08/03/08

沖縄でひじきを採りにいったんですよ

ドゥシの家族+αとともに、ひじき採りへ。

昔から、このあたりのお家で食事をいただくと、ひじきを使ったつけ合わせが多いなあと思っていたわけだが、実は沖縄本島で、ひじきが採れる場所として知られていて、この時期になると集落の人々がアメリカ軍基地の許可を取ってひじき採りに入る、ということに。

適宜落ち合って、軍のゲートへ向かう。そこでひと悶着。やはり例の事件が関係しているのか、全員の身分証明書持って来い、幼児はダメだとニーセーターがいう。なんだかなぁ。そんなのウチナーじゃないでしょ。以前入ったときは車のナンバーと人数確認だけだったのに。と、思ったけど、ま、いっか。一度戻って親戚の子たちを下ろして保険証を持ってくる。めんどくさ。

とりあえず無事中に基地内に入り、目的の場所に車をとめる。何台かの車がすでに来ている。しかし日本の宗主国であらせられるアメリカ様はいい場所を選ばれます。さすがですね(いやみ)。

R0011591ドゥシのトゥジは2月の頭にお母さんと入っているので、二袋もあればいいよね、と言っていたのだが、「+α」が物凄い勢いでひじきを採りはじめる。もともと基地の中からではなく、崖を降りて毎日のようにひじき採りをしている「+α」の彼。崖の登り降りがないという気安さからか、結局16袋。それらを男三人で何度か往復しながら砂浜の上をかつぎ、坂を登り車まで。重い。

なんとか運んで、軍内でふらふらして帰宅。夕方、ドゥシのトゥジが牛小屋に今日取れた、ひじきで作った煮物を持って来てくれた。インゲン、糸こんにゃく、豚肉などで煮付けたもの。これが、でーじまーさんどー。がつがつ食べてしまった。とても柔らかく、ひじきのイメージが一新。

このあたりでは乾燥して保存し一年中食卓に上るわけだが、そっちの方もおいしいことはすでに確認済み。

沖縄でひじきが採れるのは、このあたりと南部の与那原だけ。NHKというテレビ局の番組で与那原のひじきを使った石鹸が紹介されたことがあるそうだけれど、実は、ここのひじき、このあたりの人の話だけれど「与那原のひじきはここから持っていったという話がある」ということだが、詳細は不明。

夜、ねぐらで考える。

日本のひじきは基本的に天然もので、主な産地は、長崎(対馬)、千葉、三重。中国と韓国でも採れるがすべて養殖なので除外。日本列島の北海道日高以南の太平洋沿岸。広島から兵庫にかけての瀬戸内。大分、熊本、宮崎、鹿児島。愛知、神奈川、岩手など。

金武湾とひじき。このあたりと内地との関係。ここから北の沖縄、奄美地域に、ひじきが採れるところを聞かない。ひじきがここだけというのは不自然すぎる。自然に出来たとは考えにくい。与那原のひじきはここから持っていったという話があるということは、こここのひじきも誰かが持ってきたのだろうか。

私の知識の中で、アマミクという言葉がよぎる。

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27/01/08

グスクをめぐって夜光貝を食べた日

昨日、ウンノーグスクの南北の全容がだいたい把握できたけれど、あまりに巨大なグスクではないかという結論になった。I町の史跡が増えることになるけれど、全体に調査を入れると3憶ぐらいかかるのではないかと。

今日はそのウンノーグスクに島の若い女性をひとり連れていった。こういった史跡に興味あるだけでなく、徳之島の唄者としても有名な子だ。実は昨年全国の若手を集めた民謡大会で優勝している。こちらとしては三日連続で飽きてきてはいるだが(笑)、どうしてもということで友達たちと昨日発見した道を行く。

その後、島東部の友達が新しく発見したグスク跡を確認しにいき、続いてB地区の線刻画を確認したあと、B集落へ。

ここには噂に聞いていた知人たちの知り合いの夜光貝でアート作品などを作っている方がいる。その工房へ。いろいろ話がはずんだ。どうやらこの方はもともとは漁師でもあるらしい。夜光貝の殻は朝鮮半島で作られていた螺鈿細工に使われていた。身は食べてもおいしい。

すると同行した女性が工房の主から夜光貝を三つほどもらった。その場で身を取り出してもらう。素早くナイフで縁をこそげないと身が縮んでとれなくなる。さすが鮮やかな手さばき。

そのまま、I町へ。昨日同行した女性陣が話をしたいというのでいろいろ話をする。そして夜は同じI町の知人の家で先ほどの夜光貝をいただく。身のやわらかいところは刺身。硬いところは圧力鍋で。うまいなあ。

この島は普通に幸せがまだあるように思う。

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11/01/08

ドゥシのトゥジがイナムドゥチを作ってくれた

食堂などであまり置いていないので、沖縄通のナイチャーでもなかなか口にする機会がないかもしれない。

友達の店にいったら奥さんが「食べる?」といって出してくれたのがイナムドゥチ。3年ぶりぐらい。

短冊に切った豚の三枚肉にしいたけ、こんにゃくを沖縄独特の甘い白味噌で仕立てた内地の豚汁に近い代物。

味噌の甘さがとても優しい。ただし、この甘さは苦手という東日本の人もいるかもしれない。ただし冬場の寒い沖縄では御馳走だ。

ところで、この「イナムドゥチ」という料理、なんでそんな名前なんだい?と30年ほど前から思っていたのだけれど、10年ほど前に食堂のオバァからその出自を聞いて判明。

今では豚の三枚肉を入れるのだけれど、もともともはイノシシの肉を入れて作っていたらしい。これでもうウチナーグチがある程度分かる人にはわかるかと。

つまり猪肉じゃなくて豚肉を代用にしたので、「いのししもどき」。

これをウチナーグチでいえば、「イナムドゥチ」になる、と。

はるかけき昔の沖縄のご先祖さまたちが猪の肉を普通に食べていたという証左であるともいえるかもしれない。そういえば全国あちこちに存在する猪垣はヤンバル方面にも残っている。

くゎっちーさびたん。

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16/12/07

季節外れに食べた五色冷麺@揚子江菜館

知人と秋葉原へ。
とくに何するというわけではなく、
与太話に浸りながら街を流す。

適宜散策した後、歩いて神田へ。
適当な店で軽く食事をしたのだけど、
まだ食べたりないかんじ。

それならということで神保町へ向かい、
揚子江菜館へ。

知人はあたたかい五目そば。
シンプルなんだけれど、なぜか体も温まる。

こっちは、五色炒麺 と迷ったのだけれど
結局のところ、名物である、五色冷麺 に。
ガキの頃はよく親戚や家族と食べていた
んだけれど、今日、15年ぶりに食べる。

Reimen


この五色冷麺が日本の冷やし中華の元祖
というのが定説であるわけだ。
富士山を模した姿が懐かしい。

食べてみるといつものように、
醤油っ辛いものが好きな
べたべた東京もんの俺にとって
「ちょっと、甘い」
でも、よく混ぜて食べるとおいしい。
結局完食。

歴史を食べて税込み1470円。納得。

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09/03/07

黒潮のむこっかったでいいあんべえ

黒潮の上をあっちこっちしたあとに八丈島で島寿司を喰らう。八丈島の島寿司というのはいわゆるヅケ。しかしお江戸のそれとはちょと違う。

店主曰く「江戸前のヅケはサクに火を入れてからサクごとタレに漬け込んで切り身にするけれど、島寿司は切り身にしてから漬け、わさびの変わりに芥子を使う。酢飯は江戸前の寿司に比べて甘め。それにマグロはあまりとれないのでタイとかシマアジとか地の魚を使う」

1.5人前で12貫、2100円。説明してくれたのだけれど、タイの類が何種か。とびうお、シマアジ、岩海苔なんざがヅケになって出てくる。頬張るとうまい。酢飯の甘さ。芥子の辛さ。タレの旨み。ネタの甘さが渾然一体となったうまさ。(この寿司が南大東島へ行って「大東すし」になった)。

