07/01/07

共同店の本

宜野湾にあるいきつけの古書店へ寄った。ほしい本が何冊かあったのだが断念。なんといっても、大型本で重かったのだ。車で来て買いなおすか通販が正解。

その代わり、昨年出版されていた、季刊カラカラ別冊『共同店ものがり』を購入。小さくて軽かったので。
共同店ものがたり

戻ってから読んでみたけれど、なんだ、面白いじゃない。もっと早く買っておけばよかった。紹介されているうちの半分以上はいったことがある共同店で、その時の記憶が甦る。

「あ、あそこで買ったビールは温かったなあ」「地元の泡盛の小瓶はお土産にしたっけか」

わたしの場合、シマ(集落)を訪れ、そこに共同店があった場合、最低でも飲み物を購入するという暗黙の自発的ルールが21世紀になってから発動されているが、20世紀中は、入っただけでモノを買わずというところがあるので、商品を買ったのはまだ3分の1強というところかもしれない。まだまだかと思われます。

なんといっても共同店の元祖である奥共同店。行ったことはあるのだが何も買っていないのだ。これではいけない。今年中に買い物にでかけることにしようと新年に誓うのだった。

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28/05/05

ユリイカ 特集ムーンライダーズ

ユリイカの2005年6月号はムーンライダーズの特集。日本の雑誌はまず自分で買わないだけでなく、気にもしていなかったので、たまたま買ってきてもらったものを、そのまま数時間で読了。

ムーンライダーズは、その前身的バンドである、はちみつぱい時代からライブへ通いレコードを買ってきているので、個人的にファン歴はもう30年は越えたことになる。学生時代の同級生や同世代以上の人も同じファン歴を積み重ねているわけで、とくにぼくが珍しい存在ということはない。

それでも、ネット上のWebやBlogなどを見ていると、その書き手はぼくより若い方が多いようである。だいたいアマチュアアカデミー前後からのファンのようだ。そういう人たちの言葉を読むのは楽しいのだけれど、時にステレオタイプ化しているように感じることもある。

曰く「メンバーは50歳以上」、「日本最古の現役ロックバンド」、「知るひとぞ知る」。

そして今回のユリイカの特集をパラパラ読みながら、ネット上でのムーンライダーズに関するいろいろな人の文章を含めて、改めて気がついたのけれど、「もしかしたら、いまムーンライダーズを語る場合、歌詞についての言説が多くなっていまいか??」ということ。

もちろんユリイカは「日本語」を生業とする雑誌なので、ムーンライダーズの音楽の一翼をになう「日本語」を各論の中心に据えるという点は疑問の余地なく正しいが、これはユリイカだからということだけではなく、ムーンライダーズ関連のネットでの文章が現在、歌詞について語る傾向が多いように感じたのだ。

ムーンライダーズの楽曲の歌詞には暗喩と隠喩にあふれ時代の斜め下あたりを軽く抉る鋭さを感じる。ここに文章の視点を求める行為はひとつの方法論だ。だけれど、ムーンライダーズはあくまで音楽による表現に身をやつしてきたグループであるわけで、このあたり、音やサウンドにも考察を加えた文章が昨今ちょっと少ないかなと。

そんな中で、今号のユリイカでの細馬さん(一緒に昔、本を書いた人だけれど)のムーンライダーズに関するコラムはコーラスという部分を取り上げているあたり、さすがだなあという感想。

サウンドという観点から語るに、今は、言葉が喪失気味なのかもしれないけれど。

加えて、今回のユリイカでもそうなのだが、最近のムーンライダーズに関する言説で足りないのは、ムーンライダーズがあくまで東京の湾岸地区のバンドという視点ではないか、と。

昔、発売されたベストアルバムのタイトルで“東京一は日本一”(確か矢吹申彦さんがタイトルをつけたという話だった)があるのだけれど、ムーンライダーズは東京原住民の心情を体現してきたバンドという意識がぼくにはある。

首都ではない東京。その海沿いの。

東京という地方で29年続いたローカルバンド、ムーンライダーズ。

東京以外で生活してきた人にはピンとこないかもしれない、東京の湾岸地帯の空気みたいなものを、渋谷百軒店の伝説をムーンライダーズに感じる。そんなぼくやぼくの友達が結構いたりするのだ。でもあの頃のあのあたりのあの空気を、今の言葉で語れる人はそんなに多くないかもしれない。

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24/03/05

グスクについてのメモ

琉球文化圏のグスクについて初めて日本語で言及したのは当然の事ながら沖縄学の父、伊波普猷氏であり、それ以降現在に至るまでグスクとは何かということについて多くの学者、研究者、識者が独自の見解を述べている。

その中で現在のところこれからのグスク研究の基底を提供しているのは浦添市教育委員会文化課主幹であった安里進氏だろう。安里氏は自身の考古学的実証主義を前提にした論考を集めた書籍「グスク・共同体・村」の中で氏自身の論点を展開する前提として、それまでのグスク研究をおおまかに以下のようにまとめている。

「仲松弥秀氏の聖域説と、嵩本政秀氏の防御集落説、当真嗣一氏の按司居館説そして高良倉吉氏の高地集落説なごがある。その中でも嵩本氏と仲松氏の議論がグスク論争の基礎にある」

