05/09/05

白髪は確かに多いのだけれど

俺は白髪が非常に多い。というか、見た目90パーセント以上は白髪なのです。

これはここ数年50歳の声を聞こうかと思ったあたりから増えてきたわけではなく、20歳半ばには白髪が目立ってきて、30歳頃には今とあまり変わらないだけの白髪を擁する頭へと変化したのであります。

白髪というのは心配事やストレスが多かったりする人間に多く派生するというのが一般的共通理解というものであるかと思うのですが、白髪が多い人間を見ていると、こいついわゆる一般的ストレスが多いか?という疑問を呈する輩が多いように感じるのです。もちろん、俺を含めて。

それでも、考えてみると人生のうちで白髪が増殖するような事件にあったことは、そんなに多くないように感じます。たとえば、最初のフランス人の妻との離婚はきっちりフランス的協議離婚だったため、つとめて事務的に終始しましたし、マラヤ人の二番目の妻と子がアメリカ人と在日コリアンの暴走車に轢かれて死んだ時も、呆然として運命としか思いませんでしたから、白髪の原因とは考えにくい。

別に白髪が多かろうがどうだろうがかまわないのですが、最近の20代、30代の子は、俺の頭を見て「染めてる」と感じるらしてく、ほとんどため口だったり、二番目の妻を殺した、アメリカ人や在日コリアンの若者のような自己主張だけの態度でなんやら裏でこそこそ画策したりするので、かったるいといえばかったるかったりするのです(笑)。

まあ、今の日本という国は、権力がどういうことになっているか知らない若い子たちが、薄い脳で我が物顔にふるまい、その親である団塊の世代の、俺からみれば人間としてはカス、クズ以外何者でもない方々が跋扈するという構造になっているわけで、一応、この国に居住している手前、甘んじてそういった状況は受け入れるてはいるものの、めんどくさいよなあ、と毎日感じたりはしている正常な感情の持ち主だと自分では思ったりはしているわけですよ。

というか、ここまで書いてきて、他人様からみたら、もしかしたら白髪にならないほうがおかしいというくらいのことなのかもしれないなあ、と改めて思ったりしたんですが、どうなんだろうか?。というか、いわゆる小泉くんな世の中と自分の生活とがあまりに乖離してしまっているので、わからなくなっているのではありますが。

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17/04/05

法王?

日本のメディアではカトリックの世界における現世の最高権力者を「法王」と表現しているようですが、現在在日韓国人および韓国系帰化人よりも少ない日本の少数民族であるカトリックのボクは違和感を感じてます。

今回なくなったのはローマ「法王」ではなく、ローマ「教皇」です。

「法王」って仏教用語じゃないですか。カトリックは仏教でありません。

愚考するにおそらく日本の場合「天皇」という象徴である方がいらっしゃるために「皇」という字の持つ意味に左右されているのではないかということ。

しかしながら、どのメディアも今回の報道では「法王」という言葉を使用しているのには少々唖然。こういったメディアの内部にもカトリックの人間は一人や二人はいるのだろうから、一言いっといても良かったんじゃないかと勝手に考えるぼくなのですが、いろいろ立場もあるんだろうな、ということで大人の見解。

でもね。日本語にした場合は法王じゃないからね。教皇ですからね。今回はとにかく日本のすべてのマスメディアではそうじゃなかった。そういうことだけを覚えておいてください。ということで一時間目はここまで(?)。

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11/04/05

大潮、浜下り、旧三月三日

備瀬のフクギ並木の集落を抜けて浜に出ると、沖に珊瑚礁の三日月型の半島が現れていた。

海の上をいけるところまで歩いてみた。

足元には“なまこ”や“貝”や“うみうし”や“うに”や“ひとで”が蠢き、目を沖にやると伊江島タッチューが備瀬の浜から見る数倍の大きさになっている。往復6kmは歩いただろう。海の上を。琉球では海は泳ぐものではなくて、歩くものだ。漁師である海人を「海を歩く人」というじゃないか。

海の上をいけるところまでいって、戻ってくると、日ごろ船がなければ訪れることはかなわない備瀬の灯台の御嶽とその下の洞窟へも入ることができた。そこでユタらしいおばあの話を聞けた。灯台下の洞窟に鎮座する赤い大きな石は龍神の母なのだそうだ。雨乞いの神事をするのだろうか。