店主曰く「うちはヅケの時間を短めにしているんですよ。地元の人に言わせると『こりゃ島寿司じゃない』といわれることもあるけれど、このくらいがそれぞれのネタの味わいも残るしね」

おいら曰く「タレの味だけでなくそれぞれの魚の味も残っていて、いいあんべえですねえ」
などと与太りながら、店を出る。

近くの酒屋によって、薩摩や九州からの流人が持ち込んだ八丈島の焼酎を物色。ガラス瓶だと重くてめんどくせーので、小さいサイズのものを探す。結局、黄八丈という銘柄の麦焼酎。180ml。430円。25度。ちょっと道端で舐めてみると、あぁぁぁあ。これ、ほんと九州のどっかにありそうな焼酎だ。どこかは知らんが。

しかし今日は寒いので温泉でも行くかと、一番近い樫立温泉ふれあいの湯へ。到着すると地元のばあちゃんたちがわらわらと入口に群がっていた。入湯料300円。手ぬぐい200円。計500円。

少々白濁したちょっと熱めの湯を舐めてみると塩っ辛い。お肌にもよさそうである。露天風呂はちょっと温めだったが、外の空気を吸いながらだらだら入っているにはこれもいいあんべえ。

一時間ほどうだうだしたあと街に戻り、歴史民俗資料館でお勉強。入場料360円。微妙な値段がツボ。先々週行った伊豆大島の同様の資料館は200円だったから、ちょっと高いかと思ったものの、展示室がいくつもあってかなりの見ごたえ。これなら納得。なんでもこの木造の建物、旧八丈島支庁のものをそのまま使っているらしい。最初は小学校か何かかと思ったが、納得。

しょっぱなにビデオを見せられたがどうも昭和40年代後半あたりに作られたクサい匂いがぷんぷん。昔の新日本紀行のノリといったらわかってもらえっだろうか。面白かった。そしてそんな昔のものを今も見せているというポイントにも感動点を贈呈したく。

展示物も盛りだくさん。縄文土器から流人を死刑にする絵まで。これはもう一度来てじっくり見てもいいかなあとか思ったりも。

閉館(16:30)間際。館員のおばあさんが貧血か何かで倒れたようで救急車登場。たいしたことがないようでよかったけれど、そんな事件の最中にも別の館員のおじいさんに「あの、昔、闘牛やってたころの闘牛場ってどこにあったのでしょうか?」と質問。「仲之郷です」というご宣託。「仲之郷へ行って地元の人に聞けばすぐわかりますよ」。はるかけき30年くらい前、一度見にきたことがあるのけれど、すっかり忘れていたのでこれですっきり。今度来た時絶対いくぞと心に誓う。

ちゃんと観光した。

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28/02/07

松山に寄ったので

かるく松山へ行ったので帰りに空港でじゃこ天を物色。

空港の一階では揚げたてを売っているのだけれど、じゃこ天の本場、南予出身の知人に言わせると

「松山のじゃこ天はどうだかね」

なので、二階のお土産屋で南予のじゃこ天を買うことに。といってもお土産のじゃこ天は全部、八幡浜、宇和島近辺の土地のものなので、考えなくてはいけないことはどこの店製造のものを買うかということだけ。

地元の人に言わせたら「甘い!」ということになるわけだが、所詮ヨソモノのおいら。南予出身の友達におすそ分けをもらって食べて感動して、去年宇和島で本場の揚げたてのじゃこ天を喰って感動数倍増(当社比)したといった程度なわけで、空港で売っている銘柄を物色するだけでも心躍る。

いろいろ迷った末、そのあたりにあるじゃこ天の600円強のものを何種類か4000円ほど買ってみることに。いちいちお店で払うのがめんどくさかったのだが、なんとかクリア。

帰ってからちょっとグリルで炙ってかぶりつく。ああ。まずいわけがないのだが、本当にうまい。明日から数日間は味の違うじゃこ天を楽しめるというのはかなり幸せ。酒によし。ごはんによし。汁物によし。こんなものを毎日食える南予の人がうらやましい。といってもいつでも食べられると思うと厭きるのかもしれないけれど。

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10/02/07

「おでん小町」

数日前、ネットを飛んできたメールが「おめぇがコザで行ってるいきつけのおでん屋とかいうの教えろ」とかほざいている。

メールの主はハナタレ小僧の頃からのバカ友達。マヌケな野郎のくせして、いっちょまえに流行に乗って沖縄までツアーで遊びにいくらしいが、なんでも那覇や恩納、名護に展開されるツアー客ご用達ホテルじゃなくて

「コザのホテルに泊まることになっちまったから、そんなにうめぇってーなら、いってやる。ありがてーとおもえ」

という塩梅。当方といたしましては、

「てめぇも、やっとこさインターネット使えるようになりやがったか。めでてぇーな。お天道さまがでんぐりげえって、浅草の観音さんもびっくりしてら。教えてやるからありがたくききやがれ」

といつものように丁寧に時候の挨拶をしたあと、こと細かくメールを流したのでした。

それで、ついでといってはなんですが、今日はその店、紹介しておきます。はい。いろいろな雑誌やサイトにも出ているのでいまさら感はありますが…。

お店の名前は「おでん小町」。沖縄市の「中の町社交街」にあります。ホテルニューセンチュリーの向かいの道を入っていってメインストリートの右の角。赤提灯に「小町」の文字が目印。

わからなかったら、その辺で客ひきやっているキャッチ(呼び込み)のニイニイに「おでん屋の『小町』ってどこ?」と聞けばわかるはず。というのも午後10時ぐらいからキャッチのニイニイたちが500円分とか1000円分とか言いつつ夜食(というか朝食かもしれないが)をテイクアウトしていくので知らないわけはない。

というか、昭和44年創業で、コザ暴動の時も営業していたという、この界隈ではかなりの老舗なので知らないともぐり。中の町の「顔」といって間違いはないはず。ニイニイたちも「小町へ行く客」にはしつこい勧誘はしない。というかできない。

わたしも「内地の娘、どうです?」と声をかけられたとき、(ナイチャーのわたしにそういう呼び込みはどうかと思うが。いやそういうことではないが)、「小町へいくから、またね」というと。「あっ」と顔が変わり、引き下がる。中の町のニイニイもお世話になっているお店ということ。

ドアをあけて中に入ってみると、内部は内地でいうところのスナック形式カウンター+座敷X2。多人数でない限り、カウンターに座るのが良いかと思われます。

さて何を頼むかですが、ご存知のように沖縄のおでんは内地のそれとは異なる。関東風のわけはないし、関西風でもなく都内で流行の静岡風でもない。

なんといってもメインは「てびち」

早い話が豚足。焼肉屋さんなどで食べられるコリコリした豚足と材料は同じでも、まったく異なる食べ物。おそらく初めて見たら、グロテスクと思うかもしれない。というか確かにグロい。けれど、この旨さを体験してしまうと「ここで、てびち食べないと沖縄にいる意味がない」と思う出来。

臭みもなくトロトロとして完全にゼラチン化した皮と脂。すっきりとほぐれる筋。いわゆる沖縄の「てびち」よりもトロトロ度は高い。

一応、沖縄で有名どころを含め、数々のおでん屋で「てびち」を食してきたけれど、ここの「てびち」は格が違うと感じられる。てびちに対するこだわりは先代のお母さんの頃からとのこと。昨今、「お肌のためにゼラチンゼラチン」と呪詛を唱えるお嬢さま方が増加傾向にあるとのことですが、そんなみなさまにもまさにおすすめ。

開店の午後6時から7時ぐらいに店に入ると仕事帰りのうちなー女性が何組かカウンターを占拠していることもあります。それもこれも、この「てびち」がお目当て。肌を地獄に追いやるうちなーの紫外線対策として体の中からということもあるのかもしれません。

とにかく「てびち」は食べないといけません。

ちなみに那覇の栄町で焼きてびちを売り物にしている有名なおでん屋さんもよく知られていますが、両方食べたわたしの好みはどちらかといえばコザは中の町の「小町」に軍配をあげてしまいます。

