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lunedì 31 gennaio 2005

0-2 fuori 3勝目

Palermo 0-2 INTER

コッパをマルティンスのゴールで0-1と先勝してのfuori戦。パレルモは今季カーザで強いので、とにかくなんとか勝ってほしいという気持ちしかなかった。

15時からの試合で白黒がアタランタに勝って試合前の時点で勝点18差。ミランはボローニャにメアツッアで負けて10差。おまけにローマがメッシーナに勝ったので5位転落。状況的に勝たないとどうしようもない。

前半5分。ベローンの糸をひくような浮き上がるフリーキックをキーパーがはじき、そのこぼれ球をボボが頭で押し込んで先制。その後パレルモの攻めに劣勢が続く。

後半13分。中盤で奪ったボールを左サイドにはたきマルティンスが作ったスペースでボボが右足で決めて追加点。なんとなく今日は勝てるのではないかと思うぼく。

結局0-2で勝利。よかった。

これで白黒と15差(苦笑)、ミランと7差で3位浮上。といってもウディネーゼと1差、ローマと2差。サンプドリアと3差。おまけにその下にレッジーナ(苦笑)。次のアタランタ戦、パルマ戦は絶対勝って14日のローマ潰しを行わねばならないのです。いや、この後全部勝たなければいけないのだった。

で、2月終了時点で白黒と9差ぐらいだったらぼくはしつこいので夢復帰ということでひとつよろしくお願いします。

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domenica 30 gennaio 2005

[001] Love of the Common Man

faithful大学生の頃アルバイトをして初代ウォークマンを買った。もう四半世紀前の話。

その頃アメリカの黒人が巨大なラジカセを肩にかついでいる姿をNYの下町で見かけたことがあったが、ぼくにそんなまねができるわけはなかったわけで、音楽を街中で聴けるなんて夢のような出来事だった。

その時まっさきにアナログ盤からカセットテープに録音したのがこの曲

普通の人の愛?。なんというタイトルかと思ったし、英語の歌詞には象牙の塔なんていうのがでてきて、白い巨塔かよ、と思ったりもした。その頃通っていた大学の7号館が初代テレビ版白い巨塔のオープニングに使われていたことはなんの関係もない。

今でも週に数回は聴く。

Todd Rundgrenはミュージシャンズミュージシャンと呼ばれるメロディーメーカーで名曲の数々を残している。その中でも珠玉の一曲であることは間違いない。

ただ、この曲が入っているアルバムFaithfulはToddのアルバムの中で一番かというと疑問だ。BeatlesのWhite Album的な位置付けになるのかもしれない。

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sabato 29 gennaio 2005

ふりかえって

正直にいうとぼくは数年前まではマスコミ関連の業界人だった。大量の広告を量産したり音楽や映画の評論をしたり、商品の企画をしたりラジオとかテレビの台本書いたりとか。

あの頃の仕事を続けてれば業界人面して今もいろんなマスメディア関連の場に出入りしていたんだろうが、20年ほどフリーランスであの世界で働いてみて、あの自己顕示欲と金銭欲全開の人々の世界についていけないものを感じ、とっととその世界から足抜けした。

現在のぼくの生業は業界外から見れば似たようにみえるところはあるかもしれないけれど、ぼくとしてはまったく別の仕事をしているという感覚でいる。

おかげでここのところは嫌なことはしないし、嫌な人には会わないという生活が普通にできるようになり、おまけに資産もン十倍増えて、あの世界はなんだったんだ?と思う昨今。

何をいってるか分からない人にはわからないとは思うけれど、とにかく、いわゆるマスコミ業界の彼等があそこまでしなくちゃいけない現実はある意味悲惨だ。やはり、そういうことなのであろうか。それはそれで彼等の自業自得でもあり、一種のスパイだったりテロだったり、一方で一般日本国籍者のイントレランスの結果でもありえる。

世間がいろいろ分かってきてしまうと、人がみているところでは、いえないこともたくさんあるわけなので、この件は当分の間、沈黙を守る大人なぼくではある。

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venerdì 28 gennaio 2005

機内

この2ヶ月ほど沖縄線の機内で見た俺的著名人。

照屋林賢。おすぎ。喜納昌吉。

羽田空港なら西川峰子もいた。

しかし強烈だったのはやはり喜納昌吉。

遅れて最後に搭乗してきて、座っている間は内閣官房庁と書かれた封筒から書類を出して読んでたり寝てたり。羽田に着いたら政府関係者がお出迎え。

あ、そういうえば彼は参議院議員だったとそのとき確認した。

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giovedì 27 gennaio 2005

島うたの小ぶしのなかで

コザのとある本屋。大通りに面している書店なのだけれどなぜかほとんどの本の背が「古本であってもここまではなあ」というほど焼けていて、ほんとに新刊?と訝るほどの不思議さ爆発。もしかしたら再販制度に背を向けて、消費者に文化を!などというコンセプトで安く売っているのかと思って試しに買ったら定価だったという本屋。

shimauta.jpgその本屋で、しまうた業界の重鎮のひとり上原直彦氏の1995年に上梓された<島うたの小ぶしの中で>という本をみつけたのが去年の11月。買おうかどうしようか、その時迷ったのだが現金の手持ちがなくて保留。購入したのは今年1月になってから。11月の時点で、ここはコザだから絶対にこれは売れないと踏んだわけだがその予測が当たった。

ねぐらに戻って紐解くと、今までぼくの知らなかった歌者たちのエピソードや素顔が綴られていてぼくなんかからすると、ひるぎ社のおきなわ文庫の一冊<大城學 沖縄新民謡の系譜>にも匹敵する宝物に近い書籍であることが発覚。その本をねぐらに忘れ東京へ。やっと先週から続きを読んで読了した次第。きっと、民謡関係の書籍だから、コザから離れたくなかったんだろうと勝手に納得。