帰り際、そのユタらしいおばあが洞窟の出口で滑って転んでしまった。連れのおばあが「まぶやーまぶやー」とマブイグミをしていた。

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24/03/05

グスクについてのメモ

琉球文化圏のグスクについて初めて日本語で言及したのは当然の事ながら沖縄学の父、伊波普猷氏であり、それ以降現在に至るまでグスクとは何かということについて多くの学者、研究者、識者が独自の見解を述べている。

その中で現在のところこれからのグスク研究の基底を提供しているのは浦添市教育委員会文化課主幹であった安里進氏だろう。安里氏は自身の考古学的実証主義を前提にした論考を集めた書籍「グスク・共同体・村」の中で氏自身の論点を展開する前提として、それまでのグスク研究をおおまかに以下のようにまとめている。

「仲松弥秀氏の聖域説と、嵩本政秀氏の防御集落説、当真嗣一氏の按司居館説そして高良倉吉氏の高地集落説なごがある。その中でも嵩本氏と仲松氏の議論がグスク論争の基礎にある」

上記四氏による主張のうち、高良氏のそれは、仲松氏と嵩本氏をあわせもったものである。また、仲松、嵩本、高良氏の説と当真氏の説は時系列な流れの中に収められるもので、相反する説ではない。

つまり、安里氏によれば「グスクの性格をめぐる論争の主要な争点は、嵩本氏のグスクB式(防御集落説(筆者注))と仲松氏の「村の拝所としてのグスク」の性格である」ということになる。

この論点の整理ののち、安里氏は嵩本、仲松両氏の説には空間的な差異があるという点。つまり、石垣で囲われた地域のみをみるかその周辺までを“グスク”に含めるか。また、そのグスクに居住していた人々の階級的差によってそれぞれのグスクの性格が異なるのではないかという点。そしてこれらのことから逆にグスクをめぐる考古学的調査によってそのグスクに居住していた人間を階級的支配者といっていいかどうかを検証すべきだと指摘している。沖縄本島のグスクを巡っての個人的なぼくの印象になるのだけれど、安里氏の考古学的観点からの指摘は納得できる点が多く、現状のグスク論における基点を形成しているように感じている。

ところで、ここに、連れが本土の古本屋で購入してきた稲村賢敷著「沖縄の古代部落マキヨの研究」1968という書籍がある。沖縄県文化財専門委員などを歴任した方らしいが、現在のグスク論争においては、ほとんど名前を見ることがなく、ぼく個人の感想としても、たとえば、本島北部地域に多く見られるカミアシアゲを古代部落の縄文的竪穴式住居を「足上げ」したものであるといった言語学的にみても首をひねざるを得ない記述が見られる点などからも、はたして今後のグスク論を展開していく上で意味がある書籍なのかどうかは定かではない。

しかし、“古代部落”が狩猟&漁労社会で、母系の集団であり、海岸から若干離れた台地や山頂付近に居住地域を求めていたとする点。また、その後の農業社会は鉄器の沖縄渡来とともに広がり、農地を求めた“古代部落”の人々が山や台地を降り、河川や海岸沿いの低地へ移り住んだとする説には感覚的に頷けるものがある。その彼等の先祖が住んでいた台地や山の旧居住地が後にそして現在、信仰の対象、つまり聖地として機能している。そして、これらの聖地の中には支配者集団の「居城」や「防衛地」として使用されたもの、つまり石積みの「グスク」として現存しているものもある、と考えることもできる。

ただ、外間守善氏などによる北方から沖縄へやってきて、アマミク神の信仰をもたらしたアマベ族(海人族)に関する研究によれば、彼等は漁労も行うが同時に稲作文化をもたらしたという。これをどう考えるか。そして、アマベ族は鉄および製鉄技術ももたらしたのだろうか。

多くのグスクや拝所を回ってはいるけれど、グスク論争に関する論文や書籍すべてに目を通したわけではないので、ただただいいかげんな感想でしかないのだが、ここまで記した人々の研究はそれぞれ正しいのではないだろうかと考える。