さて、あとはお好みですが、うちなんちゅーの定番は、くーぶ(昆布)、野菜、大根。時々ウインナ-、こんにゃく、とうふ、というあたりかと思われます。

くーぶはうちなんちゅーの伝統食材。くーぶが採れない沖縄なれど、はるか琉球王国時代の交易の賜物。豚にくーぶはセットです。野菜というのはその時期に採れる青菜を軽くくぐらせ食べるというもの。これも身体に悪いわけがない上、ちょっと珍しい。てびちとXXXXの出汁が野菜に絡んで美味。

説明が必要なのはウインナ-ですか。文字通りウインナーソーセージなんですが、伊藤ハムとか日本ハムとかのものではなく、ホーメルとかそういうところのちょっと長めの沖縄ウインナ-。これ、うちなんちゅーは大好き。それと、とうふは、関東でいう厚揚げ風。うちなーとうふなので感触はちょっと違います。

以上、このあたりを食べれば、沖縄おでんの真髄に肉薄できるはず。

さて、お皿にもられたおでんが出てきたとき、関東などでは、和がらしを使ったりしますが、ここ小町では「マスタード」が主流であるということも付け加えなくてはいけませんでした。

うちなんちゅーでも「マスタードだと酸味があって嫌だ」という和がらし党は多いのですが、味くーたー気味のてびちのおでんにはなぜかマスタードの酸味が絡みあうと旨い、と感じるのはわたしだけではないはず。もしかしたら嘉手納を控えるちゃんぷるー文化の所作かもしれません。トライしてみていただきたいところです。

それと、お酒は飲まなくてもいいんですが、できたら、ビール一本ぐらい、お店のねえさんに奢ったりするとそれもよきかな。もちろん死ぬほど飲んでもかまいません。

基本的にこの店は地元の客を大事にしているので、若い女性からおじい、仕事がえりの中の町のお店の方などがやってきます。おじいがいたりすると、民謡カラオケをうたってくれたりもするので、そういう楽しみもあったりします。わたしもここで遭遇した数々のうちなんちゅーの方々からいろいろ教わったりしましたです。はい。

また頻繁におでんの出前依頼が、近辺のクラブやキャバクラ、スナックなどから来るいうのもここの味がコザで支持されている証明かと思います。

ということで、ひととおり紹介しましたが、最後にひとつ。お腹がすいていたら、「そば」か「うどん」をおでんと一緒にいただくことも可能です。「そば」はうちなーそば、「うどん」というのは内地のうどん。おでんそば。おでんうどんですね。

うちなーの人は「そば」を食べなれているからか、「うどん」を所望する人が多いようにも感じられますが、内地の方ならここは「そば」でいきたいところ。いわゆる沖縄そばとは異なる沖縄の味が堪能できるかと。

この、おでんそば。最初の方で書いた、中の町をいったりきたりするキャッチのニイニイたちの定番食だったりもします。これもおすすめ。

というわけで、コザ、中の町社交街の「おでん小町」。一度トライしてみるのも一興かと。

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25/01/07

再び闘牛の肉を喰らう

昨日に続き牛小屋に行った。

三頭がむしゃむしゃとうーじ(さとうきび)や草を喰っているのを見て幸せを感じていたら、知人から電話。上の小屋で牛汁作るから食べに来いと。牛汁かあ。長い間食べてないなあ。ということで、昨日に続き、歩いて1分の別の牛小屋へ。

牛汁は醤油味であっさりとしてかなりおいしいものだった。肉はちょっと固いけれどなかなかいい味がしていた。

「その肉、こないだの闘牛の」

あ、やっぱり。そんな気がしていた。しかし、こうやって汁に煮込むとかなりいける。牛は偉大かもしれない。

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24/01/07

そばと山羊雑炊の日

ちょっと午前中に那覇に用があったので、軽くいなしたら、そろそろお昼。おなかがすいてきた。そばでも食べようかなと久茂地(くもぢ)の交差点で考えていたら、国際通りを通らず58号線を北上するバスが来た。その瞬間、安謝(あじゃ)まで行って、「あじゃず」に行こうと決心。

20分後、あじゃずに到着。おいなりさん一個とそーきそばを所望。

ここは麺も汁もたぶん那覇では最高の部類に入るそば屋なのだけれど、このそーきもかなりのもの。うれしいことに骨付きそーきと軟骨のそーきが入っていて異なる肉の味わいを楽しめる。

店名どおりのJAZZをBGMにあっというまにごちそうさま。おいしかった。那覇ではやっぱり「あじゃず」だなあと改めて納得。

食後は伊佐経由のバスでコザ。コザで用を済ませてから、10日ぶりぐらいに牛小屋へ。

今日も三頭ともいい感じである。やはりここに来ると落ち着くだけでなくとても楽しい。牛に草をあげたり、糞を片付けたり、散らかった草を箒ではいたりしていると、電話が。

「ひーじゃーじゅーしーがあるから食べに来い」

歩いてすぐの別の牛小屋からのお誘い。

「ひーじゃー」とは山羊。「じゅーしー」とは、沖縄では炊き込みごはんにも使用する言葉だけれど、雑炊のことでもある。わたしは、焼き飯以外で「ごはんになんらかの処置をほどこしたものを沖縄では『じゅーしー』という」と理解している。つまり、炊き込みごはんにしたり、雑炊にしたりということ。ということで歩いて1分の小屋へ。

行ってみると、いままさにつくっている最中。5分ほどして「ひーじゃーじゅーしー」が登場。日曜日に山羊汁の宴会を開いたそうで、そのあまりの汁にごはんをいれた雑炊風の代物。醤油味で山羊の乳臭い匂いが良い感じである。

この山羊の乳臭い匂い。山羊汁などでおなじみかと思いますが、わたしの経験からランクがあるように感じる。ちょっと勘弁してくれという乳臭さもあれば、いい頃合だと感じる乳臭さもある。これは山羊そのものの肉質や育て方、年齢、屠殺してからの時間などいろいろな要素があるかと思うが、このあたりについて、いまだ明快な答えは得ていない。ただ、こと山羊に関しては喜界島で食べた山羊が一番うまかったなあ、と思いがあった。

ところが、今日の「ひーじゃーじゅーしー」。山羊料理としてはかなりわたしの好み。喜界島の山羊に匹敵するようないい味ぐあい。旨い。

ということであっという間に食べてしまって、あとは宴会に突入。正直酔っ払った。

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07/01/07

共同店の本

宜野湾にあるいきつけの古書店へ寄った。ほしい本が何冊かあったのだが断念。なんといっても、大型本で重かったのだ。車で来て買いなおすか通販が正解。

その代わり、昨年出版されていた、季刊カラカラ別冊『共同店ものがり』を購入。小さくて軽かったので。
共同店ものがたり

戻ってから読んでみたけれど、なんだ、面白いじゃない。もっと早く買っておけばよかった。紹介されているうちの半分以上はいったことがある共同店で、その時の記憶が甦る。

「あ、あそこで買ったビールは温かったなあ」「地元の泡盛の小瓶はお土産にしたっけか」

わたしの場合、シマ(集落)を訪れ、そこに共同店があった場合、最低でも飲み物を購入するという暗黙の自発的ルールが21世紀になってから発動されているが、20世紀中は、入っただけでモノを買わずというところがあるので、商品を買ったのはまだ3分の1強というところかもしれない。まだまだかと思われます。

なんといっても共同店の元祖である奥共同店。行ったことはあるのだが何も買っていないのだ。これではいけない。今年中に買い物にでかけることにしようと新年に誓うのだった。

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12/12/06

豆汁

名護のブラジル食堂でポルコ・アッサード(ブラジウ風焼き豚定食)を食べてたら、おじいとおばあのカップルが、ぼくと同じポルコ・アッサードにフェィジョアーダを頼んでいた。

だいたいおじい、おばあなら、そばあたりを頼むので、ちょっと珍しい。

話しを聞くでもなく聞いてたら、お店の奥さんに「『豆汁』が懐かしいから試しに食べてみる」みたいなことを話している。どうやら、おじいの方がブラジウ帰りらしい。なるほど。それでここにきてみた、と。