上記四氏による主張のうち、高良氏のそれは、仲松氏と嵩本氏をあわせもったものである。また、仲松、嵩本、高良氏の説と当真氏の説は時系列な流れの中に収められるもので、相反する説ではない。

つまり、安里氏によれば「グスクの性格をめぐる論争の主要な争点は、嵩本氏のグスクB式(防御集落説(筆者注))と仲松氏の「村の拝所としてのグスク」の性格である」ということになる。

この論点の整理ののち、安里氏は嵩本、仲松両氏の説には空間的な差異があるという点。つまり、石垣で囲われた地域のみをみるかその周辺までを“グスク”に含めるか。また、そのグスクに居住していた人々の階級的差によってそれぞれのグスクの性格が異なるのではないかという点。そしてこれらのことから逆にグスクをめぐる考古学的調査によってそのグスクに居住していた人間を階級的支配者といっていいかどうかを検証すべきだと指摘している。沖縄本島のグスクを巡っての個人的なぼくの印象になるのだけれど、安里氏の考古学的観点からの指摘は納得できる点が多く、現状のグスク論における基点を形成しているように感じている。

ところで、ここに、連れが本土の古本屋で購入してきた稲村賢敷著「沖縄の古代部落マキヨの研究」1968という書籍がある。沖縄県文化財専門委員などを歴任した方らしいが、現在のグスク論争においては、ほとんど名前を見ることがなく、ぼく個人の感想としても、たとえば、本島北部地域に多く見られるカミアシアゲを古代部落の縄文的竪穴式住居を「足上げ」したものであるといった言語学的にみても首をひねざるを得ない記述が見られる点などからも、はたして今後のグスク論を展開していく上で意味がある書籍なのかどうかは定かではない。

しかし、“古代部落”が狩猟&漁労社会で、母系の集団であり、海岸から若干離れた台地や山頂付近に居住地域を求めていたとする点。また、その後の農業社会は鉄器の沖縄渡来とともに広がり、農地を求めた“古代部落”の人々が山や台地を降り、河川や海岸沿いの低地へ移り住んだとする説には感覚的に頷けるものがある。その彼等の先祖が住んでいた台地や山の旧居住地が後にそして現在、信仰の対象、つまり聖地として機能している。そして、これらの聖地の中には支配者集団の「居城」や「防衛地」として使用されたもの、つまり石積みの「グスク」として現存しているものもある、と考えることもできる。

ただ、外間守善氏などによる北方から沖縄へやってきて、アマミク神の信仰をもたらしたアマベ族(海人族)に関する研究によれば、彼等は漁労も行うが同時に稲作文化をもたらしたという。これをどう考えるか。そして、アマベ族は鉄および製鉄技術ももたらしたのだろうか。

多くのグスクや拝所を回ってはいるけれど、グスク論争に関する論文や書籍すべてに目を通したわけではないので、ただただいいかげんな感想でしかないのだが、ここまで記した人々の研究はそれぞれ正しいのではないだろうかと考える。

つまり、それぞれの説には時系列的な差異があるとともに、“古代部落”時代も、“グスク”時代も、沖縄には様様な文化を持つ民族集団、つまり言語、文化、顔、身体的特徴が異なる人々がいたのではないだろうか。つまり、各氏の言説はそれらの民族的時空的差異と各氏の基調とする学問からの論点によってなされているわけで、それぞれ正しいのではないかというこだ。

となると、それらの言説を時間軸と民族集団別に整理する必要が出てくるわけだが、今後どう行っていくかは、大きな課題。とりあえず、まだまだ読まなくてはいけない書籍や論文は多いし、同時にこれまでのグスクと拝所だけでなく、貝塚や考古学的な遺跡なども訪れていかなければならないのではないかと。

勘でしかないのだけれど、琉球文化圏のグスクとその周辺に見られる事象は、ぼくたち日本列島に住む人間がどこから来たかという謎の扉を開く上でのひとつの手段なのではないだろうかという気がしている。そしてそれはぼくたちがどこへ行くかということも語っている。

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27/01/05

島うたの小ぶしのなかで

コザのとある本屋。大通りに面している書店なのだけれどなぜかほとんどの本の背が「古本であってもここまではなあ」というほど焼けていて、ほんとに新刊?と訝るほどの不思議さ爆発。もしかしたら再販制度に背を向けて、消費者に文化を!などというコンセプトで安く売っているのかと思って試しに買ったら定価だったという本屋。

shimauta.jpgその本屋で、しまうた業界の重鎮のひとり上原直彦氏の1995年に上梓された<島うたの小ぶしの中で>という本をみつけたのが去年の11月。買おうかどうしようか、その時迷ったのだが現金の手持ちがなくて保留。購入したのは今年1月になってから。11月の時点で、ここはコザだから絶対にこれは売れないと踏んだわけだがその予測が当たった。

ねぐらに戻って紐解くと、今までぼくの知らなかった歌者たちのエピソードや素顔が綴られていてぼくなんかからすると、ひるぎ社のおきなわ文庫の一冊<大城學 沖縄新民謡の系譜>にも匹敵する宝物に近い書籍であることが発覚。その本をねぐらに忘れ東京へ。やっと先週から続きを読んで読了した次第。きっと、民謡関係の書籍だから、コザから離れたくなかったんだろうと勝手に納得。

