22/12/07

1980・2・23 リサイタル―MODERN MUSICの彼方

 おぼろげにたぶん見てたんだろうと、発売の告知が出たときに思ったのだけれど、一曲目、スパークリング・ジェントルメンのせわしないドラムの音で確信に変わった。グジャグジャなバイオリンとギター。しゃくりあげる慶一選手のボーカル。

 ああ、行ったな。芝の厚生年金会館だ。

 続けて、2曲目いとこ同士は、ポップグループに通じるそれへと変容していた。あの時代の波をライブで爆発させていたことは間違いない。

 「Modern Musicの向こうに東京が見える」。

 背中が痒いフレーズだろう。それでも30年近くの月日が過ぎた21世紀の今、この音を聴くことに何か意味があるのかもしれない。そう思う。

 「NOUVELLES VAGUES」と「モダン・ミュージック」からの曲を中心に、それ以前のアルバムからちょろちょろと。

 しかし、そのほとんどが、このライブの記録ではオリジナルアルバムとは異なる音にすげかえられている。演奏やアレンジも当然だが、ことに音色が違う。ここはポイントだ。

 21世紀の今、個人的に、とくにNOUVELLES VAGUESからの曲については、このアルバムの演奏の方にシンパシーを感じてしまうのは、俺も、どっぷり「あの時代の波」に翻弄され、価値観を変容させられてきたということがあるのかもしれない。

 「あの時代の波」=ニューウエイブと呼ばれた、全世界的なポップミュージックの波は、様々な価値観を大きく変えたのだ。

 ムーンライダーズは、はちみつぱいと鈴木慶一の趣味が、混ぜこぜになったところに立脚点を置いていた。つまりはっぴえんど以来の「日本語のロック」の延長線上にあったといえるだろう。

 真っ当にいけば、そのまま、アメリカンロックやパブロック的な流れのバンドになっていたかもしれない。もしくは後に登場するシネマのようなブリッティシュ風味の方向に流れていったはずだ。

 しかし、この時、ムーンライダーズはパンク、ニューウェイブという「あの時代の波」に、乗っていったことで大きく変容を迎えた。

 マスメディアにおいて喧伝される方向ではなく、あくまで世界のポップミュージックシーンに飢え、そこからあらゆることを吸収、咀嚼し、表現へと変容させていく手段。あまりに東京的といえるミーハーものの権化。

 と、ここまで書いたけれど、基本的にこのライブアルバムで聴ける音は「あの時代の波」へダイブしたものではあったけれど、「あの時代の波」以前の「日本語のロック」時代、もっと遡れば、中津川フォークジャンボリー以来のフォーク的ライブ表現にも通じる。ことに慶一氏の説明的かつ親切なMCに、まだまだ手探りの表現形態だったということが確認できるのではないか。

 いや、はっきりいえば、NOUVELLES VAGUES、モダン・ミュージックというアルバムも今聴けば、まだまだ、「日本語のロック」の流れに数えてもいいアルバムといえるかもしれない。ムーンライダーズは思いっきり「あの時代の波」にかぶれてはいたが、やはり、正統的な「日本語のロック」の流れにも乗っていた。

 心身共に「あの時代の波」に乗ったのは、この年の夏、夏に出すにはあまりに暑苦しすぎると感じた「カメラ=万年筆」まで待たねばならなかった。

 そういったムーンライダーズのまさに転換点、真っ只中のライブアルバムの登場。日本のポップミュージックの記録しても貴重だ。

 それにしても、ムーンライダーズは、ここのところ、過去のライブCDやDVDを立て続けに出している。商売として成り立つからという理由はあるだろうが、それ以上に昔からのファンにとって、そして新しいファンにとっても、新しい引き出しが増えていくことが非常に好ましい。

 できうれば、モダン・ミュージックまでのムーンライダーズのアルバムと各曲を聴き比べてみてほしい。俺がここまで書いたことに納得してもらえるのではないだろうか。

 実際ライブで行われた時とは曲順が違うのだが、このアルバムの最後の3曲。火の玉ボーイ、マスカット・ココナッツ・バナナ・メロン、センチメンタル通り。どれも名曲なのだが、ここで聴ける音は、『あの時代の「新しい」波』に乗って彼岸へ渡ろうとしていたムーンライダーズの姿が垣間見える。

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09/08/07

Fuzzy Warbles Collector's Album 商売。商売。

Andy Partridgeという英国の人がいてガキの頃はモンキーズのファンでファンジン(ファン雑誌)などを作っていたりしたらしいのだが、そういうあたりで知り合った奴らとバンドを作って、パンクムーブメント華やかなりしころ、メジャーデビューした。

XTCというバンドだ。

パンクっぽい流れからニューウエーヴ方面の旗手としてもてはやされ、ちょっと知的系のバンドに多い、ライブ拒否を経て、スタジオレコーディングを中心とした活動に突入。それなりの枚数のアルバムを出している。

個人的には、『スカイラーキング』とか『Oranges & Lemons』、Dukes Of Stratosphearという別名義のバンド名で発売した『Chips From The Chocolate Fireball』なんてアルバムをとくに好んで聴いたりしていた。

ムーンライダーズなんかとも親交があったりして、ムーンライダーズの『最後の晩餐』ってアルバムでは、メンバー紹介の声なんぞで参加したりもしている。

で、このAndyさん、21世紀になって、ガキの頃から今まで、自宅録音した数々の音源を次から次へとCD化してリリースしはじめた。『Fuzzy Warbles - The Demo Archives』というシリーズで、なんだかんだで、結局、計8枚もだしてやんの。