それにしても、「豆汁」…。

なるほど、なるほど。フェィジョアーダのことですか。いいえて妙。

ここブラジウ食堂のパステウ=「空気てんぷら」の命名に匹敵する日本語名ではなかろうか、などとちょっと感動した秋の午後。

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18/10/06

与那原家II

与那原家のそば久しぶりに那覇泊だった。夕方、小禄周辺で解放され、小腹がすいたので、そばでもと。

以前書いたうるくそばも近くだが同じところ行っても芸がないなと、喜多方ラーメンをはさんで並びにある、与那原家IIに突入。

沖縄そばがメインだが、メニューを見ていると定食や泡盛、料理もある。

沖縄そばはあっさりかつお味とこってりとんこつ味。かつ、麺は従来の沖縄そば麺に加え店独自の手法で長期熟成させた麺から選ぶらしい。今回はあっさり味でオリジナル麺のソーキそばにトライ。

数分してやってきソーキそば。麺は中太のラーメンのよう。喜多方ラーメンのそれが近いかも。ソーキは骨までいただける上品さ。スープはあっさりというがちょっと強めの味つけ。ここまでだとわたくし好みということでけりがつくのだが、いやちょっとお待ちあれ。

うーん。やはり、この麺だとあっさり味の汁だとちょっと物足りないかもしれない。麺がプリプリツルツルのためスープがあまりからまず、物足りなく感じるのだ。ソーキそばを構成するそれぞれのパーツはいい線だと思うのだが。

しかしそうすると沖縄そばの範疇に入るのかという疑問がもたげてくる。二軒となりのうるくそばも「沖縄そば亜種」とでもいいたくなるたたずまいだったけれど、こちらも違った方向で「亜種」かもしれない。それでも飲んで食べたあとの締めにはこの麺と汁でも悪くないのかもしれない。

とはいうものの、きっとこのぷりぷり熟成麺には、こってりとんこつ味のスープがデフォルトなのではないだろうか。たぶんそんな気がする。とりあえず機会があったなら、今度はとんこつ味で食べてみようかなど思ったりも。

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12/10/06

やんばるうろうろ

安田海岸への道

東海岸の安田(あだ)へ。ほぼ四半世紀ぶり。噂のとおりテトラポットがいっぱい転がる海岸へと変容。太平洋側は波が荒いので部落を守るにはしょうがないことなのではありますが、少々悲しい気分になるのはよそ者の身勝手か。

四半世紀ぶりに部落から浜へのアダンの道を通る。ここはあまり変ってない。主な御獄(うたき)や神様はそのまま。コンクリート作りの立派な建物になったりもしている。この共同売店あたりはおそらく古代からの集落跡のはず。

村営バスの帰りがけ、辺土名の手前の宇良バス停で村営バスを降り、伊地と宇良ふたつの集落を歩く。どちらもお社の屋根は赤く伊地のそれはたぶん伊地遺物散布地かと。小学生に挨拶される。ふたつの部落の共同売店が58号線沿い、すぐそばにあるので、複雑な状況はないのか気になるのだった。

宇良から海岸をてくてく歩いて辺土名のバスターミナルまで。こういうところを歩くのはあまり苦にならないのが不思議ではある。

名護に戻っていきつけの寿司屋でアグーのしゃぶしゃぶをいただき、腹ごなしに名護市内を歩いて帰る。部屋に戻ると、ドカン!ドカン!ドカン!と花火が上がった。ん?。日本ハムが勝ったお祝いだったようだ。名護は日本ハムのキャンプ地であっちこっちの居酒屋に日本ハムの選手の色紙とかあったりするので不思議でもない。

たぶん明日の新聞には名護市内の様子とかが掲載されるんだろう。沖縄にとってプロ野球の春季キャンプとその関連収入は、県にとっての一大産業であることは周知の事実。悪いことではないけれど、2月の沖縄は野球に興味がない人間にとってホテルを取りにくいという問題点もないわけではない。まあ、そのあたりは避けて通ることかと。

安田カミアシャギ今日は、本当に久しぶりに安田を訪れた、昔に比べてそれぞれの家が今風になり、拝所がコンクリート作りになり、海にテトラポットが並び、漁港が大きくなるなど、時代は土地の記憶を変容させている。観光客もほとんど訪れることのないやんばる東海岸集落にも台風によるそれだけでなく時代の波もおしよせている。

それでも、安田独特の屋根が低く足の多い神アシャギは茅葺のまま残されていて、2年かけて完結するシヌグはきちんと継承されている。安田という集落は太古からの記憶の一端を現代に浮かび上がらせるそんな場所なのかもしれないと。

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11/10/06

名護散策(というか結果としてウォーキング)

コザから77番のバスで一般道を北上。うるま、金武、宜野座、辺野古などを通って名護まで1時間半。いつものバス停で降りる。ねぐらに荷物を置き、歩き出す。東京だとあまり歩きたいと思わないのだけれど、南西諸島方面だと歩いてもあまり苦にならないのは不思議。

タクシーに乗ってもよかったが、あまりに天気がいいので行けるところまでやっぱり歩くことにする。目的地はブラジル食堂。名護の観光ガイドには必ず登場するブラジウ帰りのご家族がはじめたお店。

正直普通は歩かない距離だが、今も書いたように天気がいいのだもの。しょうがない。

かつて知ったる道をぷらぷら歩き、58号線バイパスを越え名桜大方面へ。右手に我部祖河食堂の支店が。入ってことはない。坂を上ると左手にブラジウ食堂の看板が。

実は今年の春もやってきたのだけれど、残念なことに、お休みで入れずじまい。しかたなく近くのエンダーで食事をしたことを思い出す。あとで調べたら定休日が月曜とのこと。今日は水曜日。大丈夫。あいていた。

中に入るとテーブル席がいくつかと座敷。ゆったりとしたつくりがいいかんじだ。壁にはブラジウ国旗の真中のところをそばにした国旗、というか店旗。奥の壁にはブラジウセレソンのユニフォームが額に入り鎮座ましまし。個人的に顔がほころぶ。

フェジョアーダなどのブラジウ料理もあったりするのだけれど、ここは名護。新山食堂や宮里そば、我部祖河食堂など名店ひしめく沖縄そば処。実はこのブラジル食堂、そんな名護にあって、そばでも名店に数えられる。ということで、ソーキそばを所望することに。もうちょっと頼もうかと、ふと壁を見るとおおパステウがあるではないですか。餃子みたいな四角い皮の中にチーズとかひき肉を入れたブラジルのおつまみ。なんとここでは、「空気てんぷら」と命名されていたのであった。「空気てんぷら」。この名称、個人的にかなりツボ。躊躇なく頼む。そして食後に、このブラジル食堂の名物でもある、エスプレッソもいただくことにする。

そばが来た。とても奇麗なそばだ。汁の味。うむ。かつおの風味と味。申し分ない。くわえて歯ごたえもある、沖縄的正統派の麺。申し分ございません。ソーキもやわらかく臭みなし。そんな気持ちよいそばを食べている間に、アツアツのパステウこと「空気てんぷら」が登場。これもおいしい。ビール飲もうかと思ったけれど、ガマン。あっという間に食べ終えてしまう。

そして名物のエスプレッソ。自宅でイタリア製の手動式エスプレッソメーカーでカフェを毎日飲むほどというかそれしか飲まないエスプレッソ好きのわたし。イタリアだとデミタスカップの半分ぐらいに入ってくるのだが、ここは「ブラジル食堂」。つまりブラジル式。デミタスカップになみなみと。イタリアのそれに比べて粘性はないけれどそれでいて味はしっかりエスプレッソ。満足。

というのもカフェ好きのわたくしですが沖縄でまともなコーヒーを飲んだことはあまりない。コザなんかほとんど壊滅状態で知ってるホテルのロビーにある無料コーヒーが一番まともかも、と思うほど。まあ、その代わりにアイスコーヒーはそこそこいい線のものを飲めるけれど。などと思いながら、メニューを見ていたら、アイスコーヒーのところに「ブラジルにアイスコーヒーはありません」なんて正しい但し書きが。個人的にはまりました。

