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mercoledì 15 dicembre 2004

『古琉球』からの視点

伊波普猷が著した『古琉球』は、沖縄学の父と呼ばれる伊波の代表作であり、沖縄に興味がある人間は一度は読んでおくべき書物とされている。

この書籍は、琉球を搾取してきた薩摩や明治以降の日本政府に対して、沖縄というアイデンティティを確立することをひとつの目的としていてその目的は十分に成就されている。また、沖縄の歴史、文化、民俗などについて採取し編集し紹介しているという点においても貴重である。“おもろさうし”や“球陽”とともに沖縄に関する書籍として貴重な文献であるという意見に首肯できる。

ただ、何度か通読してはいるのだが、この書籍の現代における評価は個人的にいえば複雑だ。

というのも、『古琉球』は沖縄という地域の独自性を、日本との対比の中で、つまり日本との差異を明解にすることを目的として書かれているために(この書籍の目的からすれば成功なのだが)、沖縄の文化の多様性を説明しているにも関わらず、<日本から見て沖縄が特殊であるという点が顕著に語られる>という結果を生んでいるように思えるのだ。

沖縄はアジア太平洋地域(日本を含む)と複合的な交流の元に出来上がった文化圏であろうかと思われるが、この書籍は日本と沖縄という二つの文化的差異を前提にしている手前、どうしても、沖縄は沖縄であるという唯沖史観とでもいうような沖縄の独自性を基にした文化的視点に立脚している。構造的にいえば、これは日本は世界から見ると特別な国であると思う日本人の観点と同じだ。

また、日本(本土)における文化の多様性、多文化の重層性、民族的宗教的対立構造という視点は当然にない。というより、そういった視点はこの書籍の前提条件ではないのだ。何度もいうが、日本は日本であり、沖縄は沖縄であるという視点の下に上梓されている。もちろん、この書籍が上梓された時代はこういった視点が必要であったのだから、否定するものではないし、『古琉球』の価値を貶めるものでもない。

ただ、この書籍を読んでいる読んでいないに関わらず、現在の沖縄の人々の多くがこの書籍全体に流れる「沖縄は独自の文化を持つ独特の場所であるという意識」のもとに本土の人間と相対しているようにも思える点が興味深い。

個人的に他者の話は常にまっさらな気持ちで聞くことを心がけているわけではあるのだが、沖縄、とくに那覇や浦添など県都近辺に住む人の沖縄に関する話はほとんど知っていたり、想像できる範囲でしかない。新しい発見が少なく、失礼ながら話半分で聞き流していることが多い。

逆に那覇の人に、中部や北部の話をすることも多々ある。たとえば闘牛は沖縄の文化だという人もいるが、基本的に現在は沖縄中北部の文化であって沖縄全体の文化ではないのではないだろうか。那覇で闘牛を見たことがある人間は多くはない。そのため、那覇の人に闘牛について語ることもある。

いまや、日本(本土)でも、沖縄に関する情報はあふれかえっており、これまでの沖縄情報はすでに消費されつくされているように思える。沖縄は日本という国家の一地方になりつつあるのではないだろうか。とくに那覇とその近郊に、その色合いが顕著だろう。那覇あたりは日本(本土)の地方都市と大きな差異はなくなっている。

普通に暮らす沖縄の人が日本(本土)の人に「沖縄は違う」という前提で語ることが可能な話は、もうほとんど存在しない。ゴーヤーチャンプルーやコーレーグースなどは「日本語」になっている。沖縄そばは、もう、沖縄独特の食べ物ではない。泡盛も、もう沖縄だけの酒ではない。エイサーも本土のあちこちに移入され広がっている。三線も日本で増殖している。アメリカ文化という「異国情緒」を感じたいなら、いまやコザより北谷だ。シーミーもごくあたりまえに知られる。沖縄民謡の歌手は日本で普通にライブを行い、沖縄バンドや歌手がJ-POPの世界で活躍する。

もちろん、まだまだ上記のようなすでにステレオタイプと呼ぶことも出来る、沖縄描写以外の、いまだ消費されていない、知られざる沖縄は存在してはいる。ただし、その多くは、沖縄内のその地域の人にとっての常識であり、日本(本土)の人間にとってはもちろん、沖縄の他の地域の人にとっても驚きであり、新鮮で、知識の範囲を逸脱した事柄なのだ。

日本がひとつでないように、沖縄もひとつではない。南部と中部、北部では、文化が異なる。コトバも違う。人の気質も異なる。そうであるにも関わらず、対日本(もしくは日本政府)という視点で「沖縄県民」「うちなんちゅー」という意識が今後も熟成されていくのだろうか。日本も沖縄も多文化そして多民族のモザイクと滲みの中に存在しているという視点にたつことはあるのだろうか。

『古琉球』には、時代が時代であるために、そして目的が目的であったとはいえ、こういった多眼的視点はない。このあたりが、現在にも受け継がれていて、本土との差異を語る県民の方のコトバのはしばしに感じられる。というよりも、伊波の一連の著作が、現代沖縄の県民意識の一部を作ったといえるのかもしれないが。

『古琉球』は必読の沖縄関連書籍であることにかわりはない。ただ個人的に違和感を感じる書籍であったというだけだ。それでもその中に書かれているひとつひとつのエピソードは琉球という文化の多様性を表現している。つまり、日本文化と同じような構造の多様性が散見されるのだ。

つまり、『古琉球』は、こちら側が、多文化と多様性を意識することによって、どのようにでも読むことができる書籍。この点において、やはり、沖縄を記した優れた書籍なのだといえるだろう。

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