つまり、それぞれの説には時系列的な差異があるとともに、“古代部落”時代も、“グスク”時代も、沖縄には様様な文化を持つ民族集団、つまり言語、文化、顔、身体的特徴が異なる人々がいたのではないだろうか。つまり、各氏の言説はそれらの民族的時空的差異と各氏の基調とする学問からの論点によってなされているわけで、それぞれ正しいのではないかというこだ。

となると、それらの言説を時間軸と民族集団別に整理する必要が出てくるわけだが、今後どう行っていくかは、大きな課題。とりあえず、まだまだ読まなくてはいけない書籍や論文は多いし、同時にこれまでのグスクと拝所だけでなく、貝塚や考古学的な遺跡なども訪れていかなければならないのではないかと。

勘でしかないのだけれど、琉球文化圏のグスクとその周辺に見られる事象は、ぼくたち日本列島に住む人間がどこから来たかという謎の扉を開く上でのひとつの手段なのではないだろうかという気がしている。そしてそれはぼくたちがどこへ行くかということも語っている。

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23/03/05

国立公文書館新サービス

今まで読みたかったり見たかったりしたけれどなかなか機会がなかった公文書の類がインターネットで閲覧可能になるという。

国立公文書館の新サービスがそれ。

曰く“所蔵する歴史公文書のうち約180万画像をインターネット上で閲覧できる「デジタルアーカイブ」の運用を4月から予定しています”。

提供される画像のうち、公文書もだが、様様な地図や設計図、写真なども閲覧可能なようなので、ぼくとしてはそちらの方にも大きな期待がある。

どの程度のものか4月1日にサービスがはじまってみないと詳しいことはわからないが、サンプル画像を見た限りそれなりに期待できるのではないか。願わくば、払っている税金はこのサービスの使用料の一部と思えるような内容になってくれるとありがたい。

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01/02/05

沖縄に関する常識?

武器をもたなかった国。

薩摩に蹂躙されるまで、権力者間での血で血を洗う戦いの歴史が存在している。現在の沖縄の歴史が薩摩以前と断絶しているという前提ならば百歩譲って同意できるが、そのうような事実はない。現在語られるこの言説は観光立県政策および米軍基地問題への対応策として出てきた都市神話の一種と考える。

もちろん薩摩世以前は戦いが常態であったことは当然であり、これをもって、逆に沖縄人が好戦的であったとする言説に首肯できるものではない。

グスク

城という漢字があてられているため、日本本土における城が持つイメージが想起される。これは一部において間違いではない。たとえば世界遺産として登録されたグスクは石積みが比較的良好に残っており、琉球史の表舞台として物語が比較的広く知られているグスクが選ばれている。

しかしながら、いわゆるグスクと名がつく遺跡は沖縄圏には200から300(もしくはそれ以上)存在する。そのほとんどは石積みのグスクではない。また城というイメージから城主がいてその地域を治める上での中心的象徴であったと日本人ならば考えやすいが、政治的戦略的中心地であるグスクは少数派であることはあきらかである。

グスクという名称がついている沖縄圏の遺跡、そのほとんどが原初的には、血族集団を中心とした古代部落の居住地、聖地、風葬跡などであり、後にその一部が政治的、戦略的、地政的に優位な場所として選択され、石積みのグスクが作られていったとするのが現在の定説だ。実際に多くのグスク内には拝願所や御嶽、香炉などが散見される。

桜で有名な名護の名護城(なんぐすく)は、石積みがないグスクとして語られることがある。しかし、ここはまごうことなき名護近辺の聖地であり、古代部落の痕跡を比較的良好に残している著名なグスクと考えるのが適当だという説もある。沖縄の古代部落は海浜地域でなく高台や丘陵地に造られることが常態であったらしい。

グスクはいわゆる日本の城とは異なる存在ではある。現代に残るグスクは沖縄圏の重層的な歴史の上に存在している。しかし逆に考えれば、日本中に散見するいわゆる城や城跡というものはどうしてその場所に造られたのだろうか。なぜその場所が選ばれたのであろうか。