などと思っていたらお店の若主人と奥様が話し掛けてくる。調子に乗っていろいろと話しをしてしまう。息子さんがFC琉球の巡回スクールに入ってフチボールやっているとか、「オシムはもっと我那覇使って欲しい」とか、「我那覇は九州大会で福岡に行った時宿舎抜け出して中洲で遊んでたくらい悪かった」とか、ブラジウ時代のお話しとか、お店は以前屋部にあったというので「ゴルフの諸見里しのぶが屋部ですよね」とかの地元ネタ。連れがサンバやっているといった話しでまた盛り上がる。なんと1時間以上話して盛り上がってしまった。

時間はもう4時。2時間はたっぷりいたことになる。あまりお邪魔してもいけないので、そろそろ退散。帰りがけ厨房雄の奥では写真で見たことのあるオバァが鎮座ましましておいでで、「おいしかったです。また来ますねえ」と挨拶をして店を出る。

予定では羽地の方へでも行こうかと思っていたのだけれど、行こうとしていた時間をかなりオーバー。どうしようかなと考えたが、ここは沖縄。東京にくらべて太陽が西に傾くまではまだまだ時間がある。ということで羽地の田井等へ。以前来たとき未踏だった南側のあたりの御願やら拝所を巡る。うーむ。やっぱりこのあたりは落ち着いていていいところだ。

ひととおりまわったがまだ太陽は帰りたくないらしい。1時間半は明るいと読んで、以前から歩いてみたかった山側の集落方面へ。山の中腹の車一台がやっと通れるくらいの道をのんびりと名護方面へ向かっていい感じの民家や拝所や御願のそばを歩く。空気はおいしいし58号線と違って車は時々通る程度。1時間後バス通りに出て、名護十字路まで。いつも来ている居酒屋に入って食事。ただいつもなら魚がいっぱいなのだが今日は島タコとグルクンぐらいしかない。漁港が休みなのだろうか。それでも普通においしく食べて、300mぐらいいったところで作っているオリオンビールの生を。やっぱりオリオンビールは名護で飲むべきですよ。だんな。

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10/10/06

うるま市あちらこちら

イベント広場1010コザ的にだらだらと爆睡してしまって気がついたらもうお昼近く。いつものこと、とはいえる。とにかくおなかがすいた。とっとと石川漁港を目指す。いつものようにイカ汁+寿司のセットで1500円。ここのイカ汁はいつ訪れても安定しておいしいくいただける。10月だけれど屋外テラスの屋根に水を撒いて冷房のかわり。気持ちいいなあ。少々まどろんでから、歩いてイベント広場の進捗状況の確認に向かう。途中の石川川は気水域となっていてマングローブが両岸に見られるのでしばし観察。石川イベント広場は先月来たときよりやぐらが高くなっている。いよいよドームにとりかかるといったかんじだろうか。しかし暑い。だけれど日陰に入れば心地よい風を感じられる。ちょうど6月の欧州みたいな天気だ。もしかしたら台風シーズンもすぎ南西諸島を楽しむには一番いい季節かもしれない。

ドームをあとにして石川のジャスコのあるショッピングセンターへ。向かいの本屋さんで本を一冊買う。歩いて白浜方面をめざす。途中、公園になった石川のウタキ。このあたりの空気も何気によい。沖縄の神様に祝福されている土地かもしれない。このあたりは沖縄島の中でもっとも幅が狭い地域で地質的にも北へ行くと赤土、南はジャーガルや琉球石灰岩台地という境目にあたる場所。たぶん昔は浅い海だったのかもしれない。

沖縄のり白浜で海を眺めてしばし休息。宮城島が航空母艦みたいに沖合いに浮かんでいる。左手に埋立地にでっかい火力発電所のえんとつ。右手のがけの下は琉球墓地域。いつきてもアンバラスな風景だなあと思う。もっとも右手の墓の上はアメリカーの居住地域になっている。もう太陽がかなり傾いてきた。なんだか、今日はほとんど石川でぷらぷらしていただけだ。

そろそろ時間的にいい頃かなと約束していたので友達の牛小屋へ向かう。途中、昆布から天願のあたりを通ったら例のP3C輸送反対の人たちの座り込みに出くわす。そういえば天願桟橋だもの、こことおればあたりまえだ。キャンプコートニー(地元のとくにお年よりは米軍キャンプのことは「部隊(ぶたい)」といっているが)前のいつも気になるが食べたことがないカーサタコスを通り過ぎ、途中で降りて知人の牛小屋へ。

期待の黒牛くん。なんと風邪をひいたそうだ。まったく食欲がない。大丈夫だろうか。昼に獣医さんに注射を打ってもらったとのこと。なんとお値段13,000円。そりゃあ牛に保険は効かないなのでしょうがないけれど、この出費。うるま市の偉い方。うるま市にとっては闘牛は地域文化であるわけですし、うまく持っていければ、観光客がほとんど素通りしてしまううるま市にとって観光名物になる可能性もないわけではありません。このあたり助成などお願いできないものでしょうか。闘牛を飼うというのは毎日の餌やりなどたいへんなんですから。いや、ほんと。知人は毎朝朝5時に起きて読谷まで車飛ばして牛の餌の草刈りにいったりしているわけですし。などと、頭の中で呟く。

闘牛練習パンダ牛の方の足の膿は快方に向かっているそうで一安心。食欲もある。「まだ、足をちょっとひきずっている」は知人の弁。そんなことを話したあと、パンダ牛を外に出すことになった。少しタイヤで遊ばせる。楽しそうだ。もちろん安易に近寄ってはいけません。まだ若いとはいえもう一トンを超えている巨体。ダンプカーのタイヤが軋みながらグイングインと持ち上がる。どんな牛になるのか。目じりが下がる。

十分に遊ばせたあとここのところの日課どおり牛を外につなぎながら知人がいう「あっち(黒い牛)はぜんぜん食べないし面白くないので上いこう」。上とはすぐ近くにあるもうひとつの牛小屋だ。

そっちには牛が三頭。その小屋の前では知人の兄や、ぼくも久しぶりにあった人たち牛好き、酒好き、博打好きの人たちがいつものようにたむろしていた。ほとんどぼくも顔見知り。久しぶりにあった人も多い。

当然のことだがみんな牛に詳しいので、いろいろな話しを聞く。面白い。気がつくと人が増えている。近くの別の牛主の人やら、知人の同級生やら、わさわさと集まってきたのだった。おまけにビールやらシマー(泡盛)やら、タコスやらチキンやらが登場して屋外宴会へとなだれこむ。ブルファイトパーティーか?。タコスはさきほど横を通ったカーサタコスのもの。はじめて食べる。うわっ。こりゃうまいぞ。タコスの皮がほどよく柔らかくトルティージャのよう。ひき肉もサルサソースも満足できる味。レタスも水切りがしっかりしていて文句ない。いま、書いていても、また食べたいと思うほど。金武やコザで有名どころのタコスはいろいろと食べてきたけれど、ぜんぜん負けていない、というかここのタコスかなり凄い。おまけに別の店の店のチキンだがそっちも、皮はパリパリ。肉はジューシー。おまけにガーリックが利いていてビールがすすむ。気分がいいなあ。

牛の様子をみながらいろんな話で盛り上がる。闘牛界の裏話やら、闘牛場でのふるまい、牛主の気持ち。徳之島闘牛の凄さ。こちらとしては願ったりかなったり。気がつくとあたりは真っ暗。月が浮かんでいた。

夜10時すぎまで続いた緊急大宴会のあとコザへ戻る。ちょっとこばらがすいたので、いつもの小町でおでん。ここのてびちは本当に絶品。地元でしっかり支持されている味を出しているからこそだろう。見た目はグロテスクで内地の人は一見して顔をそむけることが多い。ぼくの知人もそんな人が多かった。でも、たいてい常連になったりするようだ。

こうして誕生日の一日は過ぎていった。あ、そうなのだ、いまさらこの年になって誕生日を喜ぶのも恥ずかしいが、個人的にとっても気持ちのいい誕生日になった。そんな気がする。

