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mercoledì 1 agosto 2007

最近ほんのり思っていること 対立史観は苦しい

奄美群島の方たちと話をしていると同じ鹿児島県ではあるが九州鹿児島への恨みつらみ、妬み、嫉み、またそういった気持ちを持っている自分へのあきらめと気恥ずかしさなどがたびたび感じられる。

ひとつには、江戸時代の薩摩藩の過酷を極めた圧政が、人々の間で世代をこえ語り継がれ、記憶の中に残っているということ。そして現実として、多くの離島を抱える鹿児島県にあってひとつの島の振興だけを進めるわけにもいかず、かつ、九州鹿児島の整備も行っていかねばならない。つまり特定離島ばかりあいてにしていられないという事情もあろうが、そういった県の施策を離島に住む人々から評価すれば、やはり取り残されたという感があるようだ。

この2点のみが理由としてあげられるわけではないが、鹿児島県の離島に住む人々は九州鹿児島に羨望と恨みを抱えている場合が多い(とくに奄美群島)といってよいだろう。

しかしこの島の人々の感情というのは、もしかしたら作られたものではないだろうか?。百歩譲って歴史的なしこりに求められる感情を島の人々に持ち続けてもらうため、現在に至っても地域振興などを遅らせている。と、したら。

つまり、わざと人々を経済的、精神的枯渇状態に置くことで、これまでの生活ではダメだ、これまでのしきたりや習慣は時代遅れであるという気にさせ、改革、進歩、発展といった旗印に土地改良、産業振興などを行い、それまで信仰の対象であった聖地や土地、祭り、風習、習俗の記憶を薄めていくことで平均的日本人へと作り変えていく。

この遠大な計画のために、実施されているようにちょっとだけわたしゃそう思っている。なんというか、構造としてはまさに薩摩時代と何も変わってない。

また、このような枯渇から平準へという方策に、いろいろな出汁をあわせると、そう、沖縄である。沖縄というか(那覇を中心とした南部と琉球大学を中心とした高学歴者と言っておく)の場合は、この二分論がより顕著で、ウチナーとヤマトというふたつのテーゼを前提に沖縄を語る人がほとんどであるあたり、常日頃思っているのだけれど、心の底から非常に興味深い。

ウチナーとヤマトを対立軸にすることで利益を得る人々って誰だろうか?

まあ、個人的にはヤマトに対してどう思ってもそれはそれだけれど、沖縄の研究者が奄美群島を沖縄中心史観で語るのは的外れじゃなかろうかなあと思ったりもする。奄美群島は琉球と関係はあるけれど、琉球じゃないしぃ、と。二項対立だけでは語れないことの方が多いと思う。

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