泡盛

焼酎ブーム、沖縄ブームがあり泡盛や古酒はポピュラーな存在になり、東アジア圏の良質なスピリッツとして世界にも知られつつある。

しかし、ほんの20年前まで泡盛は飲めたものではなかった。その頃はアメリカ世の影響もあり、ブランデーやウイスキーなどが主流。いまでも泡盛よりもウイスキーの方が好きだという人間は多い。

泡盛が沖縄の象徴になれたのはこの復帰以来、質の向上に傾注してきた泡盛関係者の人々の努力と先見があったということだろう。

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17/01/05

琉球弧と日本列島

沖縄にいると沖縄は「日本と違う」という意識がもたげてくる。日本語が通じはするが言語、文化、食など様様な点で日本との間に差異が存在するという点は紛れもない事実。

ところが、ここ数年は上記の差異を考慮したとしても、共通性というと誤解を生じるかもしれないので、言葉を変更すると「非常に密接な関係があったのではないか」と思われる出来事や物証が多々ある。

この考えに至るには、高校生までに習った歴史教科書とその後の大学での研究を一度リセットしないと導き出せなかったので、ぼくにとってはある意味勇気が必要だったということは記しておきたい。

気になるのは、鎌倉時代前後(1200年ごろ)までの沖縄と日本の関係。

1200年以前は日本史においてもこれまでの歴史の常識を一度見直さなければならない時代であり、その見直しを図ることで琉球弧の歴史が俄然ダイナミックな動きをはじめる。

その動きは縄文、弥生といった歴史時代以前の日本列島や琉球弧、北東アジアの歴史に認識の変革をを促す可能性もあるように感じている。

とりあえずのポイントは、アマミクに代表される、海洋民の生業とその移動。これは源平の合戦でひとつのピークを迎えることになると思っているぼくではあるのだが。

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19/12/04

神女

シャーマンという単語を耳にしたのはおそらく小学校の頃だったはず。

幼児洗礼を受けたカトリックとして育ち小学校もカトリック系の学校に入れられたぼくにとってカトリックの教義や義務は水や空気、そして現在でいえばインターネットと同じ存在。つまり毎日生きている上で、あって当然の存在だった。今でも宗教は?と聞かれれば「カトリック」と答えるのです。

日本に住んでいる限り、近所に、神社やお寺に事欠かない。だけれど、大方の日本列島所居住者とは異なる宗教的環境にあったぼくは、神社やお寺はまったく関係ない世界のものという意識があったのです。

そんな小学校の頃、図書館にあった本で「シャーマン」という単語をはじめて目にした。それはシベリアの民俗や習俗に関する書籍で、獣の皮を被った男が火のまわりで踊っている写真が今も目に焼き付いている。

子供心にその姿に親近感を持ったのです。「この人がやっていることは分かるような気がする。やれといわれれば、できるような気がする」と。

カトリックでいう「天にまします神」と似たようなものを崇めている人だと思ったのでした。シャーマン。トランス。そんなカタカナが書いてあったわけです。

その後、、そういった本を目にする機会は何度かあったものの、学術的なシャーマンに関する文献を初めて読んだのは大学受験後の春休みだったように思う。

ウノハルヴァ「シャマニズム」三省堂

真っ黒い装丁の書籍で、むさぼるように読んだことが思い出されます。今も本棚の奥にありますが…。

その後大学でもシャーマニズムやアニミズム、祖先崇拝、自然崇拝関連の多くの論文や書籍を読むことになるわけで、この頃の読書体験が今のぼくの行動様式のひとつになっているのかもしれないと、思ったりもするわけです。

このあたりの書籍は現在の書誌分類においては「宗教」というジャンルになることが多いわけですが、ぼくの読み方は社会人類学、文化人類学の視点に立ったものでした。

「シャーマニズム」といえば、一般的には宗教方面やはたまたオカルト、超常現象の世界からのアプローチが見え隠れしていて、ぼくは慎重に書籍を選んで読まざるをえなかった。

長々と前フリというか言い訳をしてしまったわけですが、書きたかったのは、先ほど、夕食後から寝る前に読み終わった

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松堂玖邇 『神女誕生』 フォレスト出版

について。

その副題に「徳之島に生まれた祝女(のろ)2万60000日の記録」とあって発売当初から読んでもいいかなと思っていたのだけれど、ここで上記の前フリから分かるように、この手の書籍はいわゆるトンデモ本が多く、かつこの出版社がビジネス書や人生訓などの実用書を主に扱っており、くわえて、この手の書籍としては価格が1200円とあまりに安いため、眉に唾していたわけで、ずっと読まずに来たわけです。