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03/10/06

沖縄市産味付け海苔

沖縄のり関西方面で育った方は味付け海苔をおやつ代わりにムシャムシャ喰い散らかした覚えがないでしょうか?。

わたしは関東育ちではありますが、春と夏の休みはご先祖様の田舎である和歌山ですごしていたもので、おやつに味付けのり。ご飯の時もおかずが足りなきゃ「味付けノリ!」という生活を送っておりました。

しかし最近は関西における定番である佐賀有明産の味付けノリの味が落ちている、そんな気がするのはわたしだけでしょうか。とくに例の有明海の埋め立て以降とくに顕著になっているような。杞憂ならいいのですが、実際、個人的に佐賀有明産の味付け海苔をうけつけなくなってきていたりするのが困りもの。

そんな中、救世主のように登場したのが(いいすぎ)、このやっちゃんのり。昨日紹介した沖縄市にある仲松通商で売られています。製造はNM商事。たぶんオリジナルの海苔でしょう。

実はこのほかに、NM商事の味付け海苔は2種類あるのですが、わたしの好みは、やはり、このやっちゃんのり。やっちゃん最高!(笑)。泡盛や焼酎のあて。卵かけご飯を巻いて。口さびしい時のお供。大活躍しております。

沖縄市周辺でしか見たことないので、もしも沖縄へ行って、近くに行ったなら、買って帰って、ホテルで就寝前の泡盛のあてにしたりするのも一興かと。

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02/10/06

沖縄市産はちみつ

沖縄はちみつなくなると買っているのがこのハチミツ。

一年中どこかしらで花が咲く沖縄なので季節によって味も違ったりするのだろうが、あまり詳しいことはわからない。

ただし、このハチミツ、かなり使いやすくおいしいということだけは個人的にホショーしておく。そんなに高くもない。

いつも沖縄市の農連市場向かいの仲松通商で購入している。沖縄で下手なお土産買うよりよいかもしれませんね。

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04/08/06

南予の<じゃこてん>

▼先月南予宇和島を訪れてからというもの、<じゃこてん>に、再び、はまりまくっているわたくしです。

▼静岡の黒はんぺんと似て非なる宇和島の<じゃこてん>を食したのは、南予大洲出身の親しい友達から帰省のお土産にと、もらったそれでした。
▼ぷりぷりとした食感に、くにゅっとした歯ごたえ、カルシウムいっぱいの香り、どれをとっても魚好きのわたくしの好み。感動。
▼その感想を、食して後、もらった知人に話したところ「地元で食ったらもっとうまいよ」とのご宣託。
▼となれば、くわずんばこじをえず。
▼現J2の愛媛FCがJFLにいたころ松山に行った際、松山市駅の高島屋で食ってみたんですよ。現地の<じゃこてん>。
▼そしたら思ったほどでもないんですよ。これが。首ひねりましたよ。
▼東京に戻って知人に聞いたら、「松山と南予は違う土地。<じゃこてん>は南予の食いもの」とのご宣託。

▼で、今回宇和島で、食いまくりました。<じゃこてん>。
▼もう、なんというか、ほくほくの作りたては、死ぬほどうまくて、卒倒。これだあ。
▼特筆すべきはコンビニでもフツウに売っていて、それがまたフツウに食える(地元の人からすれば「なんだ?」ということでしょうが)。これだあ。
▼というわけで、東京への道すがら買って帰りました。
▼二日で食ってしまったら、翌日<じゃこてん>食いたいよお、とお腹がほざくので、あわててネットで購入。
▼昨日届いたのを食ったら、冷蔵での宅配だったけれど、やはりすでに鮮度は落ちている。
▼それでも、十分に食える。
▼おいしい。
▼ここ十数年そうですが、同じ味を共有できる友として、たまにしか会わないですけれど、その友達はわたくしにとって大切な日本の友だと改めて確認(笑)。
▼食い物を共有できるかは人にとってとても大切ですってば。

▼加えて、宇和島で入った日本一のアジを出す寿司屋さん曰く「宇和島はみんなおっとりしてるけん」というひとことは、こんなカルシウムの塊をふつうに食ってれば、そうなるだろうと、納得。とにかく美味い。
▼魚好きの関東人(わたくしもですが)のみなさん。わたくしごときが言うのもなんですが、改めて言わせて頂くと<じゃこてん>はしびれます。いやあ、いいもん食べた。
▼来年も南予に行きたいぞ、と思った日本の夏でした。

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10/04/06

諸鈍のビワ

▼古仁屋からフェリーに乗って到着した生間(いけんま。)そこからバスで5分。ここは諸鈍(しょどん)。
▼平家伝説が残る加計呂麻の外海側の部落。昔から日本や沖縄と交流があったとか。
▼弓なりの海岸線に植えられたデイゴ並木でも知られているが、今日はまだ花が咲くには早すぎた。
▼大屯神社(おおちょんじんじゃ)での諸鈍シバヤで全国的に有名な部落。
▼はたまた奄美の島唄好きの方の中には、中孝介のミニアルバム「諸鈍」を思い出す人もいるかもしれない。
▼その部落にある郵便局のはす向かい。近隣の畑などで取れた野菜を並べた、無人販売所があった。

▼小さなシマ(奄美でいう集落のこと)の中。買い手の善意を前提とした商売。
▼もう時計は午後になっていたので商品は少なかった。というかほとんどなくなっていたのだった
▼残りものの中にビワがあった。

▼ビワはここ数年ほとんど食べたことがない。
▼子供の頃は親戚筋の田舎である和歌山、京都、岩手などで、庭先のビワを取ってむしゃむしゃ食べていた記憶がある。世田谷の親戚のうちの庭にもビワの木があって玉電の芋虫電車に乗っていってやはりむしゃむしゃ食べていた。
▼子供の頃から、「ビワなんてものは、庭先になっているのを食べるもの」という意識が刷り込まれたと考えられるわけですよ。
▼そのため、現在の東京のスーパーなどでビワ数個で数百円といった、お値段がついていたりすると唖然としてしまう。

▼そんなわたくしの眼前に、小さいながらも十数個のビワが入った袋が、存在していたのです。
▼値段は100円。

▼子供の頃、ビワは「庭先になっているのを食べるもの」と思って、親戚の家のものを食いおわると親戚のご近所さんの家のものを勝手に取って食っていたわたくし。たぶん親戚はご近所さんに謝っていたんじゃなかろうか。ご苦労かけました。
▼一方で大人になった昨今、スーパーなどでのビワの値段を見ると「あ?、意味わからねーなー」と困惑。

▼この流れからすれば、賢明な読者の方はすでにお分りになるかと思うが、わたくし、ほとんど脳幹のみで判断し100円をいれ、頃合のよさそうなビワを手に取ったのでした。

▼諸鈍湾の三日月のような砂浜を見ながら、ビワの皮を剥き歯をたてる。心地よい歯ごたえのあとに程よい甘味とかすかな酸味が感じられる素朴な味。
▼昔、昔、食べた、祖母の家のビワに近い味でした。

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09/04/06

奄美大島のラーメン

▼名瀬からバスを乗りついでやってきた、宇検村の湯湾でのこと。
▼食事をしようと思ったものの、予想はしていたが、やはり、とにかく、そういったお店が視野に入ってこない。
▼辛うじて、「ラーメン」ののぼりをかかげている食堂らしきもの一軒と、確実に夜しかあいていないであろうスナックがやはり一軒。つまり二軒。
▼あとは三軒ほどの雑貨を扱うお店。
▼こちらは、まあ、こういった状況にはなれているので、何も文句はない。
▼ただおなかがすいたので、その食堂らしきお店が開くのを待つだけである。
▼そう、いまは朝10時。もちろん、まだ店は開いていなかったのだ。

▼店が開くまで、湯湾の部落をぶらぶらと歩く。
▼とりあえず村役場までいってバスの時刻表などをもらう。非常に丁寧な対応に好感を持った。役場の前庭には、かつて奄美大島の農村ならどこにでもあった、高倉があった。
▼湯湾の部落は30分ほどで歩けたので、となりの芦検の集落へも足を伸ばした。
▼芦検には小学校と中学校があるだけでなく、保育園もあるようで、ちょうど、園児たちがお散歩をする時間にかちあったのだった。
▼この芦検。落ち着いた部落だと感じた、

