稲盛爺が私財を投げ出し、専用スタジアムを作るという話。
Jリーグでも悲惨の極北に位置する西京極をホームスタジアムとする京都と、その不幸を背負った上に二度もJ2に降格し今年の再々昇格も、かなりやばそうで泣きっ面に蜂状態の京都ファンにとっては稲盛爺さまさまなのではないだろうか。もちろん京都という土地柄、建築関連企業に新規の仕事を出さなければならないなど、いろいろな問題はあるのだろうが、それにしてもとにかく太っ腹というか、まっこと稲盛爺は、関西でいうところの「旦那」だ。
場所は伏見の港と淀競馬場の間くらいになるらしい。行ったことないけど。現状スポーツ公園になっていてその一部を使い建設するということのようで、アクセス的に駅が遠い、淀競馬場開催時の混雑が心配といった瑣末な問題はあるものの、とにかく専用という事実が素晴らしい。3万規模らしいが必要にして十分。いいものが出来るとよいなあと心から思う。
最近は妄想段階のものも含め各地で専用スタジアム建築構想が持ち上がっている。実際「ギリギリの蘇我」は実現する。ちなみにこのギリギリというのは専用ではあるが予想図を見た限りフットボールの醍醐味を味わう上で「ギリギリ」の専用スタジアムであるという意味と、東京からでかける場合に、普通にいける「ギリギリ」の場所にあるというふたつの意味を含んでいる。とりあえず京葉線で一本ではある。
歴史と伝統はあるが一般受けはなかなかむずかしい西ケ丘しか実質の専用スタジアムがない東京の人間にとって、こうやって全国に専用スタジアムが増えていく状況は、正直うらやましい。そして、よいことだと思う。なぜなら、専用スタジアムの増加はフットボールを見る目を養う-その国のフットボールを強くすることとイコールである-ために、かなり重要な要件でもあるからだ。
かつて大宮のメインスタンドで「手前のタッチラインが見にくくてあんまり…」といっていた子がいたけれど、それは子供の頃から専用スタジアムでの観戦をしてこなかったからだと思う。はっきりいってぼくは呆れて返す言葉がみつからなかった。あれはなんだったのだろう。
またピッチが良好だったという幸運から選手には好評で、かつFIFAのフットボール利権屋さんから誉められたということもあったからか、世界に恥をさらしたとは思っていないらしい神奈川県の川そばの巨大な陸上競技場についても「2階席なら見られる」という声を聞く。似たような声は、飛田給や新潟、大分に関しても聞いたことがある。
神奈川県のそのどでかい陸上競技場はぼくからいわせればプロフットボールの試合を行える場所ではない。あそこでチケット代を取るということ自体が、詐欺行為以外のなにものでもない。
飛田給では勝利したあとの試合で「ローマのオリンピコみたいな雰囲気だったねえ。両方とも首都だからね」と喜ぶ声も聞いた。この声の主がオリンピコで試合を見たことがあるか不明だが、飛田給がイタリア一の糞スタジアムであるオリンピコと同じレベルであるといいたかったのだろうか?。喜んでいたように見えたのだが…。確かにオリンピコの場合、巨大な陸上トラックがバカファンとピッチの間の緩衝地帯として機能しているので無駄ではないというならそれは事実ではあるのだけれど、この方の意見にも唖然としてコトバが出なかった。
新潟スタジアムは見やすかったという声も聞いたことがある。これも、ぼくにはわからなかった。何を持ってみやすいというのか。ぼくと声の主の間には、価値観の違いというだけでは計り知れない日本海溝より深い溝がありそうだ。まあ、その言説を行ったのは臨海という三重苦スタジアムをホームとするジェフファンであったので、そういうものかと思ったりもしたがやはり返すコトバが見つからなかった。まあ「ギリギリの蘇我」ができるので早く目覚めてほしいと願う。
また時にぼくも霞ヶ丘や長居、そして等々力の2階は悪くはないということがあるけれど、これは次善の物言いでしかない。日本にあふれる陸上競技場のうち、フットボールを見ることを一億歩譲って我慢できるといった程度の話だ。
日本の陸上競技場でフットボールを見続けてきた人はフットボールの楽しみを一面からしか見ていないように感じる。東京だって正直、西ケ丘程度であるのだから、大方のフットボールファンを自認している東京在住者の観戦感だって、おしてしるべしなのではないだろうか。