とにかく鬼籍に入った歌者から今も活躍する歌者まで、彼ら、彼女らに関する話がこれでもかと活字化されている。氏は琉球放送のラジオ局でアナウンサーとしてプロデューサーとして、そして島うたの作詞者として生きてきた方なので、経験に裏打ちされた数々の事実は沖縄の音楽を見ていくうえで貴重。どうやらこの書籍はもう絶版らしいので、多くの人が読めないというのは残念でならない。

上原直彦氏はいくつかの著作がある。もっとも最近のそれはキャンパスレコードのWebで連載されている文章をまとめて昨年上梓された<浮世真ん中>。今も毎週更新されているので沖縄における業界の感性と意見が垣間見えるという意味で興味深い。

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mercoledì 26 gennaio 2005

1-1 …

INTER 1 - 1 Chievo

やっと見たけれど、これはそろそろ心を強くもつ必要がでてきてしまったかもしれない、と。

なんとか同点にして公式戦無敗記録は更新したものの、いいかげん引分けはあきた。もう本当にあきた。トーナメントなら引分け続けて勝ち進むことは可能ではあるけれど。

週末のパレルモ戦は勝ってほしい。鬼門の南部。それもシチリアとはいえ。

しかしミランは負けてるし。白黒がまた走り始めるのか?。それだけは勘弁してほしい。

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martedì 25 gennaio 2005

Nee

nee.jpg今月の9日に見た下地勇の<Nee>。

ライブでもやっていた曲の歌詞と日本語訳をみていると、非常にメッセージ性に富んだ曲が多いことに改めて気がつく。わかんないって。ライブを聴いただけでは。

正直この歌詞を日本語でやられたら少々きつい内容かとも愚考する。しかしミャークフツで歌われることによってバイアスがかかり素直に聴くことができる。なによりメロディーラインにミャークフツがしっかりのっているのがいい。

シンガーソングライターはメッセージ性が重要という、ちょっと今となっては恥ずかしい気がしないでもないウディ・ガスリーやボブ・ディラン以来のテーゼがあるわけだけれど、改めて下地勇のCDを聴くと、「メッセージ性」というテーゼは生きていて良いし、いまも生きていると。

CDの収録限界ぎりぎりまで全13曲がつまっている。

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lunedì 24 gennaio 2005

元辻、いまは西町のジャッキー

jacky.jpgほぼ10年ぶりにジャッキーへいった。

辻にあった頃は、離島へ行く途中、那覇での乗り換え時間を長めにとり、タクシーに飛び乗り「辻のジャッキーへ」と行き先を告げ、ダッシュで食べて、すぐにタクシーをつかまえ、乗合バスターミナルのようだったかつての離島ターミナルへ向かいブルーシールアイスクリームをデザートがわりにするというのパターンではあった。

いま思い起こすと那覇空港の新国内線ターミナルができてからは、足を踏み入れていないということになる。

そのジャッキー。2001年に辻から西町、不二ホテルの裏に移転。つまりぼくは移転後やって来たのは、はじめてなのだ。

さて、どんな雰囲気なのか少々心配だったが、以前の店の外に出ていた信号機や看板も健在。中に入るとメニュー表も、椅子の雰囲気もむかしのまま。ちょっと懐かしい。

とりあえずステーキを注文。はたして、どうなっているか?

やってきたステーキはなかなかいいかんじである。いつものようにソースを(ここはNo.1という岡山のソースを使っている)鉄板にたらし、肉をほおばってみる。うっ。うまい。これで200g、1700円か?。昔はうまいというより、「とりあえずステーキだ」というステーキであった記憶しかないのだが…。最近の粗食で味覚が変わったか?いや。これはうまいのだと思う。

観光ガイドにも載っている店にも関わらず印象が変わった那覇の午後。

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domenica 23 gennaio 2005

沖縄市産業祭り

仲宗根の宮。グスク時代以前の貝塚跡に作られたという話だけれど、うーん、何かある。沖縄市の市役所が仲宗根という地区にあって、その仲宗根という地区はほとんどの姓が仲宗根で今の沖縄市長も仲宗根さん。うーん、何かある。かっちん(勝連)半島も見える。具志川方面もまるみえ。金武あたりまで。うーん。

などと思って市役所前まで戻るとバスが止まっていた。それは市役所のもので、どうやら、産業祭りの会場まで行くシャトルバスらしい。昨日今日行われているということは知っていたけれど、どこでやるのかは知らなかったし、特に行くつもりもなかったのだけれど、時間はまだ3時半。行ってみるかと思ってバスに乗る。

場所はどこか。泡瀬か南インターそばの運動公園かどっちかじゃないかと予想。バスは市役所を出てくすのき通りを右。胡屋十字路を左。グラウンド通りを右。ここまで来て、確実に運動公園であると理解した。

sangyomaturi.jpg到着すると体育館のまわりにテントが大量に並んでいる。中部地区の様様な食品や書籍、プレハブハウス、焼き物などが並ぶ。ほしかった書籍が半額だったので一冊購入、と。

食べ物を食わせるところもあって、泡瀬地区のカニの出汁でとった沖縄そばを食す。すでにカニの身はなくなっていて400円の値段だったが、それでも出汁がきいて、沖縄では味わったことがないうまさ。これならそこそこ売れるのではないだろうか?。しかし、埋め立て地区の泡瀬だからそのカニが確保できるかが鍵か、と。

体育館の中ではキャンパスレコードや木工所、三線販売などのブースが並ぶ。なんだかしらないが三板(サンバ)とパーランクーがそれぞれ1000円で売っていたので、サンバX2とパーランクーX1を購入。あとで見るとかなりつくりが荒いものだったが、まともに買うと最低2500円はする代物なので、とりあえずは、これでいいかと納得、と。