▼11時半を回ったので湯湾に戻り、件の食堂と思しき店に入る。メニューは、味噌ラーメン、醤油ラーメン、野菜炒め。味噌ラーメンと野菜炒めを頼む。
▼奄美大島でラーメン?。
▼みなさんがそう思うように、わたくしも連れもそう思った。
▼だが、頼むものがない。この時点では苦渋の選択であったと白状しておこう。
▼待つこと10分。料理がやってきた。野菜炒めはまずくはないが、うまいというほどでもない。とりあえずよしである。というか野菜そのものは、東京では考えられないほどおいしい。野菜に力があったことは記しておくが、とりあえず、野菜炒めという料理としてはフツウの部類かと思う。
▼しかしである。同じ野菜を使ったと見受けられる味噌ラーメン。
▼これが、なんというか、非常においしかったのだ。

▼炒めた野菜の甘味と味噌。そして隠し味的に使われているニンニク。そこにちょっと太目の麺がからみ、スープを飲むと、身体いっぱいにうまみが染み渡る。

▼<何も食べるものがなく、おなかもすいていた>という状況によるのかもしれない、と一瞬思ったが、いやどう考えてもこの味噌ラーメンはおいしいのだとしか考えられない。
▼とにかくおいしかったのだった。

▼そういえば、以前、何かの本で、「奄美大島は隠れたラーメン天国」といったような文面を見たことをおぼろげながら思い出した。
▼ここ10年ほど流行っているご当地ラーメン的に「奄美ラーメン」といった名を冠するような動きも特徴もないけれど、醤油も味噌もトンコツもラーメンがおいしいという話だった。

▼奄美大島で食べたラーメンはこの宇検村湯湾が初めてだったが、もしかしたら、その本の記述は正しいのかもしれない。
▼確かに、奄美大島のどこそこのラーメンがおいしいといった記事をネット上で見ることも珍しくない。
▼水がいいのか、ラーメンに対するつくり手の感がいいのか。なんといっても、ご当地ラーメン的な存在がないのに、<ラーメンがおいしい>と云えるあたりが、なんとも、非常に興味深い。

▼沖縄は正直、おいしいラーメンは存在しないが、奄美大島はもしかしたらラーメン天国なのかもしれないと、思ったりも。
▼というか、おそらく、そうなのではないでしょうか。

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19/01/06

<うるくそば>を食べてみる

▼昼から予定が入っていたのでちょっと早いが軽く食事を済ませようと思っていた。
▼近くを通りかかったこともあったのだが、いままで入ったことがなかった、「うるくそば」に入る。
▼ここは、かなり独特の沖縄そばを出す店として知られているのだけれど、これまで一度も入ったことがなかった。良い機会かと。
▼店の前には20台弱の車が止められる駐車スペースが。店内もかなり広い。
▼開店したばかりのようで、客は誰もいない。
▼店名にもなっている「うるくそば」を注文。なんでもこの「うるくそば」は、しいたけと豚肉の細切りが入っている沖縄そば。確かに独特である。ちなみに「うるく」はこのあたりの字名である「小禄」のうちなー読みだ。
▼ちょうどランチタイムなので、サービスでじゅうしいか白ご飯どちらかを選べるというので、じゅうしいを所望。
▼数分でじゅうしいとうるくそばがやってくる。
uruku.jpg
▼見た目スープの色がかなり濃い。しいたけと細切り豚肉、そして、脂が浮かんでいる。
▼香りはいい。
▼一口すすってみる。ん?。これは…、いわゆる沖縄そばの範疇に入るのか?確かに麺は沖縄そばだが、スープと具は沖縄そばの王道違反ではないか?
▼いや、間違いなく王道違反なのだが…、しかしながら、うまい。かなりこってりとした舌触り。豚の背脂などを散らしたこってりしたラーメンなどそっぽを向くわたしくしが納得するこってり加減だ。
▼この汁がまたじゅうしいにあう。おそらく白いご飯にもあうはずだ。いいかんじである。
▼しかしながら、食べ進めるうち、ちょっとしつこいと感じ始めたわたくしである。あきっぽいというのもある。
▼そこで様子をみながらコーレーグース、紅しょうが、一味などを、そばにあわせていく。
▼結論。コーレーグースと紅しょうがが非常によくあう。さっぱりしておいしくいだけるのだ。
▼食べ進めるうちに全身に汗が噴き出てくる。おいしい証拠。
▼汗だくになって完食。
▼噂に聞いていた「うるくそば」。
▼はっきりいえば沖縄そばとしては邪道だと思う。しかし、これはこれで悪くはない。
▼沖縄そばの超王道をいく「あじゃず」とは、対極に位置する沖縄そば屋といっていいのかもしれない。


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09/10/05

コザから名護そして羽地

名護へ。

お昼は時間があったので、久しぶりに八重食堂でソーキそばをいただく。八重おばあが怪我して入院したということで、会えなかった。どうやら息子のお嫁さんが店を仕切っている模様。

しかし、ん?。いや、まずいわけではないのだが、麺がちょっとやわらかすぎまいか?。なんというか先に茹でておいておいたような麺。歯ごたえがイヤだ。そして肝心のやかんに入った汁。ん?。まずくはないのだが、脂がちょっと、いや、はっきりいえば、かなりういていまいか?。すすってみると、ん?あのかつてのあっさりした濃くがなくなったわけではないのだが、脂がその微妙な味わいを消しているように感じる。

うーん。入院しているおばあには悪いけど、正直言わせてもらうと、味が落ちたよ。この味なら新山か宮里を選ぶ俺である。

そんな八重食堂を後にして、羽地方面へ。羽地グスク、仲尾次グスクなどを回る。

何度も走り抜けることだけはした地域を改めて歩いたわけだが、目からうろこの発見がたくさん。羽地グスクから仲尾次グスクと田井等の集落あたりにかけては、間違いなく古島(古代部落跡)だ。

おそらくこの一体にはかなり有力な豪族が治めていた部落が点在していたことは間違いない。実際、史書によればこの羽地の領主が今帰仁グスクを攻略し第一次北山王国を壊滅させ、第一次北山王国の一族をおいやったという話がある。逃走した一族は伊波グスクや山田グスクを作り、伊波グスクの後継は安慶名グスクを治めたり、山田グスクの領主の子孫からは護佐丸が排出している。

後の、琉球の歴史に大きな影響を与えた一派が、羽地内海に臨むこの地にいたということが実感できる。そんな地域だ。おそらく羽地の海に北からやってくる大和の船と交易を行ったり、白旗(もしかしたらこの羽地の一派は南走平家の一族だったのかもしれない)を見て戦闘体制を整えたりしていたのかもしれない。

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08/10/05

とりあえず泡瀬でさかな

本当はチキン(津堅島)へいくはずだったのですが、なぜかコザ的に寝坊。午後お腹がすいて外へ出ようと思ったら土砂降り。うむ。チキンへ行くなという天の配剤。

しかしやることがないがお腹はすいたということで、泡瀬漁港まで行って魚を食すことに。31番のバスにのり、泡瀬三区下車。そこから海方面に歩いて行き、大きな道を何本か超えてたどり着いた漁港。ここに漁協が経営する海産物売り場とお食事処がある。

昼食時間をはずしたので、テーブル席があいていた。ラッキーである。魚汁定食を注文。数分でできあがり、がっつく。うま~い。沖縄の食い物の中で俺のフェイバリットトップ3に入るのが魚汁である。マグロの刺身もついていて非常によろしい。

食ってから同じルートをたどり、胡屋まで出て、CDを見繕ったりなどしたのでありました。やはりコザではなんもしない日が続くのであった。

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23/05/05

“通堂”ラーメンとその周辺

小禄駅周辺をふらふらしていたら、“通堂”(とんどう)というラーメン屋が。日ごろほとんどラーメンを食べないものの、有名らしいということは知っていたので話のネタに入店。男味と女味というのがあったが男の子なので男味。

