあり。

参加している、知名や名護も快演を聴かせる。贅沢な音だ。

同時に、今回、彼女の声をCDに定着させた上原キコウの仕事も特筆してよい。

これまでの沖縄民謡関連のアルバムには感じられなかった、丁寧なサウンド処理がなされ、大城の歌声と三線が、スピーカーの前にくっきりと像を現す。

名うてのエンジニアとホンモノの唄者が作り上げた、沖縄民謡や島唄といった範疇を超えた快作。


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ムーンライダーズ新曲「Tokyo, Round & Round」 ミーハーの権化たる東京者を表現した!?

Trr半島の将軍様ご逝去情報解禁か?という話がネットを駆け回った本日、ムーンライダーズの新曲「Tokyo, Round & Round」のネット配信がスタート。作詞:鈴木慶一、作曲:岡田徹。

iTunes Storeで曲を買ったのは2年ほど前。買い方を忘れていたため、ちょっと悩む。検索してクリックしてパスワードいれたりしながらなんとかダウンロード。150円也。

とりあえず10回ほど聴いてみたが、やはりキャッチーもしくはポピュラリティーという観点からするとあまりに渋い。まあ、いつものことである。

しかしなのだ。

ムーンライダーズ名義の曲において、ここまでTOKYOを意識した曲がこれまで、あったのだろうか。ない、と思う。

だいたい、ムーンライダーズの曲のタイトルに「TOKYO」もしくは「東京」という言葉が使われたのは、読みは「トキオ」だが、最後の晩餐の「Come sta,tokyo?」。映画「Tokyo Godfathers」のオリジナルサウンドトラックアルバムに入った「東京ゴッドファーザーズ」以外ないはずだ。

ムーンライダーズは、何を、突然、思ったんだろうか(笑)。

しょっぱなの「すべては ぶさいくに はじまる それが よくにあってる」という歌詞に、昭和30年代から東京をウロツイテいた私は、思わずうなずいてしまった。

蒲田から羽田空港方面沿線あたりに特化した『Romeo, Juliet & Frankenstein』は鈴木兄弟によるThe SUZUKI名義だったし、『火の玉ボーイ』は鈴木慶一とムーンライダーズ名義。

今回『Tokyo, Round & Round』ではその範囲を大きく広げて東京23区ぐらいには広がっていると考えるといいと思う。だからムーンライダーズなのか?

繁華街(ふ、古い言葉だ)で、小さな公園で、信号待ちの交差点で、あちらこちらの坂道と、川筋のまっすぐ伸びたアスファルトの中で生きてきた男の成れの果てという楽しい現実。

甘いのだけれど、抑揚のない灰色のメロディーラインにはアスファルトに生えるネオンや看板のお花畑を思い浮かべるのは私だけではないはず。

歌詞の中に何度か出てくる「黒い鳥」は、『青空百景』の「アケガラス」のことだろうか。灰色の明け方、カルシューム入りの半透明ゴミ袋に群がる黒い鳥たち。

すべてのことが、不細工に、そしてミーハーにはじまる不思議な街、東京。そしてそれは螺旋を描いてぐるぐるぐる時代を巡る。まるでメリーゴーラウンドのように。Wonderland Round & Round。ワンダーランド東京。

もっとも、今はこんな説明がつくくらい歳を喰ってしまった自分をせせ笑う自分がこうやって文章を書いていたりするという、そういった、なんとも忘れたいようなはずかしさについても、ニタニタできてしまう私がいる。

とりあえずこの文章が分からない人は東京23区と同じ数の23回ぐらい、この曲をリピートして聴くと、私の言っていることがわかるかもしれませんです。はい。

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祝 鈴木慶一 『ヘイト船長とラヴ航海士』 日本レコード大賞優秀アルバム賞に

いまさら日本レコード大賞といわれてもという話もあるはある。タイトルの「祝」には、「!」と「?」をつけたい気もあった、いまだ、流されないぞ(大笑)とつっぱる自分がいるのだけれど、「もういいかげん、そういうのもいいんじゃない?」と、5秒ほど立ち止まって熟考した。

とりあえず遅れてきたけれど、もう少しだけ大人になろう(苦笑)。なので、心から御目出度いこととして慶びたい。

本年の日本の音楽界にあっても、もちろん私にとっても『ヘイト船長とラヴ航海士』は最高傑作であることは、間違いないのだから、これでいいのだ。と、下落合風。


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1980・2・23 リサイタル―MODERN MUSICの彼方

 おぼろげにたぶん見てたんだろうと、発売の告知が出たときに思ったのだけれど、一曲目、スパークリング・ジェントルメンのせわしないドラムの音で確信に変わった。グジャグジャなバイオリンとギター。しゃくりあげる慶一選手のボーカル。

 ああ、行ったな。芝の厚生年金会館だ。

 続けて、2曲目いとこ同士は、ポップグループに通じるそれへと変容していた。あの時代の波をライブで爆発させていたことは間違いない。

 「Modern Musicの向こうに東京が見える」。

 背中が痒いフレーズだろう。それでも30年近くの月日が過ぎた21世紀の今、この音を聴くことに何か意味があるのかもしれない。そう思う。

 「NOUVELLES VAGUES」と「モダン・ミュージック」からの曲を中心に、それ以前のアルバムからちょろちょろと。

 しかし、そのほとんどが、このライブの記録ではオリジナルアルバムとは異なる音にすげかえられている。演奏やアレンジも当然だが、ことに音色が違う。ここはポイントだ。

 21世紀の今、個人的に、とくにNOUVELLES VAGUESからの曲については、このアルバムの演奏の方にシンパシーを感じてしまうのは、俺も、どっぷり「あの時代の波」に翻弄され、価値観を変容させられてきたということがあるのかもしれない。

 「あの時代の波」=ニューウエイブと呼ばれた、全世界的なポップミュージックの波は、様々な価値観を大きく変えたのだ。

 ムーンライダーズは、はちみつぱいと鈴木慶一の趣味が、混ぜこぜになったところに立脚点を置いていた。つまりはっぴえんど以来の「日本語のロック」の延長線上にあったといえるだろう。

 真っ当にいけば、そのまま、アメリカンロックやパブロック的な流れのバンドになっていたかもしれない。もしくは後に登場するシネマのようなブリッティシュ風味の方向に流れていったはずだ。

 しかし、この時、ムーンライダーズはパンク、ニューウェイブという「あの時代の波」に、乗っていったことで大きく変容を迎えた。

 マスメディアにおいて喧伝される方向ではなく、あくまで世界のポップミュージックシーンに飢え、そこからあらゆることを吸収、咀嚼し、表現へと変容させていく手段。あまりに東京的といえるミーハーものの権化。

 と、ここまで書いたけれど、基本的にこのライブアルバムで聴ける音は「あの時代の波」へダイブしたものではあったけれど、「あの時代の波」以前の「日本語のロック」時代、もっと遡れば、中津川フォークジャンボリー以来のフォーク的ライブ表現にも通じる。ことに慶一氏の説明的かつ親切なMCに、まだまだ手探りの表現形態だったということが確認できるのではないか。

 いや、はっきりいえば、NOUVELLES VAGUES、モダン・ミュージックというアルバムも今聴けば、まだまだ、「日本語のロック」の流れに数えてもいいアルバムといえるかもしれない。ムーンライダーズは思いっきり「あの時代の波」にかぶれてはいたが、やはり、正統的な「日本語のロック」の流れにも乗っていた。

 心身共に「あの時代の波」に乗ったのは、この年の夏、夏に出すにはあまりに暑苦しすぎると感じた「カメラ=万年筆」まで待たねばならなかった。

 そういったムーンライダーズのまさに転換点、真っ只中のライブアルバムの登場。日本のポップミュージックの記録しても貴重だ。

 それにしても、ムーンライダーズは、ここのところ、過去のライブCDやDVDを立て続けに出している。商売として成り立つからという理由はあるだろうが、それ以上に昔からのファンにとって、そして新しいファンにとっても、新しい引き出しが増えていくことが非常に好ましい。

 できうれば、モダン・ミュージックまでのムーンライダーズのアルバムと各曲を聴き比べてみてほしい。俺がここまで書いたことに納得してもらえるのではないだろうか。

 実際ライブで行われた時とは曲順が違うのだが、このアルバムの最後の3曲。火の玉ボーイ、マスカット・ココナッツ・バナナ・メロン、センチメンタル通り。どれも名曲なのだが、ここで聴ける音は、『あの時代の「新しい」波』に乗って彼岸へ渡ろうとしていたムーンライダーズの姿が垣間見える。

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Neil Youngの新譜。Chrome Dreams II

 ニールヤングは基本としてシンガーソングライター+ダウントーアースなスワンプ系ロックがコアにあることは間違いないと思うのだけれど、時々思い立ったように、クレイジーホースに騎乗して、その辺を走り回って遊んだり、旅したりする。そして何かの拍子で雷に打たれ凶暴な轟音軍団へと変身しあたりを蹴散らして走り去っていき、ちょっとすると何もいわなくても戻ってくる。

 あの頃はまだ轟音軍団は組織化されていなかったけれど、その自由な変わり身の早さと節操のなさが、10代の頃の俺の評価だったわけだ。ニール・ヤングはいい迷惑だろうけどね。

 それでも、端正なファーストアルバムのあとセカンドアルバムが、クレイジーホース名義になり、エレクトリックギターばりばりの突発性変身を遂げたかと思ったら、サードアルバムがアコースティックな名盤【After the Gold Rush】。パラノイアか?と思ったものだ。

 その後もアコースティックギター中心のアルバムや、カントリーだったりアメリカ演歌路線の合間に、【Weld】なんていう轟音洪水アルバムを出したりするという、まったくもって読めないおっさんであるわけで、俺の感想はそんなに間違いではないと思う。

 で10代の頃から、今まで、何度かすっかり忘れていたこともあったけれど、ほとんどのアルバムを聴いてきたおれが最近改めてニールヤングがなぜ好きなのか自問自答してみた。

 いろいろいいわけじみた言葉を長々と羅列することは可能だけれど、ひとことでいってしまえば、「クレージホースとやったアルバムがかなり好きだよー」。

 いや、もちろん【After the Gold Rush】やら【Harvest】、【Tonight the night】など初期のアコースティックな名盤は文句はないし死ぬほど聴いた。確かに聴いた。このあたりのアルバムの曲はコピーもしてつまびいたりもした。

 しかし、やはり俺にとってのニールヤングの凄みは、クレージーホースと対峙した時に沸点に達するんじゃなかろうかというのが結論だ。

 名曲「See the sky about rain」が入った【On the Beach】のあとに再び突発的に登場した【ZUMA】が次の轟音系。「Coltes the Killer」には痺れた。妙ちくりんなジャケットにも頭が真っ白になった。

 おめえはパンクじじいか?と疑問をもたげた【Rust Never Sleeps】や【Weld】なんざセックス・ピストルズより強烈だった。びっくりしたよ。なんだ?このカナダ人?本当にそう思った。

 最近では、架空の町での出来事を唄った【Greendale】。同梱DVDの映像もかっこいいし、とくに一曲目の「Falling from above」はフェヴァリットトラック。ツブレタ、ギターサウンドと、煤けたドラムの音がいかしてる。今風にいえばヤバイというやつか。

 ことかようにクレイジーホースと作り上げたロックアルバム、今の言葉でいうとオルタナティブな音楽が俺のニールヤング好きのかなりな面をしめていることを再確認したのだ。

 今年、フィルモア・イーストでのかつてのライブを収録した歪んだ音のアルバムを出したりしたが、この10月、市場に登場したのが【Chrome Dreams II】。【Chrome Dreams】と聞いたら黙っていられない。

 かつてお蔵になったwithクレージーホースとのアルバム【Chrome Dreams】の次ってことだ。【Chrome Dreams】自体は発売されなかったけれど、【American Stars N Bars】というアルバムのB面として1988年にリリースされている。Weldでも暴発している名曲「Like A Hurricane」なども入って今でも聴き応えがあるアルバムじゃないかと思ったりしている。

 そんなこんなで今回の【Chrome Dreams II】。【American Stars N Bars】 当時の3曲+新曲7曲を加えたのがこのアルバムだ。

 全曲爺さん系オルタナティブ全開で必聴決定だ。中でもついに日の目をみた幻の名曲といわれる「Ordinary People」 。ローリグストーン誌のWebでも視聴することが出来たが、こいつはいけてた。


 とにかくこのアルバムはロックとかオルタナティブが好物の人間なら買ってみて失敗したと思うことはまずないだろう。ついでに、当然だが「American Stars N Bars」 も聴いてないなら買いたい。

 そしてやはり轟音系といえば【Weld】と続編である【Arc】というライブアルバム。とくに後者は30数分ぶっつづけ。あきれた。確か、おれの場合、【Weld】を買ったら【Arc】付だったように思うが記憶違いだろうか? もらったのかもしれない。

 まあ、それはどうでもいいとして、とにかく、今回のアルバム。グランジ系へもつながるニールヤング&クレージーホースの面目躍如。オルタナティブ全開のロックだ。【Weld】の爆走まではいかないが、よりタイトに緻密に音楽の彼岸をいったりきたりしている。

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[22] Alison ロージーとアリソン 2

1977年。ぼくは大学のカフェテリアでアリソンに出会う。少し大人になりかけていて、たぶん一日に28分ぐらいは、相手のことを考えられるようにはなっていた。つまり、Elvis Costelloのデビューアルバム「My Aim is True」の「Alison」を一日に8回ぐらい聴いていた計算だ。

久しぶりにあったかつての彼女。彼女は人妻になっていた。その彼女への愛を、せつせつ…。

いやまてよ。英語や英語圏文化にメンドクサイぐらい執着する大学だったおかげか、エルビス・コステロ、デクラン・マクマナスという本名からスコットランドかアイルランドにルーツを持つことになんとなく感づく。スコットランドやアイルランドといえば偏屈で理屈っぽくてマニアックの代名詞であるという偏見があるけれど、その頃はまさにそう思っていたわけで(今もあまり間違いじゃないと思われる)この歌詞、まともなわきゃねえだろ、とかんぐった。

それになんといってもエルビス・コステロである。難解な歌詞にはダブルミーニング、皮肉といった罠が散りばめられている。

よくよく読んでも、唄ってもわけがわからない。とくにサビ。そこまでの続きで相手のことをおもんばかって愛を語っているようにも思えるのだが、そんなふりして、実はそんな彼女を殺してしまいたいという狂気をはらんだ歌詞のようにも見える。どんな真(まこと)なのだろうか?この男がいう真実って。今でも答えは保留のまま。

殺してしまいほどまだ愛しているということなんだろうか。この世が君を殺していることを「知っている」男。現代だとストーカーじゃないか? たぶんどうとでもとってくれとコステロは答えを出していないのじゃないだろうか。ボブ・ディランと違う手法で答えを時代という風の中に放り出したままなのか。

そんな偏頭痛の塊のような歌詞を甘いメロディが包む。甘すぎだろ。その甘さと歌詞の苦味で調和をとろうとした?などと、妄想をめぐらせるくらい少なくともみんな自由だ。

「My aim is True」とは、まだ、いえない。たぶんそれはこの世とバイバイするときのために誰でもが残しているのかもしれないし、いう必要もないのかもしれない。

やっとロージーから、アリソンぐらいのことは分かってきたんだろうか。


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[21] Rosie ロージーとアリソン 1

中学生の頃は誰でも背伸びをして未知の扉をひとつひとつ開けては、この世の中がすべてわかったように錯覚できるという特権を有している。もちろんいい大人になってこの特権をふりかざしてはいけないけれど、幸せなことに、大人には懐かしむという、ささやかな悦びは許されている。はずだ。

ロージー。名前から勝手に想像をめぐらすと、ソバカスいっぱいの栗毛のミツアミ。ビーバーみたいな矯正中の前歯をみせてニカッと笑う気のいいアメリカ人の女の子で、白いワンピースのすそからちょっとシミーズがみえてる。いつもおばあちゃんに買ってもらったバービー人形を抱えてるおませさん。

でも1973年に出会ったそのロージーは、月明かりのなか窓辺にこしかけた僕が生まれたときから愛することになっていて、死ぬまで愛せると思える、そんなひとだった。もちろんこれだけ恋焦がれているということは、恋は成就していない。彼女はぼくをじらしてじらしてじらしまくる。どうやって口説き落とせばいいのか見当もつかない。

断っておくけれど上の赤面ものの文章はTom WaitsのデビューアルバムClosing Timeの一曲「Rosie」の歌詞からの引用。ただぼくが1973年、中学生の頃、この曲に出会ったということだけは少なくとも歴史の教科書に載っても間違いではない(ただし掲載される必要はない)。

この「Rosie」を聴き終わったあと、次の「Lonly」がはじまるまでのほんの数秒間、ターンテーブルの針のシャリシャリする音が、永遠に続きそうな焦燥感を醸していたように思えた中学時代。めいっぱい背伸びをしていたけれど、大人のうしろ姿はまだまだ遠い未来にあって、もちろんロージーのことなんてこれっぽちもわかっちゃいなかった。

悲しいかな、いまやTom Waitsの「Rosie」をほぼ理解できてしまう。「ぼく」の気持ちも。「Rosie」の気持ちも。40%くらいの甘酸っぱさとともに。もしかしたら、この気恥ずかしさが懐かしくて繰り返して聴いているのかもしれない。

まだアリソンにはあってなかった頃のことだから。

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Fuzzy Warbles Collector's Album 商売。商売。

Andy Partridgeという英国の人がいてガキの頃はモンキーズのファンでファンジン(ファン雑誌)などを作っていたりしたらしいのだが、そういうあたりで知り合った奴らとバンドを作って、パンクムーブメント華やかなりしころ、メジャーデビューした。

XTCというバンドだ。

パンクっぽい流れからニューウエーヴ方面の旗手としてもてはやされ、ちょっと知的系のバンドに多い、ライブ拒否を経て、スタジオレコーディングを中心とした活動に突入。それなりの枚数のアルバムを出している。

個人的には、『スカイラーキング』とか『Oranges & Lemons』、Dukes Of Stratosphearという別名義のバンド名で発売した『Chips From The Chocolate Fireball』なんてアルバムをとくに好んで聴いたりしていた。

ムーンライダーズなんかとも親交があったりして、ムーンライダーズの『最後の晩餐』ってアルバムでは、メンバー紹介の声なんぞで参加したりもしている。

で、このAndyさん、21世紀になって、ガキの頃から今まで、自宅録音した数々の音源を次から次へとCD化してリリースしはじめた。『Fuzzy Warbles - The Demo Archives』というシリーズで、なんだかんだで、結局、計8枚もだしてやんの。

こっちとしてはいくら好きだといっても、そこまでつきあえねえなあということで、1枚目と2枚目を買ったところで、値段が下がったら買おうっと、というランクに落ち着いた。聞いた話によるとXTC時代からの熱心なファンの間でも最近のAndyは結構あこぎな商売してるんじゃねえか?という話が出たりしていたらしい(伝聞)。


ところがですよ。ちょっと前に、Andyさん、この『Fuzzy Warbles - The Demo Archives』8枚にボーナスな一枚を加えた9枚組のボックスセットを発売したのです。名称も『COLLECTOR'S ALBUM』ときました。商売、商売。

で、こちとらどうしたか?。ええ、買いましたよ。残り6枚+ボーナス盤にかかる金と、残り6枚をバラ買いしてボーナス盤が聴けないという状況を天秤にしたら、どう考えても前者の方がお得かなと思ったので。Vol.1とVol.2はかぶってしまうけれどね。

しかし、すでに8枚買い続けたファンの人はどうしたのだろうか?。9枚目のボーナス盤欲しさのためにこのBOXセットに転んだんだろうか?。いや、たぶん転んだのだろう。「商売こきやがって」などと悪態つきつつ。笑いながら。

やはり、好きなものは金じゃないのかな。ファンってありがたい。

で、かなり前に買って、あまりの暑さにぼーっとしてたので、やっと封を切って聴いてみました。

そしたら、7枚目がCDプレーヤーで聴けない。ACC化をしてみたら最後の曲だけが変換不能。で、盤面をよーく見たら、あらら、接着剤と思しき塊がCDの盤面に盛り上がっている。これでは、聴けないぞ。ま、いっか。とりあえず、買ったところに話だけはしてみるけれど、かなり前だから、どうなるやら。

ということで、Vol.7の19曲目「Open A Can of Human Beans」(洒落かよ?)。どっかで聴けないもんですかね?旦那?


