[017]涙は悲しみだけで、出来てるんじゃない
サビの歌詞には、世の中のことがだいたいわかってきたいまのぼくにも、うなずいてしまう力がある。
実はこの曲が入ったアルバム『最後の晩餐』が発売された頃、自分の心の中には、歌詞とは違って、すでにこの地球上で自分にとって、ステキな、至高のビーチが存在していた。
それは、その頃はビーチというより「はま」といった方がよかったのだけれど、沖縄本島中部は具志川市(当時)にあった「宇堅の浜」。
北東を向いたこの浜のどこが至高の存在なのか?。それを明確に語ることは、ビーチ好きの人間に話すことさえ、とても難しい。それでも、今でも、ぼくは、あの頃の「宇堅の浜」はぼくにとって一番の場所だと思っている。
透明度だけはとんでもなく素晴らしい、なんでもない浜なのだけれど、海に向かうと左手に石川の町並み、左斜めに金武の町並み、右斜めに伊計島、右手に沖縄電力の火力発電所が見える碧く輝く絵にかいたような海。恵みの海、金武湾が作り出した自然の絶景だ。
はるか昔、この水平線上には日本本土からやってきた船団の姿があっただろうなどと夏の夕方の気持ちよい沖縄の風をうけて感じたあの頃。
こういったものがすべてひとつになり、ぼくにとっての至高の浜となっていた。
しかし、すでにこの「宇堅の浜」は<宇堅ビーチ>となった。
政府や県から大量のおかねが投入された結果、人工の砂をいれ、監視員がしっかりつき、お手洗いもシャワー施設もあたりまえに完備された、ふつうにキレイなビーチに生まれ変わった。これはこれで喜ばしいことなのだと思う。
でも、この曲で歌われたころ、素敵なビーチを知らなくても自分だけが大切にしたい「はま」が、海を見ることができる人なら誰にでもあったんじゃないだろうか?
もちろん、今の若い人にもそういった「はま」があるかとは思うけれど、もうあの頃の「はま」はこの日本にはほとんど存在していない。
そういった意味で、屈折した歌詞の思いが、21世紀になってまたぼくの中で屈折したのだ。ステキなビーチを知っていたが、それは過去のものになってしまった、と。つまり、もうぼくはいまは知らないのだ。すてきなビーチを。
残念なことに、そのころの「宇堅の浜」に大事な人を連れて行ったことはない。機会がなかったのだ。いまおもえば、あの娘や子供たちは無理してでも連れて行くべきだったかもしれない(正直いえばそのころはお金に困っていたからなのだけれど)。
今となっては<宇堅ビーチへ>と変貌したかつての「宇堅の浜」へ誰かを連れていきたいとはあまり思わない。それでも時間があると、行ってしまう。オリオンビールを照屋商店で買って。涙は枯れているのだけれど。
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