こっちとしてはいくら好きだといっても、そこまでつきあえねえなあということで、1枚目と2枚目を買ったところで、値段が下がったら買おうっと、というランクに落ち着いた。聞いた話によるとXTC時代からの熱心なファンの間でも最近のAndyは結構あこぎな商売してるんじゃねえか?という話が出たりしていたらしい(伝聞)。


ところがですよ。ちょっと前に、Andyさん、この『Fuzzy Warbles - The Demo Archives』8枚にボーナスな一枚を加えた9枚組のボックスセットを発売したのです。名称も『COLLECTOR'S ALBUM』ときました。商売、商売。

で、こちとらどうしたか?。ええ、買いましたよ。残り6枚+ボーナス盤にかかる金と、残り6枚をバラ買いしてボーナス盤が聴けないという状況を天秤にしたら、どう考えても前者の方がお得かなと思ったので。Vol.1とVol.2はかぶってしまうけれどね。

しかし、すでに8枚買い続けたファンの人はどうしたのだろうか?。9枚目のボーナス盤欲しさのためにこのBOXセットに転んだんだろうか?。いや、たぶん転んだのだろう。「商売こきやがって」などと悪態つきつつ。笑いながら。

やはり、好きなものは金じゃないのかな。ファンってありがたい。

で、かなり前に買って、あまりの暑さにぼーっとしてたので、やっと封を切って聴いてみました。

そしたら、7枚目がCDプレーヤーで聴けない。ACC化をしてみたら最後の曲だけが変換不能。で、盤面をよーく見たら、あらら、接着剤と思しき塊がCDの盤面に盛り上がっている。これでは、聴けないぞ。ま、いっか。とりあえず、買ったところに話だけはしてみるけれど、かなり前だから、どうなるやら。

ということで、Vol.7の19曲目「Open A Can of Human Beans」(洒落かよ?)。どっかで聴けないもんですかね?旦那?


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12/07/07

怪傑ハリマオ 500円DVD

ネットを右往左往していたら、怪傑ハリマオのDVDが一枚500円になっていたことを知ったのでした。

たしか2002年だかそのぐらいだったはずだが、怪傑ハリマオのDVDボックスが出ていたのだけれど、再放送でしかリアルタイムで見ていなかったわんにとって、盲目的に購入する値段ではなかった。

それがここにきて、DVD一枚に3話から4話はいって500円。全話が発売されても8000円で62話がそろうということになる。

それなら買うだろう。

というわけで買った。

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23/03/05

国立公文書館新サービス

今まで読みたかったり見たかったりしたけれどなかなか機会がなかった公文書の類がインターネットで閲覧可能になるという。

国立公文書館の新サービスがそれ。

曰く“所蔵する歴史公文書のうち約180万画像をインターネット上で閲覧できる「デジタルアーカイブ」の運用を4月から予定しています”。

提供される画像のうち、公文書もだが、様様な地図や設計図、写真なども閲覧可能なようなので、ぼくとしてはそちらの方にも大きな期待がある。

どの程度のものか4月1日にサービスがはじまってみないと詳しいことはわからないが、サンプル画像を見た限りそれなりに期待できるのではないか。願わくば、払っている税金はこのサービスの使用料の一部と思えるような内容になってくれるとありがたい。

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05/03/04

イノセンス

明日はイノセンスの公開。実は監督である押井守の作品を映画館で見たことがないぼくである。衛星放送やDVDででしか見ていないわけで、そんなぼくがかってなことをいうのはおこがましいとは思うけれど、とりあえず、ほとんどの作品を見てはいるので、勝手に一言。

AVALONを見ていた時、この監督の感覚記憶がぼくの感覚記憶にフィットした瞬間があった。

20年近く前AppleIIというパーソナルコンピュータでWizardryというゲームに日々を費やしていた。すでに、パーティーのレベルは13をはるかにすぎ、地下10階で殺戮の限りを尽くし、徹底的に荒らしまわれる状態。その時も三日間に渡る地下探索を行い、仕事を4つほかし、食事もせず、グレーターデーモン増殖による大量の経験値を得て、意気揚揚。幸運にもクリティカルヒットを受けず死者はゼロ。ドワーフメイジなどという反則技を使っていたこともあるだろう。その怪力魔法使いが、そろそろ城に帰ろうととマロールをかけ、ようやく地上に戻る。

この時の感覚。それは、真っ暗闇の擬似世界から現実に引き戻された喪失感。そして、それ以上の光輝く現実という開放感。ぼくは時間と次元をいったりきたりしていた。

AVALONの主人公アッシュ(この名前もまた意味深だ。Wizardry世界では復活の可能性ある死、“灰”だ)が真っ暗な世界からドアをあけると、そこは多くの人が現実と考えるような光に満ちた世界。

AVALONのその映像を見た瞬間、ぼくにWizardry後の開放感がよみがえった。話には聞いていたのだが、押井守もWizardryをやりつくした人間だと、わかった。彼の映画にみる闇の世界は、視覚的にはAppleIIやPCでの線画のWizardry世界のそれであり、ぼくの大脳内に形成された闇の映像だった。

その彼のイノセンス。とりあえず純粋な気持ちで見ようかと思っている。

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