外に出て100円のコーヒーを一杯。うむ。まずくはない。普通にうまい。というかコザでのカフェ事情を考えると一番まともかもしれないと。

再びバスに乗ると、沖縄市役所の途中で降ろしてくれるという。中の町で下車。一度、荷物をおきにねぐらに戻る。その後、またコザをぶらぶら。

歩きつかれた一日である。

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sabato 22 gennaio 2005

中部の長い午後

uken.jpg午後から具志川へでかけた。闘牛場であったおばあの家へ行く約束をしていたためだ。

みどり町でバスを降りてタクシーに乗る。

「宇堅の公民館を入って60m、いや200mぐらい入ったあたり」

と、おばあに電話で聞いたとおりタクシーの運転手さんに告げた。やはりはっきりわからないようだ。

「おばあにそう聞いたんだけど」「ああ、おばあに」

予定通りの苦笑いが返って来た。

「とにかく公民館のところまでいきましょうね」

そういってタクシーに乗ること5分。宇堅集落センター(公民館のことらしい)を曲がって100mほど走ったあたりで、わけわからなくなってしまい、

「じゃあこのあたりで」といって下りて家を探すことに。正面には火力発電所の煙突と風力発電の風車が回り、民家がススキ野原に点在する。しかし、お約束どおり迷う。結局、宇堅集落センターのところからおばあに電話。迎えに来てくれるという。

待つこと5分。おばあの娘さんが車で迎えに来てくれた。車に乗ること再び5分。やっと到着し中に入ると、なんともモダンで立派な家だった。1階におばあとおじい。娘さんが暮らし、二階に息子さん夫婦とお孫さんふたりが住んでいるのだという。

お孫さんふたりは双子の女の子。よくよく見ると似ているのだけれど、ひとりはストレートでひとりは天然パーマ。ぱっとみて双子には見えない。とにかく元気がいい。

こちらは適当な時間にお暇しようと思っていたのだが、おばあは大量の食事を用意してくれていた。娘さん曰く「母はカメー、カメー攻撃だからね」。はい、覚悟しております(笑)。カメー=噛め=食べろ、である。

uken2.jpgかなり必死に食べたのだが、それでも次から次へ料理が出てきてなかなか減らない。そうこうすると息子さんが戻ってこられて座に加わる。女の子ふたりもお父さんが帰ってきてうれしそうである。おまけにわけわかんないのがやってきての非日常。興奮して走り回っている。

そうこうするうちに息子さんのお嫁さんも帰宅。宮古島出身とのこと。いつもは二階で食事をするが今日はみんな一緒に食事ということになっているようである。「おばあの友達というからどんな人かと思ったら」「闘牛場で知り合ったわけで」「きいてましたけど」となんだか目をまるくしている。

そしておじいも帰宅。おじいは近くで牛の繁殖の仕事をしている。迷っている時、牛のにおいがしたのがどうやらおじいの牛舎の匂いだったようだ。しかしおじいは闘牛にはまったく興味がない。そのため、息子さんも娘さんもお嫁さんも興味なし。おばあだけが実家の牛が出る時に闘牛大会に行くということのようだ。

それからは夜12時近くまで飲みつづけ、食いつづけ、話しつづけ、宇堅の夜はふけていく。このままだと泊まっていきなさいという雰囲気だったので、帰ることに。なんと、娘さんが車でコザまで送ってくれた。

コザで、軽くおでん小町によって、ママさんに顔を見せてねぐらへ。長い午後だった。

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venerdì 21 gennaio 2005

よなは徹ライブ@豚々美in那覇

tontonmi.jpgよなは徹のライブを那覇で見る。

北谷栄口区(謝刈【じゃーがる】2区)在住の彼だが、以前話を聞いたところ生まれは那覇。ということは生まれ故郷でのライブということになるのか。

開演30分前に到着すると大量の料理が並べられていて客は勝手にとって食べろということになっていた。串カツが非常に美味しかったのだが、あとで考えるとこの店の名前は豚々美。納得である。

ライブは奥のスナック風のステージで開始。予約していたので席が確保されていた。

すでに沖縄の唄者としては確固たる地位を築いている彼は一昨年あたりからは東京のレコード会社と契約し世界へとその活動範囲を広げはじめている。営業が勝っているという言い方もできるのかもしれない。今時の若者ということなのかもしれない。

それでも、こういった小さなそれも沖縄観光産業の優等生的居酒屋でのライブであってもしっかり客を楽しませ、きちんと歌う。2部構成のライブは手馴れたものだろう。安心してみることができた。

食べ放題(たいしたものはないが)、飲み放題(久米仙だけど)に、よなは徹の2ステージがついて3000円。せこい話だがおとくだったと感じた。

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giovedì 20 gennaio 2005

源為朝

沖縄には源為朝伝説というものがある。

日本史にその名前が登場するのは基本的に保元の乱(1156年)あたりのみなので、CHK(いやKHKか。日本国ではNHKともいわれてる)の大河ドラマの主人公になったとしても絶対にどうあがいたところで視聴率はとれないという、現代の歴史観では「そのてーど」と思われている源氏の武将である。

もちろん、数々の歴史小説や江戸時代の曲亭馬琴の“椿説弓張月”で知ってるぞぉという人もいるかもしれない。それでも、やはり、所詮、日本においては「そのてーど」であることにかわりはない。はずだ。

しかしこの源為朝。沖縄の伝説の中ではそれなり、いやいや、はっきりいえば、かなり重要な人物なのであったりしている。

沖縄の史書曰く。源氏の負け戦である保元の乱の後18歳で伊豆大島に流刑になった源為朝は、大島を脱出して奄美の喜界島に上陸。その後沖縄本島にやってきて大里グスクの按司の娘と結婚し子供をもうけ、結局離沖。その子孫が琉球開闢の祖舜天。

そんなことはあるまい。というのはほとんどあきらかだけれど、この伝説は、二つの点で注目に値する。

ひとつは、日本内地の武士階級のものが沖縄にやってきていたかもしれないという可能性。そしてもうひとつはその武士の出自が源氏であったという点。

ある日本歴史の観点では平家(平氏)はペルシャ系の海洋民であったという説がある。また沖縄のアマミク神話は漁労+稲作の民が東南アジア方面または九州方面からやってきたということを表しているらしい。