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耳切坊主 『Suzy』

さて、去った(うちなー的表現ね)6月27日に沖縄で先行発売されていた耳切坊主の新譜『Suzy』。本日、2007年7月25日、目出度く本土発売日を迎えたのでありました。

発売日に入手していたので、とっととエントリーに書こうかと思ったんだけれど、やっぱ、ニッポンのみんなが無理なく買えるようになった頃の方がいいんじゃねーか?と自問自答して、今日になったというわけで。

沖縄の若人(わこうど)バンドは数々あれど、おいらが現状新譜が出たらとにかく常に買っておこうという気になるのは、「MONGOL 800」と、この「耳切坊主」。(MONGOL 800 はちょっとパンク入ってるけどね)

サウンド的には、ほんと、20世紀後半のニューウェイブ、ネオアコの頃によく使われた「いなたい」という四文字がぴったりくる。そ、そっ、きざみまくる、あんな感じのギターサウンドがコア。

そこに妙ちくりんなキーボードなんかも絡んでくる。ドラムのビートはシンプルだけれど、アフタービートをおかずにしたりで、なかなか。またベースの滑り方が、なかなかオイシイ。演奏の隙間を軽々と埋めている。

そしてボーカル。青春だね。嫌いな人は嫌いかもしれないけれど「ジョートーさぁ」と言っておく。これでいいんだ。

でも、おいら、いまんとこ、去年出た『サラバンジ』が一番しっくり来てるかもしれない。というのは以下の理由。

おいらのこと知ってる人は「またかぁ」と笑うかもしれないけど、先に書いたように、80年代初頭、ニューウエイブとかネオアコなどという名前でくくられる音楽があったんだけれど、そういった動きの中で、おいらは、Pale Fountainsってバンドが、かなり好きで、とりあえず新譜が出たら、シングルだろうとアナログだろうと買っていた。クレプスキュールってレーベルやスティッフってレーベルがなんやかんや喧しい頃だったな。

で、そのPale Fountainsってバンドを思い出すサウンドがこの耳切坊主にはあったりしてる。

つまり、いまや50代寸前のおいらに、なんとなく酸っぱい懐かしさを感じさせてくれるというのが、彼らを支持する理由なのかも。逆にいうと、あの80年代のネオアコ体験はないけれど「モンゴル800とか、耳切坊主とかいいかんじィ」と思ってる若人は、Pale Fountainsとか聞いても面白いかもね、なんて、ジジイから提案?。

ほかにも、このあたりだと、あの時代、Buzz CocksとかAztec Cameraとかいろいろあったけれど、おいら的にはPale Fountainsの新しいアルバムが出るまでの<つなぎ>というあたりかな。やっぱり、Pale Fountainsだったなあ、と。


で、耳切坊主というのが、へんちくりんなバンド名だなあと思っている人に、おいらからの余計な親切心。

耳切坊主(みみちりぼうじ。このロックバンドは「みみちりぼうず」と発音しているけどね)とは、沖縄の妖怪話に登場する坊さんのこと。

昔々の沖縄に、放蕩の限りを尽くす女好きで、肌が黒い坊さんがおったそうな(このあたり沖縄裏面史的に、ちょっと示唆的なんだけれど、今回は関係ないので理由はパス)。その肌の色から、黒金座主(くるがにざーすー)という名前でも呼ばれていた。

王様が考えたんだよね。その坊さんのあまりのふるまいが目に余るようになったので、こりゃあの坊主を懲らしめないといけない。ということで、当時、琉球国で、唯一対抗できそうな、北谷王子(ちゃたんおうじ)という人を呼んで「碁の勝負して、黒金座主を、命を賭けてぶっつぶせ」と命令したんだと。

碁の勝負開始。黒金座主は北谷王子を惑わす技を使い権謀術策の限りを尽くすものの、北谷王子はまったく動じず、結局のところ王子の勝利が確定。

王子曰く「おめえさんの命はとんねえから、そんかわりに耳をチョんとさせてもらわぁ」(江戸弁に翻訳)。

黒金座主は耳をちょんぎられ、その傷がもとで破傷風になって、おっちんじまった。

死んじまった黒金座主。怨霊となって、人々の耳を切ろうと町に出没するようになった。執念ですな。というわけで、黒金座主は、耳切坊主と呼ばれるようになった。くわばらくわばら。

ちなみにいっとくと、黒金座主こと耳切坊主はなぜか女の子の耳は切ろうとしなかった。なもので、人々は男の子が生まれた時に、「うふーゐなぐの うまれたんどお」(でっかい女の子が生まれたよー)と歌ったんだとさ。

という、沖縄妖怪坊主の名前をバンド名にした耳切坊主。沖縄であること。沖縄の歴史伝統を感じること。そのあたりが、彼らの音楽にはある。沖縄的「なま」(今)が堪能できると思うのでありました。

新しいものは「ある」。けれど「ない」。

つまり、時代は螺旋でめぐっていくのであって、そういったあたりを通る若人バンドは、今、日本だけじゃなく世界中にたむろしている。だけど、ジジイのおいらが思うに、本当の勝負はそこを通りすぎて、次の90度までのあたりだね。

沖縄の若人バンドは「うちなー」というDNAがある分有利かもしれんけれど。とっぴんぱらりのぷ。
だっからよー。


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In My Own Timeが発売されていたとは

KarenDaltonKaren DaltonのIN MY OWN TIMEがCDで復刻発売されていたなんて知らなかった。

いま20代半ばから30代の方で、ご両親のどちらかが相当なアメリカの音楽(とくにシンガーソングライラー系)好きだったりしたならば、「カレン・ダルトンのインマイオウンタイムって聴いたことある?」とたずねてみていただきたい。

カレンダルトンを知らなければそれまでだけれど、もしも知っていたなら…。そうもしも、知っていたなら、このアルバムについての経緯が原稿用紙100枚分くらいは出てくるかと思う。その他、購入できた、もしくはできなかったという語るも涙の物語なども付録としてついてくるかもしれない。

それだけ、あの頃、このアルバムはアメリカ音楽ファンの間では伝説化されていたということになる。

さて、わたしの場合。

もちろん当時はビニール盤(アナログ)だったわけだけれど、このアルバムの存在を知ったときにはすでに輸入盤専門店では売り切れ。あちらこちらでアルバムの素晴らしさを耳にするわたしはどうしてもどうしてもほしくてほしくてしょうがなくなっていた。

当時はインターネットはなく、FAXさえ夢のまた夢。郵便で海外からモノを買っていた時代。結局のところその思いは学生時代の忙しさに埋没して一年ほどが過ぎていった。

年末のある日、当時新宿にあった某輸入レコード屋さんが年末バーゲンを行うというので友達たちと勇んで駆けつけたわたし。それなりのアルバムを手にしてほくそえんでいたそのときだった。友達が近寄ってきて一枚のアルバムをぼくに見せた。友達は、茶色のあのジャケットを手にしていたのだった「あった…。カット盤だけど…」。ぼくたちは狂気した。あった。こんなところに。

その日わたしたちはもう2枚ほどカット盤で入手困難といわれているアルバムを手にした。そのアルバムはまたの機会に譲るけれど、この時の衝撃は、噂に聞いていたカット盤の存在だった。ジャケットの一部に切り込みが入れられていて安い値段がつけられているというのがカット盤なのだが、時としてその日のようにとんでもないアルバムがとんでもない値段で売られたりすることがあったのだ。閑話休題。

帰ってから友達の家でこのレコードに針を落とした。名盤といわれ、噂が噂を呼んでいた理由はよくわかった。よいアルバムだった。

去年発売されていたのを知らなくて今年になって注文し今日やっと届いたこのCD盤になっても、その印象は、ちょっとセピアがかっただけで基本的な色合いは残っている。名盤であることは間違いないとおもう。

ただ、AMAZONの紹介などではフォークの名盤という存在になっているようだが、これはあくまで、あの時代のザ・バンドやその周辺の一連のシンガーソングライター系のミュージシャンたちが築き上げたダウン・トゥー・アースなアメリカンロックの流れの中で語るべきものだと思う。

いや、ここまで、書いて、アメリカ嫌いのわたしだけれど、本当にアメリカにはお世話になってきているのだなあ(笑)と改めて思ったりもする。ただ、わたしのお世話になったアメリカは、こちらからかなりの時間とお金をかけてアプローチしなければ正体を現してくれなかったアメリカではあるのだけれど。

そんなアメリカのひとつがこのアルバムだと断言させてもらいたい。

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forse MOON OVER the ROSEBUD

あっさりといいます。MOON OVER the ROSEBUD名盤でした。たぶん。聴いてる限り。

10代、20代の音楽好きを自負する若人に自信を持ってお薦めいたします、というか、これわからんとダメだろ?、三食抜いても買って聴け(って、70年代かよ?その喩え)といえる。というか名盤とはこういうアルバムのことをいうんだよといえる。

DVDやらベストやら、映画も上映が決まりそのサントラやらまででまくる昨今にあってこの出来。スゴイことだなと感服。

で、間違いなくそういったこともろもろ含め名盤なのですが、でもムーンライダーズの名盤といってもあまり感動がないといったあたりがバンドとファンの関係を如実に表しているようにも感じられ。

そういえば30年以上前は新譜のレコードや毎月の雑誌の発売日前後は、うわっついていたけど、その時のまぬけさに近い香りが自分のまわりに漂う。

「A.O.R.」と「ムーンライダーズの夜」は一度聴いて、倉庫行きになって、21世紀に入ってからちゃんと聴いたあたしには、今回のアルバムは懐かしいような、まぶしいような、だまされているような。そんなうわついた気分。


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いよいよ来月ムーンライダーズの新譜発売

moon_over_the_rosebud

久しぶりのことです。ムーンライダーズの最新アルバムを発売一ヶ月前に知るとは。本当に、関係者をはじめ、コアなファンの方にはたいへん申し訳ないと思っています。

moonriders.netとかmoonriders.comあたりを週に一回ぐらいは見ていればわかることなのに、そうではなかったということは、わたくし個人の不徳のいたすところ。とくにcomの方はファンサイトで、しかも直接知っている人が協力していたり、間接的に知っている某広告代理店勤務の方が主催者だったりと、アクセス数に貢献すべきなのに、そういうこともあんまりしてこなかったというのがばればれ。すいません。

いや、よく考えるとなぜ謝っているのか、誰に謝っているのか、よくわからないですが、なんとなくそんな気分になっているわけです。

とにかくわたくしの個人的な事情はそのへんにかたしておいて、新譜の話。

moonriders.comにリリースが出ていますが、タイトルは、MOON OVER the ROSEBUD。バラのつぼみごしに見える月。「Rose」といえば、名作マニアマニエラのテーマ「バラがなくちゃ生きていけないby吉田美奈子」を思い出させます。また、「Rosebud」には、隠語方面で「肛門」といった意味もありますが。はたして。

全14曲。ネット配信などですでに発表になっている、ゆうがたフレンドのDubMixも収録。この曲、iTunes Storeからダウンロードで購入して聴いたところ、あいかわらずのスルメ音楽でした。最初聴いたら、やっぱり、よくわからなくて、3回目に聴いたら、あ、そうか、と納得して歌ってます(笑)。シングルカットですから。

ということで、来月、10月25日(水)。ムーンライダーズの新譜発売です。ちなみに、ゆうがたフレンドのシングルヴァージョンはすでに発売中みたいです。まだ買ってない。

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エイサーDEスリサーサー

▼よなは徹プレゼンツシリーズ第2弾?
▼北谷町は栄口エイサーと謝苅エイサーをそれぞれ1枚のCDに収めた2枚組。税込み2940円。
▼発売は、いつもの、エイベックス系リスペクトレコード。

▼これまで沖縄発のエイサー関連CDは何枚か市場に登場している。
▼しかし、栄口と謝苅のエイサーが収められたものはなかった。

▼よなは徹は栄口エイサー(旧謝苅一区)の地方(じかた。地謡(じうてぇ)ともいう)でもあり、彼の活動によって、栄口エイサーが園田や胡屋に肉薄する近代エイサーのトップクラスの地位を占めるまでになってきた。
▼現在の栄口エイサーはよなは徹地域密着の成果を表した、ユニットともいえるのではないか。

▼一方、謝苅エイサーの地方にはよなは徹の友人、松田一利。ふたりは一緒にライブ活動を行ったりしている。
▼そして栄口と謝苅は北谷町内のお隣同士。
▼そういうつながりで、栄口と謝苅のエイサーCD2枚組になったということなのであろう。

▼基本的に両エイサーの持ち歌が展開されるが、ビセカツ氏による新曲、21世紀のかぎやで風といった趣の新曲<御元祖(うぐゎんす)>。
▼はたまたよなは徹作詞作曲、彼の2枚目三昧連りてぃに収録された七月(しちがち)などいったオリジナル曲も。
▼当然だが、すべて、聴いていて楽しい。

▼しかしなのだ。内容として文句はとくにないのだけれど、ちょっとした違和感がないわけでもない。

▼よなは徹にとって地域のエイサーとは、ある意味、非常にパーソナルな存在かと思う。
▼それをこの時期に、しかも、同じ町内で友人が地方をしている謝苅エイサーとともに、CD化し、消費の場に提出するということ。
▼どうなのだろうか?

▼エイサー、とくに大太鼓を使う近代エイサーは、非常に派手で魅せる要素が強くなっている。
▼実は、見せる(魅せる)要素を大切にするという方向性は、独特の間と空気感を感じさせるパーランクーによる平敷屋および屋慶名エイサーも例外ではない。
▼エイサーそのものが沖縄の夏の興行といった性格を持ちつつあるようにも感じる。
▼もちろん、ご先祖供養という本質にぶれはないと思うが、エンタテイメント化している側面は否めまい。
▼このエンタテイメント化の延長と考えれば、今回のCDは間違いなくあたりまえの流れの商品だといえる。

▼だけれど、今、書いたようなエイサーの本質から考えると、商品として消費のステージに、地域に密着したパーソナルなエイサーをその当事者がCD化してしまうというのは、最終兵器を登場させた、といったように感強く感じる。
▼そこまで、はやまらなくても、と。思ったりしたわたくしがいるのも事実である。

▼かといって、内容は非常にレベルが高く楽しんでいるわたくしなので、言っていることと行動が一貫していないのも間違いなのだけれど。
▼ともかくも確実に明治以降にはじまったエイサーという近代の「創られた伝統」を21世紀のいまに伝えるだけでなく広く多くの人にその存在をしってもらうという意味で、意義のあるCDであることだけは確実ななのだが。

▼よなは徹が、与那覇徹名義で発売した1stアルバム『よざれ節』を越えるのは、もう少し先のことかもしれない。

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中村瑞希嬢がグランプリだった

▼4月23日、渋谷のNHKホールで行われた、日本民謡フェスティバル。

▼今年は、奄美大島笠利唄の唄者として将来を嘱望されている、中村瑞希嬢がグランプリを手にした。彼女は2003年民謡民舞全国大会・浦本杯争奪戦で準優勝しているので、全国規模のこういった大会で賞を得るのは珍しいことではないのかもしれません。

▼かくいうわたくしも、中村瑞希個人名義のアルバムを2枚。吉原まりか嬢とのコラボレーションユニット、マリカミズキ名義の2枚を持ち、日々仕事をしながら聞いていてるといった塩梅。
▼彼女の実力のほどはわかっているため、驚くことではないというのが正直な感想ではありました。

▼とにかく、おめでたい、かと。

▼しかしながら、奄美大島のシマウタが日本の民謡の世界でどういった評価をされているのかをわたくしは不勉強でしりません。
▼また、その逆。つまり、奄美の唄者たちが日本の民謡界での自分たちの評価をどう考えているのか?そのあたりもよくわかっていません。

▼もちろん奄美の唄者は日本民謡協会主催の大会で賞をとっているので、日本民謡協会においては、奄美の民謡は「日本の民謡」という位置付けにあるのでしょう。
▼日本民謡協会主催の大会に奄美の唄者が参加しているということは、奄美側も日本民謡協会内でのポジションは重要に思っているということなのでしょう。

▼そういうことなので、今回の中村瑞希嬢の快挙は素直に喜ぶべきなのかなと思う今日この頃ではあります。


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那覇でSOUTHと握手

▼数日前沖縄テレビかなんかを見ていた。
▼ラガマフィン系のレゲエボーカルコンビが紹介されていた。
▼SOUTHという。
▼プロデューサーが北谷に移ったMOD'Sの喜屋武さんで、よなは徹も三線で参加しているとか。
▼そのときはふーんという感想でしかなかったわけです。
▼ジャメーカものだとロックステディやスカ、アーリーレゲエ、ダブが好きなわたくしとししては、買うがどうか微妙なジャンルではあるので。