とにかく鬼籍に入った歌者から今も活躍する歌者まで、彼ら、彼女らに関する話がこれでもかと活字化されている。氏は琉球放送のラジオ局でアナウンサーとしてプロデューサーとして、そして島うたの作詞者として生きてきた方なので、経験に裏打ちされた数々の事実は沖縄の音楽を見ていくうえで貴重。どうやらこの書籍はもう絶版らしいので、多くの人が読めないというのは残念でならない。

上原直彦氏はいくつかの著作がある。もっとも最近のそれはキャンパスレコードのWebで連載されている文章をまとめて昨年上梓された<浮世真ん中>。今も毎週更新されているので沖縄における業界の感性と意見が垣間見えるという意味で興味深い。

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17/01/05

琉球弧と日本列島

沖縄にいると沖縄は「日本と違う」という意識がもたげてくる。日本語が通じはするが言語、文化、食など様様な点で日本との間に差異が存在するという点は紛れもない事実。

ところが、ここ数年は上記の差異を考慮したとしても、共通性というと誤解を生じるかもしれないので、言葉を変更すると「非常に密接な関係があったのではないか」と思われる出来事や物証が多々ある。

この考えに至るには、高校生までに習った歴史教科書とその後の大学での研究を一度リセットしないと導き出せなかったので、ぼくにとってはある意味勇気が必要だったということは記しておきたい。

気になるのは、鎌倉時代前後(1200年ごろ)までの沖縄と日本の関係。

1200年以前は日本史においてもこれまでの歴史の常識を一度見直さなければならない時代であり、その見直しを図ることで琉球弧の歴史が俄然ダイナミックな動きをはじめる。

その動きは縄文、弥生といった歴史時代以前の日本列島や琉球弧、北東アジアの歴史に認識の変革をを促す可能性もあるように感じている。

とりあえずのポイントは、アマミクに代表される、海洋民の生業とその移動。これは源平の合戦でひとつのピークを迎えることになると思っているぼくではあるのだが。

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31/12/04

安里屋ユンタという曲

「安里屋ユンタ」といえば沖縄民謡の代表曲としてしられ、沖縄民謡のコンピレーションアルバムを作れば、たいていフューチャーされる、そんな曲。

ヤマトグチの歌詞と沖縄情緒を感じさせるメロディーは多くの人の支持を受けていて、日本のミュージシャンがとりあげることも多い。沖縄のエバーグリーンソングといってもよいかもししれない。

ところが、この「安里屋ユンタ」は、昔ながらに伝えられた民謡ではない。

竹富島には伝統的労働歌である「安里屋ユンタ」と呼ばれる唄が伝えられているが、この「安里屋ユンタ」と件の「安里屋ユンタ」とは似て非なる曲であることを知ってる人も多いのではないだろうか。

ふたつの「安里屋ユンタ」はメロディーが若干異なり、歌詞に至っては、件の「安里屋ユンタ」はヤマトグチ。

そのため、件の巷で知られるヤマトグチの「安里屋ユンタ」のことを竹富島や沖縄民謡を習っている人の間では「新安里屋ユンタ」として区別している。

この「新安里屋ユンタ」=ヤマトグチの「安里屋ユンタ」は、竹富島に伝えられている「安里屋ユンタ」を基にして新しく作詞作曲された曲で、作曲者は宮良長包という石垣島の人である。

宮良長包は音楽教師として沖縄師範などで教鞭をとる傍ら、創作活動にいそしみ、200から300にのぼる曲を書いている。

なかでも有名なのが「えんどうの花」やこの新「安里屋ユンタ」。現在は沖縄民謡の代表曲のひとつとなっていて数々の唄者による名演が残る「汗水節」も彼の作曲によるものだ。

choho.jpg

彼に関する書籍は数多く出ているが、三木健 やいま文庫7 「宮良長包の世界」南山舎が新しく分かった事実も含めた著述がなされよいかもしれない。

石垣で出版活動を展開する南山舎から上梓された書籍。これまで出版されてきた長包の楽譜や参考書籍を調べるにも適しているかと思う。

南山舎は八重山手帳や、やいま文庫シリーズの8にあたる、「八重山の台湾人」で今月第25回沖縄タイムス出版文化賞正賞受賞などからもわかるように<八重山>というアイデンティティに立った編集が特徴の出版社。

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19/12/04

神女

シャーマンという単語を耳にしたのはおそらく小学校の頃だったはず。

幼児洗礼を受けたカトリックとして育ち小学校もカトリック系の学校に入れられたぼくにとってカトリックの教義や義務は水や空気、そして現在でいえばインターネットと同じ存在。つまり毎日生きている上で、あって当然の存在だった。今でも宗教は?と聞かれれば「カトリック」と答えるのです。

日本に住んでいる限り、近所に、神社やお寺に事欠かない。だけれど、大方の日本列島所居住者とは異なる宗教的環境にあったぼくは、神社やお寺はまったく関係ない世界のものという意識があったのです。