つまり日本列島および琉球弧にやってきた民族集団のひとつに、海洋系の人々がいたということになる。

一方で日本歴史において日本列島の源氏は騎馬民族系とされている。

ここからは妄想。源為朝伝説とは11世紀ごろそれまで琉球弧にはいなかった騎馬民族系の民族集団がやってきて、沖縄の歴史になんらかの影響を与えたのではないかということ。

今帰仁グスク、中城グスク、勝連グスクには、馬の調教をしたといわれる馬場跡が残る。

今帰仁グスクを追われた一族に属し座喜味、中城という城を作ったとされる尚氏第一王朝の臣下である護佐丸。この「丸」という名前。はてさて。

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mercoledì 19 gennaio 2005

そろそろカルナバルだなぁ

今年もそろそろ謝肉祭。いわゆるカルナバル。ブラジウ人とくにバイーアやヒオ出身者にとっては、どんな手段を使っても参加しなければ一生の不覚という時期になってきた。

この時期になるとヒオ周辺出身の世界のブラジル人フットボール選手および関係者は元気がなくなったり、自主的に怪我したり、ブラジウに用事ができたりして帰国するのである。

ぼくのフェバリットであるエジムンドは、セリエAのフィオレンティーナにいた頃、この時期カンピオナートをほっぽらかしてちゃんと帰った。おそらく以前Jリーグにやって来たのは、リーグ戦がカルナバルとかぶらないからだとぼくは今も思っている。

そういえばかつてこの時期怪我していたはずの現マドリーのデブ(ホナウドという名前だった)が、当日ヒオで踊っている写真をネットで見たりしたこともあった。当然、現日本代表監督様も昨年はなんだか都合ができてブラジウにお帰りになった。しょうがないのである。そういうものなのである。

さて、今年は、2月6,7日のあたりらしい。

沼地にある赤いチームのエメルソンがキャンプに来ないのもこれが理由だ。現マドリーのデブ(ホナウドという名前だと思う)が怪我したのもそのせい。アドリアーノがここんとこ元気ないのも間違いなくそれだ。はたしてアドリアーノは当日ヒオにいるかどうか。注目である。ぼくはそれでもいいと思っている。しょうがないのだ。

で、現日本代表監督の神様。彼が所属するサンバチームは、ベイジャフロールといってここんとこ2年連続1部の優勝チーム。今年の出番はトリで、2月7日の最後。日本時間でいえば、2月8日の昼前後。

ということは、ほれ、ドイツW杯予選の北朝鮮戦が日本時間2月9日(旧正月当日だねえ)夜にあるわけで、カルナバルに参加したら日本に戻れない。というか、その試合以前は日本を離れるわけにはいかない。

ということは、現日本代表監督様は今年のカルナバルはあきらめたということなのであろう。気を落とさないでね。ジーコ。

なもんで、命と家族の次くらいに大切なカルナバルをほっぽって監督稼業を行うジーコに結果を与えるように、出場する日本代表選手にはお願いしたい。

当然のことだが、応援に行く人もぬるいことしないように。ジーコは引き裂かれそうな心を鬼にして代表監督様を勤めているのだ。

ジンギスカンは正直ださくて卒倒したが、若い子がなんかやってんだからほっとく。けれど、カリオカであるジーコの心意気は富士山より高く評価するように。評価してしっかり応援するように。よろしくね。

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martedì 18 gennaio 2005

内臓と以外

ネットでで使われるコトバには顕著な特徴がいくつか見える。

たとえば日本語として間違った漢字を無意識に使っているという現象。中でも、「内臓」と「以外」は、いまだ頻繁に使われているように感じる。

「内臓」の場合は、「内臓ハードディスク」といった使われ方が主。当然「内蔵ハードディスク」が日本語での一応、正しい使われ方である。

しかし、この「内臓ハードディスク」。想像するとなんだかコンピュータの中に血管や神経が走り回り、ハードディスクに胃袋のようなイメージが喚起され、20世紀末に見た近未来を体現しているかのようだ。これはこれで面白い。

一方、「以外」は、「意外」の意味で使われている。ネット掲示板などではすでに「意外」を「以外」と表記する人の方が多いのではないだろうか。

日本語学者やモンカショーからすると日本語力の低下の証左という話になるのかもしれないけれど、「意外」と「以外」を比較すると後者の方により客観的判断を加味したような雰囲気を感じる。「以外な出来事」「以外にかさばる」「以外と難しい」。全部日本語としては間違いだけれど「以外に」(笑)、納得できてしまう。自分の考え以外という意識なのだろうか。

他にもいくつかあるのだけれど、この二語はインターネット以前のパソコン通信時代から使われているので、すでに伝統ある日本語の使い方ということも逆にいえるのかもと思う。

今後もこういった推移は見守っていきたい。

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lunedì 17 gennaio 2005

琉球弧と日本列島

沖縄にいると沖縄は「日本と違う」という意識がもたげてくる。日本語が通じはするが言語、文化、食など様様な点で日本との間に差異が存在するという点は紛れもない事実。

ところが、ここ数年は上記の差異を考慮したとしても、共通性というと誤解を生じるかもしれないので、言葉を変更すると「非常に密接な関係があったのではないか」と思われる出来事や物証が多々ある。

この考えに至るには、高校生までに習った歴史教科書とその後の大学での研究を一度リセットしないと導き出せなかったので、ぼくにとってはある意味勇気が必要だったということは記しておきたい。

気になるのは、鎌倉時代前後(1200年ごろ)までの沖縄と日本の関係。

1200年以前は日本史においてもこれまでの歴史の常識を一度見直さなければならない時代であり、その見直しを図ることで琉球弧の歴史が俄然ダイナミックな動きをはじめる。