SOUTH

▼しかし、ちょーぬ、東京からの知人と那覇でCD屋に入ったら思い出したようにそのデビュー作が出ていたので手を延ばしたのでした。
▼1500円という値段付けも知ってほしいという熱意が感じられて悪くは無いし。
▼他の2枚のCDとともにカウンターへ持っていく。
▼そして精算の途中。
▼そのSOUTHの二人組がマネージャーらしき女性とともに現れたのでした。
▼まあ、こういう状況は中部以北の沖縄なら珍しくもないけれど、小東京化した地方都市である那覇では珍しいかもしれない。
▼カウンターの店員は「話してきましょうか?」と言うのだが、こっちは、「とくにいいんじゃない?」と。
▼それでも店員が話をしたかったのか、わたくしが新譜を買ったことを話しに行く。
▼するとSOUTHのふたりが「ありがとうございます」と握手を求めてくる。
▼「喜屋武さんによろしく。がんばってね」と声をかける。
▼というようなことをしているうちにポイントサービスのポイントをつけるのを忘れてしまった(笑)

▼で、肝心の内容は、悪くない。
▼日本において普通の音楽となったレゲエやラップ。そこに沖縄のアイデンティティ(ちょっと恥ずかしいコトバだね(笑))を組み込むという試み。
▼素直であるというところがとにかくいまは一番かもしれない。

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牛小屋で名護良一氏にあう

▼昨日に続いて、夕方、知人の牛小屋へ足を伸ばした。
▼いろいろと話をしていると、50歳ぐらいの兄さんがやってきた。
▼牛主の知人とデビュー前の2頭の闘牛をみて話をしている。
▼ふたりは具志川のコトバなのでこっちはだいたい分かるといった程度。
▼その兄さんの顔、どっかでてみたことあるなあと思っていた。

▼ちょとして気がついた。ああ、そうか名護良一さんだ。
▼照屋寛徳の弟子で玄人筋からは非常に評価が高い唄者。
▼CDも数枚でている。
▼テープならわたくしももっている。

▼いろいろ話したあと、良一氏がわたしくしにむかって、2頭いるうちの1頭を指さして「この牛は3番以内にははいるよ」と断言する。
▼三番以内というのは大きな闘牛大会で三役戦(C3番戦以上)に出る器だということ。
▼知人もほしくてしょうがなくて購入した牛らしくて満足気な顔をしている。

▼良一氏が帰ってから、知人に聞く。
▼「名護良一さんだよねえ?」
▼「そう、おれの従兄弟さ」
▼「え??」
▼眼が点になるというのは文字通りこういう状態なのかもしれない。
▼というか、宇堅出身で名護姓で「良」の名乗頭(なのりがしら)がある点で気づいてないわたくしがマヌケではあった。
▼いとことまではいかなくても親戚だろうと想像はついたはず。
▼うかつだった、数年間。

▼沖縄というより、中北部の人間関係は、こんなかんじだと思う。

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耳切坊主(みみちりぼうず)のサラバンジ

ムーンライダーズはいつもそばにいた。70年代以前の各国のポピュラーミュージックはいまでも追いかけてしまう。ウチナーや奄美の民謡はあたりまえに好き。パブロックは青春。その前は、アメリカのシンガーソングライターにどっぷりはまっていた。パンク&ニューウェイブの波は80年前後数年できちんと被った。といったことをいっているわたくし。

とりあえずウチナー発若い方むけの選択肢のひとつとしてのモンゴル800はよいなあと思う。いやモンゴル800がすでに日本列島の若い方の支持を受けているのかというと疑問がないわけではないが、そういうことにしておいてほしい。

ということで、オレンジレンジに興味のかけらもなく(モッズの喜屋武さんごめんね)、D51も遠い世界の音だと思っていたわたくしの耳に常に届いていたのだけれどアルバムを買うまでにいたらなかったのが、「耳切坊主」(みみちりぼうず)。

若い音には「いなたさ」がなければならないと思っているわたくしからすると当然合格なのだけれど、その先の音楽に対する観想がわたくしが是とする音の右斜め65度くらいをいったりきたりしていた。

なもので、常にアルバムは手にとるのだけれど、買うまでにいたらずということを繰り返してきたここ数年。みなさまいかがお過ごしですか?

sarabanji

そんなわたくしが、ついにこのアルバムは買ってしまった。<サラバンジ>。

まずジャケットがかな~り好みだった。その日買うアルバムが見当たらなかった。というわけで、久茂地リウボウ7階の普久原楽器の新婦もとい新譜コーナーーのヘッドフォンを1時間に渡って占拠して聞いてしまったのはわたくしです。

その結果、後日、コザの普久原楽器で購入したのでありました。めでたしめでたし。

このアルバム、わたくしには、本当に、ちょっと賢いいまのウチナーの子のすなおな心情が歌詞や音から感じられて非常によい。

今の沖縄の若い子はたぶん現在日本一の演奏力があるのでこのあたりの音は安心して聴けるということもあるのだけれど、それ以外に、やはり、こういった音は、2006年の沖縄なのだ、と感じられるところが、わたくし的に二重丸なのだ。

泡瀬でゴルフしたあとにハンバーガー食べながら聴くといいのかもしれないと思った。それも沖縄だ。そしてそれ以降はそのアメリカ的風景への憧憬と疑問と沖縄という島への心がゆっくりともたげてくる。

アメリカ的な消費文化の沖縄も真実の沖縄だ。だけど、その板一枚壁の向こうには、芸能の島であり続けてきた沖縄が顔をのぞかせてくる。そんな中に耳切坊主はいるんじゃないかと、思ったりしているのです。

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[020] Wear Your Love Like Heaven

MRIドノバンの名曲。

今、21世紀も5年過ぎた段階で、改めて考えるまでもないかもしれないけれど、あえて、マヌケなことをいえば、やはり、雑誌“びっくりハウス”から、The Beatniksでカバーされたこの曲は生まれたといっていいのではないだろうか?

高橋ユキヒロと鈴木慶一のユニットであるThe Beatniks。

このユニットが最初に世に出たのは「びっくりハウス」誌上であったことは、ヤザワに行かなかった日本語ロック好きな、現在のアキバ系やらアニメおたくやら、美大系な子たちと存在として、リンクする可能性が高い当時の若者にとっては旧知の事実なのだけれど、そのびっくりハウスや、高橋ユキヒロの深夜放送の肌ざわりとは異なる、言ってみれば努めてストイックな音楽世界を構築していたのが、ビートニクスなのではなかったかと思うのです。

いってみれば、高橋ユキヒロのシャイなお洒落さと鈴木慶一の抑制しない快楽とが重なったような。そんなふたりのスタンスがこの曲には如実に現れているようにも感じるわけです。

Beatniksが21世紀に入って発売したアルバムからのこの曲を聴いたとき、びっくりハウスで主催していた「エンピツ賞」に応募した自分の作品が佳作であったことが、なぜか、納得できたようにも思う。

渋谷の区役所通り、いや、そのころはすでに公園通りとよばれていた通りの一角で行われていた日本の頭脳の研磨行為。その削りカスを集めたところにこの曲は屹立しているような、そんな気がしてならないのです。

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ム−ンライダ−ズ P.W Babies Paperback

pw.jpg3週間ほど前に発売された新譜。

しかし、正直いって、このアルバム、いまだなんだかよくわかっていない。

ところどころ、ああ、この音色はいいな、とか、この無理やりなメロディラインは「ら・し・い」、とか。そんなことを思うのだけれど、おれのツボに絡む曲がまだ浮かび上がってこない。

だいたいムーンライダーズのアルバムを一回聴いただけで、好きになるなんて、ほぼ不可能であることは30年間実証されてきているので、不思議なことではない。

また、21世紀以降、いや、いま考えてみてると1993年以降のムーンライダーズは、おれにとって“日ごろは音沙汰がないけれど忘れた頃に出会って、ちょっとのあいだ時間を共有する古い親友”。関係性というポジションはこのあたりだと思う。

そのため、聴いていて飽きることはないのだが、「これだよな」、という感動に似た共感はどんどん少なくなっている。増えていたら気持ち悪いのでこれはこれで健全。ただ、もちろん何度か聴いているうちに、iPodでベスト25に入るような曲にメタモルフォーゼしていくこともないわけではない。

それにしても、このアルバムは、「まだ」よくわからない。ただ繰り返し聴いていてもイヤにならない音作りがなされているのはあたりまえなので、まだまだリピートを。

タイトルが“P.W Babies Paperback”と聞いたとき、「PWといえば“PW無情”だよなぁ」などと金城実先生の名曲を思い出したのはムーンライダーズ歴と同じくらい沖縄歴が長いからかもしれない。結果、このアルバム“P.W Babies Paperback”に含有されていると推察される隠喩から考察すれば当たらずとも遠からじ、か。

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ユリイカ 特集ムーンライダーズ

ユリイカの2005年6月号はムーンライダーズの特集。日本の雑誌はまず自分で買わないだけでなく、気にもしていなかったので、たまたま買ってきてもらったものを、そのまま数時間で読了。

ムーンライダーズは、その前身的バンドである、はちみつぱい時代からライブへ通いレコードを買ってきているので、個人的にファン歴はもう30年は越えたことになる。学生時代の同級生や同世代以上の人も同じファン歴を積み重ねているわけで、とくにぼくが珍しい存在ということはない。

それでも、ネット上のWebやBlogなどを見ていると、その書き手はぼくより若い方が多いようである。だいたいアマチュアアカデミー前後からのファンのようだ。そういう人たちの言葉を読むのは楽しいのだけれど、時にステレオタイプ化しているように感じることもある。

曰く「メンバーは50歳以上」、「日本最古の現役ロックバンド」、「知るひとぞ知る」。

そして今回のユリイカの特集をパラパラ読みながら、ネット上でのムーンライダーズに関するいろいろな人の文章を含めて、改めて気がついたのけれど、「もしかしたら、いまムーンライダーズを語る場合、歌詞についての言説が多くなっていまいか??」ということ。

もちろんユリイカは「日本語」を生業とする雑誌なので、ムーンライダーズの音楽の一翼をになう「日本語」を各論の中心に据えるという点は疑問の余地なく正しいが、これはユリイカだからということだけではなく、ムーンライダーズ関連のネットでの文章が現在、歌詞について語る傾向が多いように感じたのだ。

ムーンライダーズの楽曲の歌詞には暗喩と隠喩にあふれ時代の斜め下あたりを軽く抉る鋭さを感じる。ここに文章の視点を求める行為はひとつの方法論だ。だけれど、ムーンライダーズはあくまで音楽による表現に身をやつしてきたグループであるわけで、このあたり、音やサウンドにも考察を加えた文章が昨今ちょっと少ないかなと。

そんな中で、今号のユリイカでの細馬さん(一緒に昔、本を書いた人だけれど)のムーンライダーズに関するコラムはコーラスという部分を取り上げているあたり、さすがだなあという感想。

サウンドという観点から語るに、今は、言葉が喪失気味なのかもしれないけれど。

加えて、今回のユリイカでもそうなのだが、最近のムーンライダーズに関する言説で足りないのは、ムーンライダーズがあくまで東京の湾岸地区のバンドという視点ではないか、と。

昔、発売されたベストアルバムのタイトルで“東京一は日本一”(確か矢吹申彦さんがタイトルをつけたという話だった)があるのだけれど、ムーンライダーズは東京原住民の心情を体現してきたバンドという意識がぼくにはある。

首都ではない東京。その海沿いの。

東京という地方で29年続いたローカルバンド、ムーンライダーズ。

東京以外で生活してきた人にはピンとこないかもしれない、東京の湾岸地帯の空気みたいなものを、渋谷百軒店の伝説をムーンライダーズに感じる。そんなぼくやぼくの友達が結構いたりするのだ。でもあの頃のあのあたりのあの空気を、今の言葉で語れる人はそんなに多くないかもしれない。

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カエターノ・ヴェローゾ東京公演

夕方近くになってきてなんだかめんどくさくなってきて行こうかどうか迷ってしまったのだが、とりあえず有楽町を目指す。むかし都庁があった東京フォーラム。ここでカエターノ・ヴェローゾの8年ぶりの日本公演が行われる。

到着は開演10分前。入り口には人がたくさんいて、それだけで「帰りたいなあ」という気になってきてしまうのだが、せっかく来たのだからということで、席につく。

開演時間に遅れること10分。緞帳があがりカエターノのつまびくギターの音が聞こえてきた。うむ。とりあえず見るぞ、聞くぞ。そう身構えたのだけれど、すぐに身体がやわらかく、心地よくなってきて、先ほどまでの不快感が溶けて流れていく。

とても気持ちよくて面白い。楽しい。まず、カエターノの声。オーバートーンも含んだ揺らぎ。これは天性のもので、「良い」ということは、はじめからわかっていたわけで驚くにあたらない。そのカエターノの声に絡む、それぞれ屹立した音。これらが、あまりに素晴しい。

ギター、ベース、チェロ、パーカッション、ドラム。超一流のミュージシャンたちによる、ボサノバ&ジャズを骨にしたブラジルポップスの王道。過剰な快楽で埋められた時間と音空間をどんどんそぎ落としていったのち、どこまでシンプルでかつ有機的な表現にたどりつけるのか。墨絵やわびさびの世界にも通じる音色の隙間。その隙間にあるのは、あまりにマニアックな狂気といってもいいサウンドのコラージュ。たっぷり二時間。「堪能した」という陳腐な表現が、今夜はとても正しい。8000円という値段は高くなかった。

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きっと20年後も 内里美香ライブ

コザ、モッズでの内里美香のライブ。内里は一皮向けた。

ここ3年ほど彼女のライブを機会あるたびに見ているのだけれど、久しぶりに見た彼女は、これまでのどこかおどおどしたパフォーマンスが影をひそめ、唄者として、エンタテイナーとして独り立ちしたような。ライブの一曲目を聴き、彼女がしゃべりはじめたときそう感じたぼくなのでありました。

友達や内輪の人間も来ていたという場の良さもあったかもしれない。しかし、そんな状況であったことを割り引いても、彼女のパフォーマンスはちゃんと観客に届いていた。

いま、思えばその兆候は昨年末、青山CAYで行われたよなは徹プレゼンツによる「カチャーシー・ア・ゴーゴー」のライブの時に現れていたのかも…。曲順を間違えて演奏後ひっこもうとした自分のボケにつっこんだ余裕。楽しませることは自分の地を出してしまえばいい。かっこつけていい娘ぶる必要もないということを知ったのだろうか。

もちろん素の自分自身に魅力がなければ客はついてこない。しかしながら彼女には表現者としての唄と三線の才能と人を魅了する育ちがあるわけで、それを素直に出して精進を続ければもっとよくなるとおせっかいながら思っていた。そして、今日の彼女はその次の段階に入ったと確信できたと感じたり。

伸びやかな歌声に磨きがかかり、その唄の持つ意味と情感をきちんと表現。MCも今まで以上に素直な等身大の彼女が現れていて好感が持てるものになっていた。

サポートの伊集タツヤのギターも彼女の唄と三線を殺さず、かつその隙間を紡ぐように心地よいもの。伊集の力量もあるだろうが、世代的に近いという気安さもあるのか、内里は、伊集の音を素直に信じていた。

マネージャーのビセマキ嬢もここのところの内里のライブの良さを確認しているようで、キャンパスのWebページの掲示板ではイベントや他の唄者とともに行われるライブだけでなく今夜のような単独でのライブを是非みてほしい。それだけの力量はついてきたと太鼓判をおしている。同感。

ステージであがってしまうことをステージフライトというが、ぼくのまわりの昔からの沖縄民謡好きの間では、ライブにおいて存在感が出てきたことを、「ステージタッチューした」などと勝手に言っているんですが、今夜のようにまさにステージタッチューした彼女は、これまで沖縄の音楽シーンに登場し、一時代を築いてきた女性唄者を超える資格を得たのではないか?。20年後、彼女はどんな評価を受けているのだろうか。それを見届けていきたいと思える今夜の出来だった、と。

内里美香(うちざとみか)の単独ライブ。沖縄民謡ファンだけでなく多くの音楽ファンにおすすめできる。オーラが立ったかな。

話は違うが5月半ばから今日のライブが行われたコザのモッズが北谷・美浜へ移るとのこと。話によるといろいろなことがあったらしいけれど、今の時代、美浜の方が商売としては良いのかもしれない。たいていコザにいるボクにとって美浜はちょっと行きづらくなる点が難ではあるけれど。

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PanaのPanali

panali.jpg4月20日に発売になった“クイヌパナ”改め“Pana”の『Panali』を聴いている。たまたまOTVでクリップを見て、新譜が出ることを知り購入したのだが、うん、かなり良いですね。

石垣島出身のクイヌパナは東京で活動したのち昨年石垣島に帰り“Pana”として再出発。2枚のシングルが好評でついにアルバムがリリースされたとのこと。

アルバムのつくりとしてカチャーシーを意識したというあたりテンポの速さと曲間のつなぎなど「連続カチャーシー」的といえなくもない。しかし、このアルバムで聴かれる音楽はどちらかといえば“沖縄アンダーグラウンド”的なアプローチに近い印象。

もっといえば、東南アジアの大都市の地下クラブで地元の子達を踊らせているローカル・ダンス・ミュージック。たとえば、ジョゲやダンドゥットからインスパイヤされたもの。そんな音楽の雰囲気を感じたり。

八重山民謡の“とぅまた節”以外、上原正吉の弟子川門正彦の作曲による作品で、彼の三線が全編にフューチャーされているあたり、2005年現在の石垣ロコミュージック、と呼べるかもしれない。件の“とぅまた節”にしてもしっかりとこのアルバムの色に染まっている。

八重山で育ち東京でデビューし八重山に帰って作り上げた2005年の音。それは彼女のひとつの方法論であって、その方法論は間違いではなかったと思う。次作が正念場となるんじゃなかろうか。

Panali=パナリ、というタイトルから新城島を連想するのが八重山好きだろうが、Panaの母親が新城島出身なのだそうだ。

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[019]三重城

よなは徹セカンドアルバム21世紀の「花風(はなふう)」。

みーぐしくにぬぶてぃ てぃきじむちゃぎりば
はやふにぬなれや ちゅみどぅみゆる

日本語訳:三重城に登り、お別れにてぬぐいを振っていたけれど、船足が速く一瞬しか見えなかった

といった歌詞ではじまる花風(はなふう)とは琉球舞踊の中の雑踊り(ぞうおどり)の名作。明治38年、那覇の芝居小屋で創作されたとされる。

三重城(みーぐしく)は現在、那覇の西町ロワジールホテル裏にその石垣の痕跡を残している。近くにあるのは沖縄電力の変電所やマンション、市内線バスのターミナルなど。しかしそれらはかつて海の中。

三重城は対岸(現在の那覇空港側)に作られた屋良座森城(やらざもりぐしく)とともに、琉球王朝時代、海中に飛び出した敵国船に対する要塞として、また交易船に乗った夫や恋人を送る舞台として存在していた。