そんな小学校の頃、図書館にあった本で「シャーマン」という単語をはじめて目にした。それはシベリアの民俗や習俗に関する書籍で、獣の皮を被った男が火のまわりで踊っている写真が今も目に焼き付いている。

子供心にその姿に親近感を持ったのです。「この人がやっていることは分かるような気がする。やれといわれれば、できるような気がする」と。

カトリックでいう「天にまします神」と似たようなものを崇めている人だと思ったのでした。シャーマン。トランス。そんなカタカナが書いてあったわけです。

その後、、そういった本を目にする機会は何度かあったものの、学術的なシャーマンに関する文献を初めて読んだのは大学受験後の春休みだったように思う。

ウノハルヴァ「シャマニズム」三省堂

真っ黒い装丁の書籍で、むさぼるように読んだことが思い出されます。今も本棚の奥にありますが…。

その後大学でもシャーマニズムやアニミズム、祖先崇拝、自然崇拝関連の多くの論文や書籍を読むことになるわけで、この頃の読書体験が今のぼくの行動様式のひとつになっているのかもしれないと、思ったりもするわけです。

このあたりの書籍は現在の書誌分類においては「宗教」というジャンルになることが多いわけですが、ぼくの読み方は社会人類学、文化人類学の視点に立ったものでした。

「シャーマニズム」といえば、一般的には宗教方面やはたまたオカルト、超常現象の世界からのアプローチが見え隠れしていて、ぼくは慎重に書籍を選んで読まざるをえなかった。

長々と前フリというか言い訳をしてしまったわけですが、書きたかったのは、先ほど、夕食後から寝る前に読み終わった

noro.jpg
松堂玖邇 『神女誕生』 フォレスト出版

について。

その副題に「徳之島に生まれた祝女(のろ)2万60000日の記録」とあって発売当初から読んでもいいかなと思っていたのだけれど、ここで上記の前フリから分かるように、この手の書籍はいわゆるトンデモ本が多く、かつこの出版社がビジネス書や人生訓などの実用書を主に扱っており、くわえて、この手の書籍としては価格が1200円とあまりに安いため、眉に唾していたわけで、ずっと読まずに来たわけです。

だけれど、たまたまネットで徳之島関係の書籍を大量に購入した時、同時にひっかかってきた。気にはなっていた本でもあり、なんだか「それだけ徳之島関係の本を買うなら、わたしも買いなさい」といわれているようで(なんだかオカルトチック?)、ボタンをポチッと購入カートにいれてしまったのでした。

ほんの数時間で読み終わってしまったけれど、読後感はさわやかだった。書かれている文章にまったく無理がなかったのだ。それは頭で書いたというよりも、著者の身体の記憶が書かせているかのように自然で無理がない。

著者は徳之島の大地主の家の五女として生まれ、教育者であった父親の影響もあり鹿児島で高等教育を受けた方で祝女となる運命に30代半ばまで反発し生きてこられた。

著者のご先祖さまは、首里第二尚氏王朝と英祖王系統の末裔というくだりは、薩摩藩統治時代に共同体破壊を目的とした系図焼きが行われたり(神女に自害を求めたという話もある)、本土と同じく系図の売り買いがなされてきたという事実が琉球文化圏にはあるので、確かめる術はない。しかし、大切なことは、著者の家系が徳之島において人心が安堵するに足る家系で、あったということだろう。島の記憶を継承し島人の心の中に代々刻まれつづけて来た家系に生まれ、かつ著者自身もその運命の中に育ってきたということではないかと。

たとえば、著者がアメリカ占領下の徳之島へ鹿児島から密航するくだり。

同行した女性が「彼女は徳之島の祝女を継ぐ者だからこの船が沈没することなんてありませんよ」と同乗した人々に語ったところ、漂流後、無事に奄美大島の古仁屋港に到着し、下船すると、乗船者すべてが著者の手をとり感謝の意を表した。

そのような運命を受け入れた場所が東京都下で、著者を導いていったのが、本土の寺に祀られる仏像や観音象であったりするあたり、琉球文化圏という存在だけを考えると首をひねる個所かもしれないのだが、この本ではそれも素直に受け入れられる。東アジア島嶼地域の記憶が著者に語ったのだと思えば。神女は自らの内なるコトバときちんと向き合える人のことを言うのかしれない。

徳之島は琉球文化と本土文化という高台にはさまれたすり鉢の底にあたるといわれることがある。この書籍はそんな徳之島のひとつの側面を表しているようにも感じる。それは東アジア島嶼地域に生きつづけてきたぼくたちの記憶の断片を表しているのかもしれないと思ったりもする。

ぼくたちは“ぼくたち自身”とどれだけ語ることができただろう。そしてこれからどれだけ語れるのだろうか。

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15/12/04

『古琉球』からの視点

伊波普猷が著した『古琉球』は、沖縄学の父と呼ばれる伊波の代表作であり、沖縄に興味がある人間は一度は読んでおくべき書物とされている。

この書籍は、琉球を搾取してきた薩摩や明治以降の日本政府に対して、沖縄というアイデンティティを確立することをひとつの目的としていてその目的は十分に成就されている。また、沖縄の歴史、文化、民俗などについて採取し編集し紹介しているという点においても貴重である。“おもろさうし”や“球陽”とともに沖縄に関する書籍として貴重な文献であるという意見に首肯できる。

