鈴木慶一の新譜は船酔いしながら脳内でこねくりまわした末にたどり着いた土地で、快楽を貪りつつ真剣に創りあげたアルバムになったように思われる、というお話。
シーシック・セイラーズ登場!というタイトルのこのアルバム。世が世なら発売3年後にカット盤という姿でバーゲン会場の片隅でひっそりと輝きをはなっているはずだ。
入手をあきらめていた遅れてきた音楽阿呆のバーゲン会場で掘り出し物を探す手がハタッと止まり、心から中途半端な微笑が口元にこぼれる。そんなアルバムなのじゃなかろうか。
誤解する人が一人でもいると人類の損失なので確認しておくけれど、これ、ホメ言葉だから。
だいたいジャケットデザインからしてあの頃の恥ずかしくも斬新で独りよがりな時代の匂いが充満している。
ピースとかサイケデリックとかアートロックとかプログレッシブとか。まあ、わたしもそのあたりはちょっと背伸びしないと届かなかった世代なので、詳しいことはあまりよくしらないけど(ということにしておこーっと)。
日本レコード大賞の優秀アルバム賞を取った前作にひき続き、曽我部恵一とともに鈴木慶一が世に送り出した本作は、妄想全開やりたい放題のコンセプトアルバムへと成就した。
おそらくアルバムの方向性やコンセプトといった思考は介在していたはずだが、レコーディングが進んでいくにつれて、次々といきあたりばったりのアイデアが噴出し、それらを当初のコンセプトを鑑み、一応参照する方向で、修正し削って、を繰り返していったんじゃなかろうか。
と思うほど音楽的な内容はとっ散らかっている。
だけれど制作開始時のコンセプトをなんとかブレずに筋を通したといった意味で、コンセプトアルバムと呼んで良いはず、であることは間違いないだろう。
だいたい人間のやることはある意味いいかげんで周辺環境やメディア、内在する魂などによって、少しずつ、時には突然に変容していく。そういった変容が起こらない作業は単調であり直線的生産性の中にある。人はそれをガマンできない。変容に対しても自由であることが創造力というものだろう。
もちろん作品として世に出すにおいてはその時間軸の中に現れる変容をまとめあげる作業が介在する。
たとえばベストアルバムというヒット曲を集めたアルバムであってもテーマを設定し曲順を考え、時には再レコーディングを行ったり、リマスタリングを施したり。
レコーディング作業という時間軸の中で起こった変容を、ひとつの世界観を共有したコンセプトアルバムへと昇華させる作業というのは、背反的精神性の中にあるということだ。
などといいつつ現代風に聴いていると、あるはあるは。ポピュラーミュージックの王道である、引用やら、再構築が。
03[不沈戦艦シーシック号]なんざ、音作りはプロルハルムで曲全体の印象はザ・バンド的大地性が加味された佳曲。嫌いじゃないというより、多分、現在のところ、アルバムの中ではわたしにとって最も聴きやすい。
それでもこのアルバムは船酔い船員たちの海賊放送という最終的コンセプトの中の一曲であることはまぎれもない事実であり、それらの仕掛けを紐解き解読していく作業を聴き手に強いるという暑苦しい作業がちょっと鬱陶しい(笑)。
ただし、そういう生真面目な聴き方だけでなく、だらだらと聞きながすという行動にも耐えうる、強靭ないいかげんさもあわせもつアルバムにしあがっていると、思われる。
この時代にそういったやりたい放題が出来たのも前作が賞を得たからという、うがったみかたもできるかもしれないが、そういった見識は不要だろう。このアルバムは、海賊放送なのだから。
この視点にたてば、聴き手の憶測や詮索は、どうでもいいのじゃなかろうか。
と、思って、他の要素を考えれば、音そのものを楽しむということも出来てしまうBlue-Spec仕様であり、初版にはDVDもついてしまうという荒業が成就されている。ニヤリと楽しむことが先決なのだろう。



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