よなはの「三重城」の歌詞も、別れの歌。まさに花風の世界だ。しかし、そこは21世紀を生きる歌者であるよなは徹のこと。琉球音階を薬味に美しい現代の恋歌に仕上げている。つまり昨今のJ-POPのひとつといわれても、こんな曲があってもいいんじゃないか、と思えるのだ。

もちろん、彼に対して現在の日本における売れ筋の音楽に対して媚びすぎではないかといった意見があることも承知している。

しかし、考えて見ほしい。よなは徹という沖縄の若者は琉球古典芸能の継承者であり沖縄民謡の唄者であるだけでなく、20世紀末から21世紀の情報革命時代を生きてきたウチナンチューでもあるのだ。この「三重城」はそんな彼の等身大の姿を表しているのではないかとぼくはおもっている。

先日東京に戻る日、三重城を久しぶりに訪れた。漫湖の河口に面したそここに作られた拝所(うがん)の前には、おじい、おばあの姿が。人工の城(ぐすく)も年月を重ねることで聖地となる。いや、聖地とは人類の意思と情念が篭った場所なのだということを改めて確認できた。

彼のセカンドアルバムである“三味連りてぃ(チャミチリティ) ”に収められたこの曲も21世紀の三重城の物語となる可能性を秘めている。

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[018]恋語れー

名護良一『沖縄の民謡』嘉手苅林昌未CD化音源を集めた『ジルー』は、彼のデビューSP盤「恋語れ節/なすび節」が一曲目、二曲目である。当然この曲順は構成・解説などを行った小浜司氏や監修のビセカツ氏による嘉手苅林昌のレコーディング史を意識してのねらいだろう。

「恋語れー」はこの「恋語れ節」から派生。両曲(実際は同じ曲といっていい)とも、嘉手苅林昌の十八番であるだけでなく、さまざまな歌者による名演も残る。ポピュラーミュージックとしての琉球民謡史に輝く名曲であるといって、間違いない。

嘉手苅林昌のほか、大城美佐子、照屋寛徳など名演は数多いけれど、名護良一『沖縄の民謡』の一曲目に収録されたこの「恋語れー」は、その端整な歌い口と三線に、しのぶ恋の、つらさとちゅらさが重なる。三線によるリフレインする演奏とサビの収束形はことのほか美しい。

ところでこの「恋語れ節」と「恋語れー」。今多く耳にする歌詞の世界は、基本的に、しのぶ恋の世界である。「門の前」という歌詞からすれば遊女(ジュリ)が恋する男を待つ歌なのかもしれない。どちらにしてもテーマは時ならぬ秘めた恋。一方で嘉手苅林昌のジルーに収録された「恋語れ節」の歌詞は年老いた男の恋の思い出や若い嫁をもらったことでの気恥ずかしさや悩みが歌われている。

沖縄民謡は歌者によって歌詞はどんどん変えられていく。そのため珍しいことではないが、その時の歌者の感覚や時代背景などが如実に反映されていくことも少なくない。もちろん、「おもいつき」の一言で片付けられることも多々あるのだけれど。

とにかくも我々にとって幸せなことに、沖縄民謡を代表する著名な曲だけあって、CDで購入するのも容易である。

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[017]涙は悲しみだけで、出来てるんじゃない

最後の晩餐サビの歌詞には、世の中のことがだいたいわかってきたいまのぼくにも、うなずいてしまう力がある。

実はこの曲が入ったアルバム『最後の晩餐』が発売された頃、自分の心の中には、歌詞とは違って、すでにこの地球上で自分にとって、ステキな、至高のビーチが存在していた

それは、その頃はビーチというより「はま」といった方がよかったのだけれど、沖縄本島中部は具志川市(当時)にあった「宇堅の浜」。

北東を向いたこの浜のどこが至高の存在なのか?。それを明確に語ることは、ビーチ好きの人間に話すことさえ、とても難しい。それでも、今でも、ぼくは、あの頃の「宇堅の浜」はぼくにとって一番の場所だと思っている。

透明度だけはとんでもなく素晴らしい、なんでもない浜なのだけれど、海に向かうと左手に石川の町並み、左斜めに金武の町並み、右斜めに伊計島、右手に沖縄電力の火力発電所が見える碧く輝く絵にかいたような海。恵みの海、金武湾が作り出した自然の絶景だ。

はるか昔、この水平線上には日本本土からやってきた船団の姿があっただろうなどと夏の夕方の気持ちよい沖縄の風をうけて感じたあの頃。

こういったものがすべてひとつになり、ぼくにとっての至高の浜となっていた。

しかし、すでにこの「宇堅の浜」は<宇堅ビーチ>となった。

政府や県から大量のおかねが投入された結果、人工の砂をいれ、監視員がしっかりつき、お手洗いもシャワー施設もあたりまえに完備された、ふつうにキレイなビーチに生まれ変わった。これはこれで喜ばしいことなのだと思う。

でも、この曲で歌われたころ、素敵なビーチを知らなくても自分だけが大切にしたい「はま」が、海を見ることができる人なら誰にでもあったんじゃないだろうか?

もちろん、今の若い人にもそういった「はま」があるかとは思うけれど、もうあの頃の「はま」はこの日本にはほとんど存在していない。

そういった意味で、屈折した歌詞の思いが、21世紀になってまたぼくの中で屈折したのだ。ステキなビーチを知っていたが、それは過去のものになってしまった、と。つまり、もうぼくはいまは知らないのだ。すてきなビーチを。

残念なことに、そのころの「宇堅の浜」に大事な人を連れて行ったことはない。機会がなかったのだ。いまおもえば、あの娘や子供たちは無理してでも連れて行くべきだったかもしれない(正直いえばそのころはお金に困っていたからなのだけれど)。


今となっては<宇堅ビーチへ>と変貌したかつての「宇堅の浜」へ誰かを連れていきたいとはあまり思わない。それでも時間があると、行ってしまう。オリオンビールを照屋商店で買って。涙は枯れているのだけれど。

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[016] For Everyman

For Everyman中学三年生の時、近くに団地ができたこともあって何人かの転入生が入学してきた。

この事実は、ぼくにとって、それまでまったく音楽の趣味があわなかったクラスメイトの中に、音楽と紅茶とクッキーと女の子の噂話さえあれば半日は時間が潰せる新しい友達が出来たことを意味していた。

そのうちのひとりO君は顔はシャキッとしていて、スタイルもよい。親父さんは某百貨店宣伝部のデザイナー。あの当時としては画期的なオシャレな家庭の一人っ子を現出していた。

そのO君などとよく聴いていたのがJackson Brown。いや、正直いえば、O君ともうひとり同じ時期に転校してきた自律神経失調症ぎみのY君から「これいいよ」と教えられたのだ。

ロスアンジェルス郊外に位置するオレンジ・カウンティ(オレンジ郡)はヒッピームーブメントの終焉とともにグレイトフルデッド的な生き方を目指していた若者たちが定住をはじめた場所だったらしい。そんな土地から出てきたシンガー・ソング・ライターが彼だった。

一般的にはイーグルスのヒット曲、Take it easyの作者として知られているのかもしれない。

彼の1stアルバムを初めて聴いたとき、なんとなく、ヤワイ感じがして馴染めなかった僕だったのだけれど、何度か聞いているうちに、「西海岸かぁ」と憧れににた気持ちがもたげてきたことを30年ぶりに正直に告白しておく。

その時から18年後、仕事で初めてオレンジ郡の街中へ、車を走らせたとき、カーラジオからこの曲がかかった。セカンドアルバムの代表曲。

ウナギのような声と呼ばれた彼の歌声が、オレンジ郡へようこそ、と唄っていた。そんな気がした。

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[015]See the Sky about rain

seeTheSkyAboutRainD、C、E、Bm7という黄金のコード進行を含有しているというだけで後世に残ってしかるべき名曲なのだけれど、それがハモンドオルガンによって奏でられたところにニール・ヤングのセンスを感じるのは僕だけではなかったのではないだろうか。

このアルバムOn the Beachは正直いってニール・ヤングの駄作といってもいいアルバムかと思う。しかし、ジャケットのアマルコルダ的海辺の退廃美とこの一曲がその印象を180度転換してしまう。

夕方の烏帽子岩を見ながら、何度か口ずさんだのは、この曲であって、サザン・オール・スターズではなかった。おそらく桑田もこの曲をくちずさんでいたのではないだろうか。

とくに夕立が終わりかけた夕暮れ時には。

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[014] My Love Will never die

Cal-de-Sac恥ずかしい話だけど、70年代から80年代半ばまで、いや、確実に21世紀の今まで、アメリカを中心としたしシンガー&ソングライターという人たちを聴きつづけ、未だにニール・ヤングなんざ新譜が出ると買っている僕だ(グリーン・デイルは良かったなあ)。

さて、この曲の作者、Erick Kazという人は最近20数年ぶりに新録アルバムを出したのだけれど、ぼくは買っていない。もうどうしようもないといったファンでもなかったし、今の彼がどうなっていようがあまり興味がなかったからだ。

しかし、僕が好きなシンガー&ソングライター系のアルバムの三指に入るアルバムのうちニ枚を世に送り出した名盤制作者として彼、エリック・カズは、ぼくの脳に記憶されている。

ぼくにとっての2/3は、彼の“Cul-de-Sac”と“If you are lonly”。その前者、邦訳「袋小路」などといういかにもな名前がついたCul-de-Sacの6番目がこの曲。

しょっぱなから歌詞は「目を閉じて。聴いて。なかないで。君への僕の愛はなくなることはない」である。あのなあ。きみののろけやくどき文句なぞ聞いている暇はないんだが、と一瞬思うのだけれど、美しいメロディーラインが、針を載せかえるという80年代以前によくあった行動を躊躇させる。

この構造は今も変わっていない。導入の歌詞を聞いて、「おいおい」と違う曲にクリックしようと考えるぼくなのだが、あまりのメロディーラインに聞きほれてしまう。一種の麻薬である。それも極上の。

それでも、この曲をかけて、落ちた女の子はいなかった。

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[013]All the Young Dudes

All the Young Dudesデビッド・ボウイも歌ったこの曲。ぼくは、Mott the Hoopleのアルバムで初めて聴いた。

表題タイトルのサビの部分を聴くたびに、まだ女の子に慣れていなかった頃の甘酸っぱいに気持ちが甦ってくるのは、かなり恥ずかしい。

おまけにイントロのギターフレーズを何度もコピーして悦に入っていたなんて、50代になろうとしている今だから、こうやってネット上にもさらけ出せるほど、再びいうが、あまりに恥ずかしい。この曲は僕にとって青臭い時代を代表する一曲。

冷静にいま聴けば、アレンジや演奏、声はデビット・ボウイの方がよいし、曲のレベルとしてもたいしたものではない。

しかし、「すべての若き野郎ども」などというベタな翻訳タイトルがついたこの曲にはそういった冷静さを解体するだけの酸っぱい香りに満ちている。

音は出会った時間でその価値が代わってしまう。年齢や状況やいろいろな事情で。


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[012] 乱れ髪

大滝詠一<大滝詠一のファーストアルバム“大滝詠一”の一曲。

イントロのストリングスからピアノの伴奏。柔らかい大滝の歌声が聞こえると、ぼくは80年代前半の青臭い時代へと一気に連れて行かれてしまう。

髪を雨に見立てたあたり、浮世絵の描写にも通じる、つとめて日本的な世界が表現されているように感じた。

それでも、その感覚はあくまで、「髪が降る」というフレーズに集約される描写であって、通底する意識は徹底したアメリカンポップミュージックへの洞察と憧憬によって作り上げられた大滝詠一の世界に他ならない。

基地から離れた福生の街に入り込んで、路地を歩いていた時、雨が降り始めた。当然のように、頭の中に、この曲が鳴りはじめた。

まだiPodはおろかワォークマンさえこの世に存在していなかった頃のこと。

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[011] 歓聚歌

新寳島康樂隊第3集の一曲。

1987年以降、台湾では戒厳令が解除され、実に85パーセントの人で母語であったにも関わらず、虐げられていた言語である台湾語や客家語によるメディアにおける表現が可能になった。

そして90年代に入るとそれまでポップミュージックの世界では日本で言う演歌的な音楽以外皆無だった台湾語のポップミュージックの萌芽が見えてくる。

そんな中、意識的に台湾人としてのアイデンティティを表現の中枢にすえ登場した新寳島康樂隊という二人組の大ヒット曲。台湾MTVのテーマソングにも使われた。

この曲のコーラス部分は台湾の先住民族であるタイヤル人のタイヤル語で歌われ、ラップ的なメインメロディラインは、台湾語と客家語のかけあい。

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照屋林助さんが

本日未明にお亡くなりになったという連絡が。
入院されていたりしてはいたけれど。
新しいワタブーショーの一環というか、
そうであってほしいと思ったりもした。
しかしやはりそういうことだそうだ。合掌。

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上間てんぷら改名す

中部病院前の「上間てんぷら」が店名変更していた。久しぶりに前を通ったのでてんぷらを買っていこうかと思ったところ、看板が「金晃てんぷら」となっている。

何が起こったのか?それより味が変わったかどうかが気になる。早速買って食す。

大丈夫。中部一の味は健在であった。

ぼくは、「いか」と「まめ(いんげん)」が好きだ。それぞれ一個40円。芋も自然の甘さが素敵だ。

そういえば、今日は三線の日。読谷で、恒例の三線の大演奏会があった。なぜ読谷かといえば赤犬子(あかいんこ)宮があるからなんだろうけれどね。たくさんの出演者がいたなかで、誠小のライブが45分ほど。やっぱりこのおじい凄いわ。

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連続カチャーシー2005

renkacha.jpgキャンパスレコードで予約していた“連続カチャーシー2005”を購入。2100円(税込)。ねぐらで聴きながらこの文章を書いている。

1000枚限定沖縄先行発売で缶バッジ付き。昨年12月26日の青山CAYでのライブの翌日、FMラジオに出演したのち数時間で録音したという話である。

“連続カチャーシー”といえば、金城実による超名盤が沖縄民謡史に燦然と光り輝いているわけだが、今回のアルバムは金城実&よなは徹のコラボレーションによる2005年盤というふれこみ。

1)連続カチャーシー2005(嘉手久~アッチャメー小~多幸山~天川~唐船ドーイ)
2)南洋帰り
3)姑ガナシ

1曲目は21分21秒の連続演奏メドレー。二人のかけ合いによる歌詞はアドリブ多数。この録音前夜、CAYで行われたライブに参加した、松田一利、内里美香も参加。2曲目は、金城実の十八番。あらあら、ビセマキ嬢もコーラスで参加。ついにレコードデビューか。ラストは金城実先生の独壇場。

金城実という歌者は沖縄民謡の大御所ではあるが、ぼくには他の民謡歌手とは異なり多分に「亜熱帯の歌手」というイメージが強い。父親とともに渡ったパラオや台湾での生活がそういったにおいを醸し出しているのかもしれない。未だ適切な言葉が浮かばないのだが、一種のバタ臭さというか、たとえばインドネシアのダンドゥトやマレーシアのジョゲ、P.ラムリー、パン・ワンチンなどを聴いた時と似た感覚を覚えるのだ。暑さと湿気にくるまれた濃密な熱帯の夜というか…。

一般的に沖縄音楽関係では、こういった彼のような沖縄の歌者の存在を語る時に米国のソウルシンガーやブルーズシンガーになぞらえる傾向があるわけだが(誠小などに対してもそうだ)、逆に沖縄民謡というものを亜熱帯(熱帯)アジア歌謡の系譜の中で語ることが可能なのかもしれないと金城実という歌者を聴いていて思うこともある。もしくは黒潮歌謡、はたまた偏西風歌謡とでもいうのか。

一方でよなは徹は昨年からカチャーシーづいているわけだが、“カチャーシー・ア・ゴーゴー”の同世代とのコラボレーションとはまた異なった魅力を見せているように感じる。そういった魅力もこのアルバムにはある。

現在沖縄限定発売であるため、沖縄旅行のついでか通信販売でしか手に入らない。内地の人間が聴くにはめんどくさい状況ではあるけれど、この5月に全国版が発売になるとのこと。ちょっと沖縄限定発売からのスパンが長すぎるという気がしないでもないけれど。

とにかくぼくにはかなり楽しめたアルバムであった。

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[010] 恋は桃色

Hosono House梅雨の季節。友達と車に乗って福生へ遊びに行ったあと、なぜだか理由は思い出せないのだけれど、国道16号線を北上して、埼玉県の狭山市というところを流れる入間川のほとりまでやってきた。

ここは荒川の上流。河原にはこぶし大の石がごろごろしていて、両岸の土手の上には車が一台だけ通れるくらいの舗装がところどころはがれた道が続いている。

その道を走っているとき、ラジカセのテープがこの曲になった。友達と顔を見合わせて、

「この場所じゃないか?」

ふたりで勝手に確信した。この曲はこのあたりの空気の記憶で作られたのではないかと?

細野晴臣、小坂忠などが、その入間川から程近い、稲荷山公園に隣接する入間基地の返還された外人ハウスにスタジオを構えていたのを知ったのはそれから数日後のこと。別の友達が稲荷山公園で彼等に会ったというのだ。

ミュージックマガジン(その頃はまだニューミュージックマガジンだった)で、そんな細野晴臣たちの創作生活のレポートが載ったのは2ヶ月後だった。

ぼくたにはまだガールフレンドはいなかったので恋が桃色かどうか知るにはあと4ヶ月くらい必要だった。

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[009] ふりむけばカエル

Granola矢野顕子という人の声はドレミファソラシドの間の微分音を声で表現できる点で独特であるみたいなことを、二人目の旦那である坂本龍一が、インタビューかなにかで言っていたように記憶する。勘違いかもしれないけれど。

それでも、矢野顕子という人の声が学校で習う楽典では表現していない音をきちんとお金を取れる音楽の一部として表現していて、なおかつ気持ちよいという点については否定しない。というかできない。

そんな矢野顕子の名前を初めて知ったのは「火の玉ボーイ」のクレジットで。矢野誠の妻からYMOのツアーに参加し、坂本龍一の妻となり、多くの作品を発表してきた彼女の数ある曲の中で今でもよく聴いている曲。

なぜ、カエルなのか?。なぜ振り向いたのか?。よくわからないが、作詞した糸井重里氏の世界ではある。よくわからないけれど、そういうことだよな、と納得できる世界。

「そのときどぉぉぉ~~にかなぁ~ると」というフレーズに彼女の凄さのすべてが含有されてはいまいか?