ただ、何度か通読してはいるのだが、この書籍の現代における評価は個人的にいえば複雑だ。

というのも、『古琉球』は沖縄という地域の独自性を、日本との対比の中で、つまり日本との差異を明解にすることを目的として書かれているために(この書籍の目的からすれば成功なのだが)、沖縄の文化の多様性を説明しているにも関わらず、<日本から見て沖縄が特殊であるという点が顕著に語られる>という結果を生んでいるように思えるのだ。

沖縄はアジア太平洋地域(日本を含む)と複合的な交流の元に出来上がった文化圏であろうかと思われるが、この書籍は日本と沖縄という二つの文化的差異を前提にしている手前、どうしても、沖縄は沖縄であるという唯沖史観とでもいうような沖縄の独自性を基にした文化的視点に立脚している。構造的にいえば、これは日本は世界から見ると特別な国であると思う日本人の観点と同じだ。

また、日本(本土)における文化の多様性、多文化の重層性、民族的宗教的対立構造という視点は当然にない。というより、そういった視点はこの書籍の前提条件ではないのだ。何度もいうが、日本は日本であり、沖縄は沖縄であるという視点の下に上梓されている。もちろん、この書籍が上梓された時代はこういった視点が必要であったのだから、否定するものではないし、『古琉球』の価値を貶めるものでもない。

ただ、この書籍を読んでいる読んでいないに関わらず、現在の沖縄の人々の多くがこの書籍全体に流れる「沖縄は独自の文化を持つ独特の場所であるという意識」のもとに本土の人間と相対しているようにも思える点が興味深い。

個人的に他者の話は常にまっさらな気持ちで聞くことを心がけているわけではあるのだが、沖縄、とくに那覇や浦添など県都近辺に住む人の沖縄に関する話はほとんど知っていたり、想像できる範囲でしかない。新しい発見が少なく、失礼ながら話半分で聞き流していることが多い。

逆に那覇の人に、中部や北部の話をすることも多々ある。たとえば闘牛は沖縄の文化だという人もいるが、基本的に現在は沖縄中北部の文化であって沖縄全体の文化ではないのではないだろうか。那覇で闘牛を見たことがある人間は多くはない。そのため、那覇の人に闘牛について語ることもある。

いまや、日本(本土)でも、沖縄に関する情報はあふれかえっており、これまでの沖縄情報はすでに消費されつくされているように思える。沖縄は日本という国家の一地方になりつつあるのではないだろうか。とくに那覇とその近郊に、その色合いが顕著だろう。那覇あたりは日本(本土)の地方都市と大きな差異はなくなっている。

普通に暮らす沖縄の人が日本(本土)の人に「沖縄は違う」という前提で語ることが可能な話は、もうほとんど存在しない。ゴーヤーチャンプルーやコーレーグースなどは「日本語」になっている。沖縄そばは、もう、沖縄独特の食べ物ではない。泡盛も、もう沖縄だけの酒ではない。エイサーも本土のあちこちに移入され広がっている。三線も日本で増殖している。アメリカ文化という「異国情緒」を感じたいなら、いまやコザより北谷だ。シーミーもごくあたりまえに知られる。沖縄民謡の歌手は日本で普通にライブを行い、沖縄バンドや歌手がJ-POPの世界で活躍する。

もちろん、まだまだ上記のようなすでにステレオタイプと呼ぶことも出来る、沖縄描写以外の、いまだ消費されていない、知られざる沖縄は存在してはいる。ただし、その多くは、沖縄内のその地域の人にとっての常識であり、日本(本土)の人間にとってはもちろん、沖縄の他の地域の人にとっても驚きであり、新鮮で、知識の範囲を逸脱した事柄なのだ。

日本がひとつでないように、沖縄もひとつではない。南部と中部、北部では、文化が異なる。コトバも違う。人の気質も異なる。そうであるにも関わらず、対日本(もしくは日本政府)という視点で「沖縄県民」「うちなんちゅー」という意識が今後も熟成されていくのだろうか。日本も沖縄も多文化そして多民族のモザイクと滲みの中に存在しているという視点にたつことはあるのだろうか。

『古琉球』には、時代が時代であるために、そして目的が目的であったとはいえ、こういった多眼的視点はない。このあたりが、現在にも受け継がれていて、本土との差異を語る県民の方のコトバのはしばしに感じられる。というよりも、伊波の一連の著作が、現代沖縄の県民意識の一部を作ったといえるのかもしれないが。

『古琉球』は必読の沖縄関連書籍であることにかわりはない。ただ個人的に違和感を感じる書籍であったというだけだ。それでもその中に書かれているひとつひとつのエピソードは琉球という文化の多様性を表現している。つまり、日本文化と同じような構造の多様性が散見されるのだ。

つまり、『古琉球』は、こちら側が、多文化と多様性を意識することによって、どのようにでも読むことができる書籍。この点において、やはり、沖縄を記した優れた書籍なのだといえるだろう。

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24/10/04

牛を解体し焼き、そして食らう祭りの本

名護博物館で

“屋部のウシヤキ プーミチャーウーガミ”