内装などは今どきの風情。若者なんぞには受けるのかもしれない。店員も若い子が多い。カウンターにはもやしやら醤油漬けにんにくやらが置いてある。水の代わりに紅茶。

件のラーメンはとんこつ塩味らしい。食べきれない場合失礼なのでミニというものにしたのだけど、結果これが正解。まず、正直にいってスープにあまり旨みが感じられない。八重食堂に代表される名護周辺のそば屋のスープに感じられるあの強烈なダシを好むおれだからしょうがないのかもしれないのだけれど、ちょっと物足りない。そして最初口をつけたとき立ち上る豚くささ。これも気になった。チャーシューは悪くないのだけど…。またまわりにおいてあるもやしは辛すぎ。しょうゆ漬けにんにくもつかりが足りない。一番おいしかったのは…、紅茶だった(笑)。

こういうのが最近の流行というか話題になるというか、そういうものなのだなあという感想。このラーメンを好きという人がいる可能性があるだろうことは否定しないけれど、「もう一度行くか?」といわれたら、「現状それはない」といわせてもらう。昼飯に、港町の「えんがん」でアバサー汁の濃厚な旨みを味わっていたということもあるのかもしれないので、もうちょっと頑張ってもらって風の噂が再び届いたらトライしてみたい。

それはそうとこの小禄駅周辺は改めて歩いてみると、こんもりした公園が実は昔からの拝所であることを知った。よくよく考えたらこのあたりの字名は金城(かなぐすく)なのだから、この公園が“かなぐすく”なのだろう。山頂付近には拝所が7つ。中腹にひとつ。風葬場所にしては、それらしい窪みなどもない。しかしあたりの様子を考えると、古代集落跡と考えてもいいのかもしれないと妄想が巡る。

ぐるりを巡って戻ってくると一台のワンボックスバンが“カナグスク”の南側の道に止まっていた。サイドにはXXX福祉事務所の文字が。その車の中から、白髪頭のオバァがカナグスクへ向かって祈りをあげている。ふと見ると歩道には供え物が並ぶ。老人ホームに入っているオバァが職員に連れられて拝願に来たのだろうか。拝所で祈りを上げる姿は何千回と見ているけれど、今回はちょっと珍しい光景だったので立ち止まって数分食い入るように見てしまった。

幼稚園から高校までがすぐそばにそろい、今時のファッショに身を包んだ子が行き交う道端で、祖先崇拝が行われる。これも沖縄のいまの光景といえるのかもしれない。

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24/04/05

FC琉球を観る

昼前にコザから62番のバスで北谷(ちゃたん)の美浜(みはま)へ向かう。Kyuリーグ、FC琉球の沖縄開幕戦というふれこみの対V・ファーレン長崎。会場は北谷陸上競技場。

謝苅を抜け58号線を渡ったところでバスを降り美浜食堂で昼食。トンカツを頼んでみた。まずくはないけれど、やはり、中部病院前の“かおる”の方が上等。ただし量では美浜食堂の勝ち。世間的には一長一短かと思う。ただ50歳に近いぼくとしては、やはり旧具志川、現うるま市の“かおる”に軍配をあげる。量はそこそこでもおいしいものがいい。

食事後、スタジアムに向かう。途中、右手にジャスコ、左手には毎年2月に中日ドラゴンズがキャンプを張る北谷球場がある。

目的の北谷競技場はバックとサイドが芝生席となっているので、フットボール者としてメインスタンドでの観戦を選択した。しかしチケット売り場が不明。ネットでの情報によると入場料1000円のはずなのだが、チケットを買える場所が見つからない。探しているうちになんとなく階段をあがったりしているとメインスタンドの長崎側の場所に入ってしまった。同行した人間はFC東京ファンなので、これでFC東京ファンのスタジアムの無料入場突破は沖縄でも行われたということになる。わからなかっただけだが、ユユシキ問題ではないだろうか(大笑)。

メインスタンドのうしろは北谷の海。北谷は沖縄の人間にとってここ数年の天久(あめく)神話以前からトレンディスポットとしての地位を維持しつづけている土地柄。FC琉球の試合を行うロケーションとしては成功なのかもしれないと思ったりもする。

試合がはじまる。FC琉球は個人技を中心とした80年代のブラジウみたいなチームだった。監督がジョージなので(与那城ジョージ)なのでさもありなん。対する長崎は昨年まで有明FCという名前だったチーム。国見OBを中心とした、しっかりとした守備と中盤の構成力。組織だったプレーが目を見張る。正直FC琉球の先制点が決まるまでは長崎の方がいい試合をぶりだったように感じる。

応援団についていうと長崎は3人。メインのアウェイ側に陣取るというJFL以下のカテゴリーではよくあるパターン。対してFC琉球はバックのピッチ上にメガホン応援を中心とした団体が陣取る。この姿、Jリーグファンなら柵のない臨海を想像してみるといいだろう。

ところで応援についていっておくと、長崎はかなりクルバ的な雰囲気が漂うものだった(三人だが)。その中でも、長崎ご当地食い物羅列応援、たとえば「カステラ長崎、カステラ長崎」「ちゃんぽん長崎、ちゃんぽん長崎」などといったあたりはわけわからんが好感が持てた(笑)。へんな外国被れをするよりも如何に土地柄を前面に出すか。それがフットボールの応援には大切かと思う。JリーグからJFLまでは勘違いした、かっこつけたチームが多い現状を考えれば個人的に、わけわからんが、OKだ(笑)。とくにJFLの英国意識したようなマヌケな応援に比べればご当地意識を前面に出すことはまったくもって正しい。

一方の、琉球。基本的にはよくあるJリーグ的応援なのだが、唯一、はまったのだが「ちゅら、ちゅらぁ~、ちゅら、ちゅらちゅららら、ちゅらちゅらぁ~、ちゅらゴール」というコール。「ちゅら=美ら」と現代うちなー口では書くのだけれど、日本語学的にいうと「ちゅら=清ら」。意味は「美しい」とか「きよらからですがすがしい」といった意味になる「ちゅら」だが、「ちゅらゴール」というと、まっこと英語でいう「ビューティフル・ゴール」といったあたりのニュアンスが漂う。

そんなコールが登場した数分後、FC琉球の得点は日本フットサル代表でもあるリカルド比嘉のフリーキック一閃。ゴール左隅に決まり、1-0。押されまくっていたのだけれど先制だ。メインもバックも大騒ぎ。チームカラーであるベンガラ色の旗がふられている。

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そうこうしてハーフタイムである。これがまた凄かった。

まず、子供エイサー隊の演舞。次に、スポンサーであるらしい沖縄ペプシのキャラクターであるペプシマンが登場。このペプシマンがバックスタンドあたりにいくと子供たちがおっかけるおっかける。控え選手が練習しているのだが、なんと子供たちはペプシマンをおっかけてピッチの中にも進入。主宰者側の誰も止めず。ほとんどウチナー結婚式の余興みたいなノリになっていた。

後半、長崎が一点を返そうと反撃に出る。4バックの両サイドが果敢に上がる。3バックの琉球の右サイド、元ヴェルディの某選手が正直穴だったことを察知したかのように左サイドから重点的に攻める。この某選手、足元がまずダメで、守備意識なく、でかいのに対人も弱い。見ていて良く使ってるなあ、と思っていたのだった。

ところが、この某選手から逆サイドへクロスがあがり、これをダイレクトで受けたFWがトラップしてシュート。なんと2点目をとってしまう。それまでダメダメだった選手が一転ヒーローになること。こういう試合は勝ち試合になる。

fcr03.jpg

試合はそのまま2対0で終了。バックスタンドに陣取った応援団に挨拶に行く琉球の選手たち。するとバックスタンドから子供たちがピッチに大量侵入。芝生の上を走り回り、選手を捕まえてサインをねだり、ゴールを使ってシュート練習をはじめる始末。ヒーローインタビュー(インタビュー用のバックボードがあった)の時にも、取り囲むのは報道陣数名。あとはガキの大群。本土では即刻大問題だろう。

柏でピッチに入ったとか飛田給で落ちたなどといったことは、「だから、なに?」、だ。日本のフットボール界ではあるまじきことなの