« ottobre 2005 | Principale | dicembre 2005 »

domenica 27 novembre 2005

あるクラブの降格によせて

ぼくが大学受験を控えた秋のこと。今でも鮮明に覚えているんだけれど、西が丘で緑色のユニフォームのフットボールクラブがJSLの一部昇格を決めた。そのころの西が丘は地方の野球場によくあるコンクリートBOXベンチで、その上でよくわかんない人たちが応援したり、外国人の応援が派手に行われていた。

そのクラブの存在は80年代の日本サッカー不毛の時代にあって、辛うじて日本サッカー界がレベルを保つことができた理由のひとつであったことは間違いない。また、大方の新聞がサッカーについては、得点結果だけを知らせる程度の扱いでしかなかったにもかかわらず、そのクラブの親会社は、きちんとした記者による日本サッカーについての報道を行っていた

ぼくはといえば、JSL時代、日本においてまともなフットボールを見せてくれるクラブはこのクラブだけだったので、暇があれば見にいっていたし、いろいろな場面にも立ち会ってきた。正直いって、80年代の日本代表とこのクラブが試合をしたら、このクラブが勝っていたことは間違いない。

JSLとしてはあまりに他の実業団サッカーチームとはレベルが違ったこともあって、あの手この手で、このクラブをイビってきた。後に日本代表になるブラジウ人を1年以上出場停止になるように仕込んだり、言われもない難癖をつけたりと、子供心に「日本の企業というのは、本当に陰険なんだなあ」と思ったりもしたのだった。そのイビリの中心だったのは、今の日本サッカー協会会長だったり、浦和のGMだったり、「地域密着」といった広告代理店から指示された言葉を繰り返す、そういった人たちが所属していた企業だったわけである。

そういった暗黒時代から、Jリーグがはじまることになった時、このクラブは金を使って選手を集めはじめた。

ぼくは、JSL時代の姑息な集団である日産(現横浜FM。しかし、FMって名前と経緯からして姑息なのは日産の伝統である)から柱谷の弟がやってくることが決まったとき、このクラブの試合を見に行くのを止めた。はっきり書いてしまうが、柱谷弟が来ることが許せなかった。ぼくにとって世界一嫌いな人間のひとりが柱谷弟である。プレー、発言、人間性。すべてにおいて、品性のかけらもない人間であると思っているし、たぶんそうだ。

案の定、その後のイングランドで行われた日本代表の遠征試合で、柱谷弟はハンドで点を防いだ。ぼくは帰り際、イングランド人とスウェーデン人から「日本のフットボールのルールではキーパーが二人なのか?」「日本ではDFが手を使っていいのか?」と嫌味を言われた。厚顔無恥、品性のかけらも感じられない柱谷弟が、憎からず思っていたクラブに、やってきたのである。

そのとき思ったのだ。柱谷弟が、このクラブのOBになるわけである。後々、偉そうに、何かをほざくことになるわけである。これが同じ内容であっても、いや、もっと内容がないことであっても、ラモスがいうなら判らないでもない。「ラモスがいうならしょうがない」というテーゼは80年代に日本のフットボールを見つづけてきた人間にとってはあたりまえのことだからだ。しかし、柱谷弟がOB風ふかすようなクラブは許せなかった。

このクラブにはいろいろと好きな選手はたくさんいたのだけれど、ぼくはこのときから、積極的にこのクラブを見に行くのはやめた。そして、このクラブははじまったJリーグで何度かタイトルをさらっていくことになる。

今のJリーグファンにとって、現東京ヴェルディ1969は「Jリーグの理念を守らないクラブ」、「地元密着を拒否するクラブ」、「地方自治体を裏切るクラブ」といったイメージになるのかもしれない。

日本のフットボールの歴史に無頓着なあるFC東京ファンが「緑蟲」という、なんともお里の知れる品性のカケラもない名称を与え、それが広がっていることもぼくは十分承知している。川崎から東京に舞い戻ったはいいが、調布の青年会議所の方々が、一度ヴェルディに裏切られたこともあり、憎さ一億倍。さまざまな邪魔を行い、かつ擦り寄ってきてくれたFC東京のために並々ならぬ尽力を行っていることもぼくは知っている。まあ、東京ヴェルディ自体自業自得というところもあり、そんなに調布の方々がいきり立っても、東京ヴェルディ側が勝手に的外れなことをしているのだから、何をかいわんや。

それでもヴェルディは、やっぱりなんとなく強かったりするクラブという地位は得てきたし、事実昨年の天皇杯は優勝している。弱いチームではない。ただし、圧倒的に強いチームでもない。それが事実だろう。