その動きは縄文、弥生といった歴史時代以前の日本列島や琉球弧、北東アジアの歴史に認識の変革をを促す可能性もあるように感じている。

とりあえずのポイントは、アマミクに代表される、海洋民の生業とその移動。これは源平の合戦でひとつのピークを迎えることになると思っているぼくではあるのだが。

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domenica 16 gennaio 2005

0-0

6勝13分0敗

21世紀になって久々のどうしようもない試合でございました。良かったのは最初の10分ほど。あとはもうグダグダ。それでもBrescia戦のように勝てば文句ないが引き分け。

なにもいうことはなし。

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sabato 15 gennaio 2005

喫煙

タバコを吸って数日するとどうも歯の調子がおかしくなる。

一方、パイプを吸っている限り、歯がどうこうなることはない。

ぼくだけかもしれないけれど、そうなのだからしょうがない。

タバコがいろいろ言われるのは紙も一緒に燃やしているから
なのかもしれないなあと思ったり。

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venerdì 14 gennaio 2005

くに

最近、以前にも増して、国家、国、国籍、民族といったあたりのことを考えることが増えている。

何度か書いているけれど、<国家>と<国>と<くに(故郷)>は異なる概念であり、これら、とくに、<国家>と<国>は日本国においては混同して使用されているとするのがぼくの考え方。

いい大人が「国のことを考えれば」などと言っているのは、実は「国家」のことなのに安易に「国」という言葉を使い、聞くほうも了解してしまうという茶番。

そして、その三っつの概念の差異から導き出される答えとして「国籍」はあくまで<国家>に依存するものであり、<民族>という概念は<国>や<くに(故郷>もしくは<家族>といったあたりと関連するのではないかと。

そして、「民族=国家」という短絡な考え方が北東アジア、早い話日本国と大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国に住む人々の間に常識のように横たわる滑稽さ。

たとえば、居留外国籍の人々の地方参政権や公務員就業の問題。<国>や<くに>というレベルで考えれば、別にそれはそれでいいんじゃないか?と考えるのだが、<国家>という概念から規定すれば「とんでもないこと」という結論に至る。

現在および今後当分の間の人間世界は<国家>という概念の下に人の営みが繰り返されていくことは自明であるわけで、居留外国籍の人々に地方参政権とはいえ、これを与えることなんてとんでもないことだし、公務員として採用するなんてこともありえないことだ。

要はぼくたちの語るべき立脚点はどこにあるのか、ということではないだろうか。

昨今のメディアやインターネットでの言説を見ていると、このあたりが曖昧だから話になっていないのではないかと感じている。

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giovedì 13 gennaio 2005

1-3 オバオバトリプレッタ

勝利するにこしたことはないがもしも負けたとしても心にグサリと致命傷を負わずに済むコッパ・イタリア、ベスト8のfuori。ダッラーラはポー川流域名物の冬の霧だったらしい。

そんな中前半終了間際に先制されたものの後半、オバオバことマルティンスの3発で1-3勝利。これで準決勝に名乗りをあげた。相手はユーベかアタランタ。アタランタはアッタカンテがうざいものの、ユーベよりやりやすいという常識的判断はなされる。まあ、どっちがきても、かまわないのだが。

ベローンが復帰し、あの77番様も復帰の模様。こりゃパスクワーレはレンタルか?

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mercoledì 12 gennaio 2005

ボロジノ娘デビュー

ボロジノ娘はじめて「ボロジノ」という単語に出会ったのは祖父が関係していた日本海海戦。バルチック艦隊との一戦についての本を読んでいた時。例のZ旗が上がった「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ」の戦い。たぶん小学校低学年の頃だろう。

東洋の黄色人種の三流国が帝政ロシアに勝利した日本海海戦は世界を驚愕させるにあまりある結果を残した。この時、ロシア側の旗艦がフランス製造の「ボロジノ」級4番艦スワロフ(因みに大日本帝国海軍の旗艦三笠はイギリス製)だった。別にボロジノ号という戦艦もバルチック艦隊に参加しているが両艦とも帝国海軍の攻撃により撃沈されている。

「ボロジノ」というのはもともとモスクワ近郊の土地の名前らしい。モスクワ遠征を試みたナポレオン軍が1812年9月7日ロシア軍と交戦した場所がモスクワ近郊ボロジノ。こちらの勝敗は決しなかったらしいが、ナポレオン軍に10万もの死者を出し、その後のナポレオン軍敗走の契機となったとのこと。

そんな「ボロジノ」の名前を冠した南大東島出身の少女民謡グループのミニデビューアルバムがこの『夢は大きく…』。関係ないけれど、那覇の泊にボロジノ食堂という店が昨年オープンしたそうな。南大東出身の方がやっているらしい。安いらしい。行ったことないけれど。

買った時に「なんでボロジノなんだ?」と訝ったが、翌日キャンパスレコードの働き者社長令嬢(だよね?)真紀子女史に聞いたところ、「ロシアのボロジノ号という船が大東島の近くを通り、その後南大東島が『ボロジノアイランド』と呼ばれていたから」というお答え。

そういえばそんな話、どこかで読んだことがあった。なるほど。ということで疑問氷解。

曲は少女たちの師匠新垣則夫、新垣良美などが提供。作詞に彼女たちの先輩にあたる内里美香の名前も。サウンドプロデュースとギターにアコースティックMの知名勝。南大東島とコザ近辺の人間が集まったという印象。

少女5人は高校2年生から下は小学校5年生。みんななんらかの民謡関係の賞を受賞しているという優等生。あとで持っているCDを確認したら、師匠新垣則夫のアルバム『トゥックイ小 のりーしんかの島うた』に宮平梓と野村麻莉が参加していた。なるほど。

とにかくつかみの1曲目「夢は大きく民謡歌手」にすでにやられた。そこから5曲目「花ぬまさかい」までしっかり聴かされてしまう。じじ臭いがあたりまえのこととして、若いって凄いことだ、と感心。サウンドプロデュースは知名勝だが、彼の島うた関係のライブでのギターのように前にでしゃばらず三線の音を生かしかつ彼女たちの個性を考えた仕上がりで非常に好感が持てる。喜屋武マリーのバックバンドから初めて20年以上沖縄で音楽をやってきたセンスは伊達ではない。