という書籍を購入。名護バスターミナルの本部よりあたりの屋部という地区。ここで旧11月8日に行われている牛一頭を解体しご先祖様に捧げ、みんなで牛汁を食らうという祭りの一部始終を収めたモノクロ写真が白眉。解説もしっかりしている。

沖縄、とくにその中北部は、東北アジア島嶼地域に暮らしてきた人間の営みが、あたりまえのように顔をのぞかせているように感じる。近代や日本というカサブタをはがせば、血が流れる。よそものがそのカサブタをはがすには、慎重にするべきだ。

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23/10/04

“民謡の旅”

“民謡の旅 沖縄北部(やんばる)十二市町村 やんばるの唄と文化を尋ねる”

という書籍。1500円。名護十字路そばの普通の書店で購入。

国頭村、東村、大宜味村、名護市、今帰仁村、本部町、金武町、宜野座村、恩納村、伊江村、伊平屋村、伊是名村。沖縄北部の12の市町村、それぞれの「ふるさとガイド」にそれぞれの地で生まれたり歌い継がれてきた、民謡やウシデーク、テルクグチなどの歌詞と解説。いわゆるコザあたりを中心とした沖縄民謡のネタ元のひとつであるそれらの唄が紹介されていく。

それぞれの曲に関するエピソードや写真も豊富で読み物としても十分に成立している。本ってやっぱり楽しいなと思える、そんな本。

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22/10/04

宮城真治翁関連

58号線バイパスの海側にある名護市史編さん室で、名護市で作っている本を物色していたら、
“宮城真治資料8 宮城真治民俗調査ノート”という本を発見。

重かったけど、1500円ということで購入。中身は宮城翁のフィールドノートを1冊にまとめたもので国頭などの記録が興味深い。今帰仁の学校の先生だったようで、沖縄の祭りや習俗などについて大量の記録を残している。この人の“沖縄地名考”もほしかったんだけど、品切。沖縄出版から再版されているが値段が3倍に跳ね上がっている。それでも1500円だけれど。首里下、大道病院前の暁書房ならあるかと思われる。

同時に

“5000年の記憶 名護市民の歴史と文化”
例のサミット時に日本と各国の記者連中に配ったものらしくて英語の解説付。まあまあ。4C。

“羽地居留士族関連資料”
名護市羽地あたりに移住した旧士族に関する資料集

“名護市の人物誌 2”
「戦前の人名禄にみる先人たち 明治36年の各字の戸主名簿」という副題からわかるように名護の昔の戸主についてまとめたもの。当時の人生が垣間見え面白い。

それぞれ500円は安いかと。

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16/09/04

白いデブ、飽きた

我が日本の宗主国であるところのUSの大統領を批判しまくったドキュメンタリーらしきものを作った白いデブを面白おかしく批判した(ちゃかした)本が日本でも、翻訳されていた。ぱらら、と本屋でページを捲ってみたけれど、はぁ、これもまた、So What?である。別にドキュメンタリーの手法がどうこうとか、そんなものにルールはないし、統計操作がどうこうとか、そんなことはどこでもやっている。だから何?

それよりなにより白いデブを扱うことになんの意味がある? 白いデブと同じ次元に立ってしまう、というだけだ。白いデブがUSの大統領を批判しようと、白いデブはUSとUS市民「だけ」とUSが生み出すモノやコトが好きなのだから、そういう意味で大統領とその取り巻きと同じ。

こういった書籍をUSの属国である日本で翻訳し上梓するだけで、関わった人間は全員、USによる日本のさらなる属国化に荷担したことになるわけだ。いや、もしかしたら、この本を出している出版社は、日本のさらなるUS属国化を狙っているネオコン一派やその関連各国の日本におけるエージェントなのかもしれない(笑)。それはそれで別によい。何をしようと自由だ。しかし日本という社会においては低脳の恥さらしというだけ(笑)。マジにいい仕事をしたと思っているなら、アウトだ。おまけに、センスないよなあ。

いやいや、もしかしたらそうではなく、こういった、低脳書籍を翻訳して出版することにより、日本の宗主国であるUSとその市民の脳みその足りなさをUSの属国である日本の市民に対して開陳しようという深遠な配慮があるのかもしれない。うむ。たぶんそうだろう。そうでもなければ、こんな本を堂々と出版するなんて人として恥ずかしくて、できるわけがない。そうでないなら、田舎に悪いが、田舎モノ以下。

といっても、基本的に白いデブを肯定しようが否定しようが、とにかく白いデブを話題にする輩はすべからくマヌケであることは確実。ン?ということは、ぼくもマヌケだ(大笑)。

さて、また、US市民を、バカにしにいこうっと。「US市民に、一日一イヤミ」。

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15/08/04

あるときふとつながること

「北条百歳」を読むと宮本常一が記した「忘れられた日本人」
に出てくるような人々の営みが歴史の中で息づいてきたこと
がなんとなく分かる。もちろん、中世と近現代の違いはあるの
だけれど…。

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06/08/04

『車善七』を読んで

今年上梓された塩見俊一郎新作。『北条百歳』以来になるのだろうか?。知らなかったので先週購入し二日前に全3巻読了。彼の『浅草弾左衛門』とは立場を逆にして、車善七の側からの視点で物語はすすむ。ただ、いくつかの平行する物語が出会うまでの時間がしょうしょう長すぎるようにも感じた。江戸の戯作はだいたいそうだったといわれればうなずくしかないのだが。