だけれど、たまたまネットで徳之島関係の書籍を大量に購入した時、同時にひっかかってきた。気にはなっていた本でもあり、なんだか「それだけ徳之島関係の本を買うなら、わたしも買いなさい」といわれているようで(なんだかオカルトチック?)、ボタンをポチッと購入カートにいれてしまったのでした。

ほんの数時間で読み終わってしまったけれど、読後感はさわやかだった。書かれている文章にまったく無理がなかったのだ。それは頭で書いたというよりも、著者の身体の記憶が書かせているかのように自然で無理がない。

著者は徳之島の大地主の家の五女として生まれ、教育者であった父親の影響もあり鹿児島で高等教育を受けた方で祝女となる運命に30代半ばまで反発し生きてこられた。

著者のご先祖さまは、首里第二尚氏王朝と英祖王系統の末裔というくだりは、薩摩藩統治時代に共同体破壊を目的とした系図焼きが行われたり(神女に自害を求めたという話もある)、本土と同じく系図の売り買いがなされてきたという事実が琉球文化圏にはあるので、確かめる術はない。しかし、大切なことは、著者の家系が徳之島において人心が安堵するに足る家系で、あったということだろう。島の記憶を継承し島人の心の中に代々刻まれつづけて来た家系に生まれ、かつ著者自身もその運命の中に育ってきたということではないかと。

たとえば、著者がアメリカ占領下の徳之島へ鹿児島から密航するくだり。

同行した女性が「彼女は徳之島の祝女を継ぐ者だからこの船が沈没することなんてありませんよ」と同乗した人々に語ったところ、漂流後、無事に奄美大島の古仁屋港に到着し、下船すると、乗船者すべてが著者の手をとり感謝の意を表した。

そのような運命を受け入れた場所が東京都下で、著者を導いていったのが、本土の寺に祀られる仏像や観音象であったりするあたり、琉球文化圏という存在だけを考えると首をひねる個所かもしれないのだが、この本ではそれも素直に受け入れられる。東アジア島嶼地域の記憶が著者に語ったのだと思えば。神女は自らの内なるコトバときちんと向き合える人のことを言うのかしれない。

徳之島は琉球文化と本土文化という高台にはさまれたすり鉢の底にあたるといわれることがある。この書籍はそんな徳之島のひとつの側面を表しているようにも感じる。それは東アジア島嶼地域に生きつづけてきたぼくたちの記憶の断片を表しているのかもしれないと思ったりもする。

ぼくたちは“ぼくたち自身”とどれだけ語ることができただろう。そしてこれからどれだけ語れるのだろうか。

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02/09/04

フットボール・アズ・マージナル

“朕は国家なり”とルイ14世は絶対王権を自ら正当化する言葉を残しているけれど、彼が主張した“国家”は17世紀王権神授説によるものであって、いま僕たちが生きる21世紀の“国家”とは異なる存在であることは明らかです。

ぼくたちが生きる“国家”は産業革命に端を発したつとめてアングロサクソン色の濃い“国家”であり、多くの場合“近代国家”などと総称されることも多いわけですが、この“近代国家”は多くの概念を生み出します。たとえば“労働”や“資本”。これらは21世紀の今でも生き残っている…、というより、これらなしにはぼくたちは生きることができないのでは、と思われる“近代国家”を駆動させる装置といえるでしょう。

そしてこの“近代国家”が生み出した概念装置のひとつに“フットボール”があるわけです。いや、フットボールに限らず、スポーツそのものが近代国家においては国民の体力を育て(=体育)、近代国家に労働力として奉仕できる人材を作り上げることを目的としていたわけです。

「スポーツと政治は別だ」などと眠たいステレオタイプかつ脳機能停止状態での世迷言をいう輩が多すぎる昨今ですが、つまりそういったスポーツのひとつであるフットボールが政治や国家と不可分なわけはない。フットボールは極めて政治的存在として19世紀に生を受け20世紀に発展してきたといえるのです。