ジャケットの化粧はちと濃すぎない?と思ったりもするが、師匠のアルバムも黒潮バックにちょんまげという強烈ジャケットだったからそれに比べれば、などと納得。

そのうちいろいろなところで買えるんだろうが、とりあえずコザの「キャンパスレコード」にしかまだ売ってなかった。

ボロジノ娘 夢は大きく… ンナルフォンレコード 15NCD-48

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martedì 11 gennaio 2005

3-2 ありえない勝利をふりかえり

6勝12引分0敗 勝点30

昨日の夜に録画してあった最後の15分だけを見て興奮していたのだが今日やっと全部を見ることができた。

試合全般結局のところインテルの試合だったわけだが乾坤一擲が2回も起こる幸運に恵まれたサンプドーリアも確かに完璧なゲームプランだったと感心。ただし感心できたのはインテルが勝っていたからだが。

それにしても88分から3点で逆転というのは強いというのかなんというのか、ヘンなチームといわれてもしょうがない。今季のインテルは普通フットボールの世界ではありえないことばかりを起こしている。

ユーベに13ポイント。ミランに9ポイント(2縮まった)。まだまだこれから。

次のレッジーナ戦も3puntiを。

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lunedì 10 gennaio 2005

神谷千尋@KOZA MOD's 01.09

土曜日に続いてMOD'sへ闘牛後に神谷千尋のライブにでかける。

入場するとアコースティックMの知名勝がビールを飲んでいる。去年のライブではパーカッションを叩いていたしゃかりの上地一成の姿は見えない。誰がバックにつくのか興味があったが今日はどうやら二人だけのようだ。

開演時間の8時を過ぎて、知名勝がステージにたち、続いて神谷千尋登場。内里美香ほどではないが、ちょっと太ったか。MCをいれずに最初からニ曲連続で。声も出ているし、三線もいい。彼女は自分の爪で弾くので音量に難はあるのだが、彼女の声と曲には順当ではないか。

昨年数回彼女のライブを見ていていて、何か足りないという感が強かったのだけれど今日はそんな不安はない。そう確信できる出来だった。

案の定、今日のライブは安定しているだけでなく、ツボを心得た知名のギターもあいまって彼女の魅力が十分にわかる出来だったように思う。

ふと気がつくと、よなは徹が遊びに来ていて、セカンドセットには一曲だけ三線で参加。予期せぬお年玉だった。

終了後、ぼんやりしていると、マスターの喜屋武さんに「一緒に話しませんか」と呼ばれ、神谷、知名、よなはらとともに、午前2時近くまでゆんたく。

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大きな声ではいえないが津堅島出身という神谷千尋が実は具志川出身だとか、知名勝のプロデビューは喜屋武マリー&メドゥーサだったとか、MOD'sのマスターはコザのギター小僧としてならしオールナイトロックフェスティバルなどにも出演していたとか、よなは徹のカチャーシー・ア・ゴー・ゴー録音時はテープルの上がビールの空き缶でいっぱいになったとか、神谷のマネージャーでキャンパスの社長令嬢(だよね?)の真紀子女史は金城実せんせーに三線を習っているが先生が忙しくなったため去年の7月からお稽古してもらっていなくて、一回千円のチケットがまだあまっているとか、ろいろな裏話を聞くことができた夜だった。

今日になってからユニオンで買い物してねぐらにもどる。

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domenica 9 gennaio 2005

新春花形選抜準全島大闘牛大会

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空は冬の沖縄らしくどんよりと曇りいつぱらついてきてもおかしくない。

沖縄市営闘牛場で午後1時から行われたこの大会。新正月恒例の元旦からの4日連続大会の後なのであまり大きな期待をしていなかった。ホテルから吉元弁当によって坂を下り闘牛場に着いたのは40分ほど前。

余裕で一番前の席をできるほど客の入りは悪い。「やはりはずれの大会かな」と思って弁当をぱくついているうちにどんどん入場者が増え始める。そこそこの入りとなる。結局1500人ほどの入場があったようだ。お約束の「ニギリ」の立ち見客も鈴なり。<賭博行為を禁止します>という沖縄市の看板もいつものように意味はなし。

とりあえずあまり期待せずに観戦するが、その予測は気持ちよく裏切られた。全10番。いやなかなかの好試合続きで、見ごたえ十分。途中雨に降られたが、動く気にはなれなかった。もちろん沖縄闘牛のお約束で弛緩しただるい時間が漂いもするが観戦後にこれだから闘牛観戦はやめられないという気分になる。

ちなみにシーの7番戦は引分け。久しぶりに沖縄で引分け試合にぶつかった。この試合30分過ぎに本部の方から「この天候ですから35分で引分けとしたいと思います」というアナウンスがされると観客から拍手。対戦前から話題だった関脇戦、大関戦を早くみたいということなのだろうか。ところが雨が小降りになると「やはり最後まで行います」というアナウンス。まあ、しょうがないか、という会場の空気。そしてその後数分すると「たびたびすいません。この試合は40分で引分けにしたいと思います。闘牛士のみなさんよろしくお願いします」と二転三転。苦笑いもでる。

山古志村など越後の角突きでは必ずころあいを見計らって牛を分けるが、この時の勢子の牛を分ける動きがある角突きの「華」という側面がある。ここでは、どうするのかと思ってみていたが太綱を二本持ってきてそれぞれの牛の角にまきつけ「せーの」で牛同士をひっぱるという塩梅。秋口に行われる綱引きのノリか。あっさりと終了。

そんなイレギュラーな場面が展開されたことを含め、試合の内容も上等。ふらっと観戦しに来た大会で、風も冷たく雨も降る最悪に近い環境であるものの、かなり満足できる大会であった。