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[008] All Along the Watchtower

Electronic Lady LandオリジナルはBob Dylanの"John Wesley Harding"(1967)に収録。邦題は確か「見張り塔からずっと」だった。

多くのミュージシャンによってカヴァーされているが、ぼくが今も聴きつづけているのは、大方の音楽ファンと同じように、Jimi Hendlixによるカヴァーヴァージョン。ボブ・ディランのオリジナルをはじめて聴いたときはいい曲だなあという感想だったのだけれど、ジミ・ヘンドリックスのそれはカッコイイ!とうなった。

その頃の中学生がやるようにコピーしたりしてみたけれど、ギターはまったくはがたたず。天才のプレーは音を拾えても同じような音は出ないということを知った。しかしながら、ベースはしろうとでもそれなりに演奏できてしまうことが発覚。2弦しか使わなかったからだ。なので、よたよたのギターであっても、ドラムさえよければなんとかなるという、そういう曲。

その簡単なベースラインだが、もしかしたら、これがこの曲の聴き所かもしれない。一番クールだ。ぼくがベースの刻むリズムと太い音が好きということもあるのかもしれないが。

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[007] I Looked Away

LaylaEric Claptonがアメリカ南部にどっぷりつかったデレク&ドミノスの2枚組LPの一曲。

このアルバムではジョージ・ハリスンの奥方に捧げた“Layla”が圧倒的に有名な曲なのだけれど、ぼくが何度もリピートして聴いたのがこの曲だった。つまり、2枚組LPの一曲目を繰り返し聴いていた。一曲目だったので聴いたあと、再びレコード盤に針を乗せるのはちょっと楽だった

オトナになってから訪れたアメリカの南部デルタ地帯。ミシシッピーの川面で思わず口ずさんだ曲でもある。なぜあの時、ローバート・ジョンソンじゃなかったのだろうか。それは今でも謎だ。

おそらく日本語で「メロウ」という言葉を使うならこの曲と、ビートルズのホワイト・アルバムに収録されたジョージ・ハリソン作による「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウイープス」がぴったりくるんじゃないだろうか?。

オトナはロマンチックな存在なのかもしれないと、まだまだ夢をみていた子供の頃の話。

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[006] Willin'

Sailin' Shoes<Little Feat>は1stアルバムから、Ry Cooderとともに、新作が出るたびに買いつづけていた。The Beatlesにはちょっと遅れていたし、The BandはすでにMusic From Big Pink でボブ・ディランのバックバンドから足を洗ってデビューしていたという微妙な小学生時代にロックに目覚めたぼくなので、リアルタイムにThe Bandを聴いたのは2枚目から。

そう考えるとLittle Featはぼくの音楽歴の中でも幹に当たる部分を形成してくれたバンドと考えられるかもしれない。

このWillin'はリーダーであるLowell Georgeによって1970年に書かれたLittle Featの代表曲のひとつ。デビューアルバム“Little Feat”(1971)、セカンドアルバムの“Sailin’ Shoes”(1972)、そして後のライブアルバムであるWaiting for Columbus(1978)に収録されている。

そういえば、この曲で、はじめてトゥクムカリとかターナパとかといったアメリカの土地の名前を知った。

1stアルバムでのライ・クーダーによるスティールギターが入ったヴァージョンもオリジナルとして当然悪くないのだが、ビル・ペインのピアノがフューチャーされたセカンドアルバムのWillin'が少々カントリー臭が漂うあたりは興ざめな面があるものの、個人的にはマストだと感じていいる。

ミラノの街中を友達の家に向いながらこの曲を聴いている。

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[005] Sharp As A Needle

Barmy ArmyDUBが好きだ。

リー・スクラッチ・ペリー御大を始祖とする解体と再構築によって作り上げられたDUBだ。

その継承者としてStadio1の英国DUB係としてこの世に現れたON-Uレーベル。その主宰者でもありDJでもあるエイドリアン・シャーウッドも当然ぼくは好きである。

表題の曲はエイドリアン・シャーウッドのBarmy Armyという名義による1989年発売のアルバムEnglish diseaseの二曲目。

Barmy Armyは訳せば「バカ軍団」あたりだろうし、アルバムタイルは「英国病」。イングランドのプレミアリーグ以前のスタジアムでのサポーターの歌声や応援歌、罵声、歓声を録音し、切り貼りし、様様なサウンドを新しく加えて作られた全編DUBアルバムだ。

このアルバムのためにサンプリングされたフットボールクラブはWest Ham United、Liverpool、Manchester City、Blackburn Rovers、Stockport County、Crewe Alexander、Leyton Orient、Wimbledon、Nottingham Forestなど。

もともとは「Glory,Glory」というタイトルでON-Uファンに知られていた曲だが、1988年初頭にLP化されるにあたって表題のタイトルに変更されている。

この曲では途中、リバプールの“you'll never walk alone"の一節もまさにタイトルどおり「抜け目なく」サンプリングされて登場。

なかなかフットボールファンには分かりづらい内容なのか、このアルバムを日本のサッカーファンに聞かせてもまったく反応がないのはしょうがないけれど、On-Uファンの間では英国的ウイットとイヤミにON-Uらしいファンク、ダブ、パンク系のサウンドがあいまって評価は高い。

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[004] A Case of You

miles of aislesJoni Mitchelのマスターピースの一曲と思っているのはおそらくぼくだけではないと思う。

歌詞を見れば、たわいない男と女の三角関係なのだが、その歌詞と単語の選び方が秀逸。叙情的なメロディーラインに載せて歌われると、いろいろな出来事が走馬灯のようにぼくの脳裏を駆け巡っていく。Am7、C、Dm、Em、F、G、G2というコード進行も単純にして美しい。

いま、ダルシマーが刻むイントロを機内で聴いていると、かつての家族と歩いた冬のサント・ロペの港をなぜか思い出してしまった。

そのダルシマーの音がクリアな分、マイルズ・オブ・アイルズのライブテイクの方をぼくは好む。観衆がサビのコーラスを唄うくだりも陳腐な表現になるが心に染み入る。

20世紀に生まれた名曲であることは誰も否定できないはずだ。

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もっと容量の大きなiPodがほしい

真っ当なぼくと同じ世代の人間なら、iPod Photo60GBでは、すでに容量が足りなくなっているはずだ。

ぼく程度の音楽歴(35年ぐらいか)であったとしても、手持ちのCDでインポートしたものは全体の30パーセントぐらい。

もちろん、CD以外のメディアも手持ちがちょっとだけあって、アナログ盤にもなっていないカセットが5000本。CDで買いなおした以外のアナログ盤とSP盤が1万枚程度。たいした数ではないのだが、こういった我が家の音楽を包含したメディアのストックのうちのCDの30パーセントなのに、60GBなんて容量ではあふれてしまって、たいへん困っているのだ。

当然毎月、新譜、旧譜問わず購入するものも少なくない。そのため、新譜を買うたびに、iPODに転送しない曲やアルバムが増えてくるということになるわけである。

もちろん、iPod Shuttleぐらいの容量でも十分という人がいることは承知している。

しかし、60GBでは足りない人もいるのだ。iPod以外で100GBのプレーヤーが出るらしいが、一度iPodに行ったらそのまま続けていかないとめんどくさい。1.8インチ100GBぐらいのHDDを東芝さんが作ってくれたら即座にiPodの100GBを作ってほしい。大容量すぎて怖いという話についてはきく耳は持たない。壊れたら買いなおせばいいのだ。

とにかく、60GBでは足りない。本当のことをいえば100GBでも足りない。だいたい我が家の音楽をすべてiPodにおさめたいと思えば現状で200GBぐらいが必要だろう。もちろん、iPod Photo 60GBを三つ買うという選択もある。しかし、三つを持ち歩くというめんどくささはできれば避けたい。

とにかくもっと大容量のiPodを。世の中、小さいだけがいいわけではないぞ。

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[003] 汗水節(あしみじぶし)

汗を流して働いて頑張ろうという、仲本稔作詞による「新」民謡。作曲は宮良長包。長包メロディーの代表曲のひとつでもあり、沖縄民謡の三大教訓歌のひとつとも呼ばれる。

昭和3年(1929年)、沖縄県は昭和天皇即位を記念した記念事業の一環として勤倹貯蓄に関する論文や民謡、童話を県民から募集。その民謡の部で3位(1位、2位は該当なし)に入選したのが具志頭村出身の仲本稔による「勤倹力行の奨」という歌詞。そのタイトルが県によって「汗水節」と改題され、宮良長包によってメロディーがつけられ、ついに今に残る教訓歌「汗水節」が生まれたのだそうである。

頑張って働いていこうという歌であるにも関わらず、働くことのつらさを表現しているのか、このテンポ、メロディーともに泣きが入っている。メローだ。そのメロディーは上へ、そして下へ。力をいれて汗を流すこと。そしてその後の開放感を表現しているのだろうか。

多くの民謡歌手がテープやレコードに残しているが、やはり、ぼくとしては嘉手苅林昌のものが一番。真面目に仕事をしていくことの対極にいるようなイメージの風狂の人、嘉手苅林昌がというと、冗談に聞こえるかもしれないけれど、30歳近くまできつい労働で苦労していた嘉手苅林昌の人となりを思えば、十八番のひとつにしていたというのもうなづけよう。

うたは大城美佐子で林昌自身は三線と囃子だけであるが、かつてVictorから発売された“彩なす島の伝説 沖縄島唄 嘉手苅林昌 Vol.2”VICG-5144で視聴可能。庶民の間で流行したものではなく、オリジナルの歌詞で歌われている。

話はそれるが、このCD、“汗水節”の前に“県道節”という曲が収録されている。実は、この“県道節”の方は「働くな」というサボタージュ賛美の歌。この曲の並びは、アルバムの監修/企画の竹中労氏らしいウイットかもしれない。

昨今の不況もあるのか、昨年からは作詞者である仲本氏の生まれ故郷、具志頭村において「汗水節大会」なる大会が開催されるなど、この唄の再評価もはじまっているように感じる。

そんな話題を抜きにして、教訓やお説教などが大嫌いなぼくが、昔からふとした時に、この曲を口ずさむことが多い。それだけこのメロディーラインは良い。8886の琉歌の歌詞にもぴたりだ。

昨年葛飾でのライブで一曲目によなは徹がこの曲を歌った。ぼくにとってかなりのツボだった。

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[002] ジャブアップファミリー

NouvellesVaguesまだ童貞だった。オトナの性の世界はもちろん、オトナが嗜むことを法律で規制されている世界もまったく経験がなかったし、家族というものの複雑な存在を考察することもかなわなかった。

それでも、この曲のダブルミーニングを面白いと感じた。

それもこれも、このリズムのおかげかじゃなかっただろうか。

ムーンライダーズの“ヌーベルヴァーグ”は名盤であるとともに、名曲がつまっている。今でも本当にそう思う。

かなりのオトナになってからのムーンライダーズのライブで、この曲が演奏されると観客席からたくさんのニンニクが投げられていた。なぜニンニクだったのか、今もはっきりと言語化することは難しい。それでも、あの時はニンニクをステージに投げるしかぼくたちに残された行為はなかった。それだけは今でも神に誓ってはっきりと言う事ができる。

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[001] Love of the Common Man

faithful大学生の頃アルバイトをして初代ウォークマンを買った。もう四半世紀前の話。

その頃アメリカの黒人が巨大なラジカセを肩にかついでいる姿をNYの下町で見かけたことがあったが、ぼくにそんなまねができるわけはなかったわけで、音楽を街中で聴けるなんて夢のような出来事だった。

その時まっさきにアナログ盤からカセットテープに録音したのがこの曲

普通の人の愛?。なんというタイトルかと思ったし、英語の歌詞には象牙の塔なんていうのがでてきて、白い巨塔かよ、と思ったりもした。その頃通っていた大学の7号館が初代テレビ版白い巨塔のオープニングに使われていたことはなんの関係もない。

今でも週に数回は聴く。

Todd Rundgrenはミュージシャンズミュージシャンと呼ばれるメロディーメーカーで名曲の数々を残している。その中でも珠玉の一曲であることは間違いない。

ただ、この曲が入っているアルバムFaithfulはToddのアルバムの中で一番かというと疑問だ。BeatlesのWhite Album的な位置付けになるのかもしれない。

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島うたの小ぶしのなかで

コザのとある本屋。大通りに面している書店なのだけれどなぜかほとんどの本の背が「古本であってもここまではなあ」というほど焼けていて、ほんとに新刊?と訝るほどの不思議さ爆発。もしかしたら再販制度に背を向けて、消費者に文化を!などというコンセプトで安く売っているのかと思って試しに買ったら定価だったという本屋。

shimauta.jpgその本屋で、しまうた業界の重鎮のひとり上原直彦氏の1995年に上梓された<島うたの小ぶしの中で>という本をみつけたのが去年の11月。買おうかどうしようか、その時迷ったのだが現金の手持ちがなくて保留。購入したのは今年1月になってから。11月の時点で、ここはコザだから絶対にこれは売れないと踏んだわけだがその予測が当たった。

ねぐらに戻って紐解くと、今までぼくの知らなかった歌者たちのエピソードや素顔が綴られていてぼくなんかからすると、ひるぎ社のおきなわ文庫の一冊<大城學 沖縄新民謡の系譜>にも匹敵する宝物に近い書籍であることが発覚。その本をねぐらに忘れ東京へ。やっと先週から続きを読んで読了した次第。きっと、民謡関係の書籍だから、コザから離れたくなかったんだろうと勝手に納得。

とにかく鬼籍に入った歌者から今も活躍する歌者まで、彼ら、彼女らに関する話がこれでもかと活字化されている。氏は琉球放送のラジオ局でアナウンサーとしてプロデューサーとして、そして島うたの作詞者として生きてきた方なので、経験に裏打ちされた数々の事実は沖縄の音楽を見ていくうえで貴重。どうやらこの書籍はもう絶版らしいので、多くの人が読めないというのは残念でならない。

上原直彦氏はいくつかの著作がある。もっとも最近のそれはキャンパスレコードのWebで連載されている文章をまとめて昨年上梓された<浮世真ん中>。今も毎週更新されているので沖縄における業界の感性と意見が垣間見えるという意味で興味深い。

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Nee

nee.jpg今月の9日に見た下地勇の<Nee>。

ライブでもやっていた曲の歌詞と日本語訳をみていると、非常にメッセージ性に富んだ曲が多いことに改めて気がつく。わかんないって。ライブを聴いただけでは。

正直この歌詞を日本語でやられたら少々きつい内容かとも愚考する。しかしミャークフツで歌われることによってバイアスがかかり素直に聴くことができる。なによりメロディーラインにミャークフツがしっかりのっているのがいい。

シンガーソングライターはメッセージ性が重要という、ちょっと今となっては恥ずかしい気がしないでもないウディ・ガスリーやボブ・ディラン以来のテーゼがあるわけだけれど、改めて下地勇のCDを聴くと、「メッセージ性」というテーゼは生きていて良いし、いまも生きていると。

CDの収録限界ぎりぎりまで全13曲がつまっている。

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よなは徹ライブ@豚々美in那覇

tontonmi.jpgよなは徹のライブを那覇で見る。

北谷栄口区(謝刈【じゃーがる】2区)在住の彼だが、以前話を聞いたところ生まれは那覇。ということは生まれ故郷でのライブということになるのか。

開演30分前に到着すると大量の料理が並べられていて客は勝手にとって食べろということになっていた。串カツが非常に美味しかったのだが、あとで考えるとこの店の名前は豚々美。納得である。

ライブは奥のスナック風のステージで開始。予約していたので席が確保されていた。

すでに沖縄の唄者としては確固たる地位を築いている彼は一昨年あたりからは東京のレコード会社と契約し世界へとその活動範囲を広げはじめている。営業が勝っているという言い方もできるのかもしれない。今時の若者ということなのかもしれない。

それでも、こういった小さなそれも沖縄観光産業の優等生的居酒屋でのライブであってもしっかり客を楽しませ、きちんと歌う。2部構成のライブは手馴れたものだろう。安心してみることができた。

食べ放題(たいしたものはないが)、飲み放題(久米仙だけど)に、よなは徹の2ステージがついて3000円。せこい話だがおとくだったと感じた。

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そろそろカルナバルだなぁ

今年もそろそろ謝肉祭。いわゆるカルナバル。ブラジウ人とくにバイーアやヒオ出身者にとっては、どんな手段を使っても参加しなければ一生の不覚という時期になってきた。

この時期になるとヒオ周辺出身の世界のブラジル人フットボール選手および関係者は元気がなくなったり、自主的に怪我したり、ブラジウに用事ができたりして帰国するのである。

ぼくのフェバリットであるエジムンドは、セリエAのフィオレンティーナにいた頃、この時期カンピオナートをほっぽらかしてちゃんと帰った。おそらく以前Jリーグにやって来たのは、リーグ戦がカルナバルとかぶらないからだとぼくは今も思っている。

そういえばかつてこの時期怪我していたはずの現マドリーのデブ(ホナウドという名前だった)が、当日ヒオで踊っている写真をネットで見たりしたこともあった。当然、現日本代表監督様も昨年はなんだか都合ができてブラジウにお帰りになった。しょうがないのである。そういうものなのである。

さて、今年は、2月6,7日のあたりらしい。

沼地にある赤いチームのエメルソンがキャンプに来ないのもこれが理由だ。現マドリーのデブ(ホナウドという名前だと思う)が怪我したのもそのせい。アドリアーノがここんとこ元気ないのも間違いなくそれだ。はたしてアドリアーノは当日ヒオにいるかどうか。注目である。ぼくはそれでもいいと思っている。しょうがないのだ。

で、現日本代表監督の神様。彼が所属するサンバチームは、ベイジャフロールといってここんとこ2年連続1部の優勝チーム。今年の出番はトリで、2月7日の最後。日本時間でいえば、2月8日の昼前後。

ということは、ほれ、ドイツW杯予選の北朝鮮戦が日本時間2月9日(旧正月当日だねえ)夜にあるわけで、カルナバルに参加したら日本に戻れない。というか、その試合以前は日本を離れるわけにはいかない。

ということは、現日本代表監督様は今年のカルナバルはあきらめたということなのであろう。気を落とさないでね。ジーコ。

なもんで、命と家族の次くらいに大切なカルナバルをほっぽって監督稼業を行うジーコに結果を与えるように、出場する日本代表選手にはお願いしたい。

当然のことだが、応援に行く人もぬるいことしないように。ジーコは引き裂かれそうな心を鬼にして代表監督様を勤めているのだ。

ジンギスカンは正直ださくて卒倒したが、若い子がなんかやってんだからほっとく。けれど、カリオカであるジーコの心意気は富士山より高く評価するように。評価してしっかり応援するように。よろしくね。