しかし、20世紀末から、フットボールは政治的な側面を維持しつつも(国家代表チームを結成するという一面からしてそうだ)、この近代国家の概念から逸脱していく流れを持ちはじめている。たとえば国家代表に入る帰化選手がもたらす身体性による文化表現。他国の(または他国の他都市の)フットボールチームへの愛情という国境を越えた情念。フットボールそのものがナショナルな存在点から極めてマージナルな位置へ移動しているように感じてます。

ふと思うとブラジウがフットボールで強いのは、この国のマージナル性を表していまいか?。軍事政権をもマージナルな存在として包括してしまった人種的混交。他国への出稼ぎ(フットボール選手数を見よ)。逸脱し包括する。その文化のにじみ具合の中にブラジウの強さがあるのでは?

フランスのレ・ブルーが強かったのは、その内実はアラブとアルメニアとバスクとカリブと太平洋のブラックの混成チームであり、それまでのロワール的フランスとはかけ離れたマージナル性に富んだ時期です。その代表と呼応するかのようにフランスは、自らを多民族国家と位置付けた。

それまでの国家を解体して境界的国家へと引きずり込む力を、そこまでいかなくても、そのマージナル性を象徴する存在としてフットボールは機能しているのです。どちらにせよ、フットボールは近代国家とは切り離すことができない。その近代国家の解体の意味を変容させる可能性を秘めている点で。

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23/08/04

やおよろずのかみをみるひとたち

アテネの女子マラソンで優勝した子が、ゴール後、シューズに口づけしていたのだが、なんだか「気持ち分かるなあ」と思ってしまったぼくである。日本社会で育ってきた人間のほとんどは、おなじような気持ちだったのではないだろうか。

日本社会で育ってきた人間は、ほとんどの場合、太陽や海や動物、植物、ありとあらゆるものに「神」を見ることができるように思える。百歩譲ってそういったモノやコトそのものや、そういったモノやコトをメディアとして、何かわからないけれど、偉大な何か、大切な何か―それを欧州では「神」というが―に感謝することが可能なのだろう。

この「感謝を捧げるためのメディア」が日本人には大量にある。だから、「やおよろず」、なのだろうけれど。

神に至るためのメディアがたくさんあるということは、日本国籍者がよくいうように「日本人は無宗教」、ではないと思うぞ。

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19/08/04

にっぽん

アテネ五輪で日本人選手が活躍すると力が入ってしまうというのは、ぼく自身がなんだかんだといいつつも国家によってもたらされる国籍というものに依拠して生活を行っているからなのだろうか?アテネ五輪での日本選手の活躍を見ながらそんな疑問を自分に投げかけてみてしまった。

しかしながら、彼等の活躍から、国家である日本というものを強く意識しているかといえば首をかしげる。日本国という国家ではなく、ぼくが感じる「日本」というイメージを体現する人々によってもたらされる勝利に酔っているといったらいいのだろうか。

国家、国、くに。それぞれ同じようだけれどそれぞれが意味するところは大きく異なる。ぼくは多分、国家については多くの疑問を抱いて暮らしている。それでも日本という「国」は好きだ。そして、「くに」―たとえば「故郷」といった漢字であてられる「くに」だが―への愛着もとても大きい。

ただし、この「くに」というのはかなり狭い範囲だ。この「くに」レベルでいえば、たとえば水泳の北島くんや女子レスリングの浜口さんを意識するべきなのだろうけれど、ぼくはそこまで入れ込めない。おそらく自分が見知っている、たぶん、人を一人か二人介すれば、その当事者に会えるというレベルが「くに」の話で、いわゆる「地元」ということかもしれない。

それでも北島くんと浜口くんの活躍をぼくは期待する。これはいわゆる「地元」関係者とか応援団とか言われる人々の持つ「くに」レベルの話ではなく五輪で活躍する日本のスポーツ選手たちへ「国」というレベル」でぼく自身が自分を彼等に投影して見ているからではないだろうか。

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27/07/04

生魚ダメ人

生の魚は食べらないんです。

という人間がまわりにそれなりに多いのですよ。だいたい20代が多いのだけれど、「日本人は生で魚を食べる魚食民族である」などと簡単に結論付ける言説がまかり通っている昨今、そんなことを言ったら生の魚は食べられない彼等は日本人ではないということになるわけです。

