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venerdì 27 gennaio 2006

名護郊外を散歩

屋部の福木並木を散歩していたら、下校時間、屋部小の女の子三人に挨拶をされた。
▼「こんにちわ~」
▼東京、いや那覇、はたまた名護市街でそんな挨拶をする子はほとんどいないけれど、小さな部落ではまだまだ挨拶が日常の風景に残る。
▼よい習慣かと思う。
▼もちろん、本土の都会で、知らない人に会ったら手を伸ばした二倍の距離を常にとるようにと教えていることもしっている。
▼それはすでに本土では必要なことなのだ。そういう国になった。
▼それでも沖縄北部の部落ではまだ異人を異人として迎える島国の習慣が残っているように思う。

屋部川沿いに出ると宇茂佐側のこんもりした杜の下に公園が。
▼その向こうは古島原(通称プルジマ)。屋部、宇茂佐部落の発祥地。単なる荒地だった。
▼今は区画整備がされて住宅地になっている。
▼ご先祖様が住んでいた土地にまた人が住むことになるわけだ。
▼そんなことを考えると、そのこんもりした杜が、いわゆる古代貝塚跡や中世のグスク跡や聖地のように見えてくる。
▼というか、たぶんそうだったのではないか?
▼川沿いに歩いていって、いかにもな場所がいくつもあったのだが。

▼屋部(やぶ)といえばプーミチャー。

屋部の部落に戻ると飼い犬たちに吼えられる。
▼一匹は「遊ぼう、遊ぼう、遊ぼう。退屈だったんだよ。遊ぼう。遊ぼう」
▼興奮している。
▼一匹は屋根の上に上って「おろしてくれよ、おろしてくれよ」
▼喚いている。たぶん脱走するので倉庫の屋根にあげられてしまったのだろう。
▼国道を渡って海側へ歩いていく。
▼すると一軒の家の中で「散歩?。散歩?。散歩行こう、散歩行こう、散歩行こう」
▼とはしゃいでいる犬が一匹。
▼もちろん人のうちの犬なので散歩に連れては行けない。
▼海岸に出てしばらくぼんやりしていると、「散歩につれてけ」と言っていた犬が飼い主に連れられてやってきた。
▼わたくしに近づいてきて犬いわく
▼「けち」
▼そう言って、飼い主と歩いていってしまった。

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giovedì 19 gennaio 2006

<うるくそば>を食べてみる

▼昼から予定が入っていたのでちょっと早いが軽く食事を済ませようと思っていた。
▼近くを通りかかったこともあったのだが、いままで入ったことがなかった、「うるくそば」に入る。
▼ここは、かなり独特の沖縄そばを出す店として知られているのだけれど、これまで一度も入ったことがなかった。良い機会かと。
▼店の前には20台弱の車が止められる駐車スペースが。店内もかなり広い。
▼開店したばかりのようで、客は誰もいない。
▼店名にもなっている「うるくそば」を注文。なんでもこの「うるくそば」は、しいたけと豚肉の細切りが入っている沖縄そば。確かに独特である。ちなみに「うるく」はこのあたりの字名である「小禄」のうちなー読みだ。
▼ちょうどランチタイムなので、サービスでじゅうしいか白ご飯どちらかを選べるというので、じゅうしいを所望。
▼数分でじゅうしいとうるくそばがやってくる。
uruku.jpg
▼見た目スープの色がかなり濃い。しいたけと細切り豚肉、そして、脂が浮かんでいる。
▼香りはいい。
▼一口すすってみる。ん?。これは…、いわゆる沖縄そばの範疇に入るのか?確かに麺は沖縄そばだが、スープと具は沖縄そばの王道違反ではないか?
▼いや、間違いなく王道違反なのだが…、しかしながら、うまい。かなりこってりとした舌触り。豚の背脂などを散らしたこってりしたラーメンなどそっぽを向くわたしくしが納得するこってり加減だ。
▼この汁がまたじゅうしいにあう。おそらく白いご飯にもあうはずだ。いいかんじである。
▼しかしながら、食べ進めるうち、ちょっとしつこいと感じ始めたわたくしである。あきっぽいというのもある。
▼そこで様子をみながらコーレーグース、紅しょうが、一味などを、そばにあわせていく。
▼結論。コーレーグースと紅しょうがが非常によくあう。さっぱりしておいしくいだけるのだ。
▼食べ進めるうちに全身に汗が噴き出てくる。おいしい証拠。
▼汗だくになって完食。
▼噂に聞いていた「うるくそば」。
▼はっきりいえば沖縄そばとしては邪道だと思う。しかし、これはこれで悪くはない。
▼沖縄そばの超王道をいく「あじゃず」とは、対極に位置する沖縄そば屋といっていいのかもしれない。


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lunedì 16 gennaio 2006

うつらうつら INTER 3-2 Cagliali

勝ったには勝ったが、正直にいえば、試合中、ほとんど寝ていたのでした。
とにかく眠い試合。それでもとにかく勝ったことを評価しなければならない。

で、夜にはミランがローマに負けて、INTERが2位に。
しかし、これを喜ぶインテリスタはしろうとというもの。
もう少しミランには粘ってもらわないとスクデット争い
は面白くならないというかINTERに有利にならないのだ。

今日で前半戦終了。もちろん本日のユーベの勝利は
デフォルトですから、現状勝点10差も別に驚くべきことではない。

さて、いよいよ水曜日からは後半戦が開始。

一応、来週のパレルモ戦は現地観戦の予定だが、何があるか
わからないので、不明。80パーセント確率で観戦できると思うのだが。

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mercoledì 11 gennaio 2006

沖縄とはなんだろうか

▼薩摩時代、沖縄は薩摩に搾取されていたわけではあるが、同時に、その時代の首里から搾取されたていた宮古や八重山を忘れるのも、その時代、その時代でのご都合というものかとも思う。
▼薩摩を支配していた島津氏がもともとは大陸からやってきた人々であるという話はここでは置いておく。しかし、中国との朝貢貿易を行うために清に対しては沖縄を日本的に見せ、幕府には沖縄の小中華的部分を強調させるという巧妙な手段をとっていた。このあたり、薩摩には大陸および列島文化に精通していた人間がいたという事実は指摘できるのではないか。
▼さて、話を沖縄に戻すと、薩摩以前の沖縄本島の政権は奄美を属国化していたわけである。南走平家論的立場にたてば、かつての故地(奄美、喜界、徳之島など)を今一度奪還したのだという考え方もできるようではある。
▼宮古、八重山には考古学的にみて縄文的、弥生的本土文化は届かなかったようだ。実際、南方系文化の影響が強いように感じられる。とくに祭りなど。これは本当にポリネシアな流れを感じるものだ
▼本島でも北部やんばる(以後、山原)にはこの手の南方的なものが見受けられることも知っておいていいが、それをいったら日本で行われる大相撲というものにも南方的要素が見受けられるではないだろうか?。閑話休題
▼そんな中で、石垣に残る、フルストバル遺跡などをどうとらえるのか。
▼有史以前ということになれば、与那国や北谷沖の海底遺跡などという話も出てくるけれど、今のところ、このあたりの話については個人的に知識を得るだけにしておきたい。
▼現代のポピュラーミュージックはセンスと引用。そして経済でできあがっている。この視点にたつとオレンジレンジは完璧なポピュラーミュージックのカテゴリーに入るかと思う。しかし、これは、歴史的にみて沖縄において特異なことではない。意外だろうか?
▼いわゆる沖縄民謡。その中に、メロディラインや歌詞の多くを奄美、宮古、八重山、山原の民謡や古謡からの引用で形成された歌が少なくないという事実。登川誠仁御大は若かりしころ八重山へ民謡修行の旅に行っていたという話もある。八重山の歌を覚えるためである。
▼沖縄本島での民謡のいくつかは確実にポピュラーミュージックのカテゴリーに入れてかまわないはずだ。
▼よなは徹が昨年『うちなーわらべうた』というアルバムをプロデュースした。沖縄で歌い継がれてきた「古謡」や「わらべ歌」を集め、キャンパスがらみの歌姫三人が歌ったアルバム。これはよい。おすすめ。
▼それはよいとして、こういった、「うた」がいわゆる沖縄民謡のルーツのひとつであるという点も見逃せない。
▼沖縄民謡と呼ばれるカテゴリーには、八重山、宮古、奄美、山原地域からの引用。わらべうた、古謡、古典をもとにしたもの。そして、みーうた(新歌)。このみっつが現在の沖縄民謡の主な形成要素なのだ。
▼いま、メディア語られている、ウチナンチューが語る沖縄は本当の沖縄なのだろうか?

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martedì 10 gennaio 2006

沖縄はひとつ?

▼ここ数年恒例になってきた沖縄での新成人の大騒ぎのニュースを見ていて思うのだ。僕の知っている沖縄っぽくない行為だなあ、と。
▼もっとも、この手の子達は、那覇、浦添、南部地域では目にすることが珍しくないので、不思議ではないのだけれど、残念ながら(?)中北部でこういった暴れまわる子供たちをみることは稀なのだ。
▼これは「北谷までは行くけれど、那覇なんてここ10年行ったことがない」という人が中部地区に実際いるという現実を思い出せば不思議ではないかと思う。沖縄、沖縄とひとっからげにしても何も分からない。
▼おおまかに「南部」「那覇、浦添」「中部」「名護」「北部」と本島だけでも、5つぐらいの生活文化圏があり、それぞれに特徴があるといっていいのではないか。これに離島を入れれば、沖縄県には10前後の生活文化圏が存在するということになる。
▼考えてみれば、本土の首都圏であっても、足立区と目黒区の生活文化や価値観はまったく異なるし、大阪でも千里と長居では大きな生活文化の差異が見受けられる。それがあたりまえのことなのだ。
▼これは経済力だったり歴史であったり民族だったり宗教だったりさまざまな理由によるものだ。もしかしたら土地の記憶、積み重ねられてきた集合的無意識が醸し出す差異も原因のひとつなのかもしれない。
▼なので、那覇、浦添、南部あたりの出身中学同窓生が成人式後に集まって騒ぐというのは、独自の生活文化を維持している地域の独自の文化と考えていいのではないだろうか。。
▼ひとついえば、この騒ぎ方は21世紀になってからはじまったもので、それ以前は皆無であったという点は心にとどめておきたい。そして、この21世紀からというのは沖縄移住ブームが顕在かしてからであったりするのもなにやらポイントのような気がしないでもない。
▼昨年だったかちょうど成人式の時に那覇、コザあたりをふらふらしていたのだが、国道を爆走するトラックの上で新成人が拡声器を使って大声をだしていた。いわく「みーやうち、みーやうち」。おそらく新成人の一人を祝っていたのだろうが、この苗字、沖縄のものではない。あったとしてもかなり珍しい苗字である。
▼沖縄戦で30万人近くが亡くなっている。その多くの方が南部で犠牲になった方たちだ。では、なぜ南部が激戦地になったかといえば日本軍が大々的に展開していたからである。
▼そして日本軍が展開しているところには、軍役についていた旧日本人としての大陸出身者が大量に存在していた。とくに航空基地や港の周辺。これは戦前の日本いおいてはごくごくあたりまえの事実。おそらく、戦前、戦中の沖縄の航空基地なら、小禄、読谷、桃原、伊江島。港なら中城湾と那覇港。このあたりには多くの軍役の一般人がいたのは間違いがないところである。
▼彼らの中には職を求め、軍役のために海峡を渡ってきた人たちがかなりいた。そんな彼らが戦後GHQの政策で沖縄から大陸に帰ったかというと、これがなんとも、まったく資料が見つからない不思議。彼らはどこへ消えたんだろうか?。もちろん、戦前は日本人であるので、日本人として、つまり沖縄県民として生きることも可能だったのではあるが。
▼そういえば、今にも続く社大党などの沖縄独自の政党というのも、なかなか興味深い。
▼歴史書や伝説、神話、考古学、グスクなどから鑑みるに、沖縄には日本本土から武力を持った集団がやってきていたと考えるのが自然である。舜天は源氏系という伝説がある。あるところでは、南走平家の一門がやってきたという意見もある。
▼事実はわからないが、本土からなんらかの生活文化様式と武力をもった集団が11世紀から12世紀にかけて大量に沖縄にやってきたことを否定する事実もない。
▼未だに、沖縄南部を中心とした島尻郡に、伊是名と伊平屋が属しているのは、第一、第二尚氏の両系統の出身だからだろうが、なぜ北の島が…。確かに本土には近いが。
▼それをいったら、南部に島尻がある。頭は北。国頭(くにがみ)。
▼I氏の一族は沖縄の石油王一族で本部半島の出身らしいが、氏は、子供ころヤマトゥーと呼ばれていたという話もある。
▼門中関係の本を見ていても、本土に出自を遡れる家がいくつも散見するのが沖縄である。たとえば、著名政治家一族のO氏の出自は鹿児島らしい。不思議と沖縄の政財界でそれなりの地位を得ている人間は明治維新前に沖縄に土着していた本土出身が少なくないのも面白い。
▼いろいろな過去の事実を積み上げていくと、常に本土から人を受け入れつづけてきたことで、沖縄は地域ごとに、独自の文化を創造していくことになったように考えるのが自然ではないか。もちろん中国などの影響もないわけではないが、それは表層的なもののように思える。
▼「沖縄」はひとつではない。地域文化でもイデオロギーでも人類学的にも、さまざまな出自とさまざまな考え方の人間がこの小さな島の中に生きてきた。そして独自の地域文化を作り続けてきた。そしてそれは今も続いている。
▼海はつながっているのだから、いろいろな人が集まってきた歴史があったしても、なんの不思議もない。一方で、海は世界を遮断することもできる。つまり「シマ」は固有の独自文化を育てる揺籃となりえる。

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lunedì 9 gennaio 2006

やっちまった Siena 0-0 INTER

後半10分過ぎ、「これは引き分けか」という予想が脳裏をよぎった。ということで、やっちまった。勝点差10。3位に後退。

クリスマス前の、「どんな相手だろうと負ける気はしない」といった勢いがない。

クリスマス休暇に気を抜きすぎたのだろうか?。インテルなのでその可能性は否定できない。否定できないが、やはりフオリカーザとはいえ、プロビンチア相手の新年初戦。きっちり勝ってもらいたかった。

脱力だ。しかし、これでミランがちょっとやる気を出して、ユーベが気を抜くきっかけになれば、「非常にうまく釣れた」という言い方もできる。それもこれもスクデットをとれれば、だ。

ということで来週は前半の最終戦。レッジーナをつぶさないといけませんね。

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