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ボロジノ娘デビュー

ボロジノ娘はじめて「ボロジノ」という単語に出会ったのは祖父が関係していた日本海海戦。バルチック艦隊との一戦についての本を読んでいた時。例のZ旗が上がった「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ」の戦い。たぶん小学校低学年の頃だろう。

東洋の黄色人種の三流国が帝政ロシアに勝利した日本海海戦は世界を驚愕させるにあまりある結果を残した。この時、ロシア側の旗艦がフランス製造の「ボロジノ」級4番艦スワロフ(因みに大日本帝国海軍の旗艦三笠はイギリス製)だった。別にボロジノ号という戦艦もバルチック艦隊に参加しているが両艦とも帝国海軍の攻撃により撃沈されている。

「ボロジノ」というのはもともとモスクワ近郊の土地の名前らしい。モスクワ遠征を試みたナポレオン軍が1812年9月7日ロシア軍と交戦した場所がモスクワ近郊ボロジノ。こちらの勝敗は決しなかったらしいが、ナポレオン軍に10万もの死者を出し、その後のナポレオン軍敗走の契機となったとのこと。

そんな「ボロジノ」の名前を冠した南大東島出身の少女民謡グループのミニデビューアルバムがこの『夢は大きく…』。関係ないけれど、那覇の泊にボロジノ食堂という店が昨年オープンしたそうな。南大東出身の方がやっているらしい。安いらしい。行ったことないけれど。

買った時に「なんでボロジノなんだ?」と訝ったが、翌日キャンパスレコードの働き者社長令嬢(だよね?)真紀子女史に聞いたところ、「ロシアのボロジノ号という船が大東島の近くを通り、その後南大東島が『ボロジノアイランド』と呼ばれていたから」というお答え。

そういえばそんな話、どこかで読んだことがあった。なるほど。ということで疑問氷解。

曲は少女たちの師匠新垣則夫、新垣良美などが提供。作詞に彼女たちの先輩にあたる内里美香の名前も。サウンドプロデュースとギターにアコースティックMの知名勝。南大東島とコザ近辺の人間が集まったという印象。

少女5人は高校2年生から下は小学校5年生。みんななんらかの民謡関係の賞を受賞しているという優等生。あとで持っているCDを確認したら、師匠新垣則夫のアルバム『トゥックイ小 のりーしんかの島うた』に宮平梓と野村麻莉が参加していた。なるほど。

とにかくつかみの1曲目「夢は大きく民謡歌手」にすでにやられた。そこから5曲目「花ぬまさかい」までしっかり聴かされてしまう。じじ臭いがあたりまえのこととして、若いって凄いことだ、と感心。サウンドプロデュースは知名勝だが、彼の島うた関係のライブでのギターのように前にでしゃばらず三線の音を生かしかつ彼女たちの個性を考えた仕上がりで非常に好感が持てる。喜屋武マリーのバックバンドから初めて20年以上沖縄で音楽をやってきたセンスは伊達ではない。

ジャケットの化粧はちと濃すぎない?と思ったりもするが、師匠のアルバムも黒潮バックにちょんまげという強烈ジャケットだったからそれに比べれば、などと納得。

そのうちいろいろなところで買えるんだろうが、とりあえずコザの「キャンパスレコード」にしかまだ売ってなかった。

ボロジノ娘 夢は大きく… ンナルフォンレコード 15NCD-48

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神谷千尋@KOZA MOD's 01.09

土曜日に続いてMOD'sへ闘牛後に神谷千尋のライブにでかける。

入場するとアコースティックMの知名勝がビールを飲んでいる。去年のライブではパーカッションを叩いていたしゃかりの上地一成の姿は見えない。誰がバックにつくのか興味があったが今日はどうやら二人だけのようだ。

開演時間の8時を過ぎて、知名勝がステージにたち、続いて神谷千尋登場。内里美香ほどではないが、ちょっと太ったか。MCをいれずに最初からニ曲連続で。声も出ているし、三線もいい。彼女は自分の爪で弾くので音量に難はあるのだが、彼女の声と曲には順当ではないか。

昨年数回彼女のライブを見ていていて、何か足りないという感が強かったのだけれど今日はそんな不安はない。そう確信できる出来だった。

案の定、今日のライブは安定しているだけでなく、ツボを心得た知名のギターもあいまって彼女の魅力が十分にわかる出来だったように思う。

ふと気がつくと、よなは徹が遊びに来ていて、セカンドセットには一曲だけ三線で参加。予期せぬお年玉だった。

終了後、ぼんやりしていると、マスターの喜屋武さんに「一緒に話しませんか」と呼ばれ、神谷、知名、よなはらとともに、午前2時近くまでゆんたく。

mods2.jpg

大きな声ではいえないが津堅島出身という神谷千尋が実は具志川出身だとか、知名勝のプロデビューは喜屋武マリー&メドゥーサだったとか、MOD'sのマスターはコザのギター小僧としてならしオールナイトロックフェスティバルなどにも出演していたとか、よなは徹のカチャーシー・ア・ゴー・ゴー録音時はテープルの上がビールの空き缶でいっぱいになったとか、神谷のマネージャーでキャンパスの社長令嬢(だよね?)の真紀子女史は金城実せんせーに三線を習っているが先生が忙しくなったため去年の7月からお稽古してもらっていなくて、一回千円のチケットがまだあまっているとか、ろいろな裏話を聞くことができた夜だった。

今日になってからユニオンで買い物してねぐらにもどる。

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下地勇@KOZA MOD's

宮古方言(ミャークフツ)で歌う下地勇のライブ。

大柄で彫りの深い顔立ちの彼がステージに現れ、まったく分からない言葉で早口にオリジナル曲を奏でる。おそらくおっかけかと思われる女性ファンがうっとりと身体をゆすっている。

その後も、まったく分からない言葉で次々とオリジナルの曲を演奏していく。

何曲か聞いたことはあるのだけれど、ライブを見るのははじめて。結論をいえば、久しぶりにまともに聴けたシンガーソングライターだった。ギター一本でヤマトグチとミャークフツの曲を歌いまくる様ははるか昔アメリカのシンガーソングライターに入れあげていた頃に感じていた感覚だ。

ミャークフツで歌うという行為はここまで鮮烈なのか。fやvの音が耳にひっかかり、喉をならす口顎音にロシア語のジュルナールの「ジュ」みたいな音も飛びだす。

意味はまったく分からないのだけれど、ミャークフツの「音」が彼の作るメロディーラインにしっかりとはまっている。おそらく自らの表現の手段として宮古方言、いや宮古語で歌うことを選んだのだろうが、きちんと成立している点は気分がよい。

ウチナーグチはそれなりにわかるけれど、ぼくにとって、まったくわからない、意味さえ想像もつかない宮古方言でギター一本というライブ。新しい経験をさせてもらったように思う。

mods1.jpg

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シーシーシーディー

つれが年末に買ってきたブラジウの2枚組CD。

いつものようにiPod用にMP3化。まあ15分もあれば終わるだろうと1枚目をPCのDVDドライブのトレイに載せた。すると「はぁ?」。曰く

「このCDを再生すんにはソフトが必要なんだよ。てめーのPCにそのソフトをインストールしていいか?ちなみにレジストリー書き換えっからよ」

などという傍若無人なアラートウインドウが登場。正月早々縁起が悪い。

毎月かなりの量のCDを買うぼくではあるが、基本としてどんなに好きなミュージシャンであったとしても、コピーコントロールCDだったら、絶対に買わないという掟があるので、今まで巷間「シーシーシーディー」とか「なんちゃらゲート」とかほざいているCD(CCCDである時点でCDではないのだが)に自宅の敷居をまたがせたことはなかった。部屋もそうだが心も穢れるからである。

しかし今回つれが気づかずに、その穢れたやつを買ってきたしまったわけだ。こうなったなら、その穢れを即座に浄化しなければいけない。つまりこのアルバムをMP3化して成仏させてやらなければいけない。それが人間の優しさというものだ。

ところがそういった穢れたモノを買ったことがないぼくは、CCCDもリッピングできるとは聞いていたものの、その方法をしらなかった。そこでgoogle。数分後にはすべてが氷解し必要なフリーウエアをダウンロード。設定終了。使ってみる。お、なんとかできそうだ。

が、等倍速でしかリッピングができない。この即断即決が求められる21世紀の大都会にあってこの無駄はなんだ?。ぼくに何をさせたい?え?答えてみてほしい。この「しーしーしーでぃー」なるものを考えて導入した方々。このリッピングソフトを作った方はとにかく偉いわけだけれど、もともと穢れたモノを作って世に出した人間の脳の構造がどうかしている。

著作権とはなんだろうか。守るだけでいいのだろうか。ぼくは印税とかそういうので生活をしているわけだが、コピーするよりも手元において使いつづけたいものを作っていきたいと思っている。音楽に例えればCDなりアナログなりカセットテープなりのオブジェクトメディアで手元におきたいものを作るということだ。

その買ったものを消費者が自分の使用目的でどう使おうと自由。

昨年、輸入CD禁止になってやばいぞ!といった運動もあったが、本当にその人に必要な音楽がその人にとって満足できるメディアでその人のもとに存在できることが、音楽を作った人の幸せではないだろうか。

音楽も本も買う人を幸せにするから売れるのだ。そのモノの価値にぼくたちは対価を払うわけである。

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カチャーシー・ア・ゴーゴー@東京

青山のCAY。最近はとんとご無沙汰だったけれど、アジアやアフリカ系のミュージシャンのライブに足を運んだハコだった。

到着してああそうそうこんな感じだったなあと思い返す。ただその頃はほとんどスタンディングだったと思うのだけれど、今日は椅子席がいっぱい。ただし、すでにほとんどの席が埋まっていてなんとか真中からうしろあたりに席をみつけ着席。

ステージではすでに、琉球アンダーグラウンドのキース・ゴードンが演奏を行っていた。DJスタイルなので今日の徹ちゃん目当てのお客には勝手が違ったのかざわざわと開演前にせわしない。ちょっとキース・ゴードンには不幸だったかもしれないが、「沖縄の余興」とはそういうもの。

そう。いま考えてみると、ぼくは基本的にライブを見るというよりも沖縄の余興に参加しましたといった感覚で見に行ったと考えるのが正解なのかもしれない。

開演時間になって、よなは徹が登場しキース・ゴードンのDJプレイにあわせて三線を爪弾く。当然のことだが時々都音階になったりするのもご愛嬌だ。

その後、内里美香、金城実、松田一利などが登場。後半の大カチャーシー大会まで、お笑い話あり、歌あり、ゲスト演奏ありの「沖縄の余興」が展開。

よなは徹のライブとして考えると物足りないかもしれないし、ゲストのライブも盛り上がりという面ではいまひとつかもしれないが、今日は、余興大会なのだ。昨年園田青年会の創立記念の催しにゲリラ的に参加した時と同じ空気が感じられた。これでいいんだと思う。

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カチャーシー・ア・ゴーゴー

TORUkacha.jpg

「Yonaha Toru presents」とあるが実質“よなは徹”の新譜と考えてもよいだろう。

沖縄の集会&お祝いごと終了時、三線早弾きにあわせて展開される無礼講ダンス大会「カチャーシー」で盛り上がりましょう、というある意味単純明快な企画のもと制作されたのがこのアルバム。

収録曲も、カチャーシーの定番曲がずらっと並び(よなは徹作曲、ビセカツ作詞のオリジナル「沖縄三板(うちなーさんば)」もしっかりカチャーシー)、沖縄のカチャーシー時の常用に耐えうるオーソドックスな作りを意識したとのこと。沖縄好きにはあたりまえナンバーオンパレードなので、安心できる作品にしあがっているといえる。

ところが、このアルバムは実のところ沖縄産音楽CDとして画期的かつ意欲的な作品ともいえるのだ

旧盆に行われるエイサー時、三線を弾き歌うメンバーを「地謡」という。彼等「地謡」の自慢の喉と演奏にあわせ、島太鼓(パーランクーの青年会もあり)を叩きながら町内を練り歩く(道ジュネー)のだ。

島太鼓エイサーの有名どころは、沖縄市の“園田”や“胡屋”など。パーランクーなら勝連町の“平敷屋青年会”に定評がある。

そしてそれらに負けず劣らずの実力を有すると言われているのが、“北谷町栄口青年会”。“栄口”は、このアルバムの中心人物よなは徹の地元である。その栄口青年会から、よなはのほか4人もの地謡が参加しているという点がまずひとつ。彼等の演奏がCD化されたという意義は大きい。

しかも、栄口青年会地謡に加え、他の青年会の地謡も参加し、一緒に演奏し唄っているというなんてことは、これまではまずありえない、稀有な出来事なのだといえる。

参加しているのは、“北谷町謝刈(じゃーがる)区青年会”、“沖縄市泡瀬三区青年会”、“沖縄市園田青年会”、“那覇市首里エイサー同好会”。それぞれ各一名ずつ。少ないようだが、事情通から見れば、「ええ?」と俄かに信じ難い組み合わせだ。

基本的に同じ市町村内の青年会同士はだいたいライバル関係にある。ケンカごしになる場合も珍しくない。また、自治体間、とくに北谷町と沖縄市は、「エイサーならうちだ」とばかり、お互いを徹底的に意識しあっている。

基本的に他の青年会の地謡がいたら、まず、手の内を見せない。唄い方、弾き方を盗まれないように。そのため他地区の地謡同士が集うなんてことは、認めるわけにはいかない当然のタブー。暗黙の了解事項のはず。そういった地元中心主義の伝統を超え、各地区の地謡をこのアルバムのために集めたというのだから、画期的としかいいようがない(おおげさか?)。

ことに最後の「唐船ど~い」は7分間に渡って定番歌詞と即興歌詞を各地謡が歌い継ぐというコール&レスポンス(?)。圧巻。

改めて読むと、かなりド派手な仕上がりかのように思えた人もいるかもしれないけれど、最初に書いたように、このアルバムでは努めてオーソドックスなカチャーシーが展開されている。ため、逆に一聴したあとは物足りなさを覚えるかもしれない。テンポも比較的遅い(これが本当だということだ)。

しかし何度か繰り返して聴き、踊っていると、じわじわと強烈なグルーヴ感が聴く者の身体を走り始める。それが「カチャーシー」の真髄であろう。しに上等である。

ついでに青山のCAYで12月26日、このアルバムを元にしたライブがあるのだそうだ。内里美香も登場。琉球アンダーグラウンドのキース・ゴードンがDJやるとか。どーなるんだ?

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“風のションカネー”を聴く

mika.jpg風のションカネー。

コザのCD屋で買ってきて聴いている。

ジャケットにはちょっとぽっちゃりしたかなという内里美香の笑顔が。

一曲目“風のションカネー”。よなは徹作曲。やっぱり彼はするどい。

いや、個々の曲よりも、全体の印象をコトバにすべきだろう。それほど、このアルバムのつくりは端正で、かつ統一感がとれている。

玉栄プロデュースは成功だと思う。内里美香という稀有な素材の唄と三線を聞かせることに集中した、つまり内里美香という素材に忠実なプロデュースと曲、そして曲順が好ましい。

まず唄について言えばあたりまえなのだが、声が良い。民謡歌手としてだけでなく、ポップシンガーとしての内里美香という顔ものぞかせている。ただそれが、コアとしての民謡またはわらべ歌がきちんと内里にあるという点に神谷千尋の新譜との大きな違いを感じさせる。いや、神谷千尋にしても民謡一家の出身。サラブレッドである。悪いはずはないのだが、プロデュースが千尋を殺していた。その点、内里は、玉栄政昭という音楽家をプロデューサーに得たことでその表現の幅を広げたのだ。

考えてみると今年5月の身内以外の客が4人しかいない玉栄政昭とのライブの頃から、この二人の音楽関係はどんどん熟成されていったのだろう、その結果がこのアルバム。

彼女のこのアルバムに関するインタビューがネット上にあった。そこでわかったことだけれど、作詞に名を連ねている内里明美という人は、あのライブの時来ていた母上だったようである。いろいろな人に愛されて守られて内里美香はどんどん大きくなっているように感じる。そんなアルバム。

12月26日にはよなは徹とともに東京でライブが行われる。青山のCAY。

よなは徹といえば、12月1日は、新譜が発売だ。カチャーシーだそうで。なんでも沖縄市、北谷町、各区の地方が競演とか。聞き物かと思う。

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iPodによる感覚の変容

音楽も聴ける外付けHDDとして購入したiPodなのだけれど、使ってみるとこれは、よく言われるように音楽を聴くという行為を変換・変容する代物なのかもしれないと感じる。

とりあえず事務所内の主だったCDをかたっぱしからMP3やACCに変換してiTunesのライブラリーにぶちこんでiPodに転送してみたわけだが、全部を網羅する前に、すぐにiPodがいっぱいになってしまった。40GBではまったく足りない。なもので発売されたばかりのiPod Photo 60GBを購入。写真をどうこうするというところまで試していないのだけれど、これでまた少しの間変換作業にいそしめる。

おそらくなのだけれど、これまでに購入したアナログ盤、カセットテープ、CDを変換すると500GB前後になるのではないかと思う。40年近く買ってきてそんなもんか。

ところでiPodに手をだしてからCDを買う量が増えた。とくに、ほとんど死蔵していたかつてのアルバムを片っ端からぶちこんだことで、新しい発見に出会い、アナログやカセットテープでしか持っていないアルバムを楽にiPod内へコピーするためにCDがほしくなったりしたのである。

いちいちCDを探したり、トレイに乗せなくてよいために、今まで聴いてなかったアルバムを簡単かつじっくり何度も聴くことが可能になり、評価が変容した作品もある。ムーンライダーズはぼくにとってとっても大事なバンドではあるけれど、フルアルバムでは“A.O.R.”と“ムーンライダーズの夜”については発売当時、身体が受け付けなかった。ところが外に出て聴いてみると何気に好みの曲が見つかったりもする。人間の感覚というものは本当に環境や方法によって変容するものなのだということを確認した。

またシャッフルプレーも悪くない。変換した音楽が、つまり一度は自分がなんらかの意志で購入した音楽が、次から次へとノンストップでかかるので、自分の感覚許容範囲に収まりかつ意外性にあふれたラジオ番組を聴いているような、そんな気にさせる。そしてこれもまたよく言われることだけれど、登川誠仁のあとにResidentsが聞こえてきたりという、まずありえない体験ができたりもする。

ただこの表面加工はなんとかならないか。美しいというけれどガシガシ使うにはセンシティブすぎる。それがAppleだと言われればそれまでだけれど、傷ができようものなら一挙に落胆が訪れるあたりは生活のためのデザインがいまひとつ。ホイールの使い心地など機能デザインは優れているのだけれど…。