だいたいこの言説は「日本人は」などと言った瞬間に、曖昧かつ精緻さに欠くという問題外の言い方なので、無視すればいいわけなんですし、百歩譲ってここでいう日本人を日本列島にすんでいる人々と規定したとしても、まったく生魚を食べない人がいるんですから、そんなこと勝手にきめつけんなよ、という話になります。

そういった話は無視したとして、しかし、なおかつはっきりしていることは、「事実として“生の魚は食べられない”日本に20世紀末に生を受け日本社会で生きてきた人間がいる」ということ。ここで、キーボードを打つ回数を減らすために、彼等を便宜上“生魚ダメ人”とするのでそのあたりよろしくお願いします。

さて、人間は社会的な動物で環境や育ちによって生き方、考え方、性格、味覚などが左右されるのは当然のことで、彼等「生魚ダメ人」は、そういった環境で育ってきたので生魚がダメになった可能性があるわけです。つまり家庭、学校、周辺社会などが「生魚はダメ」という環境であったということです。

これは、かなりの確率でありえます。ぼくは東京に住んでいるのでその20代を中心とした「生魚ダメ人」も東京生まれ東京育ちが多いのですが、この東京というのは、多くの食材が地方から入ってくるわけで新鮮なものが手に入りにくい。産地の10倍ぐらいの金を出せば常に食べられるのでしょうが、そんなことができるのは一握りの人でしょう。

そういった環境にあって、生魚のように、鮮度が命といった食材を常日頃食べられたかどうかはかなり疑問です。彼等の親にしても、あまり鮮度がよくない魚を食べたいと思わなかっただろうし、そうなれば子供も当然、生魚を食べる機会は失われる。

知人に長崎出身の友達がいて、一時関東に住んでいたのですが、彼はほとんど東京では魚を食べませんでした。まずいんだそうです。実際、ぼくもそう思います。ただ、長崎に帰ると魚をばくばく食うそうで、やはり現代の東京は魚食環境として劣悪であるということが言えそうです。

そういった劣悪環境で育ってきた彼等が「生魚ダメ人」となるのは、あたりまえといえばあたりまえのこと。逆に「生魚ダメ人」は、非常にセンシティブな味覚を持っているがために、ちょっとでも鮮度が落ちたものは食べられないということになった可能性もあります。

そしてここからはぼくなりの妄想なのですが、実はこの「生魚ダメ人」は東京に限らず、地方にもいるのです。それも東京近郊と同じような都市圏ではなく地方にも。それも山間地ではなく漁港近くの町にも。これでは生育環境だけが「生魚ダメ人」を作ったというのはおかしいということになってしまう。

そうなると、妄想をたくましくすれば、いわゆる「部族違い」という理由が登場してくるのです。つまり、そういった「生魚ダメ人」はそういう部族なのだと。一方で「生魚OK人」。「肉も生魚もOK人」、「どっちもダメ人」などがいるわけで、長い年月そうやって過ごしてきたのでそうなったということもいえるのではないか。

いまさら日本は単一民族国家だ、などというマヌケな人はもういないと思いますが、ここ20年ぐらいの間に日本に居を構えた諸外国人や在日の半島系の人々、沖縄系の人々、アイヌの人々などとは文化、生活、習慣、社会の歴史が異なる日本列島在住者以外の、一般的に日本民族などと呼ばれている人々が単一の民族かといえばそんなことはないわけです。いろいろなところから移動してきた人々が混在し、時に交じり合ったのがいわゆる日本民族なのですから。

そう考えると、日本民族というものはない。あるとしても、そこには、様様な生き方、考え方、コトバ、味覚を兼ね備えた多くの部族集団の混在である、と。

そうなれば、「生魚ダメ人」の彼等とぼくみたいな「肉も生魚もOK人」は異なる部族集団に属してきた祖先の末裔という可能性もないわけではない。つまり、部族が違うともいえる。違うのだから、相手の味覚を理解することはできない。ぼくは生魚が好きだし、週に何度か食べないと寂しい。こういうことは彼等「生魚ダメ人」は理解できない。彼等はぼくが生魚を食べるのをみれば頭おかしいんじゃないの?と思うはず。当然である。理解できるわけがないのだから。