ただそういったことは瑣末な問題で『浅草弾左衛門』と同じく登場する地名や場所を現在の所在地などと確認しながら読みすすめると様様な妄想が頭の中に浮かんでくる。

作者の久しぶりの小説だけれどこれは編集者の意図なのか今の時代なのか文章内に漢字が少ない。それでいて筆致はするどい。時代小説ファンなどからはどういう評価なんだろう。個人的には品川の松右衛門がかなり好みのキャラクターだった。

彼が表現しているような過去が、生まれてこの方ぼくの関東への視線になっているので、基本的には驚くにあたわず。落ち着いて読めたように思う。作者を知ったのは菊地山哉の復刊書籍の解説を書いていたからだが、彼の作品をいくつか読んでみたけどそれまでの時代小説とは一線を画す位置にいるということがわかった。話によると文壇からまったく無視されつづけてきたらしい。鶴間の龍膽寺雄みたいなものかな。文壇という「壇」もいろいろたいへんなのだろう。Forza。

この『車善七』全3巻は東京に出てくる予定の人は読んでおいていい。もちろん東京生まれ、東京育ちでも、なんとなく知っている人でも、もしかして知らないことだらけかもしれない。いや、逆に東京生まれ、東京育ち、東京住まい(23区内の方がベターか)なら、時間旅行に、はばたくことも可能かもしれない。

ぼくにとってはすぐに買う値段だけれど、一般には一冊2800円(税抜)を3冊というのはきつい値段なのかな。世界の中心はコアに決まってんだろそのまわりにマントルが対流してんだよ、あーん?。とか、なにかしらねーけど世界の中心でどうしたこうしたとかいう本がベストセラーらしい。値段はわからないけれどたぶん、1000円代半ばくらいじゃないのだろうか。そのくらいの値段だと薦めやすいなあと思ったり。

もちろん、面白いか?ということでいえば物語としても安心して面白いと思うので。

ということで、鈴木くんと玉田くん。明日の中国戦の時は交代でこの本でも読みながら前線の邪魔にならないところでねっころがったり頭かいたりしてレッドカードをもらわないようにしてたらいいと思う。どうせレッドカードでひとりは退場させられるし、DFラインすりぬけたら全部オフサイドになるのだから、休んでた方が得策。

最初から10人で試合したとしても力は日本が上。今大会の日本の相手のなかではタイの次に弱い中国だから10人で十分。交代で休めば体力も温存になるし。まかり間違って、ここぞということになってしまったりしたら、スーパーヒーローみたいに登場するというのがいいんじゃないだろうか。

今大会5試合で中国がもらったPKと相手チームが受けたレッドカードは常軌を逸している。もちろん決勝でも審判へ鼻薬がわたることになるので、ここぞということになる可能性は実はかなりあるのだけれど、ぼくは普通にフットボールを見る人なのであまりそういういことは考えたくないのでありましたとさ。

一方、北京工人スタジアムにお集まりの中国人観客の方々は上記の本を読むのは帰ってからにして、この決勝戦こそきちんとスタンドからブーイングを行うべきです。相対する敵なんですからガンガンやりましょう。日本の国歌の時は個人的にいえばやめといたら?と思いますが、目の前にいる敵なんですから、不愉快に思う人もいるのはわかりますが、フットボール的には起こってもしょうがないかなあ、と許容範囲。

もちろん試合中はすべて徹底してブーイングおよび、日本選手や日本ファンに物を投げるなど危険な行為をするべきです。日本サポーターといざこざがないとおかしいです。日本人は目の前にいる敵なんですから。

ぼくは味方の勝利のために目の前の敵を貶めるということは勝負を旨とするフットボールの応援としては圧倒的に正しいことだと思ってます。逆にこれまで日本戦でもないのにあれだけやってきたことがパタッ起こらなくなるとすると…。それは誰がみても何か強い力が加わったとしかいえなくなります。つまり中国の方というのは、ずにのって面白がってブーイングはするけれど、政府などから圧力が加わったら、すぐに屈する人々であるということが世界に晒されることになるわけです。まずいっしょ?それは、韓国戦でもないのに「て~はみんぐっ!」コールをしていた2002年のW杯時の韓国の人々と同じ穴のムジナということになりますです。はい。

中国のみなさんの今回のこれまでの所業は日本代表は基本的には目があっただけで殺し合いになるくらいの相当の憎悪のある相手ということを表しております。それだけ憎しみにあふれているのに今回やらないなら、やっぱり中国は、政府のいうがままの人ばかりなんだなあ、ということになっちゃいます。

土曜日の一戦は、中国の方の民度が試されています。そういった意味で、ブーイング、発煙筒、できれば日本人襲撃とか、そういうことがちゃんと起こるように願っております。起こらなければそれはフットボールをスポーツを冒涜した人々。五輪の開催などできるわけがない。ということになるわけです。まあ中南○お膝元ですんで官憲の目をかいくぐるのはたいへんかもしれませんが、ここはひとつ、中国のみなさんがんばってください。なので日本から北京へ乗り込む方、北京にお住まいの日本人の方は気をつけてください(笑)。

また日本政府のみなさま。突然メディアで動きが報道されていましたが、何を狙っているんでしょうか?。たぶんそういうことかと思うんですけど。違う?