カラー液晶になったことについて何も感想がないのかといわれれば、見やすくはなったし、一度カラーになったらモノクロには戻れないとは思うのだけど、それ以上でもそれ以下でもない。とにかくぼくにとっては20GB(実際はそれ以下だけど)容量が増えたという点がiPod Photoのアドバンテージだろうか。

そういえばCDでは音が悪いという知人のミュージシャンがいた。それは事実だけれど、CDの便利さは捨て難かったし、そのオブジェ感は悪くなかった。たぶん彼ならばMP3やACCでは音楽がちゃんと表現できないというに違いない。それでも、iPodという音楽再生機形の中に入ったMP3やACCを聴くことで、音楽の流通や音楽そのものを変容させる可能性は確かにある。

少なくとも、ぼくは音楽を聴く時間が増えたことだけはたしかであるし。

Appleの株価があがっていることも頷ける。

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風のションカネー

今日は内里美香の新譜「風のションカネー」の発売日。
まだ手に入れていないわけで、週末あたりに買おうかと。

唄は、おそらく現在の沖縄若手女唄者の中ではNo.1の美香嬢なので文句はないはずだが、今回は、コザの大人たちがよってたかって盛り上げ役になったような、豪華作詞作曲陣にも期待が高まる。

作詞にビセカツ&上原直彦御大をはじめ久米仁、大島保克など。
作曲は、よなは徹、玉栄政昭、知名定男などが参加。
玉栄政昭の名曲「行かうー」、前川守賢の「泣かんきよ」も。

プロデュースは玉栄政昭。端正な音づくりがされるのではないかと推測。
先に発売になっている神谷千尋の新譜が悪くはないとはいえ、
音作りがいまひとつだったことを考えると期待はできそうに思う。

17、18日に東京でライブがあるらしい。with 玉栄政昭

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雨の日のエンコード

雨続きのためただただMP3の大量生産に走る。

CDを80枚ぐらい入れているケースを数本ずつ机のそばにおき、
かたっぱしからエンコード・・・、しようと思ったのだけど、

「あ、ここに入ってたのかぁ。Brinsely Schwarz」
「えのけん、みっけ」
「どうするかなあ、たぶん、これはもう聴かないよなあ。Monocrome Set」
「こんなの買ってたっけ?。相撲甚句」
「よく聴いてたなあ。On-Uレーベルもん」
「そういえば作詞したんだった…。ランドゥーガ」
「大量の百代ものはやめとこう。きりがないから。それにデータベースに入っていないと曲名打ち込んだりが一苦労」。それでも、まさかと思いつつ、とりあえず試しにトレイに載せてみる。データベースへアクセスするiTune。「ほれ、やっぱりデータベースにない」となぜか安心。編集選曲した8枚組コンピレーションの方も入ってなかったし。
カーヴォ・ベルデとマダガスカルもの。前者はプロト・ブラジウで後者はトランス・マレー&インドネシア。

などといちいち反応してしまうので、なかなか決断に至らず、
エンコードするべきか否かで躊躇の連鎖。

かたづけをしていると過去が発掘され、
記憶が首をもたげて現れる。
その記憶の相手をしていると何も進まなくなる。
同じ構造。

それでもHDDは、まだ50GBあいている。

今日の再発見。
やっぱりトッドラングレンはへんだ。エンジニア参加のザ・バンドのStage Flight。へんにクリアなところがあるにも関わらず、一方で恣意的にくぐもっている音があからさまにあったりして。改めてあたりまえだけど名盤。The Bandは、ほとんどカナダ人。「カナダといえばジョニ・ミッチェルはどこいった?」とまたあっちこっちと引き出してみる。

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MP3も聴けるデジカメデータセーブのためのHDD。iPod。

ここ最近の恒例となっている夜昼逆転ハットトリック状態の朦朧とした頭で「午前10時だから寝るか」と、歯など磨いていたところ、ドアを誰かが叩いている。だいたい世間的には常識的時間ではあるものの、ぼく的には深夜にも匹敵するこういったろくでもない時間にやってくるのは国営放送ひとりあたり8000円の手間賃でやってますの集金人の方と世の中の相場は決まっているわけだけれど、あにはからんや、民営化で揺れまくる、ゆうパック取り扱いな方だった。

持ってきてくれたのは頼んでいたiPod40GB。ええ、買ってしまったんですよ。はい。

とりあえずここにある全CDのうち、10分の1ぐらいはMP3化してあって、HDDの容量はといえば現状3400曲くらいで15GBほど。当然、この家にある全CDをMP3化してもiPod40GBには入りきらないし、倉庫にはここにある3倍ほどのCDと大量のカセットテープと1万枚近くのアナログ盤とSP盤があるので、全部デジタルデータ化しても当然入らない。ぼくの音楽鑑賞史を手のひらに作戦はまだ無理のようだ。というかコンプリートMP3化を目指したらたぶん聞く前にあの世生きだろうから、とりあえずいまある15GBほどはいれておこうかと。

で、残りは、何に使うのか。そう、デジカメの撮影ファイルの一時避難場所に使いたいと思っているのですな。だいたいRAWなんかで写真を撮るようになってしまうとひとつのファイルの大きさが10数メガ。現状2GBのマイクロドライブを使っているのだけれど、100枚ちょっと撮るといっぱい。これではバシバシ撮るわけにもいかない。マイクロドライブの代えを用意しておくのもいいが、例のミュージックプレーヤーから引っこ抜く技ができなくなってしまったいま、たかだか4GBのために5万近くは出せない。それならほとんどiPodを買える。4万5千円ほどだ。もちろん撮影ファイルをiPodへ転送するには別途ハードが必要になるわけでこれが1万円。それなら買うか。そういう流れだったわけです。

で、とりあえず、iTuneからMP3を移動。聴いてみる。別に悪くない。あたりまえだが素晴らしいというほどでもない。普通に使えるだろう。ただこれは添付のイヤホンで聞いた結果ではない。ついてきたイヤホンは糞。粗大ではないがゴミ以下。ついてくるだけ資源の無駄遣い。なもので、とっとと、いつも使っているノイズリダクションのものに取り替えて聴いての感想。

それはそうと外装に指紋や汚れや傷がかなりつきやすいと耳にしていたが確かにそのとおり。個人的には別に美しいとも思わないが、おそらく一般的には美しいであろう姿がすぐぼろぼろになってしまう。なので入れ物がたくさん出ているということか、で納得。

ただ、いくらHDDだからって実容量が37GB強というのはどうなのだろう?もしかしてぼくのは不良品か?それともこんなものなのだろうか。とりあえずネットで検索してみたけれど、iPod40GBの実HDD容量については出てこなかった。他の人はどのくらいなんだろう。謎は勝手に深まる。

またPDF形式のマニュアルやスタートアップガイドの日本語。あいかわらずAppleらしくて意味不明。いまどきアメ公でももうちょっとましな文章書くぞ。まあ、これがAppleの味というものなのかもしれないけれど、少なくとも、品がよいとはいえないし、エレガントでもない。たわけの仕業。個人的にはAppleII以来の意味不明日本語を久々に読むことができたと思えば、懐かしさに涙ちょちょぎれますよAppleさま、ということになるのであろうか。

ほかに気がついたことが、いくつかあるけれど、とりあえずは、写真データ転送用のメディアリーダーを買ってからということで。しかし、これまで聴いてきた音をすべてMP3化すると何GBになるのだろう。そしてそれらをすべて持ち歩ける日もそんなに遠くはないようにも思うのでありました。

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Jazzを流しておくとかすると

東急本店ができたのは小学校2年生の時だったように思う。東急プラザの方が2年くらい前にできていて、よく映画を見に連れて行ってもらってたように記憶するけれど朦朧としてきていてはっきりしない。人としての自分の存在に気がついた時には丸井はあったように思う。

学校から帰るとちょっと化粧の濃いおねえさんたちが待つ傍らで、そのおねさんたちの手紙を英語に翻訳していたオジサンにお菓子をもらったり、お小遣いがあるときは、麗郷そばの今はなくなってしまったフレッシュマンベーカリーでメンチカツパンを買って、ハグハグとほおばったりしながら遊んでいた。

どっちにせよ、今ほどではないけれど、夜になるとちょっとこじゃれた姿をした街灯やネオンサインがチカチカしていたように思う。昼光色の蛍光灯はまだあまり普及していなかったようでドア越しに覗いた居酒屋やバーの明かりはオレンジ色だった。

遊び終わってそのまま井の頭通りを渡り上り坂に入るあたりで、どこからか必ずJazzが流れていた。その音がその頃、フリージャズとかモダンジャズなどと呼ばれていたのをぼくが知るにはまだ数年かかったけれど、へんな音がいっぱいでカッコイイということだけはわかった。

ただ、その頃は教会のグレゴリオ聖歌と学校の校歌と聖職者のシスターだけど定規の角でばちばち生徒を殴る音楽の先生の授業で聴かされるクラシック。公共放送でかかる唱歌。民放TVのアニメソングぐらいしか音楽を知らなかったぼくは坂の下に立ち止まって耳を澄ますとかハチロクで身体をゆするとかアフタービートに腰をキめるなんてことは知らずにとっとと歯科医院の脇の階段をあがって家に帰る良い子だったのだ。この坂がいまスペイン坂といわれているのはまた別の話。

数年後、たぶん都電(ちんちん電車)がまわりから全部なくなっちゃった頃だと思う。都電が消え去ったのと前後してぼくの毎日にJAZZがはっきりと姿をあらわした。当然、まだ小学生。相当イヤなガキだ。その音楽は相変わらず、へんな音がいっぱいでカッコよかった。ぼくのJAZZ感はこれにつきる。コルトレーンとか、ミンガスとか、ドルフィーとか、そういう系統のやつ。モダンジャズといったりしてたようだ。おじさんとか年長の従兄弟がその手のレコードを結構持っていて、新町や用賀、大岡山あたりの親戚のところにふらふら遊びにいったり、それでも、どうしても次から次へと聴きたいもんだから、音を求めて家のまわりをほっつきあるくことになる。幸い、そういう系統の音がところどころストリートに漏れてくるような街だったから、坂を下ってから再び登って昔の花街近くまでいくと、黒い扉のバーや喫茶店なんかがあって、そういった音が漏れ聞こえたりしてきていた。それを傍らで聞きながら変な音がいっぱいでカッコイイなあ、と喜んでいたのだった。

その後、中学になってからは、はっぴえんど系統というか、その手の日本のロックを知ったり、解散したあとのビートルズとかを真面目に聞くようになったりしてロックとかそういうのにも目覚め、高校になった頃にはパブロックとかスワンプロックとかにはまり、ブルーズとかソウルも好んで聞くようになって、アンダーグラウンドシーンに顔をだしたりしながら、パンクをもろかぶり、ニューウェーブから世界各国のポップスやらなんやら、気がつくと大学を休学した頃には一万枚ほどのレコードに埋もれることになっていた。もちろんその間、Jazzのレコードも大量に買いつづけていた。その後、CDの時代になって買いなおしたものも多いけれど、基本的に当時のアナログ盤のまま保管してあるので、ここ7、8年ほどは、気に入ったものしかあまり聴かなくなっていたのがJAZZ関係。

しかしここ数年は、ネットラジオの登場で状況が変わってきた。アナログ盤やCDのように、これを聴きたいと思って聴くわけではなく、その系統のラジオ局を選べば、ノンストップでその系統の音が流れてくる。いいのか悪いのか、便利になったことだけは確かだ。なごみの音のテクノロジーによる環境化。アーティストにとってはたまったものではないのかもしれないけれど。

なもので最近は仕事中はほとんどその系統のジャズを流しっぱなし。一番よく聴いてるのは、DI.FMあたり。知っている曲がかかると、そのサウンドに囲まれていたあの頃の街のニオイみたいなものが甦り、90年代後半ぐらいの新しい曲だと知らなかったりする場合も多いので、すぐにネットで購入に走ったりもする。当然購入したら即mp3化。

こういった21世紀の音楽環境の構築について考えると、なんだかんだでiTuneがやはり便利なようだ。iPodが売れているようだけれど、iTuneが便利だからということもあるのかもしれない。音楽嗜好の記憶とデジタル時代のテクノロジーによる音楽。何もかもが一緒くたになってごちゃまぜの状態。これはこれでなかなかへんてこでとても楽しい。

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沖縄民謡についての覚書

「沖縄民謡」という名称はなかなかの曲者だと思う。とくに「沖縄」と「民謡」という単語をつなげているあたりにそれを強く感じる。なかでも「民謡」という二文字に多くの人が、いい意味でだまされてしまうのではないか。

沖縄民謡は広義の民族音楽の範疇には入るかもしれないがけっしてfolklore(民俗学)、民俗音楽の範疇の「民謡」ではない。沖縄民謡はその存在からポップミュージックの範疇に含めてもよい。モー娘とかサザンオールスターズとかそういった音楽と成立構造、消費構造は同じなのではないだろうかと思うのだ。

ぼくたちは「民謡」という二文字から昔からの土着の労働唄、祭唄、わらべ唄、といったものを思い浮かべる。はたまた、家元とか民謡協会といった権威に依拠した音楽と感じる人もいるのかもしれない。

沖縄民謡はこういった「民謡」が持つイメージをすべて包含しながらも、現代社会を蠢くポップミュージックとして機能している。そういった存在なのだとぼくは信じているし、おそらくそうだ。

まず、今巷で聞くことができる沖縄民謡の形が完成したのはそんなに前のことではない。名称には「民謡」とあるので、少なくとも日本で言うところの江戸時代あたりからの伝統が、などと思ったら、大間違い。それはおそらく半世紀がいいところだ。

その中でも登川誠仁や嘉手苅林昌、照屋林助などの当時の若手の人たちが作り上げた沖縄民謡が今の沖縄民謡にダイレクトにつながってくる。

沖縄民謡の名曲と呼ばれるものは、この50年以内にポピュラリティーを得て(つまり大衆に消費され)、今に残ったものが多い。その作られ方もポップミュージックの基本である「解釈と引用」から。八重山や奄美、はたまた日本から移入されたわらべ唄や労働歌、恋歌などが元歌で、そのまま唄うだけでなく、歌詞とメロディーラインの頻繁な借用が目に付く。

実は、沖縄民謡を表すために「島唄」という単語を使うことがあるが、実はこれも移入のコトバだ。「島唄」というのは奄美地方で「島」=集落ごとに歌い継がれてきた唄のことで、コザの沖縄民謡関係者が沖縄民謡の別表現として定着させたもの。

そして沖縄民謡は今も新しい唄が生まれつづけ、大衆の支持を受けているという点もポップミュージックとしての姿をあらわしているといえる。

話は少々脱線するけれど、園田などの近代エイサーはここ50年くらいに形式が固まってきたと考えてよい。また伝統的といわれるパーランクーを使った平敷屋エイサーなども長くて明治以来の歴史である。ある意味、近代国家の誕生ととともに生まれてきた芸能であるということもできる。もちろん、今に続くエイサーの原型は江戸時代以前に求めることは可能だが、現在ぼくたちが目にすることができるエイサーは近代の産物であるということを知っておいてもいいように思うのだ。

同じように沖縄民謡も、何百年も歌い継がれてきたというわけではない。過去の芸能、生活歌からの引用。近隣の島や外国からの影響を受け、20世紀にひとつの完成をみた芸能であり、その存在はJポップなどと呼ばれる日本の歌謡曲と構造的にかわるものではない。

なんてことをとりあえず思ったりしているぼくではあるわけですが。

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がんばれなんておこがましい よなは徹

今年3回目の神谷千尋の唄が終わった。どんどんよくなっているんだけれど、まだ何かが足りないように感じる。民謡一家という血統のよさだけではそろそろ限界なのかな。また、いわゆるヤマトの音楽産業のノリに擦り寄っているようなステージングや活動も、どうなのだろうか、と思ったり。もちろん、圧倒的にうまい。本当に唄はうまい。でも、唄にはうまいの先がある。精進してほしい(笑)。

9月15日に2枚目のアルバムが発売になるそうだ。その中からの曲も唄っていた。もちろんよい。よいのだけれど、何かもうひとつなのだ。そのもうひとつは内里美香にあって神谷千尋にないものなのかもしれないと思ったりしたわけです。

神谷千尋の唄が終わった。バックアップメンバーをそのまま残したまま「よなは徹」が手をつきあげて登場。派手だ。そのまま「汗水節」に突入。マイクを通した三線の音、弦を叩くようにつまびく音が振動となりぼくの身体をかけあがったのですよ。じわああと快感がつきあげてくる。久しぶりにもの凄い音を聞いた。

よなは徹のがりがりの風体はぺらぺらのパンツに細かな模様が入ったシャツ。裾を出している。彫りの深い北谷顔がロングの茶髪の奥からのぞく。汗水節といえば故嘉手苅林昌の十八番。同じ旧北谷の大先輩に敬意を表したのだろうか。とにかく凄い。登場の派手な動きはシャイな性格から出たものだろう。よなはの三線と声はじわじわと野太くぼくに届いてきた。

こんなに凄かったのか?。彼のライブは2度目。ホールでははじめて。実は彼もホールははじめてなのだそうだ。そこからの約1時間。ぼくはほとんどあたりを振り返ることなくよなはの全挙動を凝視し続けてしまった。ああ。

ゆったりとした恋唄の時は一音一音丁寧に時にビブラートを聞かせ、エイサー曲ではブリッティシュロックのリードギターばりの激しさで音を奏でるよなは。琉笛をブルースハープの間奏のように吹く姿も凛々しい。エンタテイメントとしてきちんと成立しているだけでなく、沖縄民謡の王道が進化すればこうなるんだろうな、というようなそんな存在感が随所に現れる。

1時間という短いステージなのでしょうがなかったろうが、個人的には「ラジオ節」が聞けなかったのが残念。チャンプルーズの「東崎(あがりざち)」がその代わりだったのかもしれない。また、「ワイド節」の三線を生で聞いてみたかった。そんな物足りなさはあったけれど、それでも、よなは徹は凄かった。

よなは徹の端正な顔立ちと声、そしてちゅら弾き。沖縄音楽界の古老にいわせればまだまだということなのかもしれないけれど、もしかしたら故嘉手苅林昌の若いとき、今のよなはのような空気をまとっていたのではないだろうかと。逆だ。よなは徹が嘉手苅林昌の若いときの空気をまとっている、ですな。男たちからは一目置かれ、女たちからは無償の愛を受けた嘉手苅林昌のような「凄み」。素直にもう一度ライブをみたいと思えた一時間。

よなは徹はヤマトの音楽産業の真っ只中をいま漂っている。しかしもう彼は彼だ。それが神谷千尋に感じるガンバレという気持ちがわいてこないということになるのか。ぼくは、よなは徹の次を楽しみにしている。