様様な味覚をもった部族がいて、いろいろな生き方をする人々がいる。お互い理解しようとすればストレスが溜まるだけだ。大事なことは、理解できなくても、認めること。自分と違っていても認めることだ。なぜならきみたちとぼくたちは日本人とくくられてはいるけれど、「違う」のだから。違っているものを理解する必要はない。認めればよいだけ。理解できる言語をしゃべっているからといって「同じ」と思うのはまだ想像力や知識が足りないということではないだろうか。「違う」のだから認めればいいのではないだろうか。

ということで、最後に、いつものようにサウジTV2で観戦していたけれど韓国がすんなり勝って一位抜け。まあ、今の日本ならこの山に入ることはないだろうから、韓国対イランですな。しかし日本の相手になるヨルダンは守備堅そうだからなあ。まあ、1点とれば勝てるだろうが。

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20/04/04

サマータイム

kanku.jpg

これからの季節、サマータイムを導入している欧州へ行くと午後9時でも
明るい。そのためコンサートなど午後10時半から開始なんていうのもざら。
寒い冬をやり過ごして季節を楽しむということなのだろう。

ところで福岡在住の人間が東京に来ると「東京はすぐに暗くなる」という。
沖縄へ行くと昼が長い。今の季節、太陽の位置から「もう午後4時
くらいかな?」と感じても実はまだ午後3時。日本という国は同一のタイム
ゾーンに入っているにも関わらず東西に長いからだ。

アメリカやロシアまでいかなくても二つくらいのタイムゾーンに分割するのも
ひとつの手だがいろいろな問題が起こるのだろう。日本人という意識のもと
単一同質化を目指した明治以来の政策からすれば許されざることだったろう。

ただ、いろいろなところで声があがっているけれど、サマータイムだけは
導入してもいいんじゃないかと個人的に思う。就業時間後の感覚的自由
時間が増すことで経済生活や人の意識が変化していくだろうし、それが
心のゆとりとなれば、と。

ただ、ただでさえ夜型社会の沖縄などはますます宵っぱりが増えて、
現在は中高生向けの帰宅推奨時間は深夜12時(!)だが、それが
1時間伸びて「午前1時までには家に帰りましょう」なんて看板になる
のかもしれない。それもよし。

なんてことを逢魔が時に、自由が丘を歩いてて思った。

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26/03/04

牛の境界と日本列島人についての覚書

○東アジアにおいて短角牛飼育のルーツは現モンゴル地域らしい。
○黒龍江、樺太、北海道、沿海州あたりから日本列島への移住はかなり行われた。
○日本の東北地方は伝統的に牛、馬の産地が多い。とくに旧南部藩地域は有名。
○先島文化圏以外で行われている日本の闘牛においてその熱さでは一番であろう愛媛県宇和島のあたりは仙台伊達藩の殿様が治めていた。米沢牛や牛タンのルーツとは?
○現在日本で闘牛が行われているのは越後、岩手の山間の市町村。山と海に囲まれた宇和島。日本海に浮かぶ隠岐。先島文化圏の徳之島、沖縄本島、石垣、与那国。かつては八丈島までも行われていた。
○日本列島文化圏における農村という定住集落の形成は?
○手のこねりが入った踊りで喜びを表す黒潮文化圏と結びつける考え方もあるが新潟、岩手をどう説明するか。岩手は説明できなくもないが。
○元は朝鮮半島を占領したのち済州島で軍馬の飼育を行った。
○平安期の牛車の牛はどこの牛?。短角牛か?
○奄美文化圏と本島中北部は古来から密接な関係にあり人的交流も盛んだった。山原と奄美。琉球始祖神話の「『アマミ』キヨ」
○話は違うが豚は北か南か?南のような気がするのだが。それでは山羊は?家畜の伝播ルート。
○沖縄本島中北部で盛んな闘牛だが宜野湾の赤道地区で闘牛が盛んなことを考えるとこのあたり現普天間基地を真っ二つに分けたあたりに沖縄本島における何らかのラインが存在か?。
○牛と信仰

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