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06/06/04

コザ市史

生活必要品以外買うものといえばCDとか本とかDVDとかそういったものが主なのだけれど、そういったものはたいていネットで買ってしまう。しかし、今日はひさびさにいろいろ外で買いもの。なかでも古本屋で買った表題の「コザ市史」はちょっとした拾い物だったかもしれない。

昭和49年に「編集兼発行者コザ市」として上梓されたこの書籍。那覇市安里のA書房で見たことがあったのだけど、六、七千円、いやもう少し高かった上に1054ページもあり書籍自体が重いため購入を踏みとどまった。しかし今日はその因縁の書物が、三千円。一瞬迷ったのだが、19世紀までの越来間切時代の記述に興味があったのと、あとがきに曰く。

“この「コザ市史」は、小中学生にも読めるように書きこなされていますので、学校や家庭に常備の書として、ひろく利用していただくよう、お願いします” P.1052

とお願いされたので、小学生に読めるかどうか疑問だが、とにかく五千円札を出して購入。ぱらぱらと現在眺めているのだけれど、表題だけで、新しい発見が散見された。真面目に読もうと思うのでありました。

考えてみれば、コザ市はすでにこの世になく、美里町(旧美里間切)と一緒になって「沖縄市」となっているが、そのコザ市の後継である沖縄市もやたらめったら本を出す自治体である。たとえば、「エイサー360度」とか「ロックとコザ」、何分冊にも渡る「沖縄市史」などなど。その初期の書籍としても楽しめるのかもしれないが、そんなのはぼくだけか。

しかしなぜこんな本が関東の街中にあったのか。その理由は明解。この本を買ったKWSK市は沖縄県出身者が多く二世、三世も増えている地域。きっとコザ出身かその関係者が売ったのだろう。この本は、ぼくに買われて幸せになれるかは今後のぼく次第ということか。

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31/05/04

闘牛の島

すでに絶版のこの本は徳之島の伝説の名牛である「実熊牛」に関わった人々の話をまとめた労作。

まだ書店の棚に並んでいた頃は、ぼくの闘牛熱が小康状態で、機会があったら購入と考えていたため、手にすることはなかった。それに加えて沖縄ではなく徳之島の話だったということもあるかもしれない。徳之島は日本最高峰の闘牛の島だが、そこを深く堪能する以前に沖縄をある程度まで極めなければなるまいという、根拠のない自分なりの戒めがどこかにあった。徳之島関連は次だ、と。そういうこともあって書店で発見しても即座に買わなかったのが運のつき。そろそろ読みたいなと思ったらいつのまにか絶版になっていて、あちこちの古本屋やネットで探索するという時間をここ1年ほど過ごしていた。

先月やっとネットの中古書店に在庫が見つかり購入。到着した日に読み終えた。徳之島の人たちが闘牛にかける情熱の凄まじさと愛情が行間からもほとばしり、ドキュメンタリーとしてとてもいい本だと思った。

実熊牛は闘牛としては高齢になるまで全島一横綱として徳之島で無類の強さを発揮したが、その後沖縄本島へと売られていく。時期は沖縄闘牛の復興期。著者は徳之島の関係者も知らなかった(知りたくなかった)、実熊牛の最期を知ることになるが、そのあたりは読んでのお楽しみ(といっても絶版か)。

個人的には沖縄へ売られていった実熊牛の終焉期と沖縄闘牛界伝説の名牛“ゆかり号”が、対戦はなかったものの微妙にすれ違っていたあたりに興味を覚えた。沖縄闘牛における、ゆかり号時代のトリガーは徳之島の実熊牛によってひかれたのかもしれないと。南西諸島における戦後闘牛は実熊牛を抜きにして語れないのかもしれない。

新潮社に復刊を望みたい。闘牛ファンはもちろん、戦後の南西諸島文化歴史に興味を覚える人のためにも。

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19/03/04

ネットで本を買う

ずっとほしかった本がネット上の古本屋で見つかった。9000円。定価15000円なのでまあ正当か。大学時代図書館にあった初版を全冊コピーして製本したのを持ってはいるんだが、ほしいものはほしい。なので、注文。そして今朝、届いた。手数料と配送料が500円ほどかかったが問題なし。

見つかった瞬間から数えて49時間後に手にしたことになる。見つかればあっけなく手に入る時代。これがいいことなのかどうかよくわからないが、少なくとも探す時間よりも、読んだり活用する時間が増えれば悪いことではないようにも思う。探す時間も嫌いではないのだが。

日本の雑誌はまったく読まないし、本屋に行ってもお目当ての本はほとんどない。なもので本屋自体は好きな場所なのだけれど、最近は本屋にあまり入らなくなっている。ただ古本屋だけはよく入る。とくに地方に行ったら必ず。

ほしい本が決まってきたのか。いやどんどん増えていいってるのだが、大きい書店でも、ないものはない。なのでネット探索はこれからもますます続くことになる。

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