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牛の唄 奄美(2) ワイド節

奄美大島に腕のいい船大工がいる。彼は同時に奄美大島の実力派唄者としても広く知られている。坪山豊がその人だ。彼は唄者としてだけでなく奄美民謡の作者としても知られている。(奄美琉球文化圏では民謡は常に新しく作られ続けているのだという点は注意されたし)

そんな彼が作った曲の中でも「ワイド節」は、徳之島の牛好きの人々の中には“昔からあった闘牛を唄った民謡”と思い込んでいる人もいるという。いってみれば徳之島エバーグリーンソングになってしまった、とにかくモノスゴイ曲なのだ。

徳之島の闘牛大会では必ずこの曲が客寄せのためマイクから流されるだけでなく、全島一を決める大会なのでは坪山豊本人が来て唄うこともある。

ワイドというのは闘牛(や選挙)の時などを含め、士気を高めるとき、喜びを表すときにかける掛け声。徳之島の牛が闘牛場に現れるとき、ケンカに勝ったとき。太鼓とともに、「ワイド!ワイド!」の声が万歳とともにかかる。そのワイドというコトバを題名にしたワイド節。いまでは徳之島闘牛のテーマソングといってもいい。

作者である坪山豊、奄美の若手唄者貴島康男、ハシケンという日本のミュージシャンなどのアルバムや先の徳之島民謡傑作集にも収録。

ぼくは奄美琉球で闘牛場を訪れるときに思わずこの唄を口ずさんでしまったりする。

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いまさらモンパチ

1ヶ月ほどまえ沖縄で『百々』というタイトルのアルバムを買った。いわゆるモンパチ。1stアルバムから“Party”が県内企業のCMに、2ndアルバムの“あなたに”がライオンのCMソングに使われた沖縄在住インディーズバンド“モンゴル800”の3枚目のアルバム。

いまインディーズバンドと書いたけどインディーズをメジャーのカウンターと規定するなら、モンゴル800にはすでにヤマトでも多くのファンがいるわけで正しい表現ではないのだけれど、あえてここではインディーズバンドといいたいと思う。いまだ沖縄を離れず沖縄の独立レーベルからアルバムを出しつづけているという意味で…。加えて、そのギターパンク系のサウンドと耳障りのよい歌詞から若者向けと表されることが多いのだが、実は彼らが生きてきた沖縄という世界と時間をきちんと意識していると思われるあたり。沖縄でなくちゃいけないんだという彼らの意志がぼくみたいな1950年代生まれの人間の琴線にも触れる部分が多いということかもしれない。

もちろん、誤解されるといけないので言っとくけど、ぼくだって80年前後のパンク、ニューウェーブの波はもろ被っているので、彼らの演奏を五月蝿くてわからんなどということはまったくないわけで、それ以上に「沖縄」なんだ、というところが個人的に支持できたりするのだ。

このアルバムをコザのCD屋で買ったあと、泊まっていたホテルに戻った。聴きたいなあと思ってふとテレビの下のビデオデッキを見ると、なんとDVDプレーヤー付きのビデオじゃないか。どうやら宿泊客に米軍関係者が多いからなのだろう。そういえばレセプションには貸出し用と思しきDVDが並んでいた。DVDがみられるということは当然CDもかかるということで、早速聴いてみた。

いいじゃないか。上手いとか下手とかそういうことで計る音楽ではない。ちゃんとここにいるじゃないか。沖縄に。沖縄の彼らの世代の信条や感覚がそっくりそのまま音楽になったように思う。ドメスティックは独善になりやすいが、ナショナルかつナチュラルである彼らに嘘はないように感じた。彼らが生きてきた時間を無駄にしていない。そして紫色のスリーブの中には那覇出身の儀間比呂志の木版画。沖縄の風俗や歴史を作品に表現する素敵なオジイの作品が散りばめられている。

そんな風に楽しみつつ聴きつづけ、最後の「月へ送る手紙」が微笑ましい歌詞とともに終わった。いいじゃないか。と思って、近くのスーパーで買ってきた泡盛をあおってまどろんでいた。すると、突然、琉笛の音が聴こえてきた。三線が被さる。流琴の音も響いている。スリーブにはない歌がはじまった。おまけにどこかで聴いたことのある民謡女性歌手の声。スリーブの最後のページを見ると、琉笛・琉琴:よなは徹、唄・三線:古謝美佐子の文字が。沖縄民謡が相当好きで、与那覇、古謝が好きなぼくにとってはとても素敵なプレゼント。ネットで調べたところ、モンゴル800のアルバムには必ずシークレットトラックが入っているということがわかった。このアルバムでは、それがこの曲というわけだった。

翌日、那覇のCD屋でモンゴル800の前2作も手に入れた。いくらでもネットで購入できるけれど、なんだか知らないが沖縄で買いたいと思ったのだ。モンゴル800はあくまで「沖縄」だ。ヤマトが必要としている「沖縄」のひとつなのかもしれない。

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牛の唄 沖縄 ヒヤミカチ節

沖縄の闘牛開催日。闘牛場に近づくとたいてい、ヒヤミカチ節が聞こえてくる。客寄せにかけているんだろう。このヒヤミカチ節は、民謡酒場などでも頻繁にリクエストされている沖縄民謡のスタンダードな一曲ではあるのだが、実はそんな昔から沖縄民謡界で今の地位を築いたわけでもないらしい。

実はこの曲を唄って流行らせたのはコザ共和国大統領照屋林助と御大登川誠仁なのだそうだ。HOWLLING WOLFという誠小のアルバムにそのことについてのMCが収録されているので聞いてみてほしい。

簡単にいえば、この曲の譜面を手に入れた誠小がテルリンとこに持っていって物々交換をした。テルリンがその譜面から自分の持ち歌として歌っていたんだが、それを聞いて覚えてしまったのが誠小。そしてふたりはこのヒヤミカチ節を流行らせていく。

そのうち、リフのところでかかる「ひやっ、ひやっ、ひやひやひやっ」という掛け声が、沖縄闘牛の闘牛士が牛を鼓舞する「ひやぁっ」という声(ヤグイという)に似てるってことで、闘牛会場に呼ばれて演奏したりした。そういうこともあって流行っていった、と。

沖縄民謡としては有名な曲なのでいろいろなCDでいろいろな人が唄っているが、今からは沖縄闘牛のとの関係を思って聞くのも一興かもしれない。

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牛の唄 奄美(1) 前原口説き

奄美琉球圏には闘牛に関連した唄がある。その中でも古くから闘牛(と選挙)の島、徳之島で愛唱されてきたのがこの「前原口説き」。「前原」は「めーばる」と読むそうだ。

検福という村に前原坊という牛好きがいて、前原牛という牛を飼っていた。殿様が麦穂峰(むんぎゃま)の鈍間牛と前原牛を戦わせろといいつけ、戦うことになった。不利だった前原牛だが前原坊の妹千代の応援で大逆転。前原牛が殿様の応援する牛をやっつけて大団円。という話を約8分間えんえん唄いつづける叙事詩(というんだろうな)。策を労する薩摩のお役人たちの大きな牛をやっつける前原牛の話が牛好きの徳之島の人たちの共感を呼んだということだ。

この曲は、いわゆる奄美島唄とは異なり三味線の演奏および唄のキーが低く、沖縄音階が基本になっている。このあたり個人的に非常に興味を覚える。

この曲は、“「ワイド! 奄美島唄 徳之島民謡傑作集」セントラルC-15”で聞くことができる。ちなみにこのアルバムに収録された徳之島民謡を聞いていると、予想以上に沖縄の山原方面に残っているようなプリミティブな曲が多いことに気がつく。山原(沖縄北部)と奄美諸島との文化的な繋がりにも思いをはせるぼくではある。

闘牛(と選挙)の島、徳之島。やはり何かが違う。

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かまぼこが売れますように

という歌が沖縄のチャクメロダウンロードで8位になってるのだそうだ。沖縄の蒲鉾関係の組合から大量の注文が来たともいう。作詞、作曲、歌は玉栄政昭。沖縄は勝連町在住の音楽家である。

この玉栄政昭。実は先日コザのMOD;sで行われた内里美香ライブの共演者。当日、内里美香の歌三線にあわせた彼の伴奏が、ぼくがそれまで玉栄政昭という人に抱いていたイメージとあまりに違うので耳と目を疑った。

もちろん、彼については、ネーネーズがカバーしたあの名曲「IKAWU」の作者であることや、沖縄の音楽シーンで特異な位置をしめていることなどは知っていた。だけれど、実のところ玉栄政昭の生演奏ははじめての経験。彼の風貌や体格からすると、演奏は力強かったりするのかな?と思っていたのだが、実際はひとつひとつの音を大切に、まるで宝物を扱うかのように、それはそれは繊細なピアノを奏でていたのだ。当日、本人はかなり緊張していたということなのだが、それでもぼくは「プロ」の指使いを耳にした満足感でいっぱいだった。

その彼が今年発売したシングルCDが件の「かまぼこが売れますように」。沖縄はコザのキャンパスレコードから。この曲もかまぼこが売れて子供の学費が出たるようにといった内容のサビの歌詞と柔らかで口ずさみやすい曲調が彼の繊細さをあらわしているようにも思える。当日は彼のソロで「かまぼこが売れますように」を。内里美香が「IKAWU」を唄うという宝物にも出会えた。

実は彼の年齢はぼくよりひとまわり上の50代。彼の履歴は「かまぼこが売れますように」もちらりと出ているのでそちらを参照。

終了後その「かまぼこが売れますように」を購入し、サインをもらったのだが、名前とともに日付、そしてわざわざ「曇」という当日の天気を表す漢字までがスリーブに書き加えられた。おまけに、ビニールを取ってしまっていたので、CDの帯が落ち着かない。ぼくはもちろんスリーブにはさめばいいやと思っていたわけだが、玉栄政昭曰く「帰ってからテープではれば元通りになりますから…」。そのとき、やらねばなるまいと思った。しかし、まだやってない。

また、連れが「お母さんはかまぼこを作っていたのですか?」と聞くと「ぜんぜん、まったく」。もちろんこの歌は沖縄の不特定多数の街グワァで働くお母さんやオバアたちの祝詞なのだから、別にかまわないわけだが、思わずこちらは苦笑い。楽しい。

そういったちょっとずれた話を朴訥と語り、あの繊細なピアノを奏で、ライブで緊張し、時間があるとふらりとどこかへ消えてしまう、というそんな彼のスタイルにも魅力を覚えたりもした。もちろんマネージャーは大変なのだろうけれど。

とにかくも、「かまぼこが売れますように」が売れますように。と祝詞をあげておく。

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内里美香

「アバヨーイ」の三線はお手本のようにしっかりしてますねえ。ギターも違和感ないし。ぼくは「南大東漁港音頭」がツボ(笑)。合いの手とか音階的にヤマトっぽいあたりに南北大東島と関連深い八丈島(江戸だよね)の匂いがあったりして黒潮逆流コネクション。そういったあたり、ミーウタ(新歌)にも現れるってあたりが興味深かったりなんか。

この子もキャンパスレコード関連。まだまだ若いんだけど、なんといっても高音の張りが抜群。読谷のさきっぽ残波岬近くにある残波岬ロイヤルホテル内民謡酒場「美岬」にレギュラー出演中。ここは神谷千尋もしょっちゅう出てますね。二人は姉妹のように仲がいいとか。

で、5月7日は内里美香のお誕生日。その日はコザのMOD'sでバースデーライブ。聴きに行く予定です。

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マラヤの歌謡

個人的にマラヤはいろいろあったところなんで当然というかなんというか、P.ラムリーとかサローマとかは大好きというかなんというか。KLの高級住宅街にP.ラムリー記念館ってーのがあるわけだが、なんともショボイ展示で愕然としたものの、すべてはP.ラムリー。許した。

ぼくがいったときになかったキーホルダーを友達が買ってきてくれたのが10年ほど前だけど、そのキーホルダーは未だ使用中。P.ラムリー&サローマ、P.ラムリー、サローマの写真シールが貼ってあります。ただ、P.ラムリー以外は、すでにはがれて、いまはなし。

そういえば、カセットで出たP.ラムリー全集はすべて買ったのでデジタル化しないとまずいなあ。よし、とりあえあず、P.ラムリーからデジタル化だ!。

なんだか、トラックバック先の人はぼくを狙って書いた?(笑)。もちろんシラマジッやシティも好きなんだなあ。このあたりは爽やかなのに湿気が感じられて好み。もしかしたら沖縄もんが好きなのもそういうことなのかも。

で、マラヤといえば、ぷん・そんけい。名曲、「情人的眼涙」の人。

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アナログアンプ復活

長い間戸棚に鎮座ましましていた15年ほど前に買ったアナログアンプ
が復帰。カセットテープデッキとCDプレーヤー、そしてPCのLineOUT、
LineInをつなぎ、メインマシンからの音は、このアンプ経由という方向に。
当時評判は悪くないアンプだったのでそれなりによくなってくれてる。

最近はこういったのをピュアオーディオと呼んだりするらしいけれど、
AVアンプのアナログな音は最近はよくなったとはいえ、やはり専用
のオーディオアンプにはかなわないのは確かかと。

とにかく溜まりに溜まった1万余本のカセットテープの中からいいものを
ちゃくちゃくとデジタル化しておかないと。しかし、時間がないというか、
生きている間に全部聞けるのか?という疑問も…。

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神谷千尋 in MOD'S@ コザ

いま1stセット終了。ちょっと緊張気味か?それでも来てよかったのは確か。

1stセットの後半あたりからは伸び伸びとした歌声を聴かせてくれるようになった。本当にこの娘は唄がうまいと思う。あの小さな身体であそこまでの声が出るとは。民謡一家の血というだけではないだろう。

ただし前回も思ったのだが、まだまだミューズと喧嘩している瞬間が感じられる。とくに高い音程を続ける時に顕著。しかしこれは生きていく時間が解決することだろう。今後も僕にとって気になる唄者のひとりではある。

ということで、7月27日の亀有のライブのチケットもネットで購入した。

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土曜日だし

さっきまでねぐらのベランダで
日向ぼっこしながら小説を読んで、
嘉手刈林昌を聴いていた。

milano.jpg

ミラノで聞く孤高のウチナー唄者の
ちょっと甲高い歌声は、
ロンバルディアの怠け者の春が醸し出す
土曜日の午後のからっとした空に拡散する。

明日はデルビー。

Pazza Inter AMALA

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東京ワッショイから

仕事のためにネットで検索を繰り返していたら、たまたま、エンケン氏(遠藤賢司)の「東京ワッショイ」がひっかかった。日本のポップミュージックに限れば10代半ばははっぴいえんどにはちみちぱい。その後はムーンライダーズという育ちをしてきた僕が、ウヒャーといってしまったアルバムが、「東京ワッショイ」。横尾忠則デザインのジャケットが時代であった。

もちろん「カレーライス」とかは知っていたし、渋谷東急ホテルそばにあった彼の店でピラミッドカレーを食べたこともないわけではないが、エンケンはあまり自分の範疇ではないなあ、と思っていた。しかし「東京ワッショイ」とにかくでぶっ飛んだ。ただその後はちょっとフォローしたもののすっかり忘れていたというのも事実。それでも、表題曲の「東京ワッショイ」や「不滅の男」は東京という街に暮らす人々への応援歌だと今も思ってはいる。

そういえば東京という街をテーマに歌われた曲は数多い。古くは「東京ブギウギ」「胸の振り子」など、確かにいい曲ではあるけれど、同時代的なインパクトが僕には弱い。一方で僕が生きてきた同時代には、いい曲が本当に数々生まれた。はちみつぱいの「塀の上で」は湾岸心象で、渡辺勝の「東京」はエロチックだったり。とにかくいろいろあった。この東京ソングのパターンとしては、1)地方出身者が東京への思いを唄うもの、2)東京出身者が生まれ育った東京への愛を唄うもの3)東京出身者が生まれ育った東京を相対化して唄うもの。があると思うのだが、1)、2)それぞれいいものがあるものの、僕が一番支持してきたのは3)。東京に対する屈折した気持ちがぴったりときた。

そんな僕の心根を吹っ飛ばしてしまったのが「東京ワッショイ」だった。「東京ワッショイ」はプリミティブ東京だった。東京に暮らす人々への応援歌だったし、史上初の東京パンクだった。鈴木慶一は「東京人に気骨があるとしたら、これだよ!!」と語った。 実はあまり多くはない東京ロコソングのひとつといってもいい。坪山豊の「ワイド節」にも近いローカルなノリがあった。

久しぶりに当時買ったアナログ盤を聞いてみようか。でも、今の人にはあわないだろう。このあたりの唄は現在の音楽シーンでは埋没している曲がほとんどだし。というか東京の音楽業界に東京人が少ない証左なのかもしれないが。

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Black Hawk

渋谷道玄坂ヤマハ向かいの百軒店の坂をあがり正面の路地を入るとBYGだ。その路地に入らず車道を左に曲がると右手に今日も「タマゴカレーがおいしいです」と有無を言わさず注文を決め「ガドガドというおいしいサラダはどうですか?」と畳み掛けるおじいさん(ビルマ戦線帰りで現地で覚えたカレーだという噂だった)とおばあさんがやっているムルギーというカレー屋さんがあり、次のT字路を右折せずそのまま進むと右側にBlack Hawkだ。

今日は、Jackson Brownの新作が入ったという。聞かせてもらった。Late for the skyというアルバムだった。第一印象はFor Everyoneの方が好みだったけれど、帰りがけヤマハで買い求めた。30年近く前の話だ。

Black Hawkはぼくの10代をほぼ形成した喫茶店。先に記したBYGはハードロックや60年代ものが多くかかっていたけれど、Black Hawkはわざとかどうかはっきりしないけれど、BYGとは一線を画す選曲で客層も分かれていたように思う。

もともとはジャズ喫茶だったらしいBlack Hawkは、ぼくが友人たちと通いはじめた頃には、アメリカン・ロックやシンガーソングライター系、ブリッティッシュ・トラッドなどを主にかける店になっていた。ここで多くのミュージシャンのアルバムに出会った。リトル・フィートとか、ライ・クーダーもそうだ。英国ものも大量に聴きあさった。リクエストも受け付けてくれるのだが、やはり若気の至りか、背伸びして通好みと思われるアルバムをお願いしたりしていたぼくらだった。青いね(笑)。

その後パンク以降はニューウエーブ系やソウルなんかもターンテーブルに乗るようになり最後にはレゲエをかける店になって、なくなってしまった。けれど東京の音楽シーンの一部を担っている店なのは確実だった。そしてそれ以上にぼくとぼくの友達にとってはいろいろと思い出ふかい場所であったことはもっと確実なことだ。


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