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sabato 8 gennaio 2005

下地勇@KOZA MOD's

宮古方言(ミャークフツ)で歌う下地勇のライブ。

大柄で彫りの深い顔立ちの彼がステージに現れ、まったく分からない言葉で早口にオリジナル曲を奏でる。おそらくおっかけかと思われる女性ファンがうっとりと身体をゆすっている。

その後も、まったく分からない言葉で次々とオリジナルの曲を演奏していく。

何曲か聞いたことはあるのだけれど、ライブを見るのははじめて。結論をいえば、久しぶりにまともに聴けたシンガーソングライターだった。ギター一本でヤマトグチとミャークフツの曲を歌いまくる様ははるか昔アメリカのシンガーソングライターに入れあげていた頃に感じていた感覚だ。

ミャークフツで歌うという行為はここまで鮮烈なのか。fやvの音が耳にひっかかり、喉をならす口顎音にロシア語のジュルナールの「ジュ」みたいな音も飛びだす。

意味はまったく分からないのだけれど、ミャークフツの「音」が彼の作るメロディーラインにしっかりとはまっている。おそらく自らの表現の手段として宮古方言、いや宮古語で歌うことを選んだのだろうが、きちんと成立している点は気分がよい。

ウチナーグチはそれなりにわかるけれど、ぼくにとって、まったくわからない、意味さえ想像もつかない宮古方言でギター一本というライブ。新しい経験をさせてもらったように思う。

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venerdì 7 gennaio 2005

0-2 fuori 2勝目

アドリアーノはどうしちゃったんだろうか。なんだか元気がない。
それに比べてボボは絶好調な雰囲気。

なんだかんだいってもとにかく、fuori casa で無失点。得点2。
我がインテルは今は内容よりも勝点3が大切であり、かつ、
ミランは勝ったが、ユーベは引分けで2punti縮まった。
つまり、今日の結果についてはなんの文句もない。

とりあえず日曜日はメアッツァで同勝点のサンプドリアに勝つ
ことが当面の目標。勝つしかない。

しかしながら、ダービッツ、ベローンはやはり今月中に
移籍するのだろうか。

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giovedì 6 gennaio 2005

香港ビデオ

部屋を整理してたら昔、監督して制作した、<ぴあMAP香港>という8mmビデオセルが出てきた。よく考えたらコーディネートもやっていたのだから、もっと金もらってもよかったのかなあ、と思ったりもするが、それも今は昔。当時8mmビデオカメラとかデッキとかでSONYが頑張るぜという時期でSONYが8mmビデオセルを作って売ろうとしたいて、そのひとつとして作られた。もちろん商業的成功するわけはなかった。

後に聞いたのだけれどなんでも香港おたくの間では、周潤發(チャウ・ユンファ)やグロリア葉(イップ)といった映画関係者や、浮世絵といったバンドなどが出ていたので、コピーが大量に出回ったらしい。関係ないが、周潤發の「周」は日本では「チョウ」なんだけれど広東語発音的には「チャウ」が近いわけだが、なんで「チョウ」なのか、と昔から思っていたというか知ってるけれど暗黙の了解。日本の映画界は不思議なところではある。そういやジャッキー・チェンじゃないものな。ジャッキー・チョンだし。閑話休題。

しかしこのビデオ、今の時代ならもっといろいろとやりようもあったと改めて過去を思ったりする年の初め。

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mercoledì 5 gennaio 2005

スカパーチューナーの死

うちのスカパーチューナーは、SONYのDST-MS9。iLink付きということで一時はヤフオクなどで5万円などとありえない値段がついていた機種。

そのMS9くんがどうやら寿命に来たようで。明度の高い色やスカパー側のテロップが入ると画面にゆがみが出るようになってしまった。SONYタイマーにしては少々早いので電源入れすぎだったのかもしれない。

おそらくコンデンサーあたりが塩を吹いているかと思われるので、同等品を秋葉原で買ってきてハンダ付けすれば直るようにも思うのだけれど、失敗の可能性も。ということで新規購入に走ることになりましたとさ。

調べてみたらもう数社しかスカパーチューナーを作っているところはなく、かつ、どれをチョイスするかというと、とりあえずSONYという状態。SONYタイマーが心配だけれど、考えてみてればスカパーの衛星はあと3年ほどで耐用年数が来るらしいので、多く見積もっても4年持てばよいということ。

近々購入しなければならない。S-VHSビデオといいスカパーチューナーといい現状維持の入れ替えのものを買うというのはいまひとつなんだけれど。

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martedì 4 gennaio 2005

あかりパンダ敗戦…

本日沖縄市営闘牛場で行われた準全島闘牛大会の横綱戦で<あかりパンダ>が<天才まけるもんか>に敗北。<あかりパンダ>ファンとしては寂しい結果となってしまった。

考えてみれば11月の秋の全島で復帰したばかりで中2ヶ月ない調整機関は短すぎたということもあるのかもしれない。牛主は出場を迷っているような口ぶりだったが。現在右目の視力が問題になっている<あかりパンダ>。そういった影響もあったのかもしれない。

そういえば、前回<八重山酋長>に敗北したのが沖縄市営闘牛場。そして今回も…。どうも沖縄市営闘牛場とは相性が悪くなっているのだろうか?。年上の<八重山酋長>が安慶名闘牛場を回避するように<あかりパンダ>も今後沖縄市営闘牛場を回避することになるのか。

目の問題があるとはいえまだまだ年齢的にはこれからの<あかりパンダ>。がんばってほしい。

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lunedì 3 gennaio 2005

李登輝さん離日

もちろん彼の言動が東アジアの国家関係に多大な影響を与えるという点については異論がない。ぼくなんぞがそんなことを思っているくらいだから、賢明な李登輝氏はこの年末年始にかけての来日中、あたりまえのこととして中華人民共和国側が反駁できる余地を与えない行動をとられた。素晴らしいことだと思う。