こういった日本のファンにとって、イングランドのピッチと目線が同じゴール裏という日本では稀有なポジションで観戦するなどまっとくもって無理な話だろう。プレミア以前の太古の時代だと禁止薬物であっちの世界に逝っちゃってる大群や、人知を超えた殴り合いとか考えうるありとあらゆる犯罪と暴力がはびこっていたので、こういった非日常見物を楽しめる人間にとっては絶好の位置だった(ぼくのことだ)。しかし、今はまったくもって健全。それでも、いや、以前にまして、非日常の快楽空間になっているといえまいか。とにかく選手のぶつかり合いの迫力とボールが飛んでくるスリルがたまらない。ますますピッチに集中できる環境となっているのだ。
一方で、ボールゲームとしてみるなら俯瞰の位置が当然よい。そのためバックスタンド上方に年配のファンなどが集まる。だからこそ、全体を見渡せて、落ち着いて観戦可能な、そういった観戦ポジションの値段はそれなりにする。商品価値と購買層から導き出された価格設定といえるだろう。
しかし、それもこれも、専用スタジアムだから、お金を払う価値があるのであって、俯瞰の位置で豆粒みたいな選手を見なきゃいけない陸上競技場での観戦なら、テレビで見ているほうがましだ。いやもしかしたら、現在、日本ほどテレビで世界のフットボールを見られる環境はそうそうないので、そういういものを見すぎているファンの多くが「俯瞰慣れ」してしまっているのかもしれない。ぼくも霞ヶ丘や長居は悪くはないと言うことがあると書いたが、それもテレビによる「俯瞰慣れ」が原因かと自戒する。
いまふと思い出しが、飛田給について現在陸上トラックがないため、嘘か無知か冗談か分からないが、「サッカー専用」というコトバが使われることがある。あの飛田給でのフットボール観戦はどんなポジションでも間違いなく世界レベルで考えればC級以下だ。ダメなものはダメ。それをはっきり意識し、コトバにした上で、次善の策として飛田給での観戦を最大限に楽しむこと。そしてそれをきちんと新しいファンや子供たちに伝えていくことが、ぼくたちの義務じゃないだろうか?。と、思うが、どうやら飛田給では少数派の意見のようだ(笑)。
次善以下の状況であるのに、「~なら、見やすい」といってしまうこと。これは、もしも専用スタジアムの醍醐味、観戦方法、文化を知らないで言っているならば、まったくの無知蒙昧だ。ぼくに言わせると、「偉そうに言うなよ、大人ならさ」ということになる。また、知っていて、あえていっているなら偽善というものだ。そう考えると、ぼくは間違いなく偽善者だ(笑)。そして同じように上記の「~なら、見やすい」な人たちは無知か偽善者のどちらかということになる。ぼくの勘だが、たぶん前者がほとんどだろう。知識では知っていても身体感覚で専用スタジアムについて分かっている人間は日本には少ないように思われる。
いいかげん無知をさらけ出すのはやめにしたいし、偽善者のまま死んでいくのも御免蒙りたい。そういった意味でも「もっと専用スタジアムがほしい」と声をあげていくことが大切だと思う。あきらめた瞬間に無知か偽善者というレッテルがあなたに一生つきまとうことになる。現状を受け入れるのは大人の態度であるし、それは大切だと思う。だけれど、フットボールはこれからもずっと続いていくわけで、「~なら、見やすい」という人たちは子供や孫の世代にもこの状況を続けていくことをよしとするのだろうか?。野球場は専用だけれど、国民的スポーツだからしょうがないのだろうか?。
たくさんの人が思いつづけコトバにしていくこと。それが未来を作るのではないだろうか?。専用スタジアムをあきらめたら、そして自分に嘘をついたら、そこでおしまい。いや、はっきり言うけれど、そういった方は間違いなくフットボールの敵だ。
しがらみ、そして表沙汰にできない動きがたくさんあるだろうけれど、専用スタジアムが京都にできることはとにかく喜ばしい。Jリーグから極北スタジアムがひとつ減るのだから、喜ぶべきだ。ジェフファンも極北組だったのに、ギリギリだが蘇我ができる。これも素晴らしいことだなあと思う10月なのでありました。