そのヴェルディのJ2降格が決まった。どこかに一抹の寂しさがないわけではない。しかし、悔しいとか悲しいという感慨はない。ある意味、これはJリーグが始まったときから収斂していくべき結果だったのでは?と愚考する。

広告代理店主導による「地域密着」という名称の新しい金権利権装置&純朴日本人資産収奪装置は、この15年近く、非常にうまく機能してきているといっていいだろう。

一方でそこからはみ出してきた東京ヴェルディはこの収奪装置プロジェクトからすると必要がない要素である。必要がない、利益にならないモノ、コト、ヒトは淘汰される。それが資本主義下における掟。この資本主義の掟がきちんと発動した結果であるということではないだろうか。

いみじくもヴェルディに引導を渡したのは、旧日立。JSL時代は、さんざんヴェルディの前身クラブに痛めつけられてきたので、レギュレーションなどで邪魔をしたり、審判の肩をたたいたりしてきたチームだ。江戸の敵を柏で討ったということになるかな?。

とりあえず来年J2とACLを戦うことになるヴェルディ。2部のクラブがチャンピオンズリーグというのもなかなかないことなので、アジアの暑いところに遠征になるなら、アウェイ旅行にいってみようかな、とくだらないことを考えたりするぼくである。そういえば、ヴェルディの試合って、エジムンドがいたときに東京の新興宗教地帯で観戦して以来、スタジアムでは見てないなあ。

さて、ヴェルディの未来はどっちにあるのだろうか?

| | Commenti (0) | TrackBack (0)

venerdì 11 novembre 2005

出してはいない津嘉山酒造への手紙

「たまたま9月に買った時からスコブる気になっている、名護の合資会社「津嘉山酒造」様。

昔から貴社の泡盛ブランドである【國華】を愛飲させていただいてきたのですが、今年の9月に購入したときのことです。

今までの、ラベルとは異なった、オレンジと青が目立つラベルに変更されたような?。しかも、どうみても、このラベル、インクジェエットプリンターで印刷されていませんでしょうか?

巷間、貴社における現在の仕込みは週に二日ほど、と小生の耳に入っております。

もしかしたら、経費削減といった意図からインクジェットプリンターのラベルに変更なされたのでしょうか?。個人的には、以前の白地に黒い文字で【國華】という文字が印刷されたラベルが好みではあるのですが。」

というようなお便りでもしたためたいような状況が、2ヶ月前の9月に起こっていたのですが、雑事にかまかけ、すっかり失念。なもので、今、ご報告。

それでも、このインクジェットプリンター印刷のラベル(もう決つけてしまいました)。以前の方が好みとは書きましたが、嫌いではございません。それもこれも【國華】という泡盛が、非常に好ましい泡盛以外の何物でもない事実が寄与しています。

ちなみに【國華】を作る津嘉山酒造さんは、名護の市街地のど真ん中(東京でいったら、そう、四谷みたいなとこでしょうか。大阪だと四天王寺あたりみたいな)に居を構え、先に記しましたように「週に二回(たぶん)」泡盛を作りつづけておられるようです。そのお屋敷も、文化財指定されているようで、なんというか、はるかけき名護市街の歴史を担っておられるような、そんな愚考を。

名護に銘酒は多いのですが(といっても、名護の酒といえばあとは、丘を越えた北側の旧羽地村。つまりかつては名護ではなかったが現在は名護市内ではある場所で作られる【羽地内海】ぐらいですけど(笑)。ちなみにビールのオリオンも名護市街のはずれ、です)、市街地であっても、これだけの酒が作られているという事実。その事実を体現している津嘉山酒造所の泡盛のラベルがインクジェットプリンターとなっている事実。

事実は小説より奇なり、などと、ステレオタイプの発言をしてしまいそうな。そんな秋の終わり、冬のはじまり。悲しい季節ですね。君、寒さに死にたもふことなかれ。

| | Commenti (0) | TrackBack (0)

giovedì 3 novembre 2005

逆転勝ち INTER 2-1 Porto

沖縄でもミーニシ(新北西の風)がやっと吹き、昨今のように最低気温が22-3度になってくると、個人的に寒さに震えるようになる。もちろんこうなると、東京では最低気温が15度を切るといった人が生体を維持する上で、たいへん危機的な領域に入ってしまうわけです。

なもので、もう、寒くて寒くてしょうがありません。日本のみなさん、生命維持に気をつけてください。これ以上寒くなると、待っているのは…。悲しい季節です。

加えてこの時期、欧州のサマータイムも終わり、フットボールの開始時間は一時間深くなるわけで、CLも日本時間午前4時45分から。寒い上に眠くて今にも遭難しそうですが、がんばって観戦。

で、とにかく、勝利。よきかな。よきかな。

| | Commenti (0) | TrackBack (0)

« ottobre 2005 | Principale | dicembre 2005 »