氏は学者らしい緻密な実証と誰よりも大きな理想を胸に抱き努めて東アジア的政治の中に身を置いてこられたのだから、今回の訪日での慎重な行動はさすがだ。

日本側も慎重だった。中華人民共和国側に反駁の機会を与えない方向で対処した。京都大学が入構を不許可としたのは「京大らしくない」とする意見もあるかもしれないが、京大は国立大学だ。政府筋から話があれば拒否しても、しょうがない。それが政治だ。

もちろんぼくからすると「何びびってんだよー。政治家も官僚も、税金とそれを巡る権力と利権で生きてる公僕だろーが。日本の国家益とアジアの安定のために働け!。たわけどもがぁ」ということになるわけではある。しかし、今回に限ってはうまく立ち回ったと評価しておきたい。

だが次回の李登輝氏訪日時に、日本政府の政治家や官僚にもう一歩踏み込んだ進捗が見えなければ「前回はじわじわ実績を作ったんじゃねーのかよ。李登輝氏本人も協力してくれただろうが。利権でもなんでも生きていくためのセコい対処だから目つぶってやるが、大局を誤ったら承知しねーぞ!。カスどもが」といった罵声を浴びせる準備はできていたりなんかしているのではありました。

しかし今回の訪日で改めて確認できたが、李登輝という人は100年先、30年先、10年先、3年先、半年先といったそれぞれの未来を冷静に観想できる稀有な人だ。こういう人が隣国(改めて国とするけれど)台湾の前総裁で22歳まで日本人であって、ぼくたち日本国籍の人間に励ましと叱咤を与えてくれることは誠にありがたい。

すぐにまた来日してください。李登輝さん。とりあえず次回は暖かい時に念願の「奥の細道」を歩かれて、その次とは言わないけれど、数回後には靖国神社に祀られているお兄さまの霊に祈りを捧げることができますようお祈りいたします。カトリックのぼくだけれど靖国に参拝する人の気持ちを否定する気持ちはない。

李登輝氏が日本国の首都である東京を訪れるということはアジアの政治経済地図を塗り替えていく上で極めて重要な一歩になるはず。

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domenica 2 gennaio 2005

シーシーシーディー

つれが年末に買ってきたブラジウの2枚組CD。

いつものようにiPod用にMP3化。まあ15分もあれば終わるだろうと1枚目をPCのDVDドライブのトレイに載せた。すると「はぁ?」。曰く

「このCDを再生すんにはソフトが必要なんだよ。てめーのPCにそのソフトをインストールしていいか?ちなみにレジストリー書き換えっからよ」

などという傍若無人なアラートウインドウが登場。正月早々縁起が悪い。

毎月かなりの量のCDを買うぼくではあるが、基本としてどんなに好きなミュージシャンであったとしても、コピーコントロールCDだったら、絶対に買わないという掟があるので、今まで巷間「シーシーシーディー」とか「なんちゃらゲート」とかほざいているCD(CCCDである時点でCDではないのだが)に自宅の敷居をまたがせたことはなかった。部屋もそうだが心も穢れるからである。

しかし今回つれが気づかずに、その穢れたやつを買ってきたしまったわけだ。こうなったなら、その穢れを即座に浄化しなければいけない。つまりこのアルバムをMP3化して成仏させてやらなければいけない。それが人間の優しさというものだ。

ところがそういった穢れたモノを買ったことがないぼくは、CCCDもリッピングできるとは聞いていたものの、その方法をしらなかった。そこでgoogle。数分後にはすべてが氷解し必要なフリーウエアをダウンロード。設定終了。使ってみる。お、なんとかできそうだ。

が、等倍速でしかリッピングができない。この即断即決が求められる21世紀の大都会にあってこの無駄はなんだ?。ぼくに何をさせたい?え?答えてみてほしい。この「しーしーしーでぃー」なるものを考えて導入した方々。このリッピングソフトを作った方はとにかく偉いわけだけれど、もともと穢れたモノを作って世に出した人間の脳の構造がどうかしている。

著作権とはなんだろうか。守るだけでいいのだろうか。ぼくは印税とかそういうので生活をしているわけだが、コピーするよりも手元において使いつづけたいものを作っていきたいと思っている。音楽に例えればCDなりアナログなりカセットテープなりのオブジェクトメディアで手元におきたいものを作るということだ。

その買ったものを消費者が自分の使用目的でどう使おうと自由。

昨年、輸入CD禁止になってやばいぞ!といった運動もあったが、本当にその人に必要な音楽がその人にとって満足できるメディアでその人のもとに存在できることが、音楽を作った人の幸せではないだろうか。

音楽も本も買う人を幸せにするから売れるのだ。そのモノの価値にぼくたちは対価を払うわけである。

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sabato 1 gennaio 2005

おせちは苦手

おせち料理によって日本社会に住む人間が季節感を感じるという点はまったく否定しないのだけれど、個人的に子供の頃からまったく食べたいと思ったことがない。

甘すぎたり、辛すぎたり、冷めてたりといったものがほとんどで、手を伸ばし難い食物の集合体であるという認識をモノゴコロついてすぐに得て育ってきたぼくだった。

また個人的に関東の角切り餅を焼いて入れるお雑煮がとにかく嫌いだった。すまし仕立ての味は文句はないのだがあの焦げ目がついた角餅が入っているだけで気分が悪くなり、それは今も続いている。餅はつきたてに限る。

お正月に食べたと思えるものは、母親が作ってくれた関東でいう「筑前煮」。博多だと「がめ煮」というのだろうか。とにかくそれがおかずで、ご飯とともに正月の間中食べていた。

くわえて弟が北海道にいた間はいくらの醤油漬けを送ってきたり持ってきたりしていたので、それをご飯に乗せて食べていた。ただし2日目まで。それ以降になると食えたものではなかった。

ということでお正月といっても一部を除いて別に食べたいものはないのでいつものような食事をするのでした。